四 大穴 -1-

 ここは社務所にある瀬戸の部屋であり、いまは夕食前。瀬戸が隣の台所で料理をしている音を聞きながら、調査の報告をしあっていた。夏久と千秋はすでにそれぞれの家へと帰っている。

「考えられるのは、何日か前にあやまって大穴に転落した人の遺体が、中に生えてる木に引っかかってんじゃねぇのかってことだ」

 いままで一度も人が入ったことがないはずの大穴の中を撮った写真に、なぜか人の腕が写っている。そんな衝撃的な報告を受けても、家茂は冷静だった。問題の写真をしばし眺めて、彼の口から出てきた考察に感心する。俺はあり得ない場所に写り込んだ腕に、ついオカルトめいたものを感じてしまった。だがたしかに、真っ当に考えればそれが一番納得できる。

 家茂の言葉を聞いて、後藤と健は俺と同じような反応をしていたが、冬夜は困惑したような表情を浮かべ、発言しても良いかと軽く手を上げる。

「でも、最近行方不明になっている人がいるなんて話は、聞いたことがないです」

「島民じゃねぇ奴が、島に忍び込んでたって可能性はあるだろ」

「勾島に港は一つしかありませんし、島民以外の船が来たら、かなり目立ちます。そもそも、あの港に船を寄せるのは、地元の漁師でないと難しくて。無断でやってくるっていうのは、考えにくいのではないかと」

「かなり古い遺体が、いままで見つかってなかったってことじゃないんですか?」

 健が疑問を挟み、後藤が唸る。

「あの写真で見る感じ、白骨化はおろか、特に腐敗してる感じもないんだよね。白黒だからわかりにくいけど」

「まあ、中に入ったら、遺体を回収できるような用意はしておかねぇとな」

 家茂の言葉に、俺は彼へと視線を向ける。

「穴の中に入るんですか?」

「ああ。いつまでも外からどうこうしてても、仕方ねぇからな。それに、撮影できた写真を見て俺が驚いたのは、その腕じゃなくて、穴の中に生えてる木の方だ」

 家茂はそう言いながら、彼の手元にまとめて置かれている写真を、扇状に開いてこちらへと見せてきた。しかし、俺の目には、腕が写り込んた一枚を除いて、変わり映えのしないもののように見える。

「穴の中に木が生えていることは、大穴の上から覗き込んだ段階でわかっていましたが。生えているのはガジュマルで、島に生えている木としても違和感はありません」

 俺の言葉に、家茂は片眉を上げた。

「あんた植物学者だろ。植物の生育には何が必要不可欠か考えてみろ。ちなみにこの写真は、オートシャッターを切る瞬間に、同時にフラッシュをたいて撮影したものだ」

「あっ。そうか、地表から一〇〇メートル程度ならともかく、それ以下に木が生えているのはおかしい」

 穴が深くなればなるほど、その奥に光は届かなくなるはずだ。しかし撮影ができた限界の五〇〇メートル地点までは、ずっと木が生えているのが確認できる。

「ま、おかしいのはおかしいが、おかげで穴の中が安全であることはわかった。次は、行けるところまで穴の中に入っていく」

 現時点では、どうして暗闇であるはずの穴の中で、光が必要なはずの植物が生えているのかはわからない。だが植物が生えているということは、そこに酸素がある。加えて穴の中が高温すぎたり、有毒物質が溜まっていたりする可能性は低いことが伺える。人が入っても、問題がない環境だということだ。

「大穴周囲の地盤の調査は、どうだったんですか」

「強度は問題なしでしたよ」

 後藤からの問いかけに健が答える。言葉の続きは、家茂が引き継いだ。

「ただ、大穴の周囲の木にロープをかけたり、地中に埋めるような基礎を作ることはやめてくれと、瀬戸さんにも宮松さんにも釘を刺されちまったからな。明日からは周辺環境に影響しない足場を作っていく」

 そこまで会話が済んだとき、御膳に乗せた夕食を瀬戸が台所から運んできた。

「足場ができたら、調査隊の皆さん全員で入って行かれるんですか?」

 話を聞いていたのか、お膳を並べながら瀬戸が問いかけた。

「いえ。ロープに吊られて入っていくことになりますから、まずは慣れていて体重も軽い健が入って、中の様子を確認します。あとのことは中を見てからの判断になりますが、中継地点にできる場所を見つけられたら、今度はそこに足場を作っていく感じですかね」

「なるほど、健さんは一番槍というわけなのですね」

 家茂の返事に、瀬戸は目を細めて微笑んだ。

 今日の夕食は肉じゃが・味噌汁・漬物・蒸した芋の輪切り。白米を食べられないのが寂しいメニューだが、芋を米代わりにする食事にも慣れたもの。俺は、島芋を食べることをいつしか心待ちにするようになっていた。


 翌日から六日間は、毎日変わり映えのしない生活が続いた。家茂と健は、大穴に人を吊り下げるための足場を作っていた。後藤は、そんな二人の撮影をしながらも、千秋を連れて単独で島の中を撮影して回ったりもしていたようだ。俺は、冬夜と共に島のあちこちを見て回り、新種の植物が栽培されてる場所がないかと探し回った。だが、これといった収穫はない。

 加えて、ここ数日は幻覚を見ていなかった。広くもない島だ。もはや、この島でMADの原料が栽培されているという見立て自体が誤りなのではないだろうか。平穏な日々に、そんな感想さえも抱き始める。

 そうして迎えた、五月一一日。大穴に組んでいた足場が完成し、いよいよ大穴の中へ入っての調査が行われようとしていた。今日ばかりは、俺も自分の仕事は一旦休みにして、大穴の調査を見学することにする。

「おはようございまーす」

 朝食を終えて大穴に向かうと、元気な挨拶が迎えてくれた。そこに立っていたのは千秋一人だ。いつも揃ってやってくるはずの夏久の姿が見えない。

「おはよう、千秋くん。夏久くんはどうしたのかな?」

「昨日の夜から頭が痛いらしくて、お休みをいただいています。今日は皆さん揃って大穴での調査とお話を伺っていますから、僕と冬夜の二人だけでも大丈夫ですよね」

「ああ、今日は個人活動はしないので大丈夫だが。そうか、夏久くんは体調を崩してしまったのか。心配だな」

「ご心配には及びませんよ。ただの風邪ですから、明日には元気になります」

 俺がそうして千秋と会話をしている間に、健と家茂は早々に準備を開始した。彼らは普段よりも落ち着かない様子だったが、それはナーバスなものではなく、いよいよ未知の場所である大穴へ入っていくぞという、意気込みの現れのようだ。いままでの活動はあくまで下調べであり、調査隊としては今日が初日のようなものだろう。

 俺は改めて、大穴に組まれた足場を観察した。建設現場でよく見られる鉄パイプの連結によって組み上げられている。大穴の中心を通って橋をかけるように組まれていて、穴の上を横断できる形だ。つまり、足場の中央は穴の中心部にあたる。足場に体を括り付けたロープをかけ、ロープに吊られて下がっていくことで、木々に邪魔されずに穴の中心部を降りていくことができるようになっているのだ。

「いよいよ未知の場所に入っていくんだって思うと、ワクワクが止まりませんよ」

 そう言いながらヘッドライトがついたヘルメットを被った健は、全身フル装備だった。作業着の上に肩、太腿と胴まで繋がるフルハーネスの安全帯をつけている。

 家茂は足場に直接括り付けたロープを二本と、滑車を噛ませたロープを一本。穴の中へ計三本ものロープを垂らすと、そこにさまざまな器具をつけていく。中でも目立っていたのは、ベルトを通した板状の道具だ。

 健は自分の身につけたハーネスの安全をもう一度確認すると、足場の中央まで歩いて行き、身を屈めて手すりから外へと出た。

 俺と冬夜、千秋の三人は足場にすら乗っていない。大穴の横で健と家茂の姿を眺めているのだが、健が手すりから外に出た姿を見ただけでヒヤリとする。横に立っていた冬夜は、俺の腕をぎゅっと掴んできた。彼も同じような気分なのだろう。

「いいか、まずは様子見で構わん。無理はするなよ。通信機は使えねぇからな、ロープを三回引いたら引き上げのサインだ」

「了解です」

 家茂の言葉に健は頷く。そして、ロープとハーネスをカラビナで繋いだ。さらに、ロープにつけられた板状の器具に、腰をかけるようにして体を預ける。ブランコに乗るような姿勢だ。

「健くん、これフィルムカメラ。撮影は余裕があればでいいからね」

 ヘルメットについたライトを点灯させ、体勢を完全に整えた建へと、後藤がカメラを手渡す。そのカメラには細いワイヤがついている。ワイヤはロープ同様にカラビナでハーネスにつけてられていて、両手を離したとしても落とさないようになっていた。

 健は笑顔でグッとサムアップをしてみせる。

「それじゃ、行ってきます」

「おう、気張ってこい」

「気をつけて」

 家茂と後藤の間にそこはかとなく漂う緊張感と、身につけている重装備とは裏腹に、健本人は楽しそうだった。作業を横で見守っていた俺たちへいつもの笑顔で手を振って、足場から足を離すと、健はロープを伝って下へと降りていく。ロープを手繰る健の様子は手慣れたものだ。その身軽さに、元鳶職という彼の経歴を改めて思い出す。

 ものの一〇分で、健の姿と彼のヘッドライトが放つ光は、重なる木々と影の中へと消えていった。地上からは、もはや彼の姿は視認できない。

「おーい、問題ないか」

 それからしばらくして、大穴の中へ向かい、家茂が大声を張り上げる。

「大丈夫、順調でーす」

 一拍の間をおいて、穴の中から健の声が返ってくる。反響してこもってはいるものの、地上まで届いた明るい声を聞いて、俺は無意識にこわばらせていた体から力を抜いた。しかし何故だか、俺の腕を掴んでいる冬夜の手には、逆にいっそうの力がこもる。

「冬夜くん、見ているの、怖いかい?」

 小声で尋ねると、冬夜は顔をハッとしたように上げた。彼は、顔面蒼白になっていた。

「顔色が悪いよ。夏久くんと同じように風邪をひいたのでは……」

 想像以上だった冬夜の表情に驚いて目を瞬き、俺はさらに彼の顔を覗き込もうとした。そのとき、俺から引き離すように千秋が冬夜の肩を抱いた。

「本当だ、顔色が悪いね。向こうで休もうか、冬夜。浅野さん、僕たち、ちょっとあの木陰で涼んでますね」

 千秋の言葉に俺が頷くと、二人は言葉どおりに、少しだけ大穴から離れたガジュマルの根本に座り込んだ。二人の姿を軽く目で追ってから、俺は改めて作業が続く大穴へと視線を向ける。

「たけるー、無理するなよー」

「大丈夫、順調でーす」

 家茂はたびたび大穴の中へと声をかけ、健からの返答を聞いていた。

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