ある町の沈黙

青いひつじ

第1話


私はお見舞いに行くのが好きだ。

会いに行く度に、おばあちゃんが興味深い話を聞かせてくれるからだ。

それが、作り話なのか本当の話なのかは分からなかったが、おばあちゃんは決まって最後に涙を流した。



「来てくれてありがとう」


「いいえ。私、好きで此処へ来ているんです」


りんごを剥く私の背中におばあちゃんは呟いた。


「もしかしたら、もう長くないかもしれない。あなたにお話できるのも、きっとあと少しね」


私は、最後のりんごを剥いて椅子に座った。


「今日は、どんな話を聞かせてくれるのですか」


「これは、今から70年前の話」








そこは、2つの大洋に面する国の中にあった。

1700年に築かれたその町は、人口7,000人ほどの静かな町だった。

石畳と白壁の建物が並ぶ風景は、まるで絵本の中に飛び込んだようだった。

森には銀河の川が流れ、鳥の囀りが季節の訪れを告げる、国の中で1番美しい町として知られていた。


人々は、朝目覚めると太陽を浴び、家族で食卓を囲い、農作業へと繰り出した。

家で待つものは、編み物をしたり、川辺で水遊びをしたり、市場へ出かけたりしてその帰りを待った。

ただ穏やかに、毎日を過ごしていた。

大きな事件は一度も起きたことがないという。





ある日の町内新聞に、商人が疫病に侵され亡くなったとの見出しが出ていた。

その商人は交渉上手で気前もよく、町で有名な商人だった。

花を手向けようと人々が彼の家を訪れた。

しかし、その多くは死因については関心を示さなかった。


そしてその一週間、彼の妻が亡くなった。

死因は彼と同じ、疫病だった。

彼女に花を手向けようと、また、多くの人が訪れた。


そのさらに一週間後には、彼らの息子が急な発熱により生死を彷徨っているというニュースが飛び込んできた。

原因は"謎の疫病"だった。


人々は悲しみに暮れると同時に、謎の疫病の解明を求めた。

国中から優秀な研究員が集められ設立した研究チームは病原体の解明に努めた。

解明を待たずして、商人の息子は亡くなってしまった。


それから1週間が経った頃、2つの情報が公開された。

亡くなった商人が疫病にかかったのは、海外での取引から戻ってきた直後だったということ。

そして、3人の初期症状は発熱、頭痛、味覚症状など様々であったということ。



そしてさらに1週間が経った頃、研究チームから新しい情報が公開された。

内容は、その疫病は空気感染はしないということと、すぐ薬を摂取すれば重症には至らないということだった。

しかし、明確な病名は公開されなかった。

人々は研究チームに不信感を抱くようになった。

真剣に事実の解明に向けて動いているのか。何か重要なことを隠しているのではないかと。


人々の心は少しずつ変わっていった。

毎朝交わしていたご近所同士の挨拶もしなくなり、みなが顔を伏せながら暮らすようになった。

誰かが病原体を持っているのではないかと疑うようになった。


河辺の水遊びも、市場を賑わす声も、全てが幻だったかのように、町は静かになってしまった。

どのようにして感染するのかも分からない。

ただ怯え、手が赤くなるまで擦って洗うことしかできなかった。



そんな中、商人と交流が深かった別の商人が発熱の症状を訴え病院に駆け込んだ。

医者はすぐにその商人を研究所へ送った。

この噂は、次の日には町中に広まった。



そしてまた研究チームから新しい情報が公開された。

この疫病は、飛沫で感染する可能性が高いということだった。

そして、死に至るのは稀なケースであり、今回の商人一家の死は、治療が遅れたために起きた稀なケースだったと訴えた。


しかし、なぜか人々は、その情報を信じようとしなかった。

研究チームは急遽、町内会との会合を行なった。



「そうかっかせず、話を聞いていただけないでしょうか。我々が戦ってどうするんですか」


「話し合ったって、何も解決はしない。そもそもそちらが急いで解明してくればいいだけの話なのだ」


「そうしたい気持ちは同じです」


「なら早く解明をしろ。どれだけの金が注ぎ込まれてると思っているんだ」


「分かった情報は全て公開しています。なぜ町の人々は我々を信じてくれないのですか」


「もう彼らはそれどころではないのだよ」


人々への説得を交渉するはずが、町内会の人間は話を聞く気などさらさら無かった。





事態は悪くなる一方だった。

町はどんどん貧しくなり、それは人々の心も同じだった。


感染した商人一家の刺殺体が自宅で発見された。

警察は何者かによる殺害だと判断したが、町の人々には死因について公開しなかった。

しかしこれが、さらなる悲劇を生むこととなった。

町中によからぬ噂が漂い、人々の心はさらに分厚い雨雲で覆われていった。




ついには、志を共にしていた町内会の中でも分裂が起きるようになった。


「あなたは気楽でいいかもしれないわね。うちにはまだ、おじいちゃんもおばあちゃんもいる。感染なんかしたらきっとおしまいよ!」


「こちらだって生まれたばかりの子供がいるんだ。他の子だってみんなまだ幼い。もし感染したら命の保証はないんだ!」


「明日は我が身かもしれない....」


「仕事も食糧なくなってしまった。明日からどうやって生きていくんだ....」



人々は、好き好きに反乱を起こすようになった。

しかしその多くは、自身が誰に対して怒っているのか分かっていなかった。




そして灰色の雲が浮かぶある日、研究所に火瓶が投げ込まれ、1人の研究員が慌てて外に出ると、壁には赤字で"evil castle"と書かれていた。

研究チームはとうとう町内会への怒りをあらわにしたが、この時すでに町内会は崩壊していた。


町では毎日のように、火事や殺人が起きた。

しかし、警察の多くはデモ隊を止めるのに駆り出されていた。

デモに参加している人々は小刀を手にしていた。

警察はそれを振りかざした人間を容赦なく射殺した。

その間にも、町ではまた一軒二軒と燃えていった。



灰色の雨雲は、追い打ちをかけるように空を包み込み、この町が築かれて以来初めての大雨が人々を襲った。

美しい川は溢れると恐ろしい凶器に変わってしまった。

その流れは誰にも止めることはできなかった。

森の中では、雨音と雷鳴が響いている。








町で生まれ、この町しか知らない女の子がいた。

両親と女の子は3人で幸せな日々を過ごしていた。

しかし、疫病が現れてからその生活は変わってしまった。

彼女の父親は町内会の副会長で、熱心にデモに参加していた。

そして、好きな男の子も熱心にデモに参加していた。



「今日も行くの?」


「いくさ。僕がこの町を変えるんだ」


「気をつけてね。今日は天気も良くないみたいだし。そうだ、これを持っていって」


「これはなんだい?」


「作ったうさぎ。下手くそだけど御守り」


「ありがとう」


女の子は、左ポケットに人形を入れた。


「きっと、あなたの心臓を守ってくれる」





彼女は、自分の部屋で読書をしながら父親の帰りを待った。

部屋から出ると、戻った父親はいつもと様子が違っていた。

落ち着きがなく、何かを探しているようだった。

彼女はその背中に問いかけた。



「お父さん教えて。みんな、何と戦っているの」



父親は、金品をかき集め袋に詰め込んでいた。

足元には母親が倒れており、その背中には小刀が刺さっていた。



「この町は、何に飲み込まれてしまったの」



父親は少女の問いかけに耳をかさず、袋を抱きかかえて外へ飛び出してしまった。

女の子は後を追いかけ、雨と炎の町を彷徨った。

道の途中で見つけたのは、血まみれになったフェルト生地の人形だった。

女の子はその場に座り込み、動けなくなってしまった。




その後、心優しい家族に拾われた女の子は遠くへ引っ越し、その家の娘として生涯を過ごした。



とても静かで美しいといわれていたその町は、数ヶ月後には全ての建物が崩壊し、人々は去っていった。

その名の通り、静かな町となってしまったという。





おばあちゃんは、話し終えるとまた涙を流した。



「ありがとうございます。でもどうしてこの話だったのですか」



「むかし、誰かから聞いた話でよく覚えていたんだ。ただそれだけだよ」




おばあちゃんは1カ月後に息を引き取り、その手の中にはひどく汚れた人形が握りめられていた。

























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