第14話


         ※


 雪が舞い踊るビル街の、裏口へと繋がる通路。その入り口で些細な小競り合いが起きていた。侵入者の警戒にあたっていたパーカー野郎二人組のところへ、何者かが接触してきたらしい。


「おいガキ! ここはてめえのようなガキの来るところじゃねえ! 帰んな!」


 細身の方が檄を飛ばし、太めの方が指をパキポキ鳴らしている。

 しかし、それに対して謎の来訪者は一歩も退かない。ちょうど巡回中だったサワ兄は、驚きを隠しきれずに両眉を跳ね上げた。

 大股でパーカーたちの方へ歩み寄っていく。


「待て、お前ら! 子供を怖がらせるな!」

「は、はいサワ兄! でもこいつら、しつこく暖を取らせてくれって……」


 サワ兄は腕組みをして、長い溜息をついた。


「それくらい許してやれ。こんな不良の吹き溜まりにやって来たってことは、あんまり人に知られたくない立場なんだろう。そうだな? お嬢さんたち」


 パーカー野郎たちの前で俯き、自分を抱くように腕を組んでいたのは、年端もゆかない少女が二人。高校生と小学生、といったところか。

 サワ兄がそう判断する間に、小学生の方が他者の腕をすり抜けてサワ兄に体当たりをかました。


「あっ、てめえ!」

「美耶っ!!」


 鋭い声が響く。しかし、小学生――美耶、と言ったな――に、サワ兄を殺傷する意図がないのは明らかだった。

 美耶はサワ兄のジャンバーに顔を押し当て、ぎゅっと腰元を両腕で引っ掴んだ。どうやら、湯たんぽの代用品くらいにはなるらしい。


 それで安息できたらいいのなら、それでいいだろう。別に迷惑にもなるまい。サワ兄は、もう一人の少女にも入ってもらえるよう、パーカー野郎に顎でしゃくった。二人は一瞬呆気にとられ、続いて非難がましい目をしたが、サワ兄に口答えはしない。

 さっと道を空け、摩耶に軽く手で入るように促した。その少女の必死な表情が美耶にそっくりであることを、サワ兄は確認した。


「美耶、大丈夫か? 怖くないか? 平気か?」

「うん……」

「よかった」


 安堵したのも束の間、摩耶はさっと周囲を見回した。

 摩耶からすれば、熟慮の末に、自分たちの意志でここへ歩み入ってきたのだ。逃げ出すわけにはいかない。


 緊張の一瞬は、あっという間に氷解した。摩耶ががばっ、と腰を折って、こう言い放ったのだ。


「あたいと妹を、しばらくここに住まわせてください! せめて妹だけでも!」

「……」


 毒牙を抜かれた状態のパーカー野郎二人。こいつらは、どうするべきかを考える上で戦力外だ。自分、澤村吉右衛門が判断するしかない。


「ひとまず顔を上げてくれ。君たちの都合を聞かせてほしい。もし我々に協力してもらえるなら、君らのための居住空間を提供できるかもしれない」

「マ、マジっすか!?」

「こっちへ来てくれ。足元の配管やエアコンの排気孔に注意しろよ」


 摩耶は美耶の腕を握り、ずいずいとサワ兄の後をついていく。こうして、月野姉妹の不良生活が始まった。


         ※


「これがウチらの出会いの話だ。あとは定期的に摩耶が金を寄越してくれるから、ってことで誰からも文句は出なかった」

「そんなことがあったんですね……」


 膝に手を載せて静かに俺をみつめるサワ兄。きっと俺からの質問を待っているのだ。


「えっと、やっぱり月野姉妹の家は貧しかったんですか? 虐待とかは?」

「いや、それはない。むしろ、どうやらかなりいい環境で育ったらしいんだ。環境的にも経済的にも」


 そう言えば、と俺は考える。

 俺と初めて会った時の服装は汚らしかったが、質のいいものであることは間違いなかった。今この瞬間も、二人はその時と同じ服装をしている。防寒着にしても同様。


 今年になってから早々に家出してきたというが、もし家庭に問題がなかったとしたら、何が月野姉妹を不良へと追いやったのか? 友人関係? 恋愛関係? 見当がつかないな。まあ。所詮分かりやしないんだが。


 腕を組んで黙り込む俺の視界に、すっと何かが入ってきた。


「あの姉妹には、どこからか金銭的な援助があるらしい。お陰で俺も煙草が吸える、ってわけでね」


 俺は軽く首を左右に振った。煙草の中毒性は怖いからな。吸ったことないけど。


「あの、すいません」

「ん? ああ、すまない」


 吸いかけの煙草を灰皿に押しつけるサワ兄に、違うんです、と言いながら、俺は考えをまとめてみた。


「質問が二つあります。一つ目は、月野姉妹の金銭関係です。どこから入金されてるのか、分かりませんか?」

「ご両親からだそうだ。念のため俺も把握するようにしているが、生活に不自由しないだけの金額が毎月支払われてる。いや、生活に不自由しない、というのは語弊があるな。随分いい暮らしができるほどの金額、と言い換えようか。その金を、ここいらの不良たちのために使ってくれている。有難いやら申し訳ないやら……」


 手先を顎に当てる俺に向かい、サワ兄は穏やかな視線を向けた。二つ目の質問を続けてみろ、という意思表示だろう。


「じゃあ……。月野姉妹は、どうして家出をしてから鬼羅鬼羅通りを生活の基盤にしたんでしょう?」

「ふーむ、さあな」


 二本目の煙草を吹かしながら、サワ兄は後頭部で腕を組んだ。僅かに椅子の背もたれが軋む音がする。


「ただ一つ言えるのは、ここに来る連中はそれまで酷い目に遭わされてきた、ってことかな。今は子供の虐待に対する目が厳しいから、年々減ってくれると有り難いんだが」

「でもそれを言うんだったら、その子供を保護して衣食住を提供する施設とか、どんどんできてきてるんじゃないですか?」

「そう、君の言う通りだ、柊也くん」


 二本目の煙草を灰皿の上で捻じりながら、サワ兄は言った。


「しかし、もし虐待された子供が大人を信じなかったらどうする? 両親のみならず、施設の職員や学校の先生などの、『大人全般』を敵視してしまっていたら?」

「大人、全般……?」

「そうだ。いくらカウンセリングや児童の心理学の専門家が携わっても、彼らと馬が合わない子供は一定数存在する。大人側が配慮できればいいが、それだけで子供が態度を軟化させてくれるとは限らない。だから結局、施設からも厄介者扱いされて、退所してしまうんだ」


 衣食住が用意されているのに、どうしてそこから離れてしまうのだろう?

 俺は喉が渇いていることに気づき、再びカシスオレンジをちびちびとすすった。


「でも、そんな退所だなんて、決定できるんですか? 保護された側の子供たちに選択権を与えるのは、ちょっと重すぎるんじゃ……」


 その言葉に、サワ兄は空になったビールの缶をテーブルに置こうとして、止めた。

 両手で丸め込むようにして、かつん、とテーブルに置き直す。


「言ったはずだよ、柊也くん。どれだけ大人たちが手をかけても、さらに言えば愛情を注いでも、通じない子供というのがいるものなんだ。世の大人たち全員を嫌い、そして全員から嫌われた子供に、大人を信じろと言う方が無理な話だ。そう思わないか?」

「だっ、だったら、子供の側も努力すべきですよ! 自分の好き嫌いを周囲に押しつけてばかりじゃ、道は開けないでしょう?」

「……」


 サワ兄はふっと目を細めて俺を見た。さっきと変わったところはない。だが、それは俺から見て、『変わったところはないように見える』だけの話で、どこか俺の落ち着きを揺るがすような力が込められているように感じられた。


 サワ兄の声を聞いて、俺はその勘が当たっていたことを理解した。


「柊也くん、今君は言ったね? 子供側も努力すべきだと」

「は、はい」

「それだけは勘弁してくれないかな」


 ここで理由を尋ねたり、喚き立てたりすることもできただろう。だが、俺はそれを望まなかった。

 逆に、自覚があったのだ。地雷を踏みかけたな、と。


「これだけはどうか理解してほしいんだが……。子供たちはそもそも、頑張りすぎたためにメンタルを破壊されて、あるいは自ら破壊してしまったんだ。例えば、歩きすぎて関節が削れきって、もう歩けないという月野姉妹に対して、もっと高所を目指して登れと――まともな人間を目指して頑張れと、そう言うつもりなのかい?」


 俺は思わず息を呑んだ。

 それは、まさに今の俺じゃないのか。大学三年生になってメンタルが擦り切れ、修復しなければならないほどの心理的損傷を負い、しかし時間は俺に合わせて待ってくれやしない。


 俺の両親はもうこの世にいない。そんな環境下で、誰を頼れというのだろう?

 それこそいろんな支援施設はあるだろうが、そこに逃げ込んでまでも逃れられないのではないか? ――『健全に生きていきなさい』という思いに対する、社会的な重圧に。

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