二 幻覚 -1-

 葬儀の翌日から一週間、島では暴風雨が連日連夜続いた。春の嵐とは言うものの、島の暴風雨の苛烈さは、本州では体験したこともないほどに強いものだった。そんな悪天候では外に出て調査をすることは難しく、俺たち調査隊は日がな一日社務所で過ごすことを余儀なくされた。

 社務所は古い建物ながらもしっかりとした作りで、激しい暴風雨の中でも危険を感じることはなかった。しかし、絶えず雨戸を揺らす風の音と屋根に打ち付ける雨足の激しさに、島での暮らしの厳しさを痛感する。集落の建物は全て平屋だったが、あれは島の天候に適応した結果なのだ。

 春樹の葬儀が終わってからもしばらくの間、食事のときでさえも家茂はいっさい顔を出さなかった。それでも瀬戸は毎食家茂の分も食事を作り、冬夜が部屋の前まで運んで置いておくという、引きこもりの息子にするような対応をとった。家茂は、不思議と誰も見ていないときに、主食である島芋だけは食べていたようだ。彼を心配した後藤と健がことあるごとに声をかけ続けたが、いっさいの返事はなかった。

 暴風雨がはじまって四日目の朝。青い顔をしながらも家茂が自ら部屋から出てきて、久々に皆で揃って朝食を食べた。それから徐々に時間をかけ、現在ではいつもの彼の様子に戻っている。

 特にすることがなくなった俺たちは、しばしば誰かの部屋に集まり、共に時間を過ごした。過去の体験談を話し合い、島独自の祭りの様子や風習を聞いたり、トランプカードやら将棋やらの遊戯をしたりして過ごす。悪天候の中でも神社での勤めがある瀬戸を除き、調査隊と冬夜の仲は、この一週間で随分と深まった。

 しかし、そんな穏やかと呼べる日々のなかで、俺は墓地で見たものと自分のした行動に対して危機感を強めていた。なぜならば、社務所の中で引きこもって生活をしている間も、たびたび奇妙なものを目撃するからである。

 俺は、初調査の日に大穴の側で見たものを思い出す。健の肩に乗っていた白い手に、実際の人数よりも多い人影。思えば、あの時点からもうすでにおかしかった。社務所の廊下の奥に、いるはずのない白い人影がぼうっと立っているのを見かけるたび、俺は疑念を深める。これは疲労や環境の変化からくる勘違いや見間違いなどではなく、幻覚を見ているに違いない、と。


 勾島に来る一週間前。

 俺は、東京都内にある勤め先のオフィスへ向かう狭いエレベーターの中にいた。

 出入り口とは反対側の壁に設置されている鏡を見る。このとき、俺は長めの髪を金髪に染めて、薄汚れたスカジャンを着ていた。眼鏡もかけておらず、三白眼気味の目つきを露わにしているのも相まって、どこぞのチンピラかという風貌だ。

 目的の階に到着してエレベーターを出ると、周囲を軽く見てからオフィスの中へと入る。そのオフィスは雑居ビルの一室にあり、外から見ればごく普通の会社に見える。

「お疲れ様です」

 扉をくぐり、俺は見た目に似合わない口調で挨拶をする。

「お疲れ様です。あら浅野さん、お久しぶりです」

 オフィスの中で事務机に座ってパソコンに向かっていた女性が、俺へ視線を向けると優しい声で迎えてくれる。

「クラブの方はどうですか」

 彼女は先輩の角田つのだだ。歳は三四。凡庸な容姿で、オフィスレディの王道といった雰囲気の彼女からの問いかけに、俺は苦笑いを浮かべる。

「残念ながら収穫はまったくありません。怪しい雰囲気はするのですが、来る客も無駄にイキがっている不良ばかりで、ヤクザも近寄りません。見た目どおり、アングラ感満載で怪しい雰囲気のクラブというだけです」

「それは本当に残念。アブナイ雰囲気なのが店の売りなんですかね」

「俺にはよくわかりませんが、クラブに来ていた大多数の客が、その雰囲気に惹かれていたのは事実ですね」

「おい浅野。こっちに来い」

 角田との会話が一区切りついたところで、オフィスの奥から呼ばれた。視線を向けると、こちらも中年サラリーマンの典型を具現化したような男性が、俺に向かって手招きしている。彼の名は本町ほんちょう。俺の直属の上司だ。俺は、角田に軽く会釈をしてから本町のデスク前へ行く。

「お疲れ様です、本町さん。呼び出しなど珍しいですね、どうかしたのですか」

「お疲れさん。実は、クラブの捜査は終了することになってな。お前にはこれから別件に入ってもらいたい。クラブの方へはこっちから手回しをしておくから、もう行かなくていい」

 クラブ捜査の進展は芳しくなかったから、打ち切りになったと聞いても驚かない。本町に勧められ、近くの適当な椅子を引いて腰を下ろす。俺は普段このオフィスに滞在することはないので、自分のデスクは持っていないのだ。

 本町から差し出されたファイルを開き、目を通しはじめる。

「詳細不明のドラッグですか」

 ファイルに記載されていたのは、一ヶ月前に東京湾で起こった傷害事件の詳細だ。犯人は事件を起こしたあと、駆けつけた警察官から逃れようとして入水自殺をしているため聴取ができていない。だが、司法解剖により未確認ドラッグの中毒状態であったことがわかっている。

 事件のあらましはこうだ。被害者は船橋の漁港に船を持つ漁師。船の整備をしているところに犯人である二四歳の男がやってきて、自分を勾島へ連れて行ってくれと要求。漁師が断っても犯人は粘り、最終的には所持していたナイフを持ち出し、漁師を切りつけながら脅してきた。様子を見ていた仲間の漁師が通報。一五分後に警察官が駆けつけると、男は漁師を刺して海の中へと入り泳いでいった。警察官の一人があとを追ったが見失い、結局、犯人は一時間後に溺死体として発見される。刺された被害者は幸いにして一命を取り止め、はじめから犯人の様子がただならぬものだったこと、勾島への強い執着心を表していたことを証言している。

「実は前々から、その未確認ドラッグの存在が浮上することはあったんだが。いかんせん服用者が全員死んでるもんで、どこで作られたものなのか、どう流通しているのか、まったく手がかりが掴めていなかったんだ。そこで今回、依存に陥った中毒者が死に物狂いで勾島へ行きたがっていた、というのは大きな情報だと考えられる」

 本町の言葉に頷きながらファイルをさらに捲ると、暫定名「MADマッド」という未確認ドラッグの服用者により引き起こされた事件がまとめられていた。頻度は極めて低いが、MADが原因であるとされる事件自体は、なんと五〇年前から発生している。事件の内容は様々だが、基本的には傷害罪か殺人罪。服用者は錯乱している状態で犯行に及んでおり、最終的には多種多様な理由により全員が死んでいる。

 ドラッグの成分は、いままでにない新しいものであること、強烈な幻覚作用を持つ、新種の植物由来のものであることがわかっている。服用者が幻覚を見るようになり、錯乱状態に陥り、凶暴になることからMADという暫定名になったわけだ。

「ところで、勾島ってどこにあるんですか?」

「一応住所としては東京だ。伊豆諸島って知ってるだろ。その中で八丈島からさらに先にある孤島だな。定期便などもなく、普段から住民以外の人間の立ち入りが制限されている。どうだ、MADのもとになる植物の栽培並びに精製に最適な環境だとは思わんか」

「なるほど、たしかに。それで、今回はどう潜入するんですか」

 俺は麻薬取締捜査官だ。その中でも、潜入任務を専門にしている。その俺に話が来たということは、正面から捜査をかけるのではなく、潜入して何かしらの情報や証拠を掴む捜査方針だということだ。

「実は、このたび島の環境を調査するための、民間の調査隊が結成されることになったらしい。一人だけ追加メンバーを探していたので、そこに植物学者としてお前が入れるように手はずを整えた。島に滞在し、MADの原料となっている幻覚作用のある新種の植物を見つけて持ち帰れ。調査という名目で原料やMAD自体の持ち出しを行う可能性もあるため、調査隊の他のメンバーにもお前の正体は明かしていない。十分注意するように」

「植物学者として、ですか。俺の植物に関する知識は、あくまで趣味レベルですが」

「なに、調査隊と言っても、他のものも全員が素人の集まりといった様子だ。そいつらが島のなにを調べられるものかはわからんが、バレる心配はないさ。まあ、学者らしく見えるように髪は黒に戻していけよ。お前の性格だと、今回に関しては演技する必要はなさそうだな」

 出港はその日から一週間後の四月二〇日。そのあと集合場所などの詳細を伝えられ、俺はオフィスをあとにした。髪を黒に染め直し、度の入っていない黒縁眼鏡と、学者としてそつのない服装をひととおり揃えるに至ったのだ。

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