第十四話 挨拶のキスは日常 それなのに


 汐緒うしおが幼少期のことを思い出してからというもの、ネオンはますます汐緒に構うようになっていた。


 夜、入浴後にネオンは汐緒の部屋を訪れる。鍵をかけてしまうという手もあるのだが、ドアの前で騒がれるのも嫌だと思った汐緒は仕方なく部屋に入れるのだった。

 

 勉強や絵の練習の邪魔をするなら追い出していただろうが、ネオンは机に向かう汐緒に話しかけることはなく、ベッドを背にして床に座り漫画を読んでいる。


「ねぇ……用がないなら自分の部屋に帰ってくれる?」

「んなこと言われても。ひとりで部屋にいるの、なんかヤなんだよ。落ち着かなくてよ」

 

 汐緒は何も言えなくなってしまった。魔界でネオンがどんな生活をしていたのかは知らないし、聞くつもりもないが、立場上、ひとりきりで過ごすことが少なかったのかもしれない。

 つまり、ネオンは寂しいのだ。そう思うと、無下にできなかった。

 

 ネオンは汐緒のそばにいると落ち着くようだが、汐緒は違う。

 ネオンが六条松ろくじょうまつ家に住み始めてから、寝巻きにしているルームウェアの下にブラカップ付きタンクトップを着用している汐緒だが、それでも寝巻き姿をネオンに見せるのは、なんだか落ち着かない。


  

「うしおー、一緒に寝ていい?」

「ダメに決まってるでしょ!」

「なんでだよ。ガキん頃は一緒に寝てたじゃねーか」

何歳いくつのときの話よ。それはそれ。今はもう一緒に寝ない!」

「えー」

「えー、じゃなくて。もう自分の部屋戻ってよ。私、寝たいんだけど」

「むー……じゃあ、おやすみのちゅーでいいや」

「ちょっ……」

 

 待って、と言うのと同時に頬に唇を押し当てられ、すっと離れていく。

 悪戯が成功した子供のように、にしし、と笑うネオン。

 

「あのねぇ……」

「おやすみ」

「お、おやすみなさい…………」

 

 汐緒が思わず挨拶を返すと、ネオンは「ん」と、自分の頬を汐緒に近づけた。

 

「なに……」

「なにって何だよ。汐緒はおやすみのちゅーしてくれねぇの?」

「…………」

「うしお?」


 そんな子犬のような瞳で見られても……

 そう思いつつも、ネオンの頬に唇を寄せる汐緒。

 ネオンのペースに引き込まれている気がしてならない。

 

「ふひゃあ」

 妙な声をあげたネオンだが、若葉色の瞳を輝かせて、それはそれは嬉しそうに微笑んでいる。

 そして、汐緒の紫色の瞳をじっと見つめ、満足そうな表情で頷くと、尻尾をぴょこぴょこ揺らしながら部屋を出ていった。


 

 六条松家では挨拶のキスを日常的にしている。

 だから、こういった行為に何の感情も抱かないはずだ。

 だが、どうもむず痒いような、うずうずするような、奇妙な感覚を抱くことに汐緒は戸惑った。

 

 ごろりとベッドに横になる。

「……やっぱり、子供の頃の好きと、今の好きは違うと思うよ、ネオン」

 呟きは、ドアの向こうには届かない。

 



  

 本日、一年生はオリエンテーション。

 学校指定のスポーツウェアに着替え、野外炊飯。そのあとは進路指導だ。

 多くの学校は入学前や四月中にオリエンテーションを実施するが、三花みつはな高校では設立当初から五月に実施している。四月中はまだ雪が降る可能性があるからだろう。

 


 野外炊飯は学校の敷地内にある多目的広場で行われる。

 班分けは自由だったが、汐緒、方南ほうなみあや芽あやめかすみ木綿ゆう淡路あわじ雪乃ゆきの、ネオン、阿佐谷あさや明希あき荻窪おぎくぼ慎海しんかい阿嘉坂あかさか愛揮あいきが同じ班になった。


 インストラクターによる薪割りから火おこしまでの実演と注意事項の説明後は、火おこし担当と調理担当に分かれての作業。

 ネオンたちの班は、阿嘉坂とネオン、明希、雪乃が火の担当となったが、ネオンと明希は手が空いたら調理の下ごしらえを手伝う。

 火おこし担当者の作業は、まずは薪割りからだ。それぞれの班に渡された薪を、ナタで割っていく。

 

 多目的広場の中央が火おこし場で、他のグループと適切な距離を取るため、地面にロープが張られている。

 

  

「ふうん。これでやんのか」

 興味深そうな表情で右手に持ったナタを眺めるネオン。

「ネオン、やってみる?」

 明希が問いかけると、ネオンは若葉色の瞳を輝かせた。

「いいのか?」

「うん。俺、小学生の頃、薪割り体験やったことあるし。今回はパスで」

「そんなこと言って、サボるつもりじゃねぇだろうな?」

 阿嘉坂が明希をチラリと睨む。

「バレたか」

 えへへっと笑いつつ、明希は左手に軍手を二重にはめた。 


「利き手と反対側の薪を持つほうの手は、軍手を二重にはめてガードするんだ」

 首を傾げて見ているネオンに気がつき、説明する阿嘉坂。

「ナタは素手で持つ。なぜかというと、軍手をしていると手が滑ってナタを落とすかもしれないからだ」

「なるほど」

 ネオンは頷き「で、次はどうしたらいいんだ」と明希と阿嘉坂を交互に見た。

 

  

「じゃあ、一緒に一回やってみよう。まずは俺が手本見せるから、ちゃんと見てて」

 ネオンに軍手を渡した明希が、薪割り台の前に左の膝をついた。ネオンも真似をして片膝をつく。

 雪乃も阿嘉坂に促され、薪割り台の前に膝をついた。

 

「えーと、まず、木に刃をつけて……」

 初めての薪割りに挑戦するネオンは、緊張の色が隠しきれない。ぶつぶつと呟き薪にナタの刃を当てる。

「んー、もうちょっと先を上にして。そうそう。横から見たときにカタカナのイになるように刃を入れて……まず軽くトントントン、な」

 明希はそう言い、ナタを右手で持ち、ナタの刃が入った薪を左手で持ったまま、薪割り台に軽く打ち付けた。

  

「トントントン……っと。これくらいか?」

 明希の真似をして、ネオンも薪割り台に軽く打ち付ける。

 

「もっと強く!」

「こ、こう……?」

「二人ともそんなおっかなびっくりやらなくて大丈夫だって。小学生でも出来るんだから大丈夫だよ」

 ネオンは刃物が怖いわけではない。うっかり力が強すぎて薪割り台まで割ってしまわないか、それが心配なのだ。

「うわ、こわ……」

 雪乃も恐る恐るといった感じで打ち付けているが、ちゃんと出来ている。

  

「うん、いいねー。二人とも薪を持ってる方の手を離してみて」

「おおー」

「お、おう……刺さってる!」

「そうそのまま……今度はナタを両手で持って、軽くトントントン……」

 明希の指示通りに両手でナタを持ち、そのまま軽く薪割り台に打ち付ける。

「トントントン……うお! やった、割れたぁ!」

 ネオンは思わず大声をあげた。

 

「うまいじゃん! で、今のを繰り返して、割ったやつをどんどん細くしてくんだよ。細くなるにつれて、かるーい力で割れるようになるから、そこは注意な」

 言いながら明希が次の薪を割り始めたので雪乃とネオンも次の薪に手を伸ばす。

 

  

「うおお……なんだこれ楽しい!」

「おいおい、全部割るなよ?」

「あー、その薪は割らないで取っておいて」

 

 ぎゃあぎゃあ騒いで薪を割っていたネオンだが、作業が終わると途端におとなしくなった。 

 人間界に戻ってきた翌日にタツに言われたことを思い出していたのだ。



『お前には色々なものを見て、色々なことを経験してほしいと思っているんだよ……色々なことを経験して、視野を広げ、ネオンだけの道を見つけてほしいんだ』

 


 俺だけの道……か。

 見つけられるだろうか。この学校に通うことで。

 それは、わからないけど、今……俺、何かやってるって感じがすごくしてる。

 なんつーか、すごく満たされた気持ちっていうか……


 ネオンの悪魔の力は光と電気、雷。それを応用すれば火を出すことも可能だ。それに、薪なんていらない。



 ネオンは自分の右手と細く割られた薪を交互に見つめる。

 

 自分の手で何かをするということが、こんなにも楽しいものだったなんて、ずっと忘れていた。


  

 

「じゃ、次は……と」

 呟いて周りの班の状況を確認した阿嘉坂は、ネオンと明希と共に焚き火台の設置に取りかかった。

 軽くクシャッと丸めた新聞紙を置き、雪乃とネオンが新聞紙で薪を囲い組むように置いていく。

「こんな感じ?」

 雪乃がそう言って全体を見るように後ろに下がった。

「あぁ、そうだな。まぁ、こんなもんかな」

 火をつける前にインストラクターに知らせることになっているため、阿嘉坂が手を挙げ、他の班員もそれに倣う。


  

 インストラクターのオーケーが出た。

 いよいよ、着火だ。

 胸が弾むネオンだが、そういえば明希は何をしているのかと気になった。

 周囲を見回すと、多目的広場の端に建つ管理小屋の前で汐緒に声をかけているではないか。


  

 ネオンは眉をひそめた。

 

 くそっ、読唇術を身につけておけばよかった!

 

 悪魔の血のおかげか、それなりに耳は良いと思っているが、この距離では会話の内容がわからない。

 ただ、汐緒は明希のことを警戒対象として見ているような気がする。ネオンは唸りつつも、二人のもとへ駆け寄ることはせず、様子を見ることにした。

 


  

「ねぇねぇ、六条松さん。ネオンと一緒に住んでるんだよね?」

 足りなかった野菜を取りに来た汐緒が、目を見開いて声の主の方を見上げる。

 人懐こい笑顔を浮かべている明希と目が合った。


 

 ちょっとネオン! なに阿佐谷くんに話してんの! 余計なこと言わないでって言ったじゃん!

 

 しかし、その時にネオンの側にいなかった自分も悪いと汐緒は思い直す。

 

 

「小さい頃に結婚の約束したって言ってたけど、ほんと?」

「そ、そんなことまで……」

 ふらり。めまいがした。体勢を整えたものの、遠い目をする汐緒。

 

 道理でネオンが転入してきてから、自分を見るクラスメイトの視線が、なんだか妙なものだと思っていたのだ。生暖かいというか、なんというか……



 髪の長い生徒はまとめること、という通達があったため、汐緒はいつものゆるい三つ編みではなく、頭の上でおだんごヘアにしている。

 壁に頭を打ち付けてしまいたくなったが、頭上のおだんごが崩れてしまうので、思いとどまった。


  

「え、えーと……その話聞いちゃった俺が言うのもなんだけど、ネオンのことが本当に嫌だったら、協力するよ?」

「協力?」

 

 思わず明希を見上げると、明希は頷いた。

  

「うん。合コンセッティングしてさ、ネオンに他の女の子との出会いを、ね?」

 そう言ってウインクする明希。


  

「ごうこん……?」

 汐緒は瞬きをして明希を見つめた。

 

 それって、男女がカラオケしたり食事したりするアレのことだろうか。そういえば合コンてなんの略だろう。合同コンパだっけ。ていうか、コンパってなんだ……


  

「それ、単にアキが合コンしたいだけでしょ!」

「うん、まあそれもあるんだけど……って、ゆっぺ!」

 背後からの鋭い声に思わず応えた明希が振り返ると、腰に両手を当てた木綿が睨みをきかせている。

 

「う……」と呻めきつつ、明希は背中を妙な汗が流れるのを感じた。


「外野がそういう余計なことしない方がいいよ。こういうのは当人たちの問題!」

「う、うん……」

 こくこくと明希は頷く。そして汐緒に向き直り、顔の前で手を合わせた。


「ごめんね、六条松さん。ちょっと冗談言ってみただけだから。今の、忘れて!」

「あ、うん……えーと……お気遣い、ありがとう……?」

 一応、明希なりの気遣いなのだろう。

 汐緒は一応、お礼を伝えた。

 

「まったくもう! ほら、サボってないで作業してよ。お米研ぐくらいできるでしょ!」

「へーい」


 木綿は手をひらひらさせ「ほら、行った行った」と明希を追い払った。

 まるで落語に出てくる、ぐうたら亭主と働き者女房のようなやりとりだ。


 

「大丈夫?」

 調理場へ向かいながら、木綿は汐緒の顔を覗き込んだ。

 

「あ、うん。ありがとう」

「あいつ、深く考えてないだけだから、あんまり気にしなくていいよ。でも、もっとキツく言っておけばよかったかな」


 汐緒は首を振った。

 身内のしたことのように言えるくらい親しい間柄。それくらい色々わかっている間柄……自分とネオンの関係と比べてしまう。


 

阿佐谷あさやくんとは幼馴染なの?」

 思わず口から出てしまい、汐緒は内心慌てた。

 たいして仲良くもないのに、こんなこと聞くのは踏み込み過ぎている。

 

「あの……なんとなく、そんな感じがするっていうか」

「あ、うーん、そうなるのかな? 小学校入学した時からの……腐れ縁だよ」

 木綿は全く気にしていないようで、さらりと言った。

 

「やっぱりそうなんだ。なんか、お互いわかり合っているように見えるから……」

「そんなことないよ」

 

 でも、私とネオンとは、やっぱり違うように見える。

 思わず呟いてしまったが、木綿の耳にも届いていた。

 

「ごめんね、私もあの話……同居してること、聞こえちゃってて……罪滅ぼしみたいでなんかあれだけど、何か困ったことあったら言って」

「……ありがとう」


 

 困っている、わけではない。どちらかというと、どうしたらいいのかわからないのだ。

 


 ネオンの言葉や態度に戸惑ってしまうことがある。ネオンに対してどう接していいか、わからなくなることがある。


 

「今のネオンのこと、よくわからなくて……嫌とか、嫌じゃないとか、そういうのも、よくわからない」

「……万葉原まはらくんとは十年ぶりに再会したんだよね」

「……うん」

 万葉原という呼び方に慣れないのは汐緒も同じだ。一瞬、誰のことかと思った。

 

「それなら、戸惑うのも仕方ないんじゃないかな。十年経てばお互い色々と変わるだろうし」

「……そっか、そう……だね」

「十年って長いもの」

 あいつ、中一くらいまで私より小さかったのに。呟いて木綿は目を細めた。

 ヘーゼルアイが見つめる先は明希。

 お米は既に研いでしまったようで、火の当番をしている阿嘉坂に話しかけている。


 

「……さ、私たちもやろうか」


 ちょうど調理作業の場所に着いた汐緒と木綿は、他の班員と共に野菜をカットする作業に取りかかった。

  


 

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