三 写真 -1-

 翌日の五月二日は、前日までの大雨が嘘のような快晴に恵まれた。

 普段の調子を取り戻した家茂も含め、調査隊はさっそく大穴の調査を開始する。

 朝食を済ませて大穴へ向かうと、夏久と千秋が先について待っていた。冬夜はずっと社務所にいたが、この二人と会うのは春樹の葬儀以来だ。俺たちの顔を見るなり、千秋は笑顔を浮かべて明るく手を振ってくれた。夏久は無表情のままだが、別段塞ぎ込んでいるというわけではなく、いつもどおりの彼の様子だ。親しい友を失くした二人のことはずっと気がかりだったのだが、彼らも冬夜と同じように、ある程度はその悲しみを乗り越えているようだ。

「今日はどんな調査をするんですか?」

 好奇心旺盛に尋ねる千秋に、すでに後藤と健へ指示を出した家茂が答える。

「前回大穴の中にビデオカメラを入れてみたが、すぐに機材がダメになってしまったからな。大穴内部の磁力が影響しているとみて、今回はフィルムカメラを入れて、可能な限り、大穴内部の撮影を試みる」

「フィルムカメラ、ですか?」 

「昔のカメラは全部フィルムで撮影していたんだが、最近ではデジタルカメラが主流だな。デジタルカメラってのは、カメラの中にイメージセンサーを搭載してて、そこに当たった光を、デジタルデータに変換して記録する。だが、フィルムカメラは科学的に光に反応するフィルムを内蔵して、機械的にシャッターを切ることで、光をフィルムに当てて撮影する。フィルムカメラも、金属の組合わせで作られた機械であることには変わりないが、デジタルに頼るところがなく構造がシンプルな分、磁場の影響はほとんど受けねぇはずだ」

 口調は粗野なところもあるが、家茂の説明はわかりやすい。俺も、フィルムカメラなど子供の頃に少し触ったことがある程度だ。仕組みの違いなどもよくわかっていなかったので、千秋と共に興味深く聞いていた。

 健は前回の調査でも使用した、釣竿のような器具とロープを用意している。そして後藤は、クラシカルな見た目のカメラを、そのロープの先端にくくりつけていた。

「それがフィルムカメラですか? たくさんカメラを持ってきているのですね」

 後藤の手元を覗き込みながら問いかける。後藤の風貌は冒険に同行しているようには見えないが、カメラを括るロープの結び方は本格的なものだった。

「これはあくまで、俺が趣味で持ってきたものなんですけどね。まさか調査の役に立つとは思いませんでした」

「カメラだけ中に入れて、どう撮影するんですか?」

「このカメラには一〇秒の機械式セルフタイマーがついているので、カメラを穴の中に入れる速度を調整しながら撮影を繰り返すことで、さまざまな深さの地点の様子が撮影できるはずです。ロープの先にぶら下げているだけなので、穴の中のどこの角度が撮影されるかはコントロールできませんけどね」

 後藤の言葉に納得して頷いていると、再び家茂と話している千秋の声が耳に入った。

「穴の中に入っていったりは、しないんですか?」

「もちろん、最終的には中に降りての調査が本番になる。ただ、中の様子がわからない状態で未知の場所へ入っていくというのは、さまざまな面で危険だからな。初日の調査で、穴の中が深さ一〇〇〇メートルは超えていそうだということもわかっていることだし、カメラで中の様子をある程度確認できるならそれに越したことはない」

「家茂さん、準備ができました」

 後藤が声をかけ、家茂が頷いたのをみて、健は長い竿を構える。ロープを吊っている先端が穴の中心部まで届いた。

「前回の調査では六〇メートルまでのところしか見られなかったからな。まずは一〇〇メートル。それから二〇〇、三〇〇と一〇〇メートル刻みで伸ばしていく。各地点一〇回ずつ撮影する」

「了解っす」

「ではまず一〇〇メートル一回目、開始」

 家茂の合図を受け、後藤がセルフタイマーを起動させてから、カメラから手を離す。健はカメラに衝撃を与えないようにしながらも、一〇秒の間にカメラが目的の地点まで下がるようにロープを操作していく。一〇秒が経過したら、今度はゆっくりとロープを手繰り寄せる。そして、再度カメラのセルフタイマーをセットするという、この繰り返しだ。

「正治、カメラは異常ないか」

「はい、特に問題なく動いています。やはり磁気の影響は、アナログなほうが受けにくいですね」

 後藤の返事に、家茂は満足げだ。

 そんな彼らの作業の様子を見守ってからしばらくして、俺は横に立つ冬夜へ話しかけた。

「冬夜くん。もしよかったら、昨日瀬戸さんが話してくれた、根贈が流れ着く岩場に案内してくれるかな? どのようなところなのか、見てみたいのだが」

「はい、もちろん構いませんよ。歩くと一時間くらいかかっちゃいますが、村役場で車を借りて行きますか? 車では港までしか行けないので、どうしてもその先は徒歩ですが」

 俺は少し悩んだ後、首を横に振った。

「いや。冬夜くんがよければ、歩きで行こうかな。道中の自然も確認しておきたい」

「了解しました。夏久、千秋、岩っこ行ってくる」

 枯沢に案内してくれた時のように冬夜が声をかけると、夏久と千秋はそれぞれ手をあげて見送ってくれた。俺は冬夜の後について歩き出す。

「岩っこというのが、その、今から向かう岩場のことかな?」

「そうです。これだけ海に囲まれていながら、島には海に入れる場所がそこしかないので、海に入って遊びたい時には、皆そこに行くんです。島民同士の会話ではよく『これから岩っこ行こうよー』みたいな感じになります」

 冬夜の説明に彼らの日常を感じ、ふふっと息を漏らして笑った。

 大穴から村役場に出て、そこから右に曲がり、集落の中を抜けて歩いていく。道順的には、初日に港から上がってきたときと同じ道を、逆に辿る形になる。当然見かけたことのある景色になるわけだが、車で通り抜けるのと、こうして自分の足で歩いていくのとでは、得られる情報量が違った。

 集落の外れに差し掛かると、冬夜は、

「ここが夏久の家なんですよ」

 などと紹介もしてくれた。夏久の家は、島の民家の中でもかなり立派なほうだった。集落の逆サイドにある春樹の家とは、両極端に位置していることになる。

 集落と森を抜けると、眼前に海が見渡せる。そこから、岸壁にへばりつくようにしてある坂道を降りていく。下りきると港についたが、今日の目的地はさらにその先だ。港を右手に横切った先には、もはや道らしい道はなかった。岩と岩の間を縫いながら、比較的歩きやすい岩の上を伝うように進んでいくことになる。慣れない俺は足を滑らせたりしないようにと慎重になるが、冬夜の足取りは軽い。ここが彼らの遊び場だということが、身に染みて実感できた。

 事前に聞いていたとおり、大穴から歩いて約一時間で岩っこと呼ばれる岩場についた。

 名前のとおりに大小さまざまな岩ロゴロと転がっており、激しめの波が打ち寄せている。岩の間に白波が入っては抜けていく様子を見れば、この岩場に根贈が流れ着くという話は頷ける。足元から視線を上げると、どこまでも広がる海が、真っ青な空と融合していく。森の中とは別の意味で、島の自然の雄大さが感じられた。

 目を眇めて地平線を眺めていると、俺の顔を見て冬夜がニコニコと笑っていた。

「どうかしたの?」

 冬夜の様子に気がついて尋ねる。

「浅野さんが気に入ってくださった様子なのが嬉しくて。ここ、とても気持ちがいいですよね。もう少しするともっと暑くなってくるんですけど、この岩場は海にも入れるし、風が涼しくて最高なんですよ」

「そうか。調査がもう少し長引くようだったら、休みに海水浴にも来てみたいな」

「はい、ぜひ」

 嬉しそうな冬夜の言葉に頷きながら、俺は改めてあたりの観察をする。この付近には、岩の間に海草が引っかかっているだけで、植物らしい植物は生えていない。島を振り返ると荒々しい断崖絶壁になっており、そこにも草木は生えていなかった。

 冬夜は波がひいたあと、岩の間を眺めている。時折岩場に生息している蟹やら大きめの海虫やらが移動していくので、それを見ているのも面白い。

「そうやって根贈を探すのか」

「はい。普通に遊びにくるときも、一応、流れ着いていないか確認はします。貴重なものですので」

「どれくらいの頻度で流れ着くものなのかな?」

「平均すると月に一、二本ですね。使う量を考えると、蓄えておけるという量は本当にないんです」

 月に一、二本という程度の量しか手に入らないものを、ドラッグの原料にするというのは、やはり考えにくい。根贈が俺の探しているものなら、必ずどこかで群生しているはずだ。つまり問題は、根贈がどこから流れ着くのか、ということだ。

 考えながら、港とは反対側の方向を覗き込む。

 島の周囲は、基本的に海に面して断崖絶壁になっているのだが、崖に一部分、棚のように出っ張った地形を見つける。そこは波があまり掛からず、何かの植物が生えているようだ。

「冬夜くん。あそこにはどのようにすれば行けるのかな」

 俺がその場所を指差して問いかけると、冬夜は顎に指をかけて悩む様子を見せた。

「通常の方法で行こうとするのは難しいと思います。岩場はここまでで終わりなので、上からロープで降りてくるしかないですかね……ただ、見るだけなら船で近づくのが一番早いような気がします」 

「なるほど、船か。島の周りをぐるっと回るように、船を出してもらうことは厳しいかな」

 根贈が海から流れ着くのならば、海に面したところに生えていると考えるのが普通だ。目立たない岸壁にへばりつくように生えているというのは、大いにあり得ることだと思えた。

 冬夜は自身の腕時計を見た。時刻は昼の一一時。

「ちょうどいまの時間だと、漁師さんたちは水揚げ作業を終え、自宅で休憩しているところだと思います。午後から仕掛けや船の整備をされるんですが、いまご自宅に伺って、船を出してもらえないか聞いたら大丈夫だと思いますよ。立川さんに聞いてみましょうか」

 立川とはもちろん、俺たち調査隊を島まで連れてきてくれた漁師であり、夏久の父だ。冬夜の提案に、俺は大きく頷いた。

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