第十話 たった一言 大きな一歩

 ネオンは幼稚園すら、まともに通ったことがなかった。

 力の制御がうまくできず、感情が昂ると光や稲妻などを出してしまっていたからだ。

 

 幼い頃のネオンと関わりがあった人たちは、六条松ろくじょうまつ家の人間と、専門の医療機関や管理局の職員という『関係者』くらいだった。 

 たまに近所の公園で同じ年頃の子を見かけても、遊んだことはない。その子達のことを汐緒うしおが怖がっていたからだ。

 物心ついた頃には、既にネオンは汐緒のことを守っていた。まるで小さな騎士のように。

 逆に、ネオンが好奇心のまま突っ走ろうとすると汐緒が泣いてしまい、思いとどまることも少なくなかった。

 ネオンと汐緒は、お互いを無意識のうちに守りあっていたのだ。

 そして、どんどんふたりの世界を築いていった。



「なぁ、友達ってどういうもん? タツ兄にとって友達って何? ナナミ姉とは、どう違うんだ?」

 

「そうだなあ。俺の場合……七海ななみとは違った意味で、お互い信じ合っていて、大切だと思っている仲間だな。高校時代の友達は、大人になった今でも、一緒にバカな話で盛り上がることができる連中だ。七海には話せないような、男同士でしかわからない話が出来るんだよ。たまにしか会えないけど、昔も今も会話の内容はあまり変わらない、くだらない話ばかりしてる。でもそれが楽しいんだ」

 

「……ふうん。よくわかんねーけど……夫婦と友達は違うってこと? つーか、男にしかわからない話ってなんだ? あ、エロい話っ、いてっ!」

 

「男のロマン的な話とか、そういうやつだ! 七海に聞かれたら『いつまでもそんな子供みたいなこと言って』と呆れられそうな話だ。大人になっても、そういうバカな話や妄想話をしたくなるもんなんだよ。ネオンも大人になったらわかる」

 

 なんだよつまんねーの、と呟きデコピンされた額を擦りながら、ネオンはさらに尋ねる。

 

「……友達って、大人なってからも付き合いあるもんなのか?」

 

「人にもよるけどな。疎遠になったヤツは何人もいるぞ。でも、学校での体験は一生ものの大切な思い出だ。今はもう付き合いがなくても、二度と会うことが出来なくてもな。そういう昔の楽しかった思い出が、今の俺の心を支えているんだ」

 

「うーん、よくわかんねー……」

 ネオンは眉間に皺を寄せて軽く俯いた。

「ちょっと今のはネオンには難しかったか」



 魔界にいた頃のネオンの遊び相手は、姉たち、父の従者、使い魔だった。

 同じ年頃の同性と関わったことがないので、学校や友達というものは、漫画やアニメなどで得た知識しかない。


 ネオンにとって、友達というものは、楽しそうで、嬉しいもので、とてもきらきらしていて──どんなに手を伸ばしても、手に入れることが出来ないものだった。

 

 でも、今、ネオンは人間界で生きている。

 そして、これから先もずっと…… 

 


──もし、俺が学校へ通ったら……?


 想像したことは、何度もある。

 それは、わくわくする夢物語だった。


 だが、いざその願いが叶うかもしれない状況に立たされると、行き着く先は不安だ。

 

 友達が出来るか出来ないかも不安だが、それ以前に、うまくこの人間界に馴染めるのだろうか、という不安である。


 生まれてから五歳半まで人間界で生活したものの、その後十年間、魔界で生活していたのだ。十五年半の人生の、約三分の二を魔界で過ごしていたことになる。

 その魔界で生活していた十年間、力の制御は完全に出来るようになったが、それは人間としてではなく、魔王の息子として生きていたからだ。

 

 そんな自分が、悪魔と人間の混血であること、あの力や尻尾を隠し、ごく普通の人間の少年として生活していけるのだろうか。

 

 正直言って、自信は無い。


 だからといって、このまま毎日姉の職場に押しかけ、漫画を読んだりダラダラしていてもいいのだろうか……とも思う。



 ネオンは大きく息を吐いた。

 色々と不安要素ばかりあげていても、前に進めないのはわかっている。

 

 タツは、学校が合わないなら辞めてもいいと言った。

 学校に通ったことのないネオンには、学校が合うかどうかは、わからない。

  

 それならば、やってみるしかない。

 ダメならダメで、そのとき考えよう。


 

 ネオンは顔を上げ、真っ直ぐにタツの目を見つめた。

 

「タツ兄、俺……友達がほしい!」 

「……そうか」

「うん。俺、学校行きたい!」

 

 そうきっぱりはっきり言い切ったネオンだが、もじもじと両手で膝の辺りを擦っている。

 

「……だ、だからその……学校行ったら、俺にも友達できる?」 

「正直で素直なところは、ネオンのいいところだ。きっとネオンの良いところをわかってくれる奴もいると思うぞ」

 そう言ってタツは優しく微笑んだ。

 

「マジで? じゃあ、そいつと友達になれる?」

「断言はしないが、ネオンがそいつのこともちゃんと大切にすれば、可能性はある」

 

 タツがそう言うと、ネオンは照れながらも、若葉色の瞳をきらきらと輝かせている。嬉しそうに笑いながら。

 

「まぁ、あんま気負わずにやれ。見栄張ったり自分を偽っていても、後で辛くなるだけだ。自然体でいればいい」 

「自然体……」

 夢心地で呟くネオンには、姉からの「自然体と言っても、尻尾はしっかりと隠すのですよ」という忠告は聞こえていないようだ。

 そんなネオンを見てタツは眉を下げた。

 

「学校に通えば、汐緒が勉強したいと思っている理由も、理解出来るようになるかもしれないな」 

「……そう、なのか? 汐緒のこと、ぜんぶわかるようになる?」

「んー全部か。それは難しいな」

「えぇー」

「でも、学校に通うことで人として成長したら、汐緒もネオンのことを『すごい』って言うかもしれないぞ」

「……そ、そうだよな。汐緒にすごいよかっこいいよネオンって言われるかも……ふへへ……」

 

 へにゃへにゃ笑うネオンをタツは目を細めて眺めた。

 なんて単純なやつだ。よし、こいつの気が変わらないうちに話を進めてしまおう。

 

「アシュレタルト。至急手続きしてくれ」

「それが人にものを頼む態度ですか」

「いいからやれよ保護者だろ。可愛い弟が毎日ここに来るのが邪魔なら、一日でも早くミツ高に編入できるようにしてやれ」

 

 ミツ高というのは、汐緒が通っている高校の略称だ。タツと七海ななみの母校でもある。


 アシュレタルトは、タツの態度に呆れつつも息を吐いた。

「……はぁ。まったく、仕方がないですわね」

 

 実は密かにネオンを高校へ編入させる手続きを進めていたのだが、そのことは言わないでおこう。

 

 アシュレタルトは、こっそりと私立三花みつはな高等高校のパンフレットが入った封筒を引き出しに仕舞った。




 

 翌日。

 ネオンは、六条松ろくじょうまつ家の敷地内にある診療所に連れて行かれた。

 

 連休期間中は休診日のため、診療所は静かだ。

 タツは色々やることがあるようで、事務所に篭っている。

 ネオンは待合室で七海から試験と特別授業を受けることになった。

 七海は褒め上手で、ネオンは褒められると伸びるタイプだ。ふたりの相性は良いのだろう。予想以上に試験と特別授業はスムーズに進み、休憩を兼ねて様子を見に来たタツがその状況に驚いたほどであった。


「へええ。こりゃ驚きだ」

「ふへへ……」

「日本語ちゃんと読めるか心配だったんだが、杞憂だったな」

「ば、バカにすんなよ! 日本語くらい読めるぞ! つーか、昨日俺が漫画読んでたの知ってるだろ!」

 

 魔界の公用語は日本語ではないが、悪魔たちは人間界のありとあらゆる言語を扱うことができる。そのため、姉や魔王の従者がネオンの世話をする際、日本語と英語が使われていたのだった。

 また、ネオン本人も日本語を忘れないための努力をしていた。とはいえ、アシュレタルトから借りた日本の漫画を読んだり、アニメを見たり、ベルゼが日本から取り寄せた挿絵が多い児童向けの本などを読んでいただけだが。

 

「漫画を読むのと、こういう文章の音読は違うからなぁ。あっちでも勉強してたんだな。偉いぞ」

 まるで幼い子供にするように頭を撫でてくるタツに、ネオンは頬を膨らませた。ただ、褒められるのは嬉しい。その気持ちは顔に出ていて、頬を膨らませているのにニヤニヤしているため、おかしな表情になってしまっている。

 

 七海が「ほら見て」とネオンが解いたテスト用紙を掲げた。 

「タツくん見て。小学校の道徳の教科書、全部ちゃんと読めたし、六年生までのテストは合格点取れたのよ。すごいわ。偉いわ。ネオンくん!」

「いやぁ……これくらいヨユーヨユー」 

 ふふん、とネオンはふんぞり返り、胸を張っている。

「そうか。その調子でがんばれ」

 高校に通うんだから、それくらい余裕で出来ないと困る。タツはそう思ったが、口には出さなかった。


 

 その翌日も同様に特別授業が行われた。

 その結果、明らかになったのは、ネオンの学力は学科によりばらつきはあるものの、だいたい日本でいうところの小学校六年生から中学二年生レベルということだった。

 

 正直、現段階では英語以外は高校の授業についていけるかどうか怪しいレベルだが、それは今後どうにかすれば良い。


  

 学力より大切なことが、今はあるのだ。

 

 

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