『いじめられる側にもその問題を考える必要がある』と言ったら、無責任だとキレられた件~そよぎ先輩はサイコパスを全力で楽しんでいます!【短編版】

オカノヒカル

そよぎ先輩の日常は、全てを敵に回します。

「モブ子さん、灯りを消していただけますか?」

「はい、そよぎ先輩」


 部活の先輩にそう言われて、私は扉近くのスイッチをオフにする。17時を過ぎたので、部室を後にするためだ。


 灯りが消えると、窓の外に映る『鮮やかな夕焼け』が目に飛び込んできた。その光景に一瞬引き込まれそうになる。


「さざ波状の高積雲が、いい味だしてますね。80点以上は間違いないですわ」


 自称『夕焼けマニア』のそよぎ先輩は、さらりとそんな言葉をこぼす。その横顔は、夕焼けなんかよりさらに美しい。


 私よりひとつ先輩のその人の名は、2年1組の戦技そよぎ彩子アヤコ。澄んだ瞳に長いまつげ、サラサラな髪をサイドテールにして非対照的な髪型をよく好む。


「今日は特に、夕焼けが綺麗ですよね」


 同性の私でも、息を飲むような蠱惑的こわくな魅力を持つのがそよぎ先輩だ。だから、その感情をごまかすように、景色を褒めて返答した。


「この地域の気象条件が、各データごとに好条件を出してるからかしら?」

「好条件ですか?」

「そう。空における雲の比率、その雲の位置関係、あとは湿度かしらね」

「なるほど」


 と返答するが、実はイマイチよくわかってはいなかった。


「そういえば、今日は天文部の活動日でしたわ」


 そよぎ先輩が、ポンと手を合わせる。


「え? そうなんですか?」

「便乗させていただきましょう」


 ニヤリと何か企むような顔。上品な言葉使いと、まったく合っていないその表情は、彼女の個性のひとつだろう。


「便乗? 先輩も星とか好きなんですか?」

「嫌いじゃないわ。ですけど今は夕焼けかしら。ということで、鍵の返却をお願いしますわ。わたくしは、一足先に屋上に行っております」


 先輩は、嬉しそう南校舎の階段の方へと歩いて行く。何か興味のあることには、パワフルに行動するのも彼女の特長だ。逆に、興味がないことには、あまりエネルギーを使おうとしない。


 いつものことなので、私は「しかたないなぁ」とため息を吐いた。私は、北校舎にある職員室に鍵を返却すると、先輩が向かったであろう南校舎の屋上へと急ぐ。


 先に帰っても良かったのだけど、先輩のあとを追いかけるのは癖になっていた。


 階段を上り、屋上階に到着する。けど、扉の前で、開けるのを躊躇してしまった。すでに先輩は、屋上内に侵入しているだろうけれど。


「これ、見つかったら絶対怒られるやつだ」


 天文部の部員でもない人間が、屋上に立ち入っていいのだろうか? いや、基本的に関係者以外立ち入り禁止なはずだ。


 大きなため息をつきながらも、私は決意して扉を開ける。


 だって、リスクを負ってでも、私はそよぎ先輩のことを追っかけたいのだから。


 別に私は同性愛者でもなく、先輩に恋しているわけではない。


 先輩の言動自体が面白くて、楽しくて、憧れるのだ。そう、これは単純に好奇心。


「――ふざけないでよ!」


 扉を少し開けた途端、女子の怒号が聞こえてきた。


 そよぎ先輩、やっぱり部外者ってことで怒られてしまったのか……。でも、頭のキレる先輩が、それをどう切り抜けるかも見てみたい!


 先輩は、そんな期待をしてしまう人なのだ。


 扉を、もう少しだけ開けて外の様子を窺う。


 私の見える範囲に人の姿はなかった。いや、屋上の端にある給水タンクの陰に人だかりがあった。


 陰になっているので総人数はわからないが、5人以上はいるんじゃないのかな? 何人かは女生徒だと認識出来る。


 やっぱり先輩、こってりと絞られてるのかなぁ?


「とはいえ、先輩って人数関係なく無双できる人だし……」


 そんな独り言をこぼしたとき、ドアの隙間にそよぎ先輩の顔が現れた。


「何をやっているのかしら?」

「え? 先輩? 天文部の人に『不法侵入』で怒られてたんじゃないんですか?」

「なにか取り込み中みたいでしたの。わたくしのことに気付いてないみたいなんですわ。ラッキーってやつですかね?」

「……それは悪運が強いだけですよ」


 苦々しく笑うしかない。私は安心して、扉を開けて屋上に足を踏み入れる。


 すると先輩は、目をキラキラさせながら、スマホで撮った夕焼けの画像を私に見せてくる。


「見てくださいモブ子さん。今日の夕焼けは92点ですわ!」

「はいはい。綺麗ですね」


 綺麗なのはわかるけど、何がどうすると92点になるのかは、私にはわからない。


 たぶん、訊けば教えてくれるだろう。芸術的な風景を、論理的に解説する彼女の言葉を。


 それよりも気になるのは、あの給水タンクの裏の生徒たちだ。口論のようだが、多数対一人というようにも聞こえてくる。


「一方的に断罪って……いじめですよ、これ」


 一段と大きな声が響く。さきほどの怒号とは別の子だ。なるほど、そういうトラブルか。


「夕焼けは高得点なんですけど、撮影ポジションが微妙ですわね。あの鉄塔、ホント邪魔ですわ」

「……」


 先輩はイジメに『我関知せず』スマホを構えながら、夕陽をバシャバシャ撮りまくっている。そして夕陽にかかっている、手前にある鉄塔に文句を言ってクビを傾げるのだ。


「モブ子さん。あの鉄塔、解体できませんかね?」

「先輩、思考が撮り鉄ですよ」

「それは讃美なのかしら?」

「讃美なわけないじゃないですか。イヤミですよ」

「その発言、炎上するんじゃないかしら?」

「先輩が、SNSで拡散しない限り平気です」

「まあ、移動すればよろしいのですけどね」


 先輩はベストポジションでの撮影のために、給水タンクの方へと歩いて行く。


 先輩にとって、天文部の問題は無関係。だけど、そのまま向かったらさすがにバレるでしょ。


「先輩。撮影環境を考慮して、風景に映るものをすべて受け入れるのが、プロというものでは?」


 もちろん、私は撮影に関しては素人だけど、先輩を止めるのに手段を選んでいてはダメだ。


「え?? わたくしはプロではありませんけど?」


 先輩の歩みは止まらない。


「そーじゃなくてぇー」


 私は先輩の右腕を掴むものの、何か不思議な体術のようなもので、それを躱されてしまう。


「映えスポットこそ、わたくしの最優先ですのよ」


 それだけ聞くと先輩は、SNSに命を賭けているような、承認欲求モンスターのように思われる。しかしながら、実際は撮るだけで満足するタイプだ。


 SNSにアップしないのは、先輩の七不思議のひとつでもあると言っていい。


 というか、承認欲求もないのに撮影にこだわる。ゆえに、彼女を止める良い手段を思い付かない。


「そーじゃなくてぇ、ほら天文部の方々は取り込み中じゃないですか」


 私は先輩の前に出ると、両手を彼女に向けてやんわりと止めようとする。が、それでもぐんぐんと歩みを進める先輩。結局、私は強引な手段をとれずにいた。


「わたくしは別に、天文部の邪魔はしないですわよ」

「いや、その……このまま見なかったことにするならまだしも、いじめの現場にですねぇ……」


 私が見苦しい言い訳をしていると、急に一人の女子の声がこちらに向く。


「誰?」


 それと同時に、何人かが給水タンクの裏からぞろぞろと出てきた。私たちは注目の的である。


「げ、サイコじゃん」


 そよぎ先輩の顔を見た、一人の生徒の顔が歪む。サイコと呼んだのは、先輩の本名である彩子あやこをもじった蔑称だろう。


「あーら、水沢さん。ごきげんよう」


 先輩は、多人数に萎縮することなく、いつものように挨拶を交わしていた。


「あんた、何してるの?」

「はい、夕陽が綺麗でしたから撮影を行っておりましたの。屋上って、いい絵が撮れるのですわよ」


 先輩は、飄々とした表情でそんな言葉を返す。すると、水沢さんと呼ばれた女子以外の天文部員たちが各々に、何かを思い出したかのように口にする。


「そういえば、2年にサイコパスの生徒がいるっていってたけど、あれってこの人なの?」

「わ、わたし知ってます。2年のサイコパスの先輩には気をつけろって」

「サイコパスってあれですか、悪役のキャラによくいるやつ」

「そうよ。あの子は、他人の感情がわからない。他者への思いやりが欠如している。自己中で、道徳観念がなくて、恐怖を感じないの」


 先輩は、そのヒソヒソ話を聞いてニヤニヤしている。うん、あたしもそれ、ほとんど当たっていると思っているから反論するつもりもない。


「サイコ。出てってくれない? 今、取り込み中なの。それに、ここは関係者以外立ち入り禁止。学校に言いつけるよ」


 天文部のリーダーらしい水沢先輩は、そよぎ先輩へとぴしゃりと言う。


「困ったですわ。撮影するだけですから、邪魔なんてしないのに……あ。それでしたら、あなたたちが下級生虐めていたかも・・と、学校に告げ口してもよろしいのですね」


 そよぎ先輩、気付いていて無視してたからなぁ。見つかった時の『カード』にでも使えればと思ったのか。


「な!」


 水沢先輩は、なぜか驚いている。ま、そりゃそうか。そよぎ先輩は基本的に誰かを助けることはしない。イジメの現場を目撃していたとしても、その性格上、本来ならスルーはずなのだから。


「いいじゃないですか。撮影するくらい。すぐ終わりますわ」

「わたしらを脅迫する気?」

「いいえ、脅迫する気なんてありませんわ。わたくしを不問にしてくださるのなら」


 終始笑顔は崩さない。そよぎ先輩はいつでもマイペースだ。


「それって脅迫と同じだよ?」

「うーん、だって見逃せないじゃないですか。もし本当・・にイジメがあったのだとしたら」


 先輩は涼しい顔。それが相手を怒らせていることに気付いていない……わけはないのだけど。


「あんた、サイコパスなんでしょ? なんでわたしたちに関わろうとするの? おかしいでしょ」

「だから、わたくしは撮影さえできればいいのよ」


 まともな話が通じないと理解できたのか、相手は折れてくる。


「わかったわ。好きにすればいい」


 そこで話は終わるかに見えた。が、1年生らしき子が、先輩の方に向かってこう告げる。


「えっと……どなたか知りませんが助けて下さい。わたしたちはイジメを受けてるんです」


 ショートカットで、凛とした顔立ちの女の子。多数の女生徒に取り囲まれて、断罪されていたように見えるが、その瞳には恐れが見えない。この子、本当にいじめられていたのだろうか?


 と思ったら、その子の後ろには隠れるように、気の弱そうなショートボブの女生徒がいた。平凡で弱々しい印象。まるで私と似た感じ。なるほど、この子が虐められていて、それを庇っているのか。


 先輩はこう答える。


「ごめんなさいね。わたくしは部外者なの。事情を知らないのに口は挟めないわ」


 さっき先輩『イジメが本当なら見逃せない』とか言ってませんでしたか? まあ、そよぎ先輩は撮影するための取引に使いたかっただけだろう。この人に正義感がないのは、今更な話だ、


「事情は単純です。カンナが同じ天文部のミナト先輩を好きになっただけなのに、みんなでよってたかって、この子の恋を断罪したんです」


 凛とした少女は、気弱な少女の肩を抱く。


「断罪って……天文部にはルールがあるんだよ」


 上級生らしき一人が声を上げた。


「そんなローカルルールを押し付けないでください」


 再び口論が始まる。それを面倒くさそうに聞いている先輩。


 そういえば噂で聞いたことがある。天文部はみなと大希だいきという男子生徒が設立した部で、部員はすべて彼が口説いて集めたそうだ。


 つまり合法的に、部活でハーレムを築いたわけだ。そう思うと、急に馬鹿馬鹿しくなる。私が知っていたくらいだから、2年生のそよぎ先輩が知らないわけがない。


「あーあ、日が沈んじゃいましたわね」


 夕焼けが見える時間は短い。先輩は肩を落とす。


「ちょうどいいです。副部長、外部の人に、どちらが正しいか判断してもらいましょう」


 一年生の子が威勢良くそう告げるが、水沢さんの方は、あまりいい案だと思っていないようだ。


「サイコに正しい判断は無理だよ。なんせサイコパスなんだから」


 その言葉にムッとくるが、すぐにそれは呑み込むことにした。怒るかどうかは、言われたそよぎ先輩が判断すべきである。


「わたしは、1年3組のイマガワサクラです。この子は、同じクラスのオノウエカンナ。二人とも2週間前に天文部に入りました。カンナは港先輩に一目惚れしてて、わたしはカンナの付き合いで入部したみたいなもんです」


 ふわぁあ、と先輩がアクビをする。1年生の子のコメカミ辺りが、ピクリと痙攣したような気がした。それでも彼女は話しを続ける。


「恋愛は自由なはずなのに、天文部はそれを縛ろうとしているんです」


 もちろん、入ったばかりの1年生に言われるままの上級生でもないだろう。すかさず反論をしてきた。


「縛らないと部活が崩壊するんだよ。この部は港クンを中心に回っているんだから」


 いわゆるサークルクラッシュの原理だな。部長の港先輩は『オタサーの姫』位置というわけか。


「そんなのは水沢先輩たちの事情でしょう? この子には関係ないじゃないですか」

「関係なくはないでしょ? あんたもその子も、部に所属してるんだから」


 二人のヒートアップしそうなやりとりに、先輩はつまらなそうに耳をほじるようなはしたない素振りをしている。


 先輩『言葉使いだけお嬢様然としても、しかたないんですよ』と注意してあげたい。


「そもそも水沢先輩も、港先輩のこと好きなら告白すればいいじゃないですか」

「だから、それだと部が崩壊するのよ」

「知りませんよ。そんなこと」

「だいたい、その子が港クンにやたらとボディタッチはするわ、隙を見て二人きりなろうとするから、ちょっと注意しただけでしょうが」


 なんだこれ? イジメじゃなくてただの色恋沙汰じゃない?


「モブ子さん。帰りましょうか」


 そよぎ先輩がこちらを向く。先輩もバカらしいと思っているのだろう。


「そうですね」


 にっこりとそう答えて、退散することにした。


 しかしまあ、私って完全にモブだな。


 そよぎ先輩のせいで、ほとんど目立たない。先輩と行動を共にしていると、ステルス性能だけが上がっていくようだ。


「待って下さいよ! えと……サイコ先輩!」


 一年生の子に呼び止められる。彼女は『サイコ』という呼び方が『蔑称』であることに気付いていない。


「ごめんなさいね。あなたたちには興味がないのよ」


 それに対し、すました顔で返答するそよぎ先輩。先輩にとっては、呼び方などどうでもいいのだろう。


「でも、どっちが正しいかの判断くらいは」

「正しいってなにかしらね?」


 先輩は顎に手を当てて、考えるポーズをしながらそう問いかける。


「先輩は『人を虐めること』が正しいっていうんですか?」

「場合によるんじゃないかしら? 法律を犯しているなら、この国においては正しくないでしょう」

「だったらわたしたちは――」

「天文部の人たちは法律を犯しているのかしら? 少数意見が通らないのは、民主主義国家では当たり前のことでは?」

「だからって、一人を寄ってたかって叩くのはよくないです。それが暴力でなくても、言葉だって人は傷つくんです」

「そうね、手段はあまりいいとは思えないわね。うん。この場合は、多数側がおバカだってのはわかりますわ」


 ニヤリ……いや、にんまりと先輩は笑う。


 そよぎ先輩の発言に、すぐに水沢先輩が声を上げた。


「あ? わたしたちがバカってどういうことよ?」


 あーあ、先輩は結局、両方に喧嘩を売っている。まあ、その方が面白いけど。


「だって、そうじゃないかしら。今の世の中、あなたたちの行為が外部に漏れれば、事情を知らない、物事を深く考えられない人たちは、簡単に1年生の味方をするでしょうね」

「……っ」


 相手の顔が歪む。痛いところを突かれた、ということは理解しているのだろう。


「あなたたちは『血も涙もない、いじめっ子』として生涯レッテルを貼られることになりますわ。それは、けして消えないデジタルタトゥーとして」


「……」


 その事は、過去の数々の事例が物語っている。誰でも、そのひとつやふたつは思い当たりがあるはずだ。だからこそ、部員たちは反論できずに悔しそうに下を向く。


「まさかあなたたち、ネット上での数々の事件を知らないわけじゃないでしょう? 遊びや軽い気持ちでやったことが、ネットで炎上して制裁を受けるって。そこに法律は関係ないわ。同情……いえ、同調した方々が私刑を行う、ストレスの発散場所よ。まあ『正義という名の神』の狂信者も多いですけど」

「……」


 反論できる人なんていないのだ。皆、頭に血が上ってあの1年生の子を責め立てていた。でも、それはこの社会にとっては迂闊なこと。第三者がどう思うのかを考えるべきである。


 インターネットの仕組みにより、誰かが故意にシステムを作り上げなくても、民主主義型の相互監視社会が形成されつつあった。そのことに気付くべきだと。


 ちなみに社会主義型の相互監視社会とは、また別のシステムだ。


 前者は正義の名の下に晒し上げ、後者は自分が生き残るために密告する。


 先輩は、淡々とこう続けた。


「ですからさきほど、可能性のひとつを提示したのです。あなたたちの行為を学校に告げ口すると。学校なら恩情はあるかもしれませんが、何も知らないネット民は、容赦しないんじゃないかしら?」


 そよぎ先輩の口調は、それほど強いものじゃない。自分より下の相手に、優しく説法するように。


 といっても、先輩はいい人ではない。


 先輩は基本的に、自分以外の人間を見下している。




**




 前に、なんで私のことを「モブ子」と呼ぶのか聞いたことがある。


「苗字と名前に『も』と『ぶ』が入っているのですから、わりと説得力のあるニックネームじゃないかしら?」


 そよぎ先輩は、ニコニコと人差し指を一本立てて、茶目っ気たっぷりにそう答える。


「それにしたって酷いですよ。『モブ』ってあれじゃないですか、よく物語で配置される『その他大勢のキャラクター』じゃないですか」

「私にとって、あなたはモブでしかないわよ」


 本当なら怒ってもいい扱いなのだが、なぜか先輩に怒りを感じない。


「そう思ってたとして、直接私を呼ぶのに使わなくても……。まだ陰口で使われるなら納得はしますけど」

「陰口じゃ意味ないのよ」

「そもそも、先輩って人のこと見下しているのだから、私以外もモブなはずじゃないんですか? なのに、なんで私だけモブ呼ばわりするんですか?」

「なぜかしらね……」


 先輩は、困ったような顔で首を傾げた。それは予想外の反応。


「論理モンスターの先輩が、なんで答えを出せないんですか?」


 この人は他人を見下すけど、論理的に物を考える人。何に興味があって、何に興味がないのかも、きちんと説得力のある答えを出せる人だというのに……。


「きっとモブ子さんには『モブでいて欲しい』っていう、わたくしのわがままなのかしら?」


 先輩は弱々しい笑顔をこちらに向ける。ますますミステリアスだ。


「どういうことですか?」

「さあ?」


 でも、私を見下しているはずの先輩の笑顔はとても暖かに見えた。


 いや、たぶん……きっと気のせいなのだけど。




**



「ほら、言ったじゃないですか。わたしたちは正しいって」


 1年生の子が勝ち誇ったかのようにそう告げる。でも、彼女がきちんと理解できていないことに私は気付いていた。


「サクラさんといったかしら。あまり調子に乗らない方がいいですわよ」


 先輩の声のトーンが変わる。それは、彼女らの心を凍らすに十分な、冷たく鋭い言い方に。これは私の予想通りの展開だった。


「な、なんでですか!?」

「あなたたちが正しいなんて、わたくしは言ってませんわ」

「水沢先輩たちが間違っているなら、わたしたちが正しいはずでは?」


 片方が間違っているからといって、もう片方が正しいとは言えない。


「わたくしは、事情を詳しく知りませんし、あなたたちに興味もありませんから、知りたくもないだけ。ですから判断なんかできません」

「それ、『逃げ』ですよね。サイコ先輩は、イジメを放置するタイプなんですか? ダメ教師と一緒じゃないですか」


 先輩は笑う。いや、口元を歪めてわらう。


「だって、わたくしにメリットないじゃありませんか。そもそも、あなたが正しいという根拠はあるのでしょうか? あなたが間違っていた場合、わたくしは得をしないばかりか、かなりの痛手を負うことになります。わかりますか? 相手に信用してもらうためにはそれなりの根拠を示す必要があるのですよ」

「根拠? ……でも、水沢先輩が間違ってるって、サイコ先輩が言ったじゃないですか」


 やり方が間違っていると行っただけで、先輩は行為そのものを否定してはいない。


「ですから、あなたたちが正しい根拠は? というか、あなたの後ろに隠れているその子が、はっきり示せばいいのでは?」


 そうだ。今回の天文部のトラブルの原因は、そのカンナって子が抜け駆けしたせいだ。


「やめてください。カンナは純粋で傷つきやすい子なんです」

「根拠はないのね。でしたら話は終わりですわ」

「でも、サイコ先輩もイジメを目撃したでしょ? わたしたちは水沢先輩たちに――」

「それは『やり方が間違っている』って言っただけよ。正しいかどうかの判断じゃないわ」


 結局、堂々巡り。サクラさんは、何が何でも正しさを勝ち取りたいのだろう。たぶん、それがイジメを止めるための『正しい手段』だと思い込んでいる。


 でも、そよぎ先輩にそれは通用しない。いや、ちょっと考えればわかるんだけどね。


 しびれを切らしたのだろうか、水沢先輩から声が上がる。


「ほら、言ったでしょ。サイコってこうなのよ」

「……」


 苦笑いしながら、サクラさんに顔を向ける水沢先輩。そよぎ先輩のクラスメイトというだけあってか、この中では、二番目に彼女を理解しているのかもしれない。


 水沢さんの顔が、再びそよぎ先輩に向く。


「今回はあんたの顔を立てて引くわ。たしかに、こっちも冷静さを失っていたし」


 彼女は、サイコ先輩に何かを放り投げる。受け立った先輩の手に握られたのは鍵だった。


「撮影でも、なんでもすればいいわ。その代わり『それ』返しておいてね」


 天文部の集団は、ヒソヒソと何か文句を言いながら屋上から出ていった。


 残されたのは、私とそよぎ先輩と1年生部員の二人。サクラさんは、恨むような目で先輩を見る。


「ずるいですよ……弱い立場のわたしたちが、正しさの根拠なんて出せるわけないじゃないですか」


 あーあ、理解してないどころか、悲劇の主人公を演じ始めているよ。


「あなたたちは、何がしたいのかしら?」


 先輩は目を細めて、一年生を蔑むように見る。


「は? あたしはカンナへのイジメをやめてもらいだけなんですけど」

「そうは見えませんけど」

「は? はぁあああああ!!!????」


 サクラって子にとってみれば「何言ってんだ? こいつ」という感じなのだろう。


「そもそも火に油を注いで、炎上を楽しんでいるように見えるわよ」

「炎上? わたしたちが、そんなこと望んでいるわけないじゃないですか」


 先輩に対する怒りを隠そうとしない彼女。かなり苛ついている様子だ。


「でも実際そうでしょ? あなたの言葉は、水沢さんたちに届いたのかしら?」

「届くわけないですよ。いじめをする奴なんて、他人を見下すだけなんだから」

「それ、いじめと関係なく普通じゃないかしら? 他人を見下すなんて」


 あ、言っちゃった。だめですよ、先輩。本音は漏らしちゃ。


「はあ???!!!」


 サクラさんは先輩の失言……いや、意図的な発言に、理解ができずに顔が歪んでいく。

 私は、笑いをこらえるのに必死だった。


 まあ、初めて先輩に遭遇して、そんな言葉を投げかけられたのなら、私でも同じような反応をするだろう。


「あなたも、水沢さんたちを見下しているのでは? ついでいうと、わたくしのことも」

「み、見下してなんか……いえ、水沢先輩は見下してるっていうか、軽蔑してますけど」


 本音を言い当てられたように、サクラさんの目が泳ぐ。


「まあ、どうでもいいですわ。メンドクサイですから軽くアドバイスしますが、これがイジメだと言うのでしたら『いじめられる側にも、その問題を考える必要がある』と断言しておきます。『早期に解決したいのなら』という前提ですが」


 空気が張り詰める、というか爆発した感じだ。すぐにサクラって子が声を荒らげる。


「ふ、ふざけないでください。先輩! それ、絶対に言っちゃいけない言葉ですよ」

「言葉?」

「『いじめられる側にも問題がある』なんて、いじめを受けた側に責任を負わせるような発言は取り消してください。人間としてホント、軽蔑しますよ!」


 先輩の発言は微妙に違うのだけど、まあ、そうとられてもおかしくはない言葉ではあるか。


 わりと、センシティブな問題だからなぁ。


 逆鱗に触れたのか、先輩を押し倒すかのような勢いで迫ってくるサクラさん。結局、天文部の人たちも、この子も互いに頭に血が上りやすいところが問題なんだよね。


「わたくしの言った言葉を、勝手にねじ曲げないでいただけますか?」


 もちろん、そよぎ先輩がそれに怖気づくわけがない。


「似たような言葉ですよ!」

「なぜそう思うかしら?」


 口元を緩めたそよぎ先輩は、視線だけ鋭くサクラさんに問いかける。


「なぜもなにも、よくいるんですよ。いじめられる側も悪いんだから、なんとかしろって。中学の時の先生にもいましたよ。人間としてサイテーです」

「悪いとは言ってないですわね」

「一緒ですよ」

「けど。『何が問題なのかを考えろ』って、そんなにおかしいことかしら? 被害を止めたいのであれば、思考停止は悪手ですわ」

「何も悪くない被害者に、何かを改善しろっておかしくないですか? 改善すべきは虐める側ですよ」

「それは、いじめられる側にたくさんの味方がいる場合に限ります。だいたい、誰がそれを改善させるんですか?」

「それは、いじめる奴が改善すれば」

「いじめる側が自ら改善ですか? ずいぶんと、お優しいいじめっ子ですね」


 先輩はせせら笑う。


「じゃあ、先生が」

「教師はすぐに行動してくれますか? 現行犯で目撃しない限り、警察だってなかなか動かない。なのに、しがらみの多い教師が対応してくれるとでも?」

「それは……」

「彼を知り己を知れば百戦あやうからず。この言葉をご存じですか?」

「彼を……なにそれ?」


 先輩。『孫子の兵法』を知っている女子高生なんてそんなにいませんよ。と、心の中でツッコミを入れる。


「うーん、あなたは頭があまりよろしくないのですね。では、こんな話をしましょう」

「何言って――」


 強引な話の展開に、オロオロしだすサクラさん。それに対して先輩は『いいオモチャを見つけた』と喜んでいる子どものようだ。


「わたくしは『悪質ないじめは犯罪の一種』だと思っていますの。実際、物を盗んだり壊したり、暴力を振るったりと、刑法に触れる事例はたくさんありますわよね。さて、では実際の犯罪も考えてみましょうか」


 まあ、これは加害者が悪だと主張するサクラさんにも、受け入れられる説明だろう。ただ、なぜこのような例を出したのかを彼女は理解していない。


 先輩は話を続ける。


「例えば強盗。住人が住む家に忍び入って、金品を盗む犯罪です。時には住人を傷つけたり、殺したりとかなり非道な行いをしますね。闇バイトのせいで、最近多発しておりますが」

「それが、どうしたんですか?」


 ようやく我を取り戻したのか、反撃の機会を窺っているように見えるサクラさん。


「この場合、強盗に入られた『善良な』被害者の住人に、非はありますか?」

「ないに決まってます!」

「そうですね。強盗は被害者が『悪い人』だから、その家に入ったわけじゃない。これはいじめも同じで、必ずしも被害者に非があったから、いじめっ子から加害を受けたわけじゃない」

「当たり前じゃないですか」

「では、元に戻りましょう。被害者は強盗に入られないようにすることは、できないのでしょうか?」

「そんなの無理ですよ! 犯罪者は誰かを選んで盗みに入るわけじゃない。たまたま強盗に入られるなんて、よくある話でしょ」

「少し違うですわ。実際は選んでいるのよ。正確には、選んでいる場合が圧倒的に多い」

「……ぅ」


 サクラさんの口元が少し歪む。そう、よく考えればわかることなのだから。今回の件だって、後ろにいるカンナさんはランダムに選ばれたわけじゃない。


 もちろん、無作為にいじめられる場合もある。けど、いじめの原因が本当に無作為なのかどうかも考える必要はあるだろう。


「強盗が考えるのは、その家が侵入しやすく盗みやすいか? そしてお金を持っているか?」


 サクラさんの答えを待たずに、先輩は続ける。


「防犯対策が甘かったり、外で不用意に大金があることを話されてしまう場合ですね。そんな隙を見せていたら、強盗に狙われるに決まっているではありませんか」

「そりゃそうだけど……」

「イジメも同じだと思いませんか? 虐められる隙を作っていたら、簡単にイジメを受ける。被害者が何も悪くなくてもです」

「虐める奴が悪いんですから、当たり前ですよ」


 サクラさんの威勢の良さはまだ健在だ。


「では、その『悪い奴ら』に虐められないためには、どうすればいいのか? ですから、わたくしは言いましたの。『いじめられる側にもその問題を考える必要がある』と。問題を冷静に分析すれば防犯対策、この場合はいじめ対策になると思いませんか?」

「イジメは、そんな簡単なものじゃない」


 簡単じゃないからこそ、考える必要がある。ということを、この子は考えられないのだろうか?


「そうね。でも、それは犯罪も同じ。いくらセキュリティの高い建物に住んでても、金持ちであることを隠していたとしても、絶対狙われないということはないの」

「ほら、やっぱり」


 得意げにそう言い放つが、本質を理解していないことは、私でも気がついてしまう。


「でも、完全に無防備な状態では『狙ってください』と言っているようなものですわ。そしてイジメも同じ。まあ、何をイジメというかは、人によって定義が曖昧すぎるのも問題でしょうけど」


 そよぎ先輩の論法は、本当にイジメを受けて精神的に衰弱している相手には言ってはいけない言葉である。


 思考が停滞し、自殺以外の解決法を考えられない精神状態もある。その場合は第三者が居場所を提供し、問題解決を思考できる環境を作ってやることが最優先で必要なのだ。


 そのことは、先輩も理解しているだろう。


 ただ、そよぎ先輩は、何か確信をもって発言しているようにも思えた。


「引っかかる言い方ですね」

「結論。無自覚で無防備なのに『被害者になるのは嫌だ』なんて、ただのワガママですわ。もちろんこれは、一部の人向けの言葉ですけど」


 先輩のその暴言は、明らかに目の前の相手に向かって語りかけている。そう、いじめられっ子本人ではなく、彼女を庇護すべき友人に対して。


 被害者本人ではなく第三者であれば、なおのこと感情的にならずに冷静になるべきなのだから。


「はあああ? なんですかそれ!? それでも、いじめる方が悪いに決まってるじゃないですか!」

「悪いという事と、いじめを防ぐという考えは、分けなきゃいけませんの」

「悪人のために、どうして善人が努力をしなきゃいけないのよ!」


 善人? という言葉が気になったが、先輩には些細なことなのだろう。それを無視してこう告げる。


「さっきの『強盗の例』を忘れたましたか? 侵入された家は悪ではない。法律違反もしていません。だからといって犯罪者は、それを考慮するはずがありませんの。いじめを防ぎたいのなら、いじめる側に立って『物事を考えてみる』といいですわ。そうすれば、いじめっ子が『どこを攻めたいのか?』がわかりますし、その対抗策も考えつくでしょう」


 先輩は議論をしているというよりは、後輩を諭している感じなのだろう。ただ、それが受け入れられるとは限らない。


「いじめる奴の気持ちなんて、わかりたくない! わたしには理解出来ないよ。そんなキモチワルイ奴のこと」

「理解できないのは、あなたの勝手ですわ。好きにすればいいの。けど、その子を守りたいんじゃないのかしら? それとも、イジメを防ぐつもりなんかなくて、ただただ『正義を執行している自分』がキモチイイだけなのかしら?」

「そんなわけない!」


 サクラさんは、先輩の言葉を認めたくないだけ。本当は、イジメからカンナさんを守りたいと思っているのに、アドバイスが素直に聞けなくなっているのだろう。


「自分たちが正しい、と声をあげるだけでは、何も解決しませんのよ」


 そよぎ先輩の言葉は容赦ない。聞いている私はハラハラしてしまう。


「なんで、正しい側が譲歩しなきゃいけないのよ!」

「この国は、法律も整備されて『あなたのいう正しさ』は担保されているのに、なぜ『犯罪』は減らないのでしょうか?」

「それは……」


 そうなんだよね。犯罪者は、いちいち正しさなんか気にしない。


「犯罪者は身勝手で、人の事など考えない。ならば、そもそも意志の疎通のできる人間と思わない方がいいでしょう。いじめは人災ではなく天災と思うしかない。ならば、全力でそれを回避する術を考えなくてはいけない。下手をすれば命の危険にも及びますからね」

「……」


 サクラさんは口をぽかんと開けて、そよぎ先輩の暴論に圧倒されている。


「だから、いじめっ子は人間扱いしなくていいのです。得体の知れない災い。だからこそ、思考を駆使してその問題を考えることが必要なのです。とはいえ、これは極論。いじめにも種類はありますからね」

「……い、いじめはいじめでしょ? 先輩も犯罪だって言ったじゃないですか」


 まだ反論する気力は残っているんだ。


「あなた、面白いですわね。お礼に、もうひとつお話を披露するわ」


 先輩も、サクラさんのかたくなな精神構造に気付いているはず。


「これ以上何を話そうっての?」

「ただの思考実験ですわ。あなたの反応が知りたくなりましてね」

「シコウジッケン?」

「そう、例えばあなたに友達がいました。仮にA子さんと呼びましょうか。その子はワガママで物を貸してもなくされたり。酷い時には壊してしまいました。それでも彼女はゴメンと謝るだけで、反省すらしてませんでした。でも悪気はありません。『天然』っていうのかしら?」

「なにそれ?」


 突然の話題転換に、サクラさんは呆けたような顔で応える。


「その友達は、時に理不尽なお願いをしてきます。大事な用がある休日なのに、友達なんだから自分を優先しろと、遊びに行く約束をします。けど、約束の時間になっても友達は来ません。まあ、『天然』なので悪気はないんですが」

「……なんの喩えよ? カンナはそんな酷いことしないわよ」


 ほんと、先輩の話は唐突なく始まる場合が多いけど、最後には物語みたいに伏線が繋がることもある。ゆえに、聞き逃すと損だというのが、私の先輩ウォッチャーとしての方針。


「カンナさんは関係ないですわ。これはあなたの喩え話。そんな友達がいたらサクラさん、あなたは友達関係を続けますか?」

「……そりゃ、そんだけのことをされたら文句も言うし、距離を置くわよ。でも、そのA子に悪気はないなら、絶対イジメなんかしないからね」


 サクラさんは『イジメを悪とする』ということに関してはブレない子だ。


「ということで、A子さんはサクラさんから距離を置かれます。困った彼女はB子さんに声をかけて友達になります」

「……」


 難しそうな顔で話を聞くサクラさん。先輩はさらに続ける。


「でもでも、彼女のワガママな性格は直りません。そのうちB子さんにも距離を置かれます。A子は挫けずにC子、D子、E子と、次々に友達を変えていきますが、その全てに距離を置かれます」

「C子、D子……だ、だからどうしたってのよ?」


 登場人物が多くなって混乱しかけている様子のサクラさん。でも、わりとシンプルな話だと思うよ。


「A子は、あなたやB子、C子、D子、E子さらにクラス全員に文句を言われ距離を置かれてしまいます。でもそれは、『A子にとっては、クラス全員から嫌われている』ようなもの。さて、これであなたは『A子をいじめるグループ』に入ってしまいました」


 そよぎ先輩は、両手を合わせるようなポーズをしてにんまりと笑う。


「は? わたしはただ個人的に迷惑かけられたから文句を言っただけでしょ? それから距離を置いただけだし」

「文句を言ったことは『相手を攻めて傷つける行為』と同じ、距離を置いたということは『無視をする』のに近いこと。これはイジメではありませんか?」

「迷惑をかけられたから、文句を言ってしかたがなく距離を置いただけ。これがイジメなら、誰かを嫌いになってはいけないの?」


 誰かを嫌いになることは罪じゃない。でも、嫌い方によっては罪になる。いや、この場合は冤罪を被せられるだろう。


 仲良しこよしなんて、嘘で固められた関係。そんな上っ面な付き合いなんて、意味があるかと問われれば、意味はある。


 そう。それは情報を共有するという、民主主義型の相互監視社会においては大切な事。みんなで繋がりたいから、誰かを嫌うことは罪となる。


「では、サクラさん。クラス全員に文句を言われて責められるA子。その後、全員に無視されます。そんな状況って、イジメとどう違うのでしょうか?」

「……わたしはわたし一人の意志で、そのA子と距離を置いているだけなんでしょ? みんなで示し合わせてもいない。なら、イジメを行っているわけないじゃん」


 いじめは集団が個を攻撃する。個々同士の対立なら、通常は喧嘩扱いとなる。まあ、これは力関係が均等な場合だけど。


「けれど、第三者から見たらどうなのかしら? あのクラスはA子を集団で無視して嫌っている。つまりいじめているように見える。あなた個人の見解や立場なんて関係ないわ。他人にあなたがどう映るかよ」

「……わかったわよ。そういう時は、わたしは文句を言わずにA子を受け入れれば良かったのね。それが正解なんでしょ?」


 イジメを認められないサクラさんが、そう言い出すのは、先輩も理解していたこと。


「正解? この思考実験に正解なんてないですわ。複数の対処方があるだけですの。実はもう一つ違う展開がありましてね」


 だから先輩は、もう一つの罠を仕掛けるのだろう。


「あなたは、A子のワガママを受け入れました。生活も、大事な持ち物もめちゃくちゃだけど、A子との友達関係は守れました。親友と呼べるほどに、大切な存在になったのです」

「いい話じゃないですか」

「A子の話を聞いたB子が、友達になろうとあなたに言ってきました。どうしますか?」

「え? ……そりゃ友達になるわよ」

「B子もワガママで、あなたは同じ事をされます。B子にも悪気はありません」

「じゃあ、文句は言わないわよ」

「C子が友達になろうと言ってきます。D子もです。以下同文」

「……」


 さきほどとは逆のパターンだ。


「さて、あなたはA子B子C子D子、もしかしたらクラス全員と友達になって、すべてのワガママを受け入れました」

「我慢するわよ。悪気がないなら」

「第三者から見たらどうなるのかしら? あなたはクラス全員から嫌がらせを受けています。つまりいじめを受けています」


 つまりそういうことだ。


 その状況を動画でネットにでも上げれば、ほとんどはサクラさんの味方となるだろう。それを彼女が望んでいないとしても。


「嫌がらせって……嘘でしょ? ただワガママを受け入れてるだけじゃない」

「物を盗まれても? 壊されても? 嘘を吐かれて金を巻き上げられても?」


 それは一歩間違えば……いえ、その行為は完全に法を犯している。でも、本人が合意の上なら、本人とってはいじめではないだろう。まあ、これは極端な例ではあるが。


 俗に言われる『いじられる』ってのは、本人が望んでいる場合も多いのだ。他人に『かまってもらえる』ことを喜びとしている人もいる。まあ、これも個人個人で感じ方は違うのだろうけど。


 とはいえ、同じ『いじられ』方をしていても、それを苦痛に感じる人もいる。


「悪気がないなら……」


 サクラさんの声のトーンがみるみる下がっていく。さきほどの威勢はどこへいったものか。


「相手には悪気はないと、あなたは納得しているのに、第三者はイジメと認定してA子たちを社会的に叩き出しました」

「……」


 サクラさんは今、自己矛盾で苦しんでいるあろう。そして何がイジメなのかがわからなくなってきている。


「事情を知らないというのは、そういうことです」

「……」


 だから先輩は最初に「事情を知らないのに口は挟めないわ」と言ったのだ。


「でもですね、うふふ……わたくしは、そんな優しい世界があるなんて信じません」

「……」


 先輩の表情が一変する。人間性が喪失したかのような冷たい顔。


「それでは、ここで種明かしをいたしましょう。実は、クラスのみなさんは、あなたをいじめるために『最初から悪意を持って接していました』と」


 あーあ、普通ならそこで彼女に考えさせて、ゆっくりと人の心を理解させるのだけど……先輩は彼女を諭したいわけじゃないからなぁ。


「ふざけないでよ! そんなの許されるわけないじゃない」

「でも、真実は、あなたの喩え話の世界線では晒されません。だから、あなたはバカみたいに友情を信じて、みんなにいいように使われてボロボロになっていきます。めでたしめでたし」

「なにが言いたいのよ!」

「わたくしは思考実験をしただけですわ。何を読み取るかは、あなたの自由じゃないかしら? そもそも『いじめ』ってなんなのかしらね?」


 先輩は振り返ると、私に向かって笑みを浮かべる。


「帰りましょう、モブ子さん」


 サクラさんはというと、思考が空回りしだしたのか「イジメだけは許せないイジメだけは許せない」と自分に言い聞かせるように呟いている。


 彼女が少し気の毒な気がしたけど、まあ、私にも関係ないことだ。


「はい」


 そう返事をして、先輩の横に並ぶ。が、先輩は立ち止まり、振り返りながら再び1年生の方に視線を向ける。


「そういえば」

「な、なんですか? まだ何か話が?」


 サクラさんが、苛ついたように顔を上げる。


「さっき笑っていませんでしたか? わたくしが水沢さんたちをやり込めているとき」


 え? あの時、サクラさんは先輩の意見に頷いていたけど、それは真面目な顔だった。笑ってた? 見間違いじゃ?


「は? 笑ってなんかいませんよ」


 サクラさんは、なんのことかわからないようで、すぐに否定する。


「あなたじゃありませんよ、サクラさん。笑っていたのは、後ろに居るカンナさんでしたっけ? あなたですわ」


 先輩は、スマホの画面を相手に見せる。私は周りこんでそれを確認すると、そこにはニヤリと笑ったカンナさんの姿があった。


 近づいてきたサクラさんは、スマホの画面を覗き込む。


「……たまたま、そう見えただけですよ。写真なんて一瞬を切り取るだけなんだから、おかしな顔になるときだってありますよ」

「んーと、これは動画を一時停止させただけですからね。ほら、ご覧になってください」


 先輩が動画を早戻しして再生すると、彼女は本当にニヤリと笑っている様子が映る。その姿は、何か背筋をゾクリとさせる気持悪さを持っていた。


「そ、それがどうしたっていうんですか?」

「あと、これは一昨日、駅前の繁華街で撮った写真ですわ」


 そこに映るのは、カンナさんと親しげに抱き合っているヤクザっぽい男。そして気弱な目の前の女子生徒とは、まったく別人の表情をした同一人物。


「な、な……」


 サクラさんが固まっていると、急にカンナさんが先輩の前に出て、スマホをたたき落とす。


 落ちたスマホは画面が割れるだけではなく、かなりの衝撃で画面表示がブラックアウトしていた。相当な強さで叩かれたのだろう。


「ごめんなさーい。何があったんですかぁ?」


 しれっと、そんな台詞を強引に突っ込むカンナさん。


「あんた今、先輩のスマホを――」


 私がそう言いかけて、カンナさんの前に出ようとしたとき、先輩はそれを腕で制止する。


「なるほど……まあ、わたくしも不注意で手が滑りましたからねぇ」


 先輩は楽しそうにニヤリと笑って、壊れたスマホを拾う。


「ごめんなさい。弁償します」

「いえ、おかまいなく。こちらの不注意ですから。うふふ」


 なんだ。この二人? 高度な腹の探り合いをしているようにも見える。


 私と同様にサクラさんも、何が起きているのか理解が追いつかないようで、先ほどから固まったまま動けない。


「……」

「それではごきげんよう」

「せんぱぁい。あたしをどうしたいんですかぁ?」


 カンナさんのかわいらしい口調とは正反対の、鋭い視線が先輩を捉える。それは獲物を見つめる肉食獣のようにも感じた。


「どうもしませんわ。ただ、ちょっと保険をかけただけですの。掛け金が、見積もり以上に高額になったのは予想外ですけど」

「保険?」

「ちなみに動画も画像も、データはクラウド上ですから。もし、わたくしたちに何かを仕掛けるのなら、それなりのダメージをカンナさんも受けることになりますわよ。あなたが正しくない根拠は、あれだけじゃありませんから」

「……ちっ!」


 舌打ちをしたカンナさんの顔が歪む。もう本性を隠す気がないようだ。


「べつに、カンナさんと対立する気はありませんから、ご安心してくださいませ。味方になる気も、敵になるつもりもないってことですわ。ただ、わたくしたちを巻き込まないでいただけますか? これはその保険」

「なるほど、そういう意味での保険ですか」


 能面のようなカンナさんの顔に恐怖を感じる。


「ええ、あなたが本当は港クンなんか好きじゃなくて、ただ単純に何かに利用しようとしてたとしても、わたくしは関知しません。カンナさんの親しい男性と、何かを企てていても、わたくしにとってはどうでもいいことです」


 あ……。私は事件の全貌を察してしまう。


「わかりましたぁ。じゃあ、ここであったことは、誰にも言わないでくださいね」


 カンナさんが笑う。いや、これは先輩と同じわらいだ。


「最初に言ったじゃないですか? あなたたちには興味ないって」

「そうですか」

「そうですわ。これはお返しします。もう、撮影に最適な時間は過ぎましたからね」


 先輩が、屋上の鍵をカンナさんの足元へと放り投げる。


「では、お気を付けてお帰りください」


 カンナさんは、わざとらしいように深々とお辞儀をした。


 いや、それ、受け取り方によっては、ヤクザとか闇の組織とかの人間が、一般人を脅すような台詞じゃん……夜道には気をつけて帰らないと。


「うふふふ、これは傑作ですわ」


 先輩が楽しそうに笑うけど、私は生きた心地がしなかった。カンナって子、怖すぎでしょ。



**



 屋上から降りる階段でも、先輩は相変わらず楽しそうに笑っていた。


「先輩って、カンナさんのこと知ってたんですか?」

「天文部部長の港クンとは、クラスメイトよ。水沢さんがいないときに、カンナさんは、ちょくちょくクラスに来てたわ。見覚えがあるに決まってるじゃない。あの二面性は、わかりやすいですわね。まあ、港クンはおバカですから、気付いてないみたいでしたけど」


 その本性、港先輩どころか、あのお友達のサクラさんも気付いてなかったよね?


「写真はいつ撮ったんですか?」

「たまたまですわ。繁華街の夕景もいいかなって、撮影スポットを探している時がありましてね」

「本当にたまたまですか?」


 あまりにも用意が良すぎると、何かを疑いたくなるものだ。


「ん? モブ子さんの画像もありますわ」


 先輩が普段使いのスマホを取り出す。カンナさんに壊されたスマホは、知り合いに譲ってもらった撮影用のものらしい。なので、壊されたからといって、先輩にそれほど損害はないということだ。


「ほら、これはモブ子さんですわよね?」


 スマホの画面に映るのは、肉まんを頬張りながらコンビニを出るところの私だった。


「!!!? 盗撮じゃないですか!?」

「カンナさんを撮ったのと同じ日ですわ。この日はそこそこ、顔見知りが多くて豊作でしたの」


 先輩が、何をもってして豊作だったのか、聞くのがちょっと怖い。


「先輩、いつか訴えられますよ」

「公共の場での撮影は、法には触れないのよ。それにわたくしの主目的は、街の夕景ですから、公安に捕まったところで、いくらでも言い訳は聞きますの」


 そよぎ先輩らしい言い訳だった。


「まあ、いいですけど……っていうか盗撮よくないです!」

「バレなきゃいいんですわ。そもそもこの画像はSNSで注目を浴びたいから撮っているわけじゃありませんの」

「弱味を握るためですか?」

「そんなところですわね。わたくし、敵が多いんですもん」

「自覚あるんですね……こういうことするから敵が増えるんですよ」

「それはしかたないですわ。気をつけてはいるんですけど……」

「そのわりには、全てを敵に回しますよね。今回の天文部の件だって」


 さきほどのやりとりには、ヒヤヒヤしたもんだ。いじめっ子といじめられっ子の両方に喧嘩を売るという、前代未聞の対応だ。


「けれど、保険をかけて、カンナさんとは不可侵条約結びましたわよ」

「そうなんですけど。先輩のその……相手を見下す態度って、すごく危険です。せめて、口には出さない方が」


 天文部の人たちには、バレてた感じだし。


「そうかしら?」

「そうです。いくら先輩にとっては、自分が主役の人生だとしても、周りはすべて『その他大勢』と思うなんて、リアルでは『やっちゃ駄目』なやつじゃないですか」


 周りの人はいい気はしないだろう。


「うーん、『その他大勢』ってのと違いますわ?」

「先輩、あたしのこと『モブ』って呼んでるじゃないですか」

「モブ子さんはモブ子さんですけど、基本的に他人は人間として見てませんわよ」

「え?」


 予想の斜め上を行く問題発言だ。


「わたくしは、自分以外の人間は、みんな犬に見えていますの。犬だから大事にもしますわ。できない御方も、犬だと思うからこそ、必要以上に責めたりしないの」

「……」


 あ、なんか前に聞いた時より酷くなっている気が……というか、これがもともとの先輩の性格か。


「ですから、野犬同士の遊びには付き合っていられませんわ。知能が低い犬ほどよく吠えるし、噛みついてくるのです」

「ひどい言い方ですね」


 怒りはすでに通り越している。そして私はあきれ果てるしかない。


「でも、犬に噛まれたら自分の責任ですわ。犬に責任は求めませんの。場合によっては、しつけなければなりませんが」

「……」


 たぶん、先輩があまり怒らないのは、その考えが根底にあるからなのだろう。良いか悪いかは別として。


「人間の言葉が喋れるのが、少しわずらわしいですけどね」

「人間ですから当たり前ですって!」


 思わずツッコミを入れてしまう。それは、先輩と一緒にいるおかげで身についた癖のようなもの。 


「そうね」


 そうね……じゃなくて、せめて人扱いはしてあげて……。


「先輩、前に言ってたじゃないですか、悪意に取られるようなことを人前でするなって」


 民主主義型の相互監視社会で、それは悪手だ。


「わたくしはモブ子さんの前でしか、こういうことは言わないわ」


 信用されているのは嬉しいけど……。


「時々、そういうところが漏れちゃってるからサイコパス呼ばわりされるんですよ」


 私は精神科医じゃないから、そよぎ先輩が本当にサイコパスかどうかはわからない。でも、彼女と一緒にいても恐怖は感じないことは事実だった。


「うーん、まあ、それはしかたがないですわね」

「もっと周りに優しくした方がいいですよ。先輩の言葉は毒にも薬にもなるんですから、薬の方向に持っていきましょうよ」

「ん? 飼い犬には優しくするわよ」


 また、酷いことを言ってるし。


 けど、それと同時に納得する自分もいる。きっと先輩が私に優しいのは、そんな風に思っているからなのだろう。


 実は何かの喩えで「犬」と言っているのかもしれない。そう信じたいけど、逆にとことん鬼畜に振り切ってほしいと願う自分もいる。


 そよぎ先輩が、本当にサイコパスかどうかはわからない。


 見ていて飽きないし、先輩の思考はたぶん未来をも言い当てるだろう。そう、うさんくさい占い師のように。


 というか、あんなに人をバカにして、論理的思考が強い先輩が、『占い研究部』に所属しているなんて、タチの悪い冗談にしか思えない。


 ゆえに、私がモブになりきって先輩を観察するのも、彼女の秘密を暴きたいという欲求からだ。


 だから私の好奇心は止まらない。


 だって、戦技そよぎ彩子あやこはミステリアスでもあり、『人でなし』だ。




(了)



――――――――――――――――――


【あとがき】




この作品は、長編の学園ミステリ『そよぎ先輩はサイコパスを全力で楽しんでいます!』のお試し版的な短編です。


これ単体でも完結していますが、キャラの特徴や物語の方向性を示す作品でもあります。

興味を持たれた方は、連載版のそよぎ先輩の無双をお楽しみください。


長編の学園ミステリは以下のURLから跳べます。

https://kakuyomu.jp/works/16817330659466277219


――――――――――――――――――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『いじめられる側にもその問題を考える必要がある』と言ったら、無責任だとキレられた件~そよぎ先輩はサイコパスを全力で楽しんでいます!【短編版】 オカノヒカル @lighthill

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ