三 初調査 -2-

 祈祷を受けている間に、社務所にやってきていた千鶴が昼食を作ってくれていた。ありがたく全員で昼食をいただき、四季子たちも普段着に着替え直したところで、さっそくはじめての調査へと向かう。鳥居からさらに数十メートル森を抜けていくと、目の前が急にひらけた。地面に大穴がポッカリと口を開けている。目の当たりにした大穴は、話に聞いていたとおりの様子でありながらも想像以上の迫力を感じた。

 家茂は、持参してきた大巻尺を出してその先端を健に渡す。健が大穴に沿って向かい側に移動し、判明した大穴のおおよその直径は二〇メートル。感覚としては、プールを縦から見た大きさの穴が、大地に突如として現われるようなイメージだ。

 穴の壁面に横向きで生えている木が視界を邪魔して、大穴の中を覗き込んでも、すぐ下がどうなっているかどうかはわからない。木の本数自体はそんなに多いわけではないのだが、ちょうど視界を遮るように交互に重なって生えているのだ。

 家茂は辺りを見回して手頃なサイズの石を見つけると、それを木に当たらないように穴の中心部を狙い、下に放り投げてみた。その場にいる全員が、石が底に当たって立てる音を聞こうと口を閉ざし耳を澄ますが、いっこうに聞こえてこない。穴の下に水が満ちていれば水音がするはずだが、それすらもない。辺りにはただ、島に打ち寄せる波の音がしているだけだ。

「音が小さくて、波音に紛れちまったのかな」

 家茂は呟くと、今度は手持ちの道具の中から熊よけの鈴を取り出した。先ほどの石と同じように投げてみるが、これも石と同様にいっさいの音を返してくることはなかった。

「なんの音もしないってどういうことなんでしょう」

 大穴の様子をカメラに収めながら、後藤が問い、家茂が答える。

「穴の下が、草か何かでふかふかしていて音がしないのか、穴の中で音が吸収されちまってんのか、それか、よっぽど深いのか」

「島の標高ってどれくらいでしたっけ」

「事前に調べていたところによると、標高五二〇メートルだな」

 二人の会話を受けて、様子を見ていた千秋が口を挟む。

「標高五二〇メートルなのは大山ですね。この大穴部分の標高は四六〇メートルくらいです」

 大山と呼んで千秋が指差したのは、島の反対側に見えている山だった。大山は港側に位置し、小規模な富士山のような形状をしている。一〇〇年前に大噴火した記録が残る活火山だ。

「ありがとう千秋くん。家茂さん、四六〇メートル先の鈴の音って聞こえますかね?」

「熊鈴は普通一キロくらいまでなら聞こえるとは思うが、ここは結構波の音がうるさいからな。まずは距離を測るか」

 そう言いながら手招く仕草をして、家茂は向かい側に行っていた健を呼び戻そうとする。だが、健は背後の森をぼうっと眺めていた。健のそばには、向かい側へ健と一緒についていった夏久が立ち、健の肩には白い手が乗っている。

「おい、健!」

 家茂が怒号に近い声をあげると、健の肩に乗った手は驚いたようにサッと引いた。健自身もビクリと体を震わせ、慌ててこちら側に戻ってくる。

 健は家茂の指示を受け、一メートルごとに印が付けられているロープを荷物の中から取り出した。釣竿のような器具を用い、穴の中央部から下へ向かって、錘をつけたロープを垂らしていく。

 始終静かに家茂のそばに立っていた春樹は、調査の様子を見ながら、

「家茂さんのバッグは何でも出てきて、まるで魔法のカバンのようですね」

 などと可愛らしいことを言っていた。

 俺は、彼らが調査を進める様子を脇目に見ながら大穴のそばから離れ、辺りの森の植物を観察し始める。

 森に生える木でもっとも多く、もっとも目立つのはガジュマルだ。その合間を埋めるように生えているのは、ヒカゲヘゴという巨大なシダ植物。これが鬱蒼と生えていることで森には暗がりが多く、恐竜が出てきてもおかしくなさそうな雰囲気を形成している。ガジュマルの他に点々と見える木はスダジイだが、元はこのあたり一帯がスダジイの森だったはずだ。

 ガジュマルは着生植物であり、別名を「絞め殺しの木」という。宿主となる植物の幹の割れ目などに落ちて発芽すると、宿主を取り込みながら成長し、いつしか宿主の木を殺してしまう。地面に向かって根を伸ばしながら、同時に空へ枝を伸ばし日光を得るという独特な成長方法が、あの奇妙な樹形を作り出す。

「興味深い植物は見つかりましたか?」

 背後から話しかけられた。振り向くと、冬夜が俺についてきていた。

「まだ特には……ただ、この島はガジュマルが多いのだな」

「ガジュマル?」

「この木のことだよ。社務所の中庭にも植わっていたな。島での呼び名は違うのか?」

 木の幹に手を当てて問いかけると、合点がいったという表情で冬夜は頷く。

「ああ! それは、ここではネッキと呼ばれています。根っこ様の化身とされている木で、島ではとても大切に保護されているのです。浅野さんは植物学者さんでしたよね。他の植物は採取されてもかまいませんが、ネッキは切ったり傷つけたりしないようにお願いいたします」

「なるほど、だからこれだけ多くのガジュマルが増えているのか。特にこの木を採取するつもりはないから、心配しなくて大丈夫だ」

「それはよかったです。浅野さんは何かを専門とされているのですか? ここで調査される植物というのは、どんな種類のものなのですか?」

 冬夜からの問いかけに、眼鏡を押し上げながら、俺はまた軽く手で顔を隠した。

「専門はないので種類にこだわらないのだが、勾島固有の新種の植物が見つかればいいな、と思っていてね。勾島にはなかなか上陸できる機会がないから、大穴に限らずに島全体を調査したいと考えている」

 自分が植物学者だという話を深掘りされると、落ちつかなくなる。なぜなら、俺は植物学者などではないからだ。趣味が高じて、植物の名称などにただ少し詳しいだけであり、学説的なことや研究内容などを細かく尋ねられたら、確実にボロが出る。

 再度なにかを問われる前に、俺は逆に問い返すことにした。

「冬夜くんはどこかに心当たりがないかな。珍しい植物が生えていそうなところ」

 冬夜は、顎に指をかけて少し考えるような仕草をしたあとに、なにか思いついたようで瞳を輝かせた。

「あ。すぐに思い浮かぶところがありました。大山の麓に枯沢かれさわって呼ばれている場所があるのですが、行ってみますか?」

「そこは遠いのかな」

「ここから二〇分も歩けばつきますよ。なんせ、歩いて島をぐるっと一回りしても九〇分程度しかかかりませんから」

 冬夜の頼もしい言葉に目を細める。

「それはそうか。よかったら案内してもらえるかな?」

「はい」

 冬夜は頷くと、大穴の方へと顔を向けた。

「夏久ー、浅野さんと枯沢まで行ってくるー」

 冬夜が大きな声で呼びかけると、こちらにもっとも近い位置に立っていた夏久は手を振って応えた。

「行きましょう」

 冬夜の後に続いて歩き出したとき、俺はふとあることに気がついた。いま手を振っていた夏久の腕は、島の子らしくよく日に焼けた小麦色の肌をしていた。では、先ほど健の肩に乗せられていた不気味なほどの白い腕は、いったい誰のものだったのか。

 背筋にゾクっと冷たいものが走ったような気がして、振り返る。大穴を囲むように立っているのは、七人の人影。七人。なんとなしに数えてみて、震える。俺たち調査隊は四人で四季子も四人。大穴から俺と冬夜が離れたら、その場に残るのは六人のはず。

 であれば、あと一人は誰だ。

 早鐘のように鼓動しはじめた心臓の音をうるさく感じながらも、人影の正体を暴くために仲間の元へ戻ろうと、俺は一歩足を踏み出した。

 その俺の肩に、背後から手が乗せられる。冷たい手の感触に驚いて振り向くと、怪訝そうな表情を浮かべて冬夜がこちらを見ている。

「浅野さん、枯沢はこっちですよ?」

 手の主が誰かをたしかめてから、俺は再度大穴のほうを見る。人数を数えると、大穴のそばに見える人影は六人になっていた。

「どうかしました? 大丈夫ですか?」

 俺の異変に気遣う声を聞きながら、何度も人影を数える。

 六人だ。あそこには六人しかいない。

 深く息を吐き、体に張り詰めていた緊張を解く。

「ああ、大丈夫。すまない、ちょっと勘違いをしたみたいで。行こうか」

 取り繕うようにぎこちなく笑い、俺は冬夜と共にその場をあとにした。

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