人に巣食う虫

朔之玖溟(さくの きゅうめい)

第1話 異形の魚(1)

 ぐん、と竿が引っ張られた。とてもじゃないが、私一人では釣れそうになかった。これまでに見たことのない大物だ。どんなサイズをしてやがる、私は毒づきながらも竿に引っかかった魚をひと目見たかった。

 竿をがっしりと握った。しっかりと仁王におう立ちして踏ん張り、テコの原理とはどういうものだったか、と思い出しながらいっきに竿を引いた。水しぶきがかかった。海水が目に入り、口のなかは塩辛かったが、目をつぶったまますぐにソイツを手掴てづかみし、逃げないように力を込めた。

 アレッ、意外にも小さい。どういうわけか、普段釣れる魚に比べて、むしろ小さいほうである。おかしい。引っ張る力は只者ただものではなかったはずだ。そういう魚がいるのだろうか。趣味で魚を釣っているとはいえ、知識は皆無。本当に趣味というだけだ。くわしい友人に話を聞いてもらうか。いや、そうしたら横取りされるかもしれない。

 私は魚をすぐさまバケツに入れると、防波堤近くに止めた車に積んだ。格闘した相手を見る暇など一切なかった。釣り人はそこら中にいる。日差しにさらされながら、目の前の釣り竿に集中している。てのひらの汗がしたたれた。もしコイツを釣る際に、今のような手汗をかいていたら、私は絶望で夜も眠れなかっただろう。

 私がこの魚に抱いた執着は徹底したものだった。好奇心で車のスピードが上がる。どのように魚を飼おうか、妻には、どのように説明すればいいのか。車に乗った直後には考え始めていた。万が一にも魚を飼えないと言われた場合、気が狂って妻と子どもを殺してしまいかねない。そうすると面倒だ。いかなる方法でも危険はある。こっそりと飼う、それが一時しのぎでも、コイツを飼える安全な方法のような気がした。押し入れはどうだろうか――いや、危険すぎる。確率的にいつ見つかってもおかしくない。

「……屋根裏部屋…………」

 私は気が付けば、そうつぶやいていた。いくらなんでも屋根裏部屋には誰も来ないだろう。現に、不動産では屋根裏というものにロマンを感じたが、実際は老朽化も進んでいて、一度見物した意外には二度と屋根裏に上がらなかったのである。子どもも小さい頃だったが、恐がって屋根裏には上がらなかった。たしかに妖魔が出そうな雰囲気こそあるが、単純に老朽化で今にも床が抜けそうで、怖かったのもあるかもしれない。

 ――そうと決まれば、後はどのように魚を育てるかだ。

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