第22話


         ※


「ざっと五分、ってところか……」


 俺はスマホを見下ろしていた。今いる駅前大通りから鬼羅鬼羅通りに向かうとすると、どのくらい時間がかかるのか。その見通しくらいは立てておきたかった。

 アウトドアに疎い俺でも、自分の走行速度は認識している。そこから到着時間を計算した結果こそ、ざっと五分だというわけだ。


 それ以前にいろいろ考えた。

 現金を担いだ摩耶と美耶が、時間的にあとどのくらいで到着しそうなのか?

 もしかして、あの組織で内部抗争でも起こったのか?

 

 他にも考えてみたものの、可能性ばかりでキリがない。とにかく今は、この件に関わっていそうな人物と連絡を取り合う外ない。そう判断したのだが。


 摩耶と美耶、それにゲンさんは無反応。月野姉妹は仕方ないにしても、ゲンさんが電話に出ないなんてことが今まであっただろうか? この時点で、事態の深刻さがより明確になったかのように思われた。


 清水先輩や岩浅警部補、それにサワ兄とも連携を試みたが、これまた不通。彼らは警察に関与している立場の人間だから、既に無線機にでも通信手段を取り換えたのだろう。


「畜生!」


 俺は自分のスマホをタイルに投げつけたくなった。何の役にも立たないではないか。

 しかし、誰かが俺に情報を送ろうと必死になっている可能性も零ではない。

 俺はゆっくりとスマホを胸の高さにまで下ろし、ぎゅっと片手で握り込んだ。

 第一、俺がキレたところで、このスマホに罪はないものな。


 俺にしかできないこと。早速だが、それをよく考えていくしかないらしい。深呼吸を一つしてから、俺は鬼羅鬼羅通りに向かって駆け出した。


 ……でも、俺にしかできないことって、一体何だ?

 俺は再び、スマホの画面に見入った。適当に、駅前の行きつけのカラオケ屋の電話番号をプッシュ。すると、コールする音が聞こえてきた。


 どうやら、全面的に通信妨害がなされている、という話ではないようだ。あたりを見回せば、皆普通にスマホをいじっている。

 どこのどいつか知らないが、俺を狙って通信妨害を試みているやつがいるらしい。そのことは、明確に関係者たちに伝達しなければ。

 今度こそ俺は、人波に逆らいながら猛ダッシュを開始した。


         ※


「はあ、はあ、はあ、はあ……」


 そうか。今日は夏祭りだったか。駅前大通りは歩行者天国だ。俺はどんどん増えつつある人々の隙間を縫うように、ノンストップで駆け抜ける。

 あともう少しで、鬼羅鬼羅通りへ通ずる裏道に到達する。しかし、俺の悪い予想は的中してしまった。


 交差点の反対側が、警察車両によって通行止めになっていたのだ。

 つまり実質的には、このあたりの道路は交差点ではなく、全てT字路になっている。


 俺は再び悪態をつきそうになった。が、そこにやたらとガッチリした知り合いの背中を見つけ、一気に駆け寄った。――岩浅拓雄警部補!


 制服警官の妨害を潜り、パトカーのボンネットに飛び乗った。そのままトランクまでを縦断。勢い余って転倒するも、そのまま転がって警官たちの足元をすり抜ける。

 その運動量を減衰させずに、俺は目的の人物のやたらと太い膝に腕を伸ばし、膝下にがっちりとしがみついた。


「おわっ! なんだコイツは! おい、作戦前だ! 誰かコイツを引き剥がして――っておい、お前、朔坊じゃねえか!」

「えっ? どうされたんです、岩浅警部補!」


 驚いたのは岩浅警部補、状況を尋ねたのは清水巡査部長だ。


 ううむ、全身の表皮がヒリヒリする。無理もないだろうな、荒いアスファルトの地面を、随分と長距離に渡って転がってきたのだから。だがそんなことより、俺には岩浅警部補や清水巡査部長に報告しなければならないことがある。


「岩浅警部補、清水巡査部長、お伝えしたいことがあります!」


 俺はなんとか立ち上がり、膝に手を当てた息を整えた。そして、しっかり岩浅の目を見て姿勢を正す。


「なんだか妙なんです、俺のスマホが。信じられないでしょうけど……。でも、鬼羅鬼羅通りについていろいろ知っていて、それでいて部外者でいられる人間は俺だけなんです。誰かが、この作戦を混乱させようとしている」


 岩浅は腕を組み、じっと俺の目を覗き込んだ。


「続けてくれ」

「はい……。鬼羅鬼羅通りへの突入は待ってください。どんな事態が待ち構えているか、分かったもんじゃない……」

「……」


 無言のまま、警部補は胸を張って沈黙した。


「機動隊第一班、配置につきました」


 巡査部長が、淡々と報告する。


「すまんな、朔坊。俺の権限ではどうにもできない。今回の作戦はそれほど重要なんだ。俺自身の立場は捨ててもいい。だが、お前の指示に従ったがために、死傷者が出ることになったら、これは俺とお前だけの問題ではなくなる」


 すまんな、と繰り返してから、岩浅は背を向けた。


「機動隊第一班、突入開始」

「了解! 第一班、突入開始!」


 ああ、始まってしまったのか。肩を落とし、俺は宙に視線を彷徨わせた。


 ちょうどその時、俺の視界に奇妙なものが入ってきた。あれは、ビニールシートか?

 岩浅も清水も気にしてはいない。しかし俺がその存在に気づくことができたのは、ビニールシートに隠れている人物と頻繁に接していたからだろう。


 事実として周囲の皆にも見てもらい、警部補にとっ捕まえてもらおうか。

 俺は警部補の背中をちょんちょん、と指で突き、蠢くビニールシートの方を顎でしゃくった。


「何だ、あれは?」

「わ、分かりませんけど……」

「予備突入班へ。後方移動中の、ビニールシートを被った不審人物の身柄を確保しろ」

《了解》


 俺の意識は完全に二分されていた。機動隊の方と、ビニールシートの方だ。

 動きは機動隊の方が早かった。重装備ながら見事な立ち回りである。

 一方、ビニールシートはその場で停止した。が、落ち着きがない。誰かがシートを引っ被って、手足を伸び縮みさせているかのようだ。


 案の定、ビニールシートは呆気なく引き剥がされた。


「だから言ったじゃねえか! 正面突破しろって!」

「今も皆が傷を全快させたわけじゃないんだよ? ここは私たちが大人の代わりに、大使として話し合いに応じるよう、皆に伝えた方がいいよ!」

「んなまどろっこしいこと、時間稼ぎにしか――」


 おいおいマジか。どっから見ても、摩耶と美耶じゃねえかよ。

 機動隊員に包囲されたというのに、まったく怯む様子がない。すると、その様子を見ていた清水が姉妹の間に入った。パチパチと掌を打ち合わせている。

 

「あなたたち、月野姉妹のお二人よね。この警備はあなたたちが考えたの?」

「あぁん!? しれっと混ざってくんじゃねえぞ、こらぁ!」

「そうです、姉と私、月野姉妹で作戦を練りました」


 どうやらこういうオフィシャルな場では、美耶もしっかり喋ることができるらしい。


「岩浅警部補さん、あなたは私たちの兄、柊也と親しいんですよね? せめて何故、これから突入作戦が決行されるのか、皆に教えていただけませんか? 私たちなら、相互理解のお手伝いができます。私たちも機動隊員さんたちと一緒に――」

「それはできん」


 と一言、警部補は言い放った。持論をぴしゃり、と叩き潰される美耶。


「作戦内容の情報漏洩は、民間人相手には厳禁なんだ。平和裏にこの作戦を終結させたいっていうお嬢さんの気持ちは分かるがな」


 無精髭を撫でながら、眉を顰めてみせる岩浅。

 だが、ここ最近になって治安維持に集中する理由は何だ? それすら岩浅にも知らされていないのか。


 俺はそれを岩浅に尋ねようとした。ぐっと背伸びをして、声を張り上げようと息を吸う。

 しかし、俺は何も言葉をかけることができなかった。鬼羅鬼羅通りの奥の方から、狂暴な破壊音が轟いたからだ。


 まさかこれは、銃声か!


 背筋をひんやりとした汗が下りていく。と同時に、俺は勢いよく頭を押さえつけられた。


「ぐあっ!」

「伏せていろ、馬鹿! 誰か民間人をここから連れ出せ!」


 未だかつてない、ドスの効いた岩浅の声。その轟音をまともに耳に喰らった刑事たちが、俺の手足を掴もうと腕を伸ばしてくる。

 

「うっ、放してくれ! あいつらを置いてはいけない!」


 あいつらとは、もちろん月野姉妹のことだ。そして、あの二人を平和裏に落ち着かせることができるのは俺だけだ。

 

 なんとか刑事たちの腕から逃れようと、俺はがむしゃらに手足を振り回そうとした。

 するとその直後、その腕の力が弱まった。仰向けに向き直ると、俺の足首あたりを掴んでいた刑事が目を白黒させている。何があったんだ?

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