2.

「えっ、なんだこれ、まさか本当に?!」

 少年が『山のおばあちゃんち』に帰って、捕ってきたクワガタを見せると、お父さんはやたら大げさに跳び上がってみせた。ちょっとわざとらしいけれども、お父さんが本当に驚いた時のクセだった。

「ひょっとして新種とか?」

 図鑑では見たことがなかったから、もしかしたらと思っていた。けれどお父さんは首を振ると、ノートパソコンを広げてカタカタと何かを探し始めた。

「いや、僕の記憶が正しければ、もっと凄いぞ…………やっぱりそうだ! これだ! 絶滅したはずのクワガタだ!」

「ええっ!?」

「最後の捕獲の報告が昭和のこの年だから……何年前だ? まあ余裕で三十年以上前に、もういなくなったと思われていた奴なんだよ! まさか生き残ってたなんて! 大発見だ!」

 お父さんが少年に見せてきたパソコンの画面の上では、なるほど、いま虫籠の中でスイカに齧りついているのと同じ特徴を持ったクワガタの、白黒の写真が載っている。何かの論文の一部らしい。

 お父さんは地球環境がどうとか調べている学者の仕事をしていて、専門は森とか植物とか温暖化だとかの方らしいのだが、昆虫にも詳しかった。むしろ都会育ちの少年がいまどき虫捕りなんてするようになったのは、完全にお父さんの影響である。少年よりもよっぽど多くのことを知っているし、既に絶滅した虫なんて少年の持っている今の図鑑には載っていない。少年はただ感心するしかない。


「んで……そのクワガタ、どこで捕まえたんだ。ちょっと地元の大学にも連絡して、保護とか考えなきゃいけないぞ」

「それが……ほんとは虫とか捕っちゃいけないところなんだって」

 大人げもなく興奮するお父さんを前に、少年には嘘をつくという選択肢はなかった。ありのままに昼間の出会いについて告白する。

 村の神社の所から、さらに奥に入っていったこと。どこかの庭のような所に出たこと。お姉さんとの出会い。

 話をするうちに、お父さんの顔が険しくなる。やっぱり入ってはいけない場所だったのだろうか。少年は不安になった。

「それが本当だとすると……平坂ひらさか邸か……? いやまさか……」

「知ってるの?」

「まさかとは思うんだが、確認しなきゃいけないな。明日、ちょっと一緒に出掛けるか」

 お父さんの真剣な顔に、少年はうなづくしかなかった。


 翌朝。朝ごはんを食べた後、少年はお父さんに促されるままに、おじいちゃんの軽トラックの助手席に載せられた。お父さんの、傍目にも危なっかしい運転で、軽トラはどこかに向かっていく。

「神社の方だから、こっちじゃないよ」

「道は少し遠回りになってるんだ。山をぐるりと回って、神社の裏の方に出る」

 そう言われても、くねくねとした細い山道は方向感覚を狂わせる。本当に大丈夫なのだろうか、と思い始めた頃、道は唐突に終わっていた。

 砂利道の行き止まりに、立派な……しかし錆び付いた鉄の門がある。その向こうに見える建物のシルエットは、なるほど昨日見た洋館を、逆の側から見たらこうなるのだろうか。少年は納得しつつも、言葉にできない違和感を覚える。

 遠目に見ても、何かが違う。決定的に。


「今でも定期的に手入れしてるって聞いたけど、流石に開いてないか。裏に回ろう」

「インターホンか何かないの?」

「あっても無駄だろうな」

 お父さんは車を止めると、門の方には向かわずに、鉄の柵に沿って横の方に進んでいく。少年はその背を追いかける。やがて林の中に入っていく。

 お父さんは何か確信があるのか、無言でずんずん進んでいく。いつの間にか門から続いていた柵も途切れている。やがて、何か景色に見覚えがあるな、と思ったその時、唐突に視界が晴れた。

 例の広場……いや、洋館の庭だった。

 でも。


「え……」

 少年は絶句した。

 広場、いや、洋館の庭は大して変わっていない。けれどその向こう側。

 昨日は、古くても白く輝かんばかりだった洋館は、あちこち白い塗料の禿げた、ボロボロの、朽ち果てた姿でそこにあった。

 鎧戸のひとつが落ちていて、部屋のひとつの中身が見える。埃だらけで、何か箱のようなものが乱雑に積まれていて、とても人が住める様子じゃない。

 お姉さんが座っていたデッキのあたりをみる。

 ボロボロに朽ちた木が、折れて突き立っていた。

 テーブルと椅子、だったのかもしれない残骸が、小さな山を成していた。


「ここで……間違いないか?」

「ここだけど……違う、こんなんじゃなかった、もっと綺麗で」

「だろうな」

 嘘じゃない、と言おうとした少年は、しかし、お父さんの横顔に言葉を失った。

 どこか哀しそうな、どこか懐かしむような、複雑な表情だった。


「僕もすっかり忘れていたんだけどね。たぶん僕も、昔、ここに来たことがある」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る