第13話【第三章】

【第三章】


 翌朝早朝。

 俺と摩耶、美耶の三人は、ゲンさんの前で直立不動の姿勢でいた。

 これから自分たちがしようとしていることは、既にゲンさんには伝えてある。単なる外出ではない。鬼羅鬼羅通りへの突入だ。心配してくれているゲンさんの見送りには、誠心誠意応じなければ。


「皆様、本当に行かれるのですか? 鬼羅鬼羅通りに」

「ええ。摩耶と美耶が行くなら、俺も行きます。これでも俺は、二人の仮の保護者ですので」


 俺がそう言うと、ゲンさんはじっと俺を見つめた。俺の心の奥底までを見通すかのように。


「わたくしめが同伴を申し出ましても、きっとお断りになられるのでしょうな」

「うん……。こればっかりはあたいらの問題なんだ。すまねえ、ゲンさん」

「かしこまりました、摩耶様。どうぞお気をつけて」


 俺はゲンさんに頷いてみせてから、横に並ぶ二人を見遣った。二人共、鬼羅鬼羅通りからやって来た時と同じ服装をしている。ゲンさんは、俺たちが出かけている間にあたらしい衣類が届くから、その間留守番をしていると言う。

 だが、その時のゲンさんの立ち振る舞いを想像した俺は、思わずしかめっ面を作ってしまった。


「ゲンさん、女性用の服を男性がじろじろ見るのはちょっと……」

「わたくしは構いません。お三方をお守りできるのなら、我が身が抹消されようとも――」

「そういう問題じゃないっすよ! うーん……」


 後頭部をガシガシと掻く俺に対し、ゲンさんはふっと脱力して笑みを浮かべた。


「冗談が過ぎたようですな、失礼致しました。わたくしは、摩耶様と美耶様の衣服をお預かりするだけです。ご心配なきよう」

「じょ、冗談だったんすね……」


 俺は全身から気まずさが流れ去っていくのを感じた。まったく、危険に立ち向かうのはこれからだというのに。余計な緊張を強いるのは勘弁だな。


 深々とお辞儀をするゲンさんを後に、俺たちは鬼羅鬼羅通りに向かった。


         ※


「ああ、ここか……」


 俺が雑居ビルの陰に足を踏み入れ、歩くこと四、五分。だんだんと血の気が失せていくのを感じながら俺は歩幅を縮めた。そんな俺の心境を察したらしく、摩耶が先頭を代わってくれている。

 不良のたまり場の差し掛かり、俺はささっ、と摩耶の陰にはいった。後ろから摩耶の肩に手を載せ、じっと様子を窺う。すると、俺をボコボコにしようとしたパーカー二人組が、ぬうっ、と影から出てきた。


 しかし、二人の顔にあったのは驚きと喜び。


「あっ、摩耶姉! 無事だったんすね! よかった! おい、皆に知らせてこい!」

「うむ!」


 片方のパーカー野郎が向こうへ駆け出し、残った方が深々と腰を折ってお辞儀をする。

 あれ? こいつら意外と気のいい連中なのか?


「美耶さんも、ご機嫌麗しゅう!」


 再度頭を下げるパーカー野郎。

 律儀だなあと思った矢先、俺とそいつのの目が合った。ヤバい。またボコボコにされてしまう。

 だが、何故かそんなことは起きなかった。逆に、パーカー野郎の方がよっぽど慌てている様子。

 手揉みをしながら、引き攣った笑みを浮かべる。


「あー、摩耶姉? そちらの御仁は……?」

「コイツ? えーっと、あたいらのおにい――」


 再び鼻血が噴出するのを警戒して、俺は自分の鼻を押さえる。

 しかし、そんな必要はなかった。


「あ、兄者! 先日はどうも、いや、大変なご無礼をいたしました!」

「え? ああ……」

「おいてめえら! 兄者に謝れ! 誠に申し訳ありません、あなた様が摩耶姉や美耶さんを保護してくださっているとは知らずに……」


 保護、か。よく使う言葉だが、今はなんとも大仰な言葉に聞こえるな。


「ささ、お三方、どうぞこちらへ」

「あ、ところでさあ――」

「何でしょう、摩耶姉?」

「あたいらが来た目的、って知ってる?」

「へ?」


 周囲の不良たちが、一斉に目をパチクリさせる。

 おいおい摩耶、こいつらに連絡入れてなかったのかよ。


「あー、えっと、あたいと美耶が使ってた武器を引き渡してほしいんだ。どっちも特注品だし」

「りょ、了解っす! ではお三方、こちらへ――」


 と言いかけた不良の声は、しかし彼の背後から聞こえてきた大音声に掻き消されてしまった。


「おーおー! 摩耶に美耶じゃないか! 大丈夫か? 怪我は? 腹減ってないか?」

「あっ、サワ兄!」


 摩耶の目がぱっと見開かれた。彼女の視線の先には、不良の背後に立っている影がある。

 ビルの陰から出てきた人物。それは、恰幅が良くて頑強な手足を有する大男だった。

 といっても、周囲に圧力をかけるような感じは受けない。それはひとえに、その人物が穏やかな笑みを浮かべているからだろう。歳の頃は三十代中盤、といったところか。


 これなら確かに、摩耶が安堵して目を輝かせるのも無理はない。


 だが、それよりも俺が驚いたのは美耶のリアクションである。とててて、と小走りで大男に走り寄り、彼の着ているアロハシャツにしがみついたのだ。


「おーおー、美耶! 寂しかったか? 俺もだよ。どこ行ってたんだ?」

「聞いてくれよサワ兄! こいつが――朔柊也って言うんだけど、あたいたちを助けてくれたんだ」

「おーおー! それはまた大層なことだ! 柊也くんとやら、よければ少し二人で話せるかい?」

「は、はいぃ?」

「ようし、他の皆は周辺の警戒監視に戻れ! 武器調達班は、摩耶と美耶の武器の確認を!」


 すると、皆が一致団結して、応! と答えた。

 この団結力、不良が持ち合わせているのって凄く違和感があるな……。


 と、いうことを、俺は危うく口にしかけた。ここは飽くまでも彼らのシマ、いわば優勢な空間だ。俺も自分の身を弁えなければ。


「さあ、柊也くん。日陰に入るといい。ついて来てくれ」


 俺は棒になったような足を動かし、サワ兄とやらについて行った。


         ※


 細い街路を行く。サワ兄と呼ばれた人物の肩越しに、何があるのか覗き込もうと試みる。

 が、それはできなかった。サワ兄の図体があまりにもデカかったからだ。

 こんな大男が自由に歩き回れるなんて、ここの通りの構造は実に摩訶不思議である。


 俺に背を向けたまま、サワ兄は語り出した。


「ウチは澤村吉右衛門。長いから気楽にサワ兄、とでも呼んでくれ」

「は、はあ」

「おっと、着いたぞ。ウチの部屋だ」


 サワ兄の中途半端な関西弁を聞きつつ、俺は彼に続いて雑居ビルの裏口から入室した。


「いやー、散らかっててすまんな」

「ああ、お気になさらず。失礼します……」

「ま、適当に座ってくれや」


 サワ兄の部屋もまた、月野姉妹の部屋のように清潔だった。わきにベッド、中央に丸いテーブルとパイプ椅子が二脚。床も壁も天井(サワ兄の身長なら手が届きそうだ)も、つい昨日引っ越してきたと言われても遜色ないくらい。

 一つだけ言わせてもらえば、あちこちにビールの空き缶が散らばっているのがなんだかな、というくらいか。


「何飲む? 柊也くん」

「あっ、一応ノンアルで……」

「オーライ」


 サワ兄は、自分の前に缶ビールを、俺の前にノンアルのロゴの入ったカシスオレンジの缶を置いた。


「いやはや、四割は持っていかれたなあ」

「何が、です?」

「ん? ああ、この前のガサ入れでな、ここに居住している連中が警察にしょっぴかれちまった」

「すみません、そうだったんすね」

「ん……。まあ、こんな日が来るとは思ってたけどな。さ、遠慮なく」

「い、いただきます」


 プルタブを空け、俺とサワ兄は軽く乾杯をした。

 ごくごくという音と共に、勢いよく上下するサワ兄の喉仏。俺はそれを見ながら、チビチビとカシスオレンジを喉に流し込む。


「ん。やっぱり冷蔵庫があると便利だな。ところで柊也くん、君はあのガサ入れの最中、月野姉妹を守り、匿ってくれた。心から礼を言わせてもらう」

「いっ、いえ! そんな大したことは……」

「だからこそ、今日君が来てくれてよかったと思っている。ウチがこのあたりの不良連中の元締めみたいなもんだからな。君の質問にいくらでも答えられるってことだ」


 軽く身を乗り出してきたサワ兄。俺はその邪気のない顔をじっと見つめた。


「じゃあ、早速なんですけど。月野姉妹がここに来たのって、どのくらい前なんですか?」

「そうだな、今年に入ってからだから、半年はここで生活していたことになるな。あれは随分と冷え込んだ日の夜のことでね。このあたりには珍しく雪が降ってた」


 こうして、ゆっくりとサワ兄こと澤村吉右衛門による過去語りが始まった。

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