第八話 俺邪魔なのか?

 ネオンが連れて行かれたのは、腹違いの姉であり、出入界在留管理局日本支局長野支部の支部長である、アシュレタルトの職場だった。

 

 支部長室が与えられているアシュレタルトは、机の前に座りパソコンと書類の山と格闘している。

 ネオンは、部屋の一角にあるソファに寝転びながら姉に問いかけた。

 

「なー、タルト姉。汐緒うしおと遊ぼうとしたらさ、勉強してるからって怒られちまってよ。どうしたらいいと思う?」

「さぁ?」 

 カタカタとキーボードを鳴らしながら、アシュレタルトはネオンの方を見ずに気のない相槌を打つ。

 

「勉強勉強って……なんかさ、大学? 行きてぇんだって。そんなの俺と結婚するなら必要なくね? やっぱり汐緒をどこかに閉じ込めた方がいいかな」

 

「我が弟にヤンデレの気があるとは知りませんでしたわ」

 

「でもさー、そんなことしたら、外、遊びに行けねーよな? 汐緒とおでかけできねーじゃん。それにさー、俺、汐緒が自由にしてるのが好きなんだよ。どうしたらいいと思う?」

 

「さぁ?」

 

「……やっぱ、根本的なモンをどうにかしねぇとな……んー……汐緒の学校、ぶっ壊すとか?」

 

 アシュレタルトがキーボードを打つ手を止めて弟を見ると、本気とも冗談とも取れるような表情をしているので釘を刺す。

 

「そんなことしたら、わたくしの後処理しごとがとんでもなく面倒になるからおやめなさい」

「冗談だって」

 

 アシュレタルトは溜息をつき、傍に置いたタンブラーに口をつけた。中身はミルクティーだが、冷めつつある。

 

「冗談に聞こえませんでしたけど。くれぐれも実行なさらないで下さいよ。あの化けも……いえ、六条松ろくじょうまつタツに何されるかわからないですし、汐緒ちゃんにも本気で嫌われますわよ」

 

「えっ……そんなのやだ! つーか今、タツ兄のこと化け物とか言おうとしなかったか?」

「あれは人間の皮を被った化け物です。弟も気をつけなさい」

「はぁ」

 

 ネオンは眉間に皺を寄せた。悪魔に化け物って断言されるとか、タツ兄ナニモンだよ。まぁわからんでもないが。


  

 アシュレタルトは溜息をつくと立ち上がり、本棚から取り出したものをネオンに差し出した。

 

「わたくし、今日中に処理しなくてはならない案件がありますの。おとなしくこれでも読んでなさい」

 つまり、忙しいんだから邪魔するな、話しかけるな、ということだ。

 

「なんだこれ。少女漫画?」

「わたしくが今一番ハマっている漫画です」

「なんだよ、タルト姉がこーいうのにハマるなんて珍しいな。いっつも、なんつーの? 男同士の恋愛もの? とか、バトルものとか、なんかグロくてヘビーなやつとか、そんなんばっかり読んでんじゃん」

「お黙り。わたくしだってたまにはバトルものや同性の恋愛もの以外の漫画やアニメも嗜むのですよ」

「ふうん」

 

 まあいっか。暇だし。表紙の女の子が少し汐緒に似てるのも気になるし。ちょっと読んでやろうと、ネオンはページをめくった。


  

 残念系美少女の世話を焼いている幼馴染の男子高校生が主人公の、ほのぼのラブコメだ。これといって大きな事件やバトルなどはなく、地方都市に住む高校生たちの、なにげない日常と恋愛模様や成長が描かれている。

 描かれている風景がどこかで見たような景色で、山のある町はどこも似たようなものなんだなと思っていたら、どうやらこの漫画の舞台はこの町らしい。



「学校かぁ。こーいう漫画読むとちょっといいなあって思うんだよな……」


 ネオンの呟きは聞こえていたが、アシュレタルトは弟の方を見ようともせず、メールをチェックしたり書類に記入したり判を捺している。

 おとなしく読んでいるかと思えば「うはぁあ」だの「うわぁ、じれってぇ!」だのうるさい。そのたびに反応していては仕事にならないため無視しているのだ。

 


「そうか。ネオンは学校に興味があるのか」


 管理局の者たちが陰で『化け物』と呼んでいる、天使と人間の混血である人物の声が聞こえ、アシュレタルトは飛び上がった。

 

「ひぃっ! 六条松タツ! いきなり現れないでくださる?」

 

「なんだその化け者に遭遇したみたいな反応。迎えの時間だし、ノックはしたぞ。そんなことより、ネオンが学校に通うことについてどう思う?」

 

 アシュレタルトは溜息をついた。

「そうですわねぇ……毎日弟がここに来られては、わたくしも仕事にならないですし」

 そう言って、チラリと弟を横目で見る。

 

「え。俺邪魔なのか?」

「邪魔ですね」

「ひでーな。可愛い弟を邪魔者扱いかよ」

「本当のことですわ。貴方はたしかに可愛い弟ですが、バカな子ほど可愛いという意味ですからね。そこのところお間違えなきよう」

「なんだよもー」

  

 タツは頬を膨らませているネオンの隣に腰を下ろすと、ネオンの若葉色の瞳をまっすぐ見つめた。幼い子に話しかけるように問いかける。


「ネオン、汐緒とずっと一緒にいたいか?」

「なんだよ、改まって。俺はそのつもりだって言ってんじゃねえか」

「ずっとこの先も人間界で暮らしたいんだよな?」

「何度も聞くなよ。俺みたいな混血は、こっちに住むしかねぇんだろ。それに、汐緒を魔界には連れて行けないって言ったの、タツ兄じゃねえか。それなら、こっちで暮らすしかねーじゃん」

「あぁ。そうだ。だがな、人間の世界での常識ある行動を取れないと、汐緒とずっと一緒にいることは難しいぞ」

 

「じょーしき?」

 瞬きをして首を傾げるネオン。

  

「そうだ。こっちの世界にはな、やってはいけないこと、しなくてはいけないこと。そういう色々な決まりがあるんだ」 

「……人を殺しちゃダメとか、暴力はダメとか、人のモン盗んじゃダメなことくらいは知ってるぞ」

 ネオンは唇を尖らせている。

 

「昔、俺と七海ななみが教えたこと、ちゃんと覚えているな。偉いぞ」

 タツは眉を下げて、ネオンの頭をわしゃわしゃと撫でたが、乱暴に手を払われた。

 

「ガキ扱いすんなよ!」 

「ネオンが今言ったことの他にも、たくさん決まりごと、ルールがあるのは知っているか?」

「……それは、なんか……薄々気がついてた」

  

 ネオンは昨日、タツに連れられて買い物へ行った時のことを思い出した。

 帰りの車の中で、なぜ会計するときにレジに並ぶのか、という話をしたが……そういうことだろうか。

 

「どんな約束ごとがあるのかわからないと、それを守ることは出来ない。しかし、今のネオンは、それらをほとんど知らない状態なんだ。ここまではわかるな?」

「うん」 

「今のネオンは俺と七海、汐緒以外の人間との関わりはほとんど無い。つまり、今のネオンは人との関わり方をよく知らないんだ。では、それを学ぶにはどうしたらいいか。ネオンはどうしたらいいと思う?」


  

 なにげない会話の中でも、所々で「お前はどう思う?」などと意見を求めてくるので、タツとの会話は気を抜けないのだが、今回の話は長くなりそうだと、ネオンは息を吐いて姿勢良く座り直した。

 

 どう答えるかと頭を掻く。

 ぐるり、部屋のなかを見渡すと棚に本が並んでいるのが目についた。

 

「……えーと。誰かに教えてもらうとか、本を読むとか?」

「それもあるな。とても大切なことや基本的なことは、親やきょうだい、保護者が教えるものなんだが……同年代の子たちが集団生活をしている『学校に通う』ということも、とても良い方法だと思う」

 

「学校?」

 ネオンがタツを見つめると、真っ青な空に似た色の、タツの瞳がすっと細められた。

 

「あぁ、学校で学ぶんだ。色々なことをな」

「俺、勉強嫌いなんだけど」

「お前、さっき『学校いいなー』とか言ってなかったか?」

「それは、その……」 

 ネオンは慌ててタツから目を逸らし、先程まで読んでいた漫画の表紙に視線を向ける。 

 

「勉強以外にも、色々してて……ちょっとだけ、ガッコーって、楽しそうだなって、思った」

 膝の上で両手を握り素直に白状すると、タツはククッと笑った。

 

「歴史や数学、語学などの勉強をする場所である学校で、なぜ体育祭や文化祭などのイベントをするのか。ネオンはどうしてだと思う?」

 

 タツは立ち上がると、腕を組んで歩き始めた。コツンコツンと床が鳴る。

  

「ええと……友達をつくるため?」

「そうだな。それも一つの理由だな」

 タツはネオンの方を見て微笑んだ。

 

「一つってことは、他にもあんのか?」

「学校のイベントは、社会的なスキルを身につけるための訓練でもあるんだ」

「……?」

 ネオンは頭を傾げた。

 

「例えば、体育祭は健康や運動能力の向上を目的としている。競技に参加することで自分の体力やスキルの向上を図ることができる」

 

「……自分のカラダのためってことか?」

 

「まだあるぞ。体育祭には団体競技があるだろう。チームメイトとの連携や戦略的思考が必要になる。仲間意識や協調性といったコミュニケーション能力や、リーダーシップスキルを養うことができる」

 

 ネオンは唸った。

 体育祭は、ただ勝った負けたを争うだけかと思っていたのだ。

 

「文化祭なら、出し物を決める時に色々な意見が出るだろう。どうやって異なる意見を擦り合わせるか、考えなくてはならない。準備中も予算や進行状況を把握し、スケジュール調整や人員配置……当日のハプニングにどう対応するかなどをみんなで考える」

 

「……んん……なんか、大変そうだな」

 

「つまり、文化祭ではリーダーシップや計画力、責任感、自己表現や創造力を養うことができる。他のクラスや部活動の展示や発表を見たり交流することにより、異なる視点や文化を理解し、多様性を受け入れる力も身につく」

 

「ただ友達を作るためだけじゃねーのか。いろんなスキルや考え方を身につけることができる、ってことか……」

 ネオンの呟きにタツは微笑みながら頷く。

 

「そうだ。学校は広い視野で学び、成長するための場所なんだ」

「ただ勉強して、たまになんか楽しそうなイベントやって遊んでる場所なのかと思ってたよ」

 ネオンがそう言うと、タツはくつくつと笑った。


  

「今のネオンくらいの年の子たちは、自分がこれからどう生きていきたいか、将来どういう仕事に就きたいか、そういうことに悩んだり迷ったりもする。人として大きく成長する時期なんだ」

 

「う、うん……?」

 話題が変わったことに戸惑ったネオンは、眉間に皺を寄せて首を傾げ、そのあと自分の膝を見つめた。

  

「そういう、人として大きく成長する時期に学校に通い、同年代の子と交流し、そういったイベントを通じて得た経験は、貴重な財産になる。それに、同じくらいの年齢の集団で生活する環境というのは、学校……小学校、中学、高校くらいなものだ。とても貴重な場だと思う」

 

 ネオンは俯いて黙って聞いている。貴重な財産、貴重な場という言葉が、じんわりと心に残った。


「同じ年頃ということは、悩みもだいたい似たようなものを抱えがちなんだ。だからこそ、ぶつかり合うが、分かり合えることもあると思う。親や先生、大人に言えないことでも、同じ年頃の子には言えたりするもんだ」


 ネオンは首を傾げつつも黙って聞いている。

 同じ年頃の者との関わりが少ないため、ピンと来ないのだ。


「いろんな人がいるから、気の合うヤツばかりじゃない。どうしても分かり合えないヤツもいるし、嫌な思いをすることもある。でもそのときにどうするかが大切なんだ」

 

「どうするか……?」

 ネオンは呟いた。


「基本的には話し合いだ。だが、話し合って解決できる時もあるし、解決しない時もある。大人や周りの人に相談したり頼ることや、うまくかわしたり、人を頼らず自分の力で解決すること、時には逃げることも必要だ。そういう、人との関わり合いや、悩んだり迷ったりした時にどうしたらいいかを学ぶには、学校はいい場所なんだ」

 

「よくわかんねぇ……」

 ネオンはタツを見つめた。

  

「では、ここで問題だ」

 タツの突然の発言にネオンは背筋を伸ばす。

 

「例えば、ネオンが自分からやりたいと言って、体育祭の実行委員になったとする。実行委員はわかるよな?」

「体育祭のスタッフのことだろ」

「そうだ。でも、体育祭実行委員に、すげー嫌なヤツがいた、とする。いつもネオンに突っかかってきたり、邪魔したり、意地悪してくる。コイツを『イヤナヤツオ』と名付けよう。ネオンはどうする?」

 

「ネーミングセンスないですわね」

 アシュレタルトは吹き出した。

「うるせえ! わかりやすくていいじゃねぇか!」

 けらけら笑う姉と、それに噛み付くタツを眺め、ネオンは頭を掻いている。

 

「んー、めんどくせぇなぁ。実行委員やめようかな」

「それは委員会の他の人たちに迷惑かけることになるぞ。新たに体育祭実行委員を決め直すことになるから、クラスメイトにも迷惑がかかる。それに、絶対に理由を聞かれるぞ。どう説明するつもりだ?」

「う、うーん……」

 ネオンは頭を抱えた。

 

「それにな、ヤツオが嫌だからって、何もせずやりたかったはずの委員をやめてしまうのは、もったいないと思う。それに、なんか悔しいじゃねーか」

 タツは腕組みをして、お前は悔しくねぇのか、と呟いてネオンをじっと見つめる。

 

「じゃあ、ヤツオを追い出せばいいのか?」

「それは一番やっちゃダメだろ」

「えええ」

「ヤツオと、どうやってうまくやっていくか、それを、考えるんだ。それが大切なんだよ」

 

 ネオンは眉間の皺を深くして唸った。

  

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