林檎奇矯

古都 一澄

第1話

「もしかしたら地球の最期は、まるでぐにゃぐにゃに溶けた太陽で落とし蓋をして出来上がった、アップルパイみたいかもね。」

「てか、アップルパイってどうやって作るんだったっけ、それと落とし蓋って何だったっけ。」

「……なんか私、ちょっと暑さで酔ってるかもしれない、夏って嫌だね。特に今年みたいな終わりのない夏はさ、」

「……おーい、なんで答えてくれないのさ。」

「頼むよ、私は一人で生きていけるほど強くないんだ。」

「アップルパイは大好きだけど、生の林檎はあまり好きじゃない。君がいないと、そういうくだらない事を話せる相手がいなくなるんだ。」

「とにかくだよ、私の言いたい事はね、」





「一人でいるのは寂しいって事さ。」







「ほらほら、だから話相手になってよ、いいでしょ、」

「……えー、なんでさ、聞いてくれないなんてひどいじゃない。」

「孤独って知ってるのかい? 寂しさどころじゃないよ。六十兆もの細胞が絞首台に立つのさ。」

「それも、ある時は魔女狩りで焼かれて、ある時はプレス機に下敷きになって、ある時は重水の中で溺れ死ぬんだ。」

「つまりだ、孤独ってのはやっぱり死なんだよ。」

「……例え、生物学上生きていたとしてもね。」


「だからさあ、ほら、もうちょっと私と話してくんない? そうじゃないと死んでしまう。」


「はぁぁ……無理とか言わないでよ、孤独死ってやっぱり嫌だし、まだまだ私たちはこれからがあるはずじゃん、だってまだ十六年しか生きてないよ。」

「えー、無理か、そっか……うん、そっか。」

「まあそうだよね、わかるよ、いや、本当はわかんないけど。」

「君のことやっぱりわかんないけど、でも、わかるよ。」


「今、君は孤独だ。」


「だって君の命って私が握ってるから。」

「ごめんな、今更謝っても遅いけど、でも謝らないのも酷いかなと思って。」





「……ごめん、やっぱりこんな悲しいこと忘れて目の前の世界を見てよ。」

「遮蔽物は何もないさ、ずっとずっと平坦な灰色だ。ああ、でも少しずつ合金が溶けてるね。」

「昔は色んなものがあったらしいよ、君も私も知らない世界の話だけれど。」

「そう、高層ビルとかスカイツリーとか、あとはなんだろな、商店街とか電車とか。」

「色んなところに沢山人がいて、植物が、動物が、確かに生きてたんだよ。」

「この六十垓トンの大地の上で、青空に見守られながら。」








「……最期だから聞いて、私の遺言を。もう少しだけ、時間が欲しい。」










「太陽、もうすぐこれは死語になるんだけれど。」

「死語って、もう使われなくなった言葉の事ね。どういうことかと言うと、人間は頑張ったんだ、頑張ったんだけど、無理だったって事さ。」

「太陽の寿命。結論はこの一言に尽きるね。」

「……太陽の寿命は止められなかった。でも昔の人間は頑張ったと思うよ。」

「太陽フレアって言葉が最初に使われたのが確か五十億年前くらい。そこから五十億年、太陽フレアには何とか耐えたんだ。まず、四十五億年前、海水の蒸発を防ぐために、地球全体に屋根を被せた。」

「そして、その屋根の素材を、研究と共に年々更新していった。そうすれば安全だからね。温度とか湿度とかを季節ごとに変えて、四季もちゃっかり表現しちゃってさ。」

「三十億年くらいまでは何とかなったらしいよ。でもね、太陽フレアはどうにかなっても、太陽の寿命はどうにもならなかった。そう、五十億年あっても、太陽系からの脱出も、動植物に熱耐性を持たせるのも難しいんだって。物資が足りないから実現不可能って誰かが言ってた。鉄だけが地下に眠っていても無駄らしいよ。」


「そのうち戦争が始まった。生きることを諦めた国と、生き延びる活路を探す国とでね。私から言わせれば、もっと前から始まっていてもおかしくなかったと思うんだけどね、まあこれは蛇足か、ごめんごめん。」

「話を戻そう、その頃の科学技術は本当に発展していたんだ、戦争をして人を殺す側も、殺されまいと逃げる側も。」

「つまり、結局戦争があったからといって、大量に人類が消えたわけじゃない、勿論大勢亡くなったけれど、大量虐殺にはならなかった。」

「でも結局、いつか生き物は死んでいくんだ。最初に生まれるか、最後に生まれるか。最初に死ぬか、最後に死ぬか。結局生命はそれなりに生き続けた。」

「……一週間前までは、ね。」








「……太陽の寿命って、百億年なんだってさ。今日がその百億年目だ。」













「ねえ、どう思う?」

「人間って非力だよな、太陽系からの脱出が理論上は可能になるほどの技術力を持っていたのに、地球が太陽に呑まれたら終わりなんだ。」

「なのに、二ヶ月前からこうなる事は確実に予測しちゃってさ。馬鹿らしいにも程があるよ。」


「動物が絶滅したのが一ヶ月前、昆虫が絶滅したのが二週間前、人類が、一人を除いて全滅したのが一週間前。貯蔵していた林檎が残り一個になったのも一週間前。」



「……植物って、やっぱり会話してくれないね。」



「あ、屋根の下にいたら危ないや、合金が溶け出してきてる。屋根の繋ぎ目が壊れている場所があるんだ、そこに移動しよう。最期は空を見にいきたい。」

「君が……君が地球最期の植物だよ。林檎って日当たりの良いところが好きらしいけど、やっぱり照明じゃあ嫌だった? 」






「ああ、眩しい、屋根の外って初めて見たよ、熱い、熱くて熱くて死にそうだ。空って青かったんだってね。そういうの蒼穹って言うんだっけ、一度は見てみたかったな。」


「あと何分だろう、きっともうすぐだ。文字通り全ての言葉が死語になる。何もかもが消える。といっても、一人と一個しか消えないけど。」






「……アダムとイヴも林檎を食べたんだってね。悲しいな、始まりは皆知っていたのに、終わりは誰も知らないんだよ、」

「それでも、これはやっぱり良い畢りかもしれない。良い畢りだと信じたい。」

「林檎を食べて始まった私たちは、林檎を食べた一人の少女で幕を閉じるんだ。」

「例えばこれが、なんてくだらない小説なんだろうって、そうやって誰かと笑い合えたら良かったのに。……生憎今じゃ語れる相手なんて林檎一つさ。」



「熱い。これが死か、やっぱり地球の最後はアップルパイみたいだ。」

「だってほら、こんなの。ぐにゃぐにゃに溶けた太陽で落とし蓋をされてさ。それで、六十兆もの細胞が絞首台に立つんだ。」

「これ本当に熱いな、眩しすぎる、目が焼けてるかもしれない。でも空腹で死ぬのだけは勘弁してほしいや、」

「ごめんな、頂くよ。もしかしてこの熱でアップルパイになってたりして。いや、ただ焼かれるだけなら焼き林檎か。」


「最後の晩餐だ、なんて愛しいんだろう。」


「あと今思い出したけど落とし蓋をしてもアップルパイは作れない。煮物になっちまう。」


「こんな馬鹿なこと言ってないで、何か名言でも残したかったけど、どうやら無理そうだ。何も出てこない。」


「これが生き物の終わりか、余りにも呆気ないや、それでいてちょっとこわいね……いや何もない。」



「じゃあ頂きます。あんまり好きじゃなかった林檎の丸齧り。」













「なんだ、案外この味も悪くなかったなんて、さ、」





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林檎奇矯 古都 一澄 @furutoko

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