多分だけど、屋上にいる

缶詰パスタ

見ちゃ駄目、多分ね

 アスファルトがかすかに熱を帯びる9月初旬。学生たちは熱を帯びるどころか浮かされていた。その理由は明確。鬱憤を抱えた学生たちの一年に一度の晴れ舞台。そう、文化祭である。


 中高一貫校の文化祭に行ったのは初めてだった。母親には志望校決めの参考にしろと言われていたが、図書館が狭いと聞いた時点で特に期待はしていない。


 周りを見ると祭りに浮かれた在校生同士、ポーズを取って自撮りをしていた。ウキウキと今にも踊り出しそうな空気、青春の煌めきに耐えられず、クラス企画の呼び込みから逃げ出すように、僕こと片上奏かたがみそうは階段を駆け上がった。


 誤解しないでほしいのだが、浮かれた空気が嫌いなわけではない。ただ辛いのだ。笑うことを強要されるような空気が。クラスのみんなが先生のとっておきのギャグで笑っているのに、ギャグ自体を聞き逃してしまった時のような疎外感。集団に属していない事を実感させられるのは息が詰まるほど苦しい。


 肩でぜえぜえ息をしながら目にしたのは、立ち入り禁止と書かれた紙が貼ってあるカラーコーンだった。


 文化祭だから、というより以前から使われていない様相を、古びた立入禁止と書かれた紙が示している。


 そこから先の階段は明らかに薄汚れており、踊り場には不要となったであろう机と椅子が数個、階段の踊り場に並んでいた。


 踊り場の窓から見える曇り空は、照明もついてない階段の雰囲気と合いまってよく映えた。


 少し休憩したらトイレに籠って早押しクイズでもするか……と思い、カラーコーンからきびすを返す。その瞬間。


 階段に僅かに積もっている埃。それが靴の形で拭い取られていたのに気づく。靴の形は階段の踊り場まで続いていた。


 屋上には人がいる。立入禁止であるのにもかかわらず。


 文化祭を屋上で過ごしている物好きがいる。こんな自分と同じ人間との出会いを予感させながら、僕は物好きへの仲間入りを果たすため、新たな足跡を残すことを決めた。


 僕は人見知りだったが、それ以上に仲間に飢えていた。そして、同種に対しての興味を止めることができない孤独な一人の人間だった。ただ、それだけのことなんだろう。


 

 屋上のドアは当然のように閉まっていた。ドアノブをガチャガチャと回し、扉を四回ノックする。二回のノックはトイレでの不在確認になってしまうので厳禁である。


 しばらく待つが返事はない。あの足跡は不良が休憩時間にタバコを吸った跡なのかもしれない。壁に刻まれた大量の根性焼きの痕を見ながら思った。


 少し気落ちしながら、やっぱり早押しクイズをしようとスマホを取り出したその時。


「合言葉は?」


 心底意地の悪そうな、なおかつ己の愉快さを隠しきれていない声を聞いた。


「あ……」


 合言葉が必要な理由……タバコの休憩所?180度反転しようとした瞬間、


「ウソだよ。鍵開けたからご自由にどうぞ」


 無意味な嘘に少しイラつく。もう帰ってしまおうか。そんな意思とは裏腹に、手はドアノブを回した。


「失礼します」


 ドアはぎいと重い音を出して開いた。


 むわっとした蒸した空気が身体に染み込む。そこには殺風景が広がっていた。


 薄汚れた大量の大型室外機にどんよりとした曇り空。


「屋上出張文芸部へようこそ。歓迎するよ。柿の種は好きかい?」


 室外機と室外機の通路、影になっている部分から声がした。恐る恐る屋上の入口から歩みを進める。


 中性的な声の持ち主だったが、どうやら女の人らしい。


 高校の制服を着ている黒髪を肩まで伸ばした女だった。


 表紙と裏表紙を上にして、読んでいたであろう本を室外機の上に置く。彼女も文芸部の他に漏れず本好きらしい。「恐怖!ホントにあった!?こわ~い話47選」と書かれている。


 室外機の裏は生活感に溢れていた。置いてある机の上には大量の原稿用紙が白紙で積んであり、その横には徳用柿の種が無雑作に置かれていた。


 彼女は自分が座っていた椅子を突き出し、


 「椅子もあるから座りなよ。食うかい?柿の種」


 「柿アレルギーなんで」


 適当に受け流しながら椅子に腰掛ける。


 それと入れ替わるように彼女は室外機の上に腰を降ろした。椅子は1つしかないようだ。


「椅子、取ってきますか?」


「ここも案外座り心地は悪くないよ」


 階段の踊り場に無造作に置かれていた椅子の未来を憂う。彼らが椅子として活用される日は来るのだろうか。


 軽音部のギターが潮騒のようにうっすらと耳を撫ではじめる。同時に、大勢の歓声が微かに空気を震わせた。


「文化祭は学生にとっての晴れ舞台。残念だけど、私には舞台の役者どころか観客になる資格すらないらしい。君もそうだろ?文化祭にまで来てこんなところにいるんだから」


 少し遠く、具体的には体育館の方向を見ながら彼女は僕に向かってそう言った。


 そしてようやく、僕の方へと向き直る。


「名前を聞いてなかったね。私は尾刈おかりという者だ。君は?」


片上奏かたがみそうです……。貴方は……尾刈さんはここで、何をしてるんですか?」


「片上君、もしかして耳が悪いね?もう一度言うよ、ここは文芸部だ」


「いや、パンフレットには書いてなかったので…」


「ん?そりゃそうだよ。非公認だからね。ちなみにここも不法占拠。尾刈おかりだけにお借りしてまーす。なんてね」


「ええ……」


「今日は特別な日。文化祭だろ?だから秘密裏に待ってるのさ。君のような訳アリの子がここに来るのを」


「パンフレットにも何も書いてないんですよ?人が来るわけないじゃないですか」


「でも君は来た。そうだろ?わざわざ置いてある立入禁止のカラーコーンを超えて」


 言い返せない。僕という前例がいる以上、反論はすべて無駄となる。


「どうやら僕が初めてのお客さんみたいですね」


「そうだね。でも、性質上仕方ないんだ。去年は誰も来なかったし」


「文芸部といっても作品の頒布もしてないようですが」


 僕がそう聞くと彼女はニタァと微笑んだ。


「お、それ聞いちゃう?私はもうちょっと 片上君との雑談、楽しみたいんだけど」


「はあ」


「なんだ、反応悪いね。私みたいな美人と雑談できるチャンスは滅多にないぞ」


「意味のない会話は苦手でして。文芸部はここで何をしてるんですか」


 彼女は溜息を吐きながら頭を軽く横に振る。


 「聞いて、書く。それだけだよ。文化祭特別仕様さ。君の不思議な体験、怖い夢、奇妙な出来事。不明瞭な言葉でいい。それを語ってくれたら、私がそれを世にも素晴らしい小説に仕立て上げるというわけだ」 


「不思議な体験、ですか」


「もちろんだよ。わざわざ屋上まで上がりに来る人間が不思議な話を持っていない訳が無い。例年そうなんだ。」


「根拠はあるんですか」


「理由その1、文化祭まで来て1人になりたがる。それは稀有な才能だよ。自ら人と関わりに来ておいて孤独を選ぶ。そんな天邪鬼は野生のハムスターより珍しい」


「珍獣扱いですか……」


 僕の小さな抗議を意に介さず彼女は続ける。


「その2、立入禁止を超えてきただろ。タブーを自分の興味で超えることができる。学校の火災報知器を鳴らすタイプだね」


 「地下鉄の非常停止ボタンも火災報知器も押したことないですよ……」


「孤独も、タブーを破ることができる心も。共に何かを呼び寄せる条件だ。君は共に当てはまっている」


 僕の話を無視して続ける。彼女の指摘は的外れもいいとこだった。だが、


「呼び寄せる、じゃないんです。地雷に気付いていながら踏んでしまう。好奇心が強い性質たちでして」


「気付いていながら止められない、か

 ……」


 白羽の矢は僕に立っていた。何百人もの人が出入りする文化祭。その中の一人。


 僕だけが例外だった。奇妙な体験をした、という意味で。


 「好奇心は猫を殺すというが、君は逞しい猫なのかな。じゃ……早速話を聞かせてもらおう。期待してるよ、片上君」


 そう言いながら、彼女は原稿用紙を机から膝の上へと移動させた。


「尾刈さんの期待に沿えられるような物かはわかりませんが……」


「………家族と旅行に行った時の話です」




 〇〇〇〇〇




 えっと、三年前の夏、家族と北海道に行ったんです。当時僕は山登りにハマってて。まあハマってるって言ってもその頃はまだ小学四年生ですから、アルプスみたいな、重装備が必要な登山は厳しかったんです。ともかく、山に登りたかったんです。


 日がのぼってからまもなくして父と僕は二人でレンタカーに乗って山登りへ。母は旅館でのんびり過ごしてました。身体動かすのが得意じゃない人ですから。


 父は無計画な人でした。山なんて登れればいいって思ってる人で。その時ももともと登る予定じゃなかった別の山に登ることになったんです。高速道路を間違って降りた、とか言ってました。山なんてそこら中にあるじゃないか、とか言って笑ってましたね。それでまあ、登ることになったんです。


 いい感じに登れそうな山、といっても舗装はほとんどされてない山だったと思います。落ち葉は踏み固められてて、獣道と登山道の中間くらいの不安定さでした。


 今思い返すとなんで登ったのか、本当に意味がわかりませんね。


 それでも、その山に強く惹かれたのは覚えています。そこに山があるから。そんな事を言った登山家の名前は忘れちゃいましたが……。ともかく、この山に登ろうって決めました。


 それから2.3時間経った頃でしょうか。突然開けた場所に出たんです。


 崩れかけの木造の家と荒れ果てた棚田が10にも満たないくらいあったんです。


 そう、廃村です。


 父も僕も、探検家気分で大興奮ですよ。登山の疲れも吹き飛ぶくらい。そこだけ江戸時代とかで時間が止まっているようでした。鉄でできたものは錆びついた鍬くらいで。電柱やテレビなんていう文明の利器は何一つありませんでした。


 父はちょうどカメラを持っていたのでパシャパシャ撮ってましたね。


 まあ、廃村といっても寂れたただの廃墟なので。30分もすると物珍しさは消え失せ、いい時間なこともあって、お昼ごはんを食べてから山登りを再開することにしました。


 一番景色のいいところでご飯を食べようって事で、村の入口へ戻っている途中、入口からは死角となる村の端、地層がむき出しになっている断崖を背にポツンと立つ祠を2つ見つけたんです。


 どうせだし参拝しようという話になって、父と僕は祠へと歩みを向けました。


 祠は高さ1メートルほどの一般的なものでした。祠は5メートルほどの距離を開けて、まるで鳥居の前の狛犬のように2つ立っていました。


 今考えると、北海道という地に祠があること自体、少しおかしいことですよね。祠は神道の物で、北海道は神道とは長らく無縁でしたから。


 あるとすれば、それはアイヌの信仰対象であるはずなのに。


 ちょうどこの場にいるのは二人。お互い一つずつ祠にお辞儀をして、手を合わせました。


 その瞬間。


 目の前に道が現れました。


 道、といっても先ほどの山道のような物ではなく、直線上に樹や岩などの障害物が何もなかったからそう認識せざるを得なかったってだけで、似て非なる物でした。


 道は坂道になっていて、しばらく登れば頂上に着く事がわかりました。


 断崖が消え、道が現れる。この事実に驚いて、辺りを見渡すと景色も雑草だらけの棚田から、大自然の中の樹海へと。二つの祠だけが変わらずそびえ立っていました。


 そしてなにより重要な点ですが、僕たちは「坂道のその先へ行かねばならない」という強迫観念に襲われていたんです。


 僕と父は言葉を交わすことはありませんでした。お互いわかっていたんだと思います。


 僕たちは走らず、ゆっくりと厳かに、並んでペースを乱さずに坂道を登りました。

 



 しばらく登った後、また開けた場所へと出ました。


 そこは一面甘ったるい匂いでつつまれたピンクの花で覆われた花畑、その先に豪勢な、それでいて不吉な雰囲気の御殿があったのです。


 僕たちは花畑を通り、御殿へと向かいました。


 御殿は……そうですね。無理矢理例えるなら、モノクロになった日光東照宮を想像してください。それを2倍大きくしてチグハグな色彩配置にすれば近くなると思います。


 花畑を抜け、御殿の前の石畳の中央部分に足を踏み入れた瞬間、僕らは見えない力に突き動かされて土下座の姿勢をとっていました。


 土下座をする瞬間、御殿の中が眼に入りました。一瞬ですけどよく覚えています。巨大な蛇がとぐろを巻いて眠っているように見えました。


 どれくらいの時間が経ったでしょう。しばらくすると、僕らは息もたえだえに立ち上がりました。


 僕はもう、一刻も早くこの不気味な場所から逃げ出したくてたまりませんでした。父と目が合い理解しました。父もこの空間に心底怯えているのだと。


 そうして二つの祠がある場所へ戻ろうと御殿から完全に背を向けました。そして石畳から一歩踏み出した瞬間。「道のその先」を目指した強迫観念とは別の感情が心を支配しました。


 それは本能による警鐘。圧倒的な恐怖です。


「振り返るな」


 今、後ろを振り返り御殿を見れば確実に死ぬ。意志のない殺意に身体がすくみました。鳥肌が身体中を覆ってたと思います。


 そして、もう一度身体が全力で警鐘を鳴らしました。


「ここから逃げろ」

 

 いつの間にか、身体を覆っていた甘ったるい花の匂いは消え、どろどろに腐った吐き気を催す臭いへと変化していました。身体はびっくりするほどスムーズに動き始めました。


 そうして僕らは花畑を乗り越え、一直線に二つの祠まで駆け抜けました。


 祠までたどり着いたと思った瞬間、僕らは山の入口に出発前と同じ格好をして立っていました。


 僕と父は言葉も交わさず、レンタカーに乗って旅館へと戻りました。


 青い顔をして帰ってきた僕らに、母は


 「早かったね〜。まだお昼前なのに」


 と、首をかしげて言いました。


 母がつめてくれた僕らのお弁当箱には、黒いヘドロのようなものが詰まっており、母が握ってくれたおにぎりは影も形もなくなっていました。


 それと、父が撮ったはずの廃村の写真は全てデータが破損していて、復元は不可能とのことでした。


 たまにあれは夢だったんじゃないかと思うこともあるんです。でもあの時の恐怖はあまりに鮮明で。ヘドロや写真などの例もありますし、あの祠は。あの御殿は。果たしてなんだったんでしょうね。


 僕の不思議な話はこれで終わりです。




 〇〇〇〇〇

 



「まあ、そんな感じで。オチはないんです。これは怖い話でも、起きた事件でもなくて。ただ、僕が体験した少し不思議な話ですから」


「片上君、いい話を聞かせてもらったよ。ありがとう」


 彼女はシャーペンを走らせながらそう言った。というか、僕の話の最中、時折筆を止めながらも、ずっと原稿用紙に物語を紡ぎ続けていた。


「ボイスレコーダーを用意すればよかったです。気が利かなくてすいません」


「いいんだ、記憶力は良いし、都合があれば君の話に手を加えるからね。あぁ。言い忘れてたよ。僕は文芸部で、一人の書き手だ。古事記の語り手、稗田阿礼のように全てを保存するのは僕の役目じゃない。少し脚色するけど、許してくれるよね」


「いいですよ。面白ければ」


「では、大手を広げて待っていてくれ。一時間。それまでに清書して君に渡そう」


 それから彼女はカリカリと原稿用紙に向かっていた。


 邪魔するのも悪い。そう思って屋上から立ち去ることにした。


 ◯


 約束の時間が来た。僕は階段を駆け上がり、立入禁止のカラーコーンを乗り越えようとした。その時。


 カラーコーンの斜め後ろ、階段の一段目に原稿用紙の束が置かれていたのに気づいた。


 原稿用紙を拾い上げると大量の埃が舞う。


 僕は埃アレルギーだった。くしゃみをすればするほど埃が宙を舞う。まさしく悪循環。


 怒りと共に原稿用紙を階段へと投げ捨てようとしたが、それによって大量の埃が宙を舞うことになるのは火を見るよりも明らかだった。

 

 落ち着く場所に移動し、原稿用紙に目を落とす事にした。


 彼女が書いた小説は素晴らしい物だった。ホラー小説家として大成すれば良い。そう思った。だが、小説の終わり、あとがきにはこんなことが記されていた。



 〇〇〇〇〇



 片上くん、面白い話を聞かせてくれてありがとう。そしてここまで読んでくれた事に感謝を。私の文章に感動して打ち震え、語彙が足りなくなっている事だろう。


 さて、君の話の構成的に、不思議な話は不思議のまま終わらせるのが筋だと思ってね。謎は謎のままで終わらせたよ。


 でもここは物語の外。あとがきだ。だからこそ、君の話を聞いて思いついた妄想を君に読んでもらいたい。


 私は文芸部だ。探偵部などという推理小説好きサークルの一員では断じてない。が、君の知的好奇心の為にここに記しておく。



 「見るな」のタブーという言葉を知っているかい?「見てはいけない」と禁を課せられていたにも拘らず、禁を破ってしまう事で起こる悲劇の事だ。悲劇が起こるからタブーと呼ばれているのかもしれないね。


 具体的な例を言うと、イザナミの朽ちた姿を見て黄泉比良坂よもつひらさかから逃げ帰ることになったイザナギ。妻を生き返らせる為、ハデスと「冥界から出るまで振り返ってはいけない」という取引をしたオルフェウス。


 君の事例はこれらとよく似ている。共通する点は、「見てはいけない」と「死後の世界」だ。

 そして「見るな」のタブーから理解できる事。それは、超常のモノであっても理屈や法則に支配されている。ということだ。


 というか、そうでなければ人の手に負えない。そういう理不尽な怪異の話も私の好みではあるのだが……。


 話が逸れたね。君がこの不思議な体験で得た謎を整理しよう。


 あの場所は一体どこなのか。北海道に祠があった理由とは。祠、御殿に何が祀られていたのか。なぜ土下座をさせられたのか。


 一つずつ、紐解いていくとしよう。


 樹海、坂道、花畑、そして御殿。


 そこは黄泉国よもつくにだろう。だが、伝承によって伝えられてる姿とは明らかに違っている。黄泉と似通っている部分があるのにもかかわらず、全てが逆なんだ。理由は後ほど説明するが、君の行った場所は便宜上、逆黄泉国さかよもつくにと呼ぶことにする。


 黄泉国よもつくにには出入り口が存在する、それは黄泉比良坂よもつひらさか。古来から、生と死をわかつ境界線は坂と言われてるんだ。下り坂に対して登り坂があるから逆黄泉国さかよもつくにとは、我ながらなかなか洒落てる。そう思われないか?


 ただ、黄泉比良坂よもつひらさかは下り坂なんだ。上り坂じゃあない。当然だろ?黄泉は地下にある。


 死者は土に還る。これは古来からの法則だからね。


 ついでに黄泉は「根の国」とも言われている。根も地下にあるだろ?


 黄泉の国に限らず、冥界は基本的に地下にある。死や、それに類する穢を地面に封じ込めるからね。封じ込めるから地下なのか、地下に「ある」から封じ込めるのかは、わからないけど。


 書き忘れていたが、私は人の文化や社会が実体を持つ神話を作り出していると定義している。神は人の妄想という名の願いから産まれたものだ。どっちにしろ、神と人は密接にかかわりあっている。


 閑話休題。黄泉比良坂よもつひらさかは下り坂で、君が行った場所は上り坂だ。それだけ覚えておいてくれ。


 そして周りを取り囲む樹海はここが、「根の国」であることの象徴だろう。根があるのなら、枝葉は存在するからね。ただ、見えているのが根ではなく、樹そのものである理由こそ、逆黄泉国であることの証明だろう。


 樹海は電波や磁針を狂わせる。本来はここから逃さない、という場所自体の意思だったのかもしれないな。君たちが帰ってきたおかげで真相はわからずじまいだが。


 ピンク色の花畑、おそらく桃の花だ。だが、桃は木になる花だから花畑にはなりようがない。そして、甘ったるい匂いと言っていたが、桃の花は匂いもキツくない。


 それと、そもそも桃は神聖な物だ。穢の代表格のような黄泉の大本丸、御殿の周りに生えているはずがない。古事記でも、桃は黄泉国の外れに生えていたからね。


 最後に、桃という言葉は逆から読んでも桃だ。黄泉国よもつくに逆黄泉国さかよもつくに、どちらに生えていてもおかしくはないだろう?


 そして御殿。古事記には御殿に関する記述がほとんど残っていない。私が知らないだけかもしれないがね。話の聞くところによると普通の御殿のようだから、逆黄泉国さかよもつくにに建てられた御殿と言ったところだろう。


 建造物は世界の法則に属さない。つまり、逆黄泉国さかよもつくにが創造された後に建てられた物だと言える。


 そもそも逆黄泉国さかよもつくに黄泉国よもつくにの本当に逆であれば、命溢れんばかりの国、つまり我々が生きるこの世界こそが逆黄泉国さかよもつくにというべきだ。そこら辺もおかしなところだよね。


 さて、次の謎はなぜ北海道になぜ祠があるのか、だ。一応言っておくと、北海道にも神社は存在する。明治時代に開拓使が作った物だから歴史は浅いけどね。


 だが、そんな山奥に開拓使がわざわざ行くメリットは存在しない。


 つまり、その前から住んでいた人々だ。だがアイヌでは断じてない。アイヌの宗教は神道とは無縁だからね。


 日本から蝦夷へと逃げ渡った人たちが集落を作り、やがて滅びた。追手から身を隠すために山奥に住む事を選んだのだろう。彼らはこれまで持っていた信仰を捨てられず祠を立てた。


 問題なのは、彼らが信仰していたものが一般的な神道ではなく、蛇神信仰だったということだ。


 蛇は日本で古来から、その姿が男根を連想させる事から生と死の神として知られている事は知ってるかい?ネズミを食べることから、田を守る神としても崇められていたんだ。その行きつく先は八岐大蛇ヤマタノオロチだ。


 八岐大蛇ヤマタノオロチは酒と女を好むというのは有名な話だ。酒は米から作られた物だし、女と男根は組み合わせがいいからね。


 それが逆黄泉国さかよもつくにで祀られていた蛇の正体だ。流石に八岐大蛇ヤマタノオロチそのものではないと思うが、それに類するものだろう。


 最後に、なぜ蛇は君たちを土下座させたのか、だ。怪異にもルールがある、というのが原則だとすれば、土下座という行為にも意味がある。


 まず考えてほしい。君は土下座をどんな時にする?そう、謝る時と頼む時だ。今回の場合は前者だろう。だって君たちはここに住む者ではないだろう?頼むことなど何もないはずだ。


 では、蛇への謝罪。それは何か。ルールを破る、タブーを犯す。それについての謝罪。

 村での君たちの行動を振り返ってみよう。もしかして、土足で荒れ果てた田んぼを踏みつけたりしなかったかい?


 それが田の守り神である蛇を怒らせたというのは十分に考えられる。


 話は変わるが、「タブー」について少し説明しよう。タブーはルールよりもほんの少し原始的だ。だが、その本質は変わらない。双方ともに、人間社会で生き延びるためには必須な事だ。


 古代は現代よりもずっと「死」に近い時代だったからね。タブーを守らなきゃみんな死んでしまってたんだ。


 古代人にとって、死や雷など現実世界に理解不能の超常現象がたくさんあることは耐えられない事だったのかも。未知への恐れから、未知の物には近づかない為にいろんなタブーができた。そして、未知に形を与えることである程度コントロールしようとした。それが神の正体だ。


 そのタブーをもっと人間社会に適応したらみんな便利に過ごせるんじゃないか。そう考えた人がルールを作った。今はそれが主流だ。タブーは神の物、ルールは人の物という訳。


 それを踏まえて考えると、田んぼを踏んだだけで神が絡んでくるっていうのは本来おかしなことなんだ。どちらかというとルールに近い領域の話だからね。


 つまり、集落に住む人々は蛇と契約してルールをタブーに書き換えたということだ。そうすればすべての辻褄が合う。


 田んぼを踏んだ君たちは、何もなければ罰を受けただろうね。だが、君たちは祠に祈りを捧げた。それがどのような心で捧げたにしろ、同じように見えたんだろうね。蛇へと拝謁を願う村人と同じように。だから許したんだ。自分の住処せかいへの訪問を。


 そこで、君たちは土下座をした。田んぼを踏み荒らした非礼を詫びるように。なんで身体が動いたかって?それは生存本能だ。神である前に蛇。獣だからね。旧石器の身体が選択したんだと思うよ、生きる為の最善の選択を。


 それは帰る時も同じだ。後ろを振り向いてはならない。この場にいたくない。両方本能だ。動物と眼を合わせちゃいけないっていうだろ?見つめるっていうのは敵視の現れだ。振り返ったら目が合うからね。


 それと、神はすべからく知られる事を恐れるんだ。未知への恐怖は信仰の力へと変化するからね。「見る」事は「知る」事と同じだ。恐怖を力とする神にとっては不都合になる。


 君たちはダブルで危険だったんだ。よく助かったと思うよ。


 そして、カメラのデータ破損とおにぎりが黒いヘドロになっていた謎だが、カメラはさっき説明した神のせいだよ。学者に写真でも見せられたら困ると思ったんだろう。


 あと、くろいヘドロの件だが……多分糞だよ。蛇の糞。田んぼを踏み荒らしたのに土下座だけで済むと思ったのかい?捧げものである米を喰らい、糞として残したんじゃないかな。多分。そこらは妄想の域に近くなってしまうけれど。


 じゃあ、最後の謎だ。なぜ逆黄泉国さかよもつくにに蛇は住んでいるのか。一般的な黄泉国よもつくには、蛇、百足、蜂が巣食う場所とされている。その中の一匹がたまたま地上へと逃げ出し、人の信仰を受け育ったと考える以外にないよね。元を知らないとあべこべに作れるはずないんだし。


 全てを黄泉国よもつくにとあべこべに住処せかいを創ったのは、黄泉国よもつくにに心底嫌気が差していたからだろうね。


 これにて謎解きは終幕。私の話した事を突拍子もないと笑ってくれたら幸いだ。なぜなら私とて書き手の端くれ。私の綴った文章が人を笑わせられたのであれば、これに勝る歓びはないからね。作家冥利に尽きるというものだ。


 片上君、ここまで読んでくれた君に、改めて感謝を。



 〇〇〇〇〇

 


 全てを読み終えた僕は晴れ晴れとした気持ちで屋上へと向かった。


 薄暗い踊り場を越え、屋上へと続くドアを4回ノックした。


 今度は「合言葉は?」などというふざけたセリフは聞こえず、ただ無言の時間が流れた。


 ドアに向かって、試しに


「面白かったです!」


 そう叫んだ。


 くっくっくっと笑い声が聞こえた。やはり居留守だ。意地の悪い人だと思う。


 ドアが開かれることはなかったので、もう一度「ありがとう!」と叫び、階段を降りた。


 階段を降りた先には、屋上の静寂が懐かしくなるほどの喧騒で溢れていた。クラス企画への勧誘、楽しげな笑い声。


 長年の疑問が解決したからだろうか。素直に楽しい。今だけはこのお祭り騒ぎも好ましく感じられた。


 そろそろ帰ろう、そう思って出口へ向かって歩いていた時、双子とすれ違った。


 「ここの学校、文芸部はないらしいよ」


 「えーっ?そうなの?そりゃ残念だけど、無いなら仕方ないよね」


 いつもならこんなことはしないのだが、今日は本当に気分が良い。僕は振り返って、双子に話しかけた。


「もしかして、文芸部を探してる?」

「え、」

「はい。そうですけど?」



 僕は満面の笑みを浮かべてこう言った。



多分タブーだけど、屋上にいる」



 おわり

 



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