終章 -2-

「根贈からは案の定、人に幻覚を見せる成分が検出されたよ」

 その嘘は、会議室を出た本町の口から、冬夜と夏久に改めて告げられた。彼らは驚き、本町の言う内容は間違いないかと再三の確認をしてきたが、俺は普段から潜入捜査を専門とする捜査官として「間違いない」とごく自然に笑って見せた。

 冬夜と夏久は、未だ信じられないという表面上の感情の奥で、その実、深く安堵しているように見えた。

 本心では一刻も早く彼らから離れたい気持ちを抱えつつ、一応、観光を続けるかどうかは聞いてみた。しかし、彼らも疲れているとのことで、二人揃って本町が手配してくれたホテルへと移動した。

 俺はひどい胸騒ぎを抱えたまま自宅へ帰り、部屋に引きこもって丸一日が経過。本町の言ったとおり、二人から距離を取って、安心できる自宅でゆっくりと過ごしていると、言い知れぬ不安が、少しづつ収まっていくのを感じていた。


 キッチンの蛇口を捻り、コップに水を注ぐ。

 妙に喉が渇いていた。先ほどレトルトのカレーを食べたのだが、待ち望んでいたはずの白米に、物足りないものを感じた。僅か一ヶ月の生活で芋を主食とすることに慣れてしまったのか。

 キッチンの窓辺に置いているデジタル時計に視線を向けながら、コップに口をつけて水を飲む。そこに表示されている時刻は二三時五二分。もうすぐ日付が変わり、大豊祭の日を迎える。否応無しに日にちを意識した、そのとき。

 テレビやラジオなど、音の出るものがない無音に満ちた部屋の中に、インターフォンの呼び出し音が響いた。夜更けの来訪者に、無条件で胸が騒ぐ。

 玄関前を映し出すモニターを見ると、そこには冬夜の姿があった。夏久は見当たらず、一人だけのようだ。ドアの前で俺の応答を待っている、いつもどおりの冬夜。だが、カメラの関係で瞳が発光しているように見える。その姿を目にして、鼓動が早まる。

 応答ボタンを押す。

「冬夜くん? どうしたの、こんな夜中に」

『すみません、ご迷惑だとは思ったのですが、春樹のヘアピンをこちらに忘れてきてしまったようで。いてもたってもいられなくて』

 インターフォンごしに聞こえてくる冬夜の声にも、変わったところはない。通話を切ってから吐息を漏らすと、玄関へ向かい、意を決してドアを開けた。

「一人でホテルからここまで来たのかい? 怖かっただろう。島と違って、治安もあまり良くないから危ないよ」

「はい、本当にすみません。ベッドのところに落としてしまったのだと思うので、すぐに探してきます」

 直接見る冬夜も、変わったところはない。透明感のある純粋な瞳を向けられると、彼へ恐怖を感じていたことに気恥ずかしさすら覚える。冬夜は部屋に上がると、そのまま真っ直ぐに寝室の方へと向かっていった。

「ヘアピンを見つけたら、タクシーを呼んであげるから。それまで何か飲むかい?」

 部屋の奥へと声をかけながら、再度蛇口を捻る。いましがた、俺が使っていたコップを流しで洗う。

 ふと、シンクにあたる水音に混じり、何か衣を破いたような音がした。続けて、感情の全てを失ったような、冬夜の声が続く。

「嘘つき」

 背中に、ピッタリと体を寄せてくる冬夜の体温を感じた。

「冬夜くん……?」

 背中から腹にかけて、体内に広がる熱が走る。それは、次第に焼け付くような熱さへと変化する。口から、眩しさすら感じるほどの、鮮やかな赤い血が溢れた。

 不思議と痛みはない。

「どうして、嘘をついたんですか?」

 返事をしたくとも、溢れる血に咽せて声が出ない。全身から急速に力が抜け、遠のく意識の中で、再度冬夜の声がする。

「どうして……」

 どうして。

 どうして。

 どうして。

 岸壁に打ち寄せる波のように繰り返される冬夜の声を聞きながら、涙に滲む彼の声と、俺自身の感情が混ざり合う。

 冬夜はどうして、俺の言葉が嘘だとわかったのか。脳裏に、島で見たさまざまな光景が浮かんでは消えていく。

 島に到着した次の日の朝。健は「中庭に白い化け物がいるのが見えた気がした」と漏らしていた。

 つまり、根贈を用いた祈祷を行う前だったにもかかわらず、健はあのとき、すでに幻覚を見ていた。幻覚を引き起こす成分は、島に到着したその日のうちに、俺たちの体に接種されたのだ。考えられるのは、歓迎の宴会で口にした食事や飲み物の中に、なにかが含まれていたのではないか。

 島の畑にあったのは、トマト・ナス・カボチャ・ニンジン・ダイコン・ハクサイ・キャベツ・ネギなど、ごく一般的な野菜ばかり。しかし、俺たちが島でもっとも食べていたものが、あそこには存在していなかった。

 あれほど俺たちや島民たちが日常的に口にしていて、それが栽培されている様子が、目立たぬはずがない。

 俺が島の中で、もっとも目にしていたものは……。

 いままでその木に咲いているのを見たこともなかった、白い花の蕾を思い出す。偽とはいえ植物学者を名乗るには、俺の知識があまりに足りなかったのだ。

 すべてを悟る。

 俺は、はじめから選択を間違えた。


【ネッキ】

 他の木の上で発芽し、成長すると宿主となった木を枯らしてしまう、締め殺しの植物。勾島のみに生育し、ガジュマルによく似た見た樹状をもつ常緑高木。ただし実際はまったくの別種であり、その根には強い幻覚作用と依存性がある。


 ——勾島の島民はネッキの根を「島芋」と呼ぶ。

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四季子らの呪い唄 三石 成 @MituisiSei

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