第24話


         ※


 刑事たちや予備要員として連れてこられた機動隊員たちが、摩耶を警戒・牽制の姿勢を取っている。

 正直、こんな場所で摩耶と真正面から話をしなければならないとは。乗り気になれるかって? 冗談じゃない。

 いや、こんなことだと分かっていれば、そもそも今日、この時間に、この場所には来なかったはずだ。


 だが、そんなことは最早どうしようもない。

 問題はこれから。俺の判断で摩耶が救われるのなら――。


「よし、と。どう? やっぱり防刃ベストは重いかしら?」

「ええ、でも動くのには支障ないです」


 心配げな瞳で俺をみつめる清水。いや、清水樹林先輩。こんな形で会いたくはなかったな。

 いや、初対面でないだけマシか。いずれにせよ、こうなったら俺が摩耶を説得しなければならないのだ。この期に及んでやっぱり駄目です、とは言えない。


「これが家族としての責任、ってやつか……」

「ん? どうかしたか、朔坊?」

「いえ、別に」


 俺の返答に、岩浅は鼻を鳴らしたが、他に言いようがない。

 俺は摩耶と美耶の兄なのだ。彼女らのために、この身を多少の危機に晒すことになっても、文句を言える筋合いではない。


 今も摩耶は、周囲に噛みつかんばかりに唸り声を上げている。一体どこからあんなスタミナが湧いてくるのやら。

 と言っても、俺に答えが寄越されるわけではない。摩耶の釘バットは、傍若無人に猛威を振るい続けている。台風だな、こりゃ。


 そう思う間に、俺は警戒中の警官たちの輪から一歩、踏み出していた。

 怖いものは怖いが、それでも俺や摩耶、美耶は同じような虐待を受けながらも生きてきたのだ。どこか、実感を伴うシンパシーがあればいいのだが。


 などと無益なことを考えながら、俺はできるだけ自然な足取りで摩耶に近づいた。

 俺の接近に気づいた摩耶が、ギロリ、と俺を眼光で照らし出す。

 軽く肩を落とす摩耶に、俺は、大丈夫か? と尋ねてみる。

 この場で訊くにはあまりにお粗末な質問。だが、今浮足立ってしまったらなんにもならない。視野が狭まっている摩耶の心に触れるように、大人しい、ありきたりな言葉遣いをしなければ。


「柊也……」

「ああそうだ、俺だよ」

「何の真似だ? あたいの、いや、鬼羅鬼羅通りに住んでいる皆を助けに来たんじゃねえのかよ? そんな、大人と同じような格好しやがって! ひでえよ、あたいらを騙したのか?」

「その認識は間違ってるぜ、摩耶。俺がお前たちを援護して銃器を手に取るより、お前たちにこの取引を止めさせる方が安全だと思った。それだけだ。そもそもこんな格好に愛着はない」


 次に何を言えばいいのか、俺は眉根に皺を寄せて考える。そうしている間にも、通路奥からは銃声が響いてくる。ここで手をこまねいていては、本当に死者が出てしまう。


「俺んちに帰る気はないか、摩耶?」

「……」


 沈黙する摩耶。だが、彼女の思うことはすぐさま見当がついた。やっぱり美耶のことだ。

 釘バットを手放すことなく、しかし正眼に構えながら、摩耶は俺に相対する。

ん? 少しばかり、素振りの速度が落ちた……かな?


「もしお前が両親を恨んでいるんなら、もっとクリーンな方法で復讐すべきだ。なにも、釘バットや銃火器みたいな暴力装置がなくったって、俺たちは戦えるんだ。だから、その釘バットを捨てて、ここにいる大人たちの指示に従ってほしい」

「でもどうするんだ、柊也? お前、ロクに大学の講義に出てねえんだろ?」

「まだ手はある。大検、って知ってるか? 中学卒業くらいの実力さえ出せれば、大学入試の受験資格が貰える、って話だ。大学との連携については俺に任せろ。なんとかする。お前らみたいな、大人のせいで傷ついた若い人のための科目も取得する。さっきも言ったけど――」


 と、俺は言いかけて、言葉を失った。ずどん、という重い爆音が、通りの奥から耳に飛び込んできたのだ。


「手榴弾か!?」


 いよいよ鬼羅鬼羅通りの決戦も大詰めらしい。って、そんな悠長なことを考えている場合かよ。

 

「摩耶、ここを通してくれ。機動隊員たちの邪魔を止めるんだ。でないと美耶だって……」

「ん? 何だって?」

「俺はお前だけじゃない、美耶のことも心配なんだ! なんだったら、今はお前だけでもいい、俺について来てくれ」

「うっ、うるせえ、うるせえぞ! そうやってあたいを懐柔するつもりなんだろ? まったく、あんたにとってあたいは何なんだよ!?」

「それを探るのも、お前が人として生きていくために必要な工程なんだ。でも、やっぱり不安なんだろ? だったら俺が、お前の本当の家族でいてやる。なんせ、俺はお前の兄貴だからな」


 すると、摩耶は未だかつてない勢いで瞬きした。二つの瞳がきらり、と僅かに輝く。


「柊也、あんた自分で言ってることが分かってんのか? 今更家族だなんて……」


 思わず口から飛び出した、『摩耶=妹』説。

 ほぼ百パーセント近い確率で、それはあり得ないだろう。飽くまでも、『理化学的なアプローチ』を行ったならば。


 だが、今の俺と摩耶の間に必要なのは、交互における信頼、『心理学的なアプローチ』。

 血縁? んなもんどうでもいい。摩耶に安心していてもらえるようにしなければ。そこからさらに美耶の信頼を得られれば、事態はぐっとよい方向へと傾くはず。


「摩耶、美耶はこの裏通りにいるんだよな?」


 摩耶は答えない。しかしいつの間にか、彼女の手からは少し、ほんの僅かだけれど、力が抜けていた。少しは落ち着いてくれたのだろうか。いや、まだ肩を震わせている。


「大丈夫だ、摩耶。妹さんごとお前の生活を助けてやる」

「……」


 摩耶は、何かを言おうとする。だがその努力も虚しく、涙が溢れて止まらない。……仕方ないな。

 俺は、微かに震える自分の足を一歩、摩耶の方へ進み出した。


「くっ、来るんじゃねえ! 家族が何だ! 兄貴が何だ! 皆、あたいらから遠い人間になっちまって……。この世に残された人間の気持ちが分かるか!」


 それを聞いて、俺は勝ったと思った。


「正直、お前の気持ちは分からん。俺はお前じゃないからな。だから教えてくれ。それと、質問とは別に頼みがある。お願いだ」

「何? てめえからお願いだと?」


 頷く俺の前で、再び釘バットを構える摩耶。だが、俺は怯むことなく彼女に一歩、近づいた。さっと釘バットを構える摩耶。


「それ以上近づくな、柊也。もしあと一歩でもあたいに近づいたら――」


 そこで俺は切り札を取り出した。自分のポケットに忍ばせておいた録音機だ。


「これには、美耶の心からのメッセージが収録している。今すぐに、お前に聞かせてやってもいい。無条件でだ。どうする?」


 僅かに腕が脱力するのが、俺から見ても分かった。どうやらよほど気になるらしい。

 美耶は何を喋ったのだろう? 

 実際のところ、俺も知らない。今、バーサーカーと化している美耶も、一時的にこの録音機の存在を忘れているようだったから。


 今この瞬間、俺の付近にいた人々は、その任務や義務感、殺人的な地熱までをも無視して沈黙した。


 内容のあらましは、以前摩耶が俺に教えてくれた過去話とそう変わりはしなかった。

 ただ、これでは半分だ。もう残り半分には、誰が何をどれほど想っているかが収録されているはずだ。


 大型の立体映像投影機を運んできておいてよかった。

 投影機は水平面に設置しておくモデルで、直径十センチほどの円形をしている。そこから逆三角形を描くように、青白い光が照射され、立体的な錯覚を観客にもたらす。


 清水がケーブルを確認する間に、俺はさっきの鼓動が早くなるのを押さえようとしていた。

 無理に決まっているだろう、そんなこと。美耶は摩耶よりも気が弱い。だが、それは美耶を認識するうえで、あまりにも一面的なものにすぎない。

 

 あの意地っ張りで負けず嫌いな美耶は、胸の奥で淡々と冷気を製造してきた。

 確かに、俺は美耶がどんな人物なのかは分かったつもりでいる。いや、『いた』。

 彼女を保護し、どんな特異体質なのか。そのくらいは確認させてもらわなければ。


 すると偶然だろうか。

 映写機が余剰光量を垂直に撃ち放つ。それを見て、俺は我が目を疑った。


 やや離れた廃ビルに覆われた区画。その中から、もう一本の光線が宇宙に向かって放たれるところだったのだ。

 一方的に、自分の経験を他者に知らせ、理解させる。


 まさかとは思ったが、これは見事に成功した。

 勢いよく空中へ発せられた光線は、まるで工業機械がマイクロチップのはんだ付けをするかのように、街路を行ったり来たり。念のため、摩耶以外の人間は皆が伏せている。


 こうやって頭上にある現象を目にする娯楽があったはずだ。えーっと……。


「プラネタリウム!」


 唐突に叫んでしまったが、皆は即座にそう言った俺の意図を察してくれた。

 俺は仰向けになって映写機の、否、美耶の思いがどうなっているのか、それを汲み取ろうと試みた。

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