二 秘密 -2-

 二人で片付けを進め、家茂の鞄のひとつが空になったことをたしかめていたときだ。俺は、鞄の内ポケットの奥深くで、隠すように収納されていたスマートフォンを見つけた。

 家茂のスマートフォンはすでに、敷きっぱなしの布団の脇に置かれていたものを見つけている。そのため、これで二台目だ。スマートフォンの二台持ちなどそう珍しいことでもない。それに、通信がいっさいできないこの島で、アラームがわりにしていたものを除いて、もう一台のスマートフォンを荷物の中にしまい込んでいた、ということも理解できる。

 しかし。俺は、その黒く小さな筐体が妙に気になった。電源をつけようとしても、充電が切れているのか、スクリーンが明るくならない。家茂の荷物の中から充電器を取り出すと、二台目のスマートフォンに差し込んで電源をつけてみた。画面がパスコードでロックされている。

「後藤さん、家茂さんのスマホのパスコードなど、ご存知ないですよね?」

「聞いたことはありませんが、定番は誕生日ですよね。家茂さんの誕生日は一一月二六日ですよ」

「ありがとうございます」

 ダメもとで指を滑らせ、教えてもらったとおりに一一二六と打ち込んでみる。すると、あっさりホーム画面が表示される。そのあっけなさが家茂の豪胆な性格を象徴しているようで、俺は小さく笑った。

 そのままスクリーンを操作し、中を確認して、しばらく。浮かべていた笑顔が固まり、消え失せていく。根っこ様を目の当たりにしたときとはまた違う、胃の辺りから込み上げるような不快感がある。

「浅野さん? 家茂さんのスマホがどうかしましたか」

 俺の反応に気づき、後藤が尋ねてきた。どうすべきか一瞬だけ逡巡したあと、スマートフォンを手渡す。俺と同じものを眺め、後藤もまたピタリと動きを止める。

「これって……」

 後藤の漏らす言葉に頷きながら、口元に手を当て、深く息を漏らす。

 スマートフォンの画像フォルダに収められていたのは、生前の春樹の、あられもない写真であった。布団に横になり、寝間着代わりの着物ははだけ、膝を立てて足を大きく開いている。そのさらに下はフレーム外になっているが、何が起きているのか予測はできる。春樹はもともと中性的な容貌をした少年だったが、写真に映っている彼は、いっそう性別が曖昧な印象だ。写真からは、彼が写真を撮影しているであろう家茂のことを、そして彼との行為を、嫌がっている気配を感じることはできなかった。

 あまりの生々しさに、後藤はスマートフォンを取り落とした。俺はそれを改めて拾い直し、写真が撮影された日付などの情報を確かめる。写真は複数枚撮影されて残っていたが、どれもが同一の日付だ。

「撮影されたのは、四月二二日の〇時ごろ……春樹くんが死んだ夜のことですね」

 俺たちが島に上陸したのが四月二〇日。春樹と家茂が出会ったのも、当然その日がはじめてになる。この僅かな期間に、いったい彼らになにがあったというのか。

「このようなことを聞くのも野暮ですが、家茂さんの性的指向は、どうだったのですか」

 絶句しつづけている後藤に問うと、彼は深く俯いた。

「結婚したことはないようでしたが、家茂さんに彼女がいたことはありますし、男も恋愛対象ってことは、なかったと思います。その……なんだ。俺も、そんな気配は感じませんでしたし」

 返答を聞き、唸る。

 聞いてはみたものの、そもそも性的指向などおおっぴらにするものではないし、異性愛者であっても、同性への少年性愛もあるという者はいる。だがこの場で問題となるのは、家茂に元来少年性愛の気があったかどうかということよりも、彼が、このことを隠したがっていたであろう、ということだ。

 春樹は一四歳である。現在の日本の性的同意年齢は一三歳とされているため、家茂と春樹が同意の上でそういうことをしたとしても、法的になにか問題があるわけでもない。しかし、それはあくまで法律上の話であって、社会的にどう見えるかとなれば別問題だ。

「俺は、やはり春樹くんを殺したのは、家茂さんだったのではないかと思います」

 俺はスマートフォンを握りながら、改めて断言した。先ほど、後藤と俺で同じ幻覚を見ていたと知って揺らいだものが、また確たるものとなって戻ってきた。

「千秋くん・夏久くんの証言から、春樹くんは四月二一日の夜の一一時に部屋を出て、浴室の方に向かって歩いて行っているのです。厠に行くなら反対方向ですし、玄関もない。いったい春樹くんはどこに向かったのかと思っていたのですが、この写真で明らかになりました。春樹くんは自らが死ぬその夜に、彼自身の意志で家茂さんの部屋に来た。そして、家茂さんは春樹くんが自分の部屋にいたことなど、一言も話さなかった。その理由は、家茂さんが春樹くんを殺した犯人だったからに、他ならないのではないでしょうか」

 事実。家茂は、崖から飛び降りる前に自分の口から「春樹を殺した」と口にした。身投げをするほどの錯乱ぶりに加え、そのあとも色々とおかしなことを口走っていたのであまりまともに取り合っていなかったが、あれは正真正銘の自白だったのではないだろうか。

 後藤は俯いたまま俺の言葉を静かに聞いていたが、しばらくして彼自身のパーカーのポケットから、布に包まれたものを取り出した。無言のまま差し出され、俺はそれを受け取る。

「これは?」

 問いかけながら固く巻かれた布を解くと、現れたのは折りたたみ式のナイフだった。柄は刃と同じ金属でできているように見える。

「家茂さんが持っていたナイフです。身投げする直前に取り落として、それだけが残されていたので、実はこっそり拾っておいたんです」

「なるほど」

 一般的にはナイフを所持している者は少ないだろうが、サバイバルが要求されることの多い探検家にとっては、必要なものだろう。手にしたそれを眺めて、俺はただ頷いた。しかし後藤は、意を決したように彼自身の唇を舐めて湿らせてから言葉を続ける。

「でも、それは家茂さんのナイフじゃないんです」

「どういう意味ですか?」

 後藤は振り向くと、仕分けの終わった家茂の荷物から、革のカバーに収まった別のナイフを取り出す。柄は木製で、先に手渡されたよりも二回りは大きく男らしいデザインだ。さらに、かなり使い込まれているように見えた。

「これが、家茂さん愛用のサバイバルナイフです。これ以外のものを使っているところを今まで見たことがありません。それにそのナイフは、健や俺のものでもないんです」

 俺は改めて、手にしたナイフへと視線を落とす。では、これは誰のものなのか。

「家茂さんが、新しいものを買ってきた、ということはありませんか?」

「当然その可能性はありますが。長年愛用しているものがあって、こだわりがあったのに、なぜ?」

「春樹くんの直接の死因は、鳩尾部分を刺されたことによる刺殺のようだったと、健くんが言っていました。人を殺すなら……自分の愛用しているナイフを使おうとは思いませんよね。今回はまったく調べられることがありませんでしたが、もし春樹くんについて通常どおりの捜査が行われていて、自分のナイフが凶器と断定されれば、間違いなく自分が犯人になってしまう」

「家茂さんが春樹くんを殺すために、あらかじめ凶器にする用のナイフを用意してきたってことですか?」

「わかりません」

 後藤の問いに素直に答えて、俺は眉を寄せた。出会って二日で家茂と春樹が深い仲になった、ということ自体が驚きだ。だが、それは写真という証拠がある以上は間違いない。しかしながら、出会ったこともない春樹の殺しを、島に来る前から家茂が計画することなどあり得ない。

 そもそも家茂が春樹を殺害する動機自体がわからないが、痴情のもつれや、春樹が家茂のことを口外すると訴えるなどして揉め、突発的に殺してしまった、ということならばまだ考えられる。ではその場合、この誰のものでもないナイフはどこから出てきて、なぜ家茂の手元にあったのか。

 情報を総合すれば、家茂が犯人だと考えてまず間違いない。しかし、考えれば考えるほど、なにかがおかしいという居心地の悪い感覚がつき纏ってくるようだった。

「このノートとナイフとスマホ、俺が預かっていてもよろしいでしょうか」

 問いかけると、後藤はいっさい迷う様子を見せずに頷いた。事件の真相について探ろうとする俺の話し相手になってくれてはいるが、後藤としては、もう触れたくないものなのだろう。後藤の中ではもはや、春樹も健も根っこ様によって殺された、ということで腑に落ちてしまっているのだ。


 それからは二人とも黙って家茂の荷物の仕分けを進め、健の部屋と同様に清掃を済ませた。木戸を開け部屋を出るとき、後藤はひどく緊張した様子だったが、窓の外にいた根っこ様の姿は消えていた。先ほどよりも弱くなった雨が、窓のすぐ下に生えた植え込みの葉をしとしとと濡らしている。

 まとめた荷物を後藤の部屋へ運び込んで、作業が終わった。昼食時に聞いた瀬戸の話によると、翌朝には天気が回復しそうなので、明日は予定どおり船を出せるだろうとのことだ。後藤の荷物もすでにまとめられていて、あとは明日の出港を待つだけである。

「それでは、俺も自分の部屋に戻ります。天気が問題なければ、明日の出港は昼の一時予定と言っていましたよね。俺も、港まではお見送りに行きますから」

 そう言い置いて部屋を後にしようとしたとき、後藤が追い縋るように俺の腕を掴んだ。

「浅野さん。くどいようですが、ぜひもう一度考え直してください。明日、俺と一緒に島を出ませんか。このまま島に残ったら、きっと浅野さんも、あの化け物に殺されてしまう」

 向けられる眼差しは真剣そのものだ。彼は、本気で俺の身を案じてくれている。その熱意に心を動かされそうになりながらも、俺は首を横に振った。

「ご心配いただき、ありがとうございます。島には何かがあると俺も感じています。しかし、この閉鎖的な島へ上陸できる機会は、そうそうあることではない。調査を続けたいと思います」

「仮に、本当に家茂さんが春樹くんを殺していたとして、健はどうして死んだのですか? 健のことも、家茂さんがやったとでも?」

「いえ。健くんはたしかに、生きて自ら穴の中に入っていった。そして、合図を受けて俺たちが引き上げた時には、すでに亡くなっていました。俺も、その原因はまだわかりません。しかし、何か納得できる理由があるはずです」

「あんな……身体中を花に侵されたような、常軌を逸した現象の理由があるんですか。俺には、やはり呪いかなにかのようにしか見えませんでした。春樹くんだってそうです」

 俺はしばし考えた後、ふと浮かんだ考えを口にする。

「例えば、あのとき健くんの体から出ていた花が、人の体内から発芽するような新種の植物であったなら、説明がつきませんか。健くんが大穴の下に行ったときに、彼の体内に入ってしまっていた種子がたまたま急に発芽し、体内から花が溢れて亡くなった、とか」

 言いながら俺は、無性にその降って沸いた仮説を確かめてみたくなった。もし根贈がそういった種類の植物であれば、生育地が見つからない問題と、健の死因が一挙に解決する。しかし、俺が根贈を探していることを知らない後藤は怪訝そうな顔をする。

「植物学者である浅野さんに意見するのもなんですが、そんな植物が存在し得るのですか?」

「確認されているものではありません。しかし、そういう可能性もあるということです」

 後藤は決して納得している様子ではなかったが、俺が島を出ないという意思が固いことは伝わったようだ。さらに言葉を重ねて、俺を説得しようとはしなかった。

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