鳴いた蛍

すだち缶

第1話 鳴いた蛍

 ――――何かに寝食忘れて熱中することを忘れたのはいつのことだろうか。

 ――――いや、熱中したことなどあったのだろうか。


 体の中の血中を縦横無尽に駆けるアルコールが自身の方向感覚を狂わすように、暗がりの路地に座り込みうねっていた。 先程まで、舞台の打ち上げと称し、つい最近まで知りもしなかった人と、さも戦地をともにしたかのように称え合い酌み交わしていた。 その空間が妙に気持ち悪く、滅多に吸いもしないタバコを言い訳にそそくさとでてきた。 一人のいかにも、芝居のいろはをすべて知っているように饒舌に語り出しそうな、男が「おれも一服しようかな」と言い出したので、慌てて「彼女と連絡するんで、さーせん」と、半ば強引に抜け出した。


 スマホの画面を無造作に開き、無料のスタンプをもらうために適当に登録した公式アカウント達の通知をスクロールする中に、『三上裕子(かのじょ)』の表記を見つける。


 なんで、(かのじょ)なんて言葉を付け足したかというと、前舞台で共演した女性に同姓同名がいたからだった。


 彼女からは一時間前に『今日も友達のうちで泊まる』と一言だけ淡泊に送られていた。 ブルーライトに照らされる文字を細めで見ながら、「あっそ」とポッケに携帯を戻し、タバコを取り出す。


 Winstonの五ミリ。


 別段タバコが好きなわけではなかった。 ただ、今日みたいに無性に吸いたくなって、彼女からもらったzippoで吐き捨てるように吸う。


 いつからだろう。 周りの機微や、自分の才能や成功に興味が持てなくなったのは、彼女が他の男と寝たことを知ったときから?


 それとも、憧れだった劇団で罵詈雑言浴びせられて、降板したときから?

 それとも、どっちともか。

 いや……。

 きっと、地元の高校を出て、上京したときからだろう。


 役者を目指し上京したのは、母親がよく見る海外ドラマの中に日本人の男が出てて、色んな局で話題が持ちきりだったのを見てからだ。 その役者は、お世辞にもイケメンとは言えなかったまでも、愛嬌があり憎めないキャラだった。 そして俺自身も、特段イケメンというわけではない。 そこら変にいる『兄ちゃん』の一人だ。 少し背が高いのは強みなのかもしれない。


 イケメンじゃなくてもこんなに不特定多数から愛されるなんて、この人はずるい。 こいつができるなら俺だって、と邪な感情で始めた。 たしかにはじめのうちはそれが原動力でなんとかなった。 そんな時初めて『三上裕子』とあった。


 モテそうだからという理由で、カフェでアルバイトを始めて、初めての後輩が彼女だった。 最初の印象は、”地味な子”だった。 言葉数も少なく、小さな作業を黙々とこなすタイプの子だった。 まめなタイプで、一度教えたことはだいたいすぐマスターする。 そんな性格もあってなのか、いつの間にかアルバイト先に馴染んでいた。


 そんな俺も、彼女がいることに馴染んでいき、いない日はなんだかもやもやするようになり、休憩を挟むごとにシフトを見て出勤日時を確かめていた。


 そこから、同じシフトの日はできるだけ帰る時間を同じにして、ご飯に誘ったり、他愛もない会話をしながら駅までの道のりを一緒に歩いていた。 自分の最寄りとは違う方向だったのだが、嘘をついてホームまで行き、彼女を見送った後、駅員さんに毎度言い訳をしながら出ていたのだった。 あのときの駅員さんすいませんでした。




 あの頃の健気な自分がなんかおかしくて笑えてきた。 笑いとともに、タバコの煙がいつもと違う場所に入りむせる。

 慣れないことをするものじゃないよなと、タバコを指の中で回す。




 でも、慣れないことをやってきたおかげで、プライベートでも遊ぶようになった。 彼女は、本が好きだった。 自分はあまり本を読まないのだが、彼女が好きだと言った本をメモして、次会う日までに読んで、少しでも彼女が見ている景色に近づきたいと頑張っていたのだ。 後、彼女は自然が好きだった。 特に山だったり、川だったり、をよくハイキングしたのだ。

 今まで、自然をそんな慈しんで見たことがなかった俺は、どれだけ楽に移動できるかしか考えてなかったが、彼女と行く景色はとてもきれいで、ゆっくり歩いて、たまに、休んで彼女が見ているものを自分も共有し合いたいと思えた。





 そんな事を考える俺の目の前では、上司の悪口とともにゲソや鶏やタコ、その他諸々を地面へと垂れ流していく景色が嗅覚とともにこびりついてくる。

 そういえば、付き合って初めて行った居酒屋で、お酒に強いところを見せたくて無理して飲んだ挙げ句吐いたんだっけか。





 視覚と嗅覚が記憶をリフレインさせる。

 思い出したくない思い出だと思いながらも、その後服や体を洗うために急遽入ったラブホテルで、なんともまぁダサい初夜を迎えたことを思い出す。

 コンドームの向きを間違えた挙げ句、早く入れたいあまりにコンドームを破いてしまったのだ。 あの時彼女は今まで見たことないくらいに大きな声で笑っていた。

 裸を隠すことなくベッドの上で笑いころげ回って、そのまま疲れて寝てしまったのだ。 なんかその姿を見てると、無性に愛おしく思えて、セックスするより彼女に抱きつきたくなり、セックスもせず裸のまま丸まりあった。





 そういえば、明日、ちょうど付き合って8年になるのか。 スマホのカレンダー機能が通知の音を知らせるように、お尻の肉をバイブレーションで震わせる。 その表記に、しみじみと時の流れを感じた。 少し胸の奥が、ぎゅっとなる。 あー、俺酔ってるな。




 初めて喧嘩したのも、俺が舞台稽古の後、急遽誘われた飲みで長居し過ぎて夜遅くに、酔っ払った姿で、同棲中の家に帰宅したときだった。 彼女は目を赤く腫らせ「なんで連絡くれなかったの」と痛くもないグーでお腹を叩かれた。 


 その頃からだったかな、彼女が結婚を匂わせてきたのは。


 彼女の友達が結婚したらしい。 できちゃった結婚だ。 その友達から、子供が可愛いだの、早く結婚したほうが良いだの、相談に乗るだの言われたらしく、妙に結婚に焦っているようだった。


 だけど自分は、いまだカフェでアルバイトをしながら、金にもならない小劇場でよくいる売れない舞台役者の一人だった。 彼女は定職につき、割と良い給料をもらっていた。 今同棲しているところも、7:3で多く払ってもらっている。 そんな状況に男としての謎なプライドが邪魔をし、結婚の話が出ると話を逸らすようになった。 彼女は私が養うからと言ってくれたが、何故かその言葉が無性に腹立たしく思え、感情に任せて暴言を吐いてしまった。 その時に彼女を泣かせてしまい、あの頃から僕らの関係はギクシャクしていた。


 そして、舞台役者としても、うだつの上がらない仲良しごっこの延長線上の打ち上げで称え合うことに、嫌気が差してきた。 バイト先でも、自身に向けられる目が日に日に変わっていくように感じ居づらさを感じる。 就職をしようとも考え、とりあえずアプリを入れて応募をしたのだが、『ほんとにこれがやりたいの?』『役者やめれる?』『20代だから、自分のやりたいことをもう一度見つめ直して。 その時うちに興味があればまた来てください』と、その場しのぎの薄っぺらさを見透かされたように、どこも同じようなことで落ちていった。




 吸い殻入れをポッケから出そうとすると、ポッケからかわいいテープで止めた小袋が地面に落ちる。 あ、そういえば、結局渡せずじまいだったな。




 就活に落ち続けた帰り道、偶然目に入った雑貨屋。 以前彼女とデートしてたときに、この店で見つけたネックレスを欲しがっていたのだが、その時手持ちがなくて買えなかったことがあった。 そのことを思い出して、店に入ると、あのときのネックレスがまだあった。 値札には『6万9千円』と書いてある。 小さな嗚咽を吐きながらも、店員に声をかけ、購入した。


 その時、彼女に謝りたかったのか、買った後、自分でも分からず、そのままポケットに入れっぱなしだった。


 その日の夜、いつもより早く自身の鍵で扉を開けて帰宅をした。 玄関には見知らぬ男性の靴と彼女の靴が横並びに置かれてある。 その瞬間、自分の心臓が締め付けられるように空気を搾り取っていく。 口からは細いかすれるような息の漏れる音が不規則に聞こえる。 自分の家じゃないみたいに足が重く、ぬかるんだ道歩くようにリビングへと向かう。


 恐る恐る扉を開けると、自分がよく知ってる男が、彼女を押し倒していた。 服ははだけて、家の中は特有のむっとした空気が漂っている。 そこから先はなにを話していたのか覚えていない。


 ただ、血が上って男ともみ合い、殴り合ったことは覚えている。 その時、彼女が泣きながら止めに入ったことも。


 そんな事があってから、一週間。 彼女とは会っていない。 なにか行動を起こそうと思えばできたのかもしれないが、そこまでする気力がどうにも湧かなかった。



 先程彼女から来ていたLINEに返信をする。 

『わかった』


 なんて、味気ない返信だろうと思い一人画面を見ながら笑っていると、上から聞き覚えのある声がする。


「亮太……?」


 自身の名前もどこにでもありふれてそうな名前だと自負しているが、この声が自分を呼んでいるんだとわかった。


「……裕子」


 バツが悪く、情けない声が出る。


「なんでこんなとこにいるの。 ていうか、ひとりなの?」

「いや、裕子こそなんでここにいるの」

「友達の家、近いから」

「ああ」


 会話が止まる。 今一番会いたくなかった。 自分がどんな顔をしてるかもわからない。 気まずくて、視線は四方八方に飛ぶ。


「帰らないの」

「帰りたいよ」

「まだ終電あるでしょ」

「居酒屋で、打ち上げしてるから」

「ああ、このあいだの舞台の」


 彼女は昔はよく見に来てくれていた。 家に帰ると、彼女の感想をああでもないこうでもないと話し合いながら、よく盛り上がっていた。 だが、あの日を境にそれもなくなったのだ。


「知ってたんだ」

「うん」


 気まずい沈黙。 俺は逃げるようにして、タバコを吸い殻ケースに入れ立ち上がろうとする。


「面白かったよ」

「えっ……」


 驚いたのと、アルコールの酔いでバランスを崩し腰からアスファルトへと強打する。 その衝撃とともに、かわいいテープで止めてある小袋が地面に落ちる。


「いった」

「ごめん、大丈夫?」

「だ、大丈夫……いってて」

「……なに、これ」

「あ、それは」


 痛みと酔いと思いもよらないアクシデントで言葉がうまくでてこない。 訝しげに見つめる彼女の視線が痛い。


「そ、それ、前ほしいって言ってたやつ。 偶然見つけたから」

「え……、これって」

「あ、明日、八年目でしょ。 付き合ってから。 それの記念、に」


 スマホのお陰で思い出した記念日を言い訳にする。 通知登録しててよかったと半ば安堵する。 だが、少ししても、返答がないことが不安になり、彼女の方へと視線を上げる。


「え、」


 そこにはネックレスを抱えながら静かに号泣している彼女がいた。


「なんで泣いてるの」

「だって、嫌われたかと思ったから」

「え、なんで」

「先輩がうちにきた日から、亮太、あたしを避けるようになってたから」

「いや、それは、裕子だって友達の家にずっと泊まってるじゃん」

「亮太が私と一緒にいるの嫌そうだったから泊まってたの」

「え……そうなの」


 てっきり自分に嫌気が差して友達の家に逃げ込んだのかと思っていた。 だが、そうではなかった。


「てっきり、先輩の家に泊まりに行きたくて行ってんのかと思ってた」

「行ってないよ。 今お邪魔してるのは親友の家、二人が仕事の間、子守することを条件にお邪魔してるの」

「それに、先輩とはもう縁切ったから。 あのときも、無理やり襲われそうになって逃げてたら、ソファでコケて脱がされそうになったところに、亮太が助けてくれたの。 覚えてない?」

「いや、ごめん」

「もう」


 そうだったんだ。 よかった。 自分の誤解に気づくと一気に肩の荷が下りたように、体から水分という水分が目から鼻から口から溢れ出した。


「え、どうしたの」

「ごめん、裕子。 ごめん、本当にごめん」

「大丈夫だから、ね。 もう、飲み過ぎ」


 めんどくさそうな顔をしながらも、自分の横へと腰を下ろすと、ハンカチを取り出し水を飲ませてくれた。


「もう寒くなってきたし。 亮太がよかったら一緒に帰ろ」

「いいの?」

「うん、親友には仲直りしたって連絡入れるから」

「わかった。 おれも、後で飲んでるメンバーに詫の連絡入れる」


 そう言うと、彼女は肩を貸してくれた。 駅近まで行くと、タクシーを拾って、乗せてくれた。

 俺は酔いのなか虚ろに彼女にどうしても伝えたい気持ちを伝えた。


「結婚しよう」


 その言葉に彼女は、困り顔で答えた。


「ありがとう。 でも、酔ってないときに言ってほしかったな。 これは聞かなかったことにする」

「ごめん」

「ううん、大丈夫。 だから次はちゃんとプロポーズしてね」


 その言葉はアルコールよりも体に心地よく染み渡るようで、その幸せな酔いは彼女の膝の上でまどろむように落ちこんでいった。

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