第9話 最終話 憧れにはまだ届かないけど


 「旦那様、あの……最近休みが多くないですか? 本当にお仕事は大丈夫なのでしょうか?」


 「あぁ、そっちは問題ない。私のサボりもバレたが、特にお咎めは無かった。少しばかり仕事内容は変わりそうだが」


 「物凄く不安になるお言葉の数々、本当にありがとうございます」


 少々冷や汗を流してしまいそうになる台詞を頂きながらも、私達は並んで庭の木陰で本を読んでいた。

 良い大人同士が休日に何をと言われてしまうかも知れないが、旦那様は特に不満はなさそうで。

 二人揃って新しい本に目を通している……筈だったのだが。


 「今日はその……天気が良いですね」


 「あぁ、だが過信するなよ? 最近の天気は崩れやすい、前の様に急に嵐になる可能性だってあるからな」


 「嫌な事を思い出させないで下さい……」


 お互いに、あまり集中出来ていなかった。

 前の休日は並んでベッドに転がって読書しても、二人揃って物語に夢中になっていたというのに。

 今では何だか、隣に座っているだけでソワソワと落ち着きが無かった。


 「確かに心配になる思い出ではあったが、そう悪い物ではないさ。アレから従者たちは皆ヴィーナとより親しくなったように見えるし、何より皆だけではなく私の事も早く帰って来てほしいと願ってくれたのだろう? “ヴィーナロード”が出来た意味は大いにあったというモノ――」


 「その名前をもう一度口にしたら、しばらく口をききません。多分、一時間くらい」


 「すまなかった」


 あの時私が駄目にしてしまった絨毯。

 物凄く色落ちしてしまったし、傍から見ても質が悪いと言われてしまいそうな見た目になってしまったというのに。

 何故か皆、あの絨毯を大事に補正しているのだ。

 従者たちからは奥様が頑張った証なんて言われるし、夫は度々こうしてからかって来るというのに。

 もういっその事新品に替えて欲しいのだが、廊下に敷く絨毯は非常に長い。

 だから一本買うだけでも結構な御値段になる為、今の所再利用したままな訳だが。


 「最近皆意地悪です。何かと茶化して来たり、私に無駄遣いを促して来たりと。旦那様だってそうです、暇を見つければ買い物に誘って来るじゃないですか。あまりお金を使ってばかりではいけません」


 「私は結構稼いでいる方だと思うのだが……それでも駄目か? 宝石が欲しいと言われても、仕事帰りに買って来てやる事も出来るぞ?」


 「要りません、パーティーでもないのに宝石を身に着ける必要がありませんので。そもそも何ですか、あんな高いだけの鉱石に興味を示す意味が分かりません。確かに綺麗ですが、それは飾ってあるからこそ綺麗に映るのです。ゴテゴテと身に着けたからと言って、当人が綺麗になる訳ではありませんので。身に着けるくらいなら、私は原石のまま飾っておく方が好きです」


 「では、手を加えていない原石のまま買って来よう」


 「でーすーかーらー……要りませんってば。そんな事にお金を使うくらいなら、皆の特別給与でも増やして下さい」


 「では、俺が鉱山に赴いて掘って来るか。そうすれば高い金を払う必要が無い。いくつか掘り当てれば、皆にも大層なボーナスが出来るだろう」


 「旦那様? 冗談ですよね?」


 最近、夫がこんな事ばかり言う様になってしまった。

 しかもこういう無駄話をする度に、満足そうに笑うのだ。

 前よりもずっと近い距離で、何気ない冗談も交えながら喋れる様になったのは嬉しいけども。

 この人の場合、本当にやりそうで怖いのだ。

 騎士の名を捨てる覚悟で仕事を放り出す真似をした夫だ。

 このまま「それではお願いします」なんて言った日には、ツルハシだけ担いで遠征してしまいそう。


 「ヴィーナは、何が欲しい? もっと我儘になって良いんだぞ?」


 「そうですね……本はいつでも欲しいですが。庭師のダンさんが、道具の類が少々古くなって来たと言っていました」


 「そうか、買い換えよう。使い慣れたモノの方が良いというのなら、研ぎ直しなどの修繕出来る職人を探すか」


 「あとはメイド達が、そろそろ服を代えてほしいと言っていましたね。最近妙に暑くなってきましたから」


 「なるほど、あまり古い形式ばかり拘っても仕方ないからな。皆の意見も参考に思い切って形を変えてみるか、面白そうだ」


 「あ、そうです。アルターは最近眼鏡が合わないと言っていました! また目が悪くなったのかもと、心配している様子で。私もブルーベリーなんかを育ててはいるのですが、やはり仕事に関わって来るとそちらは早急に対処しないと……」


 「アイツめ、私には何も言わない癖に。相変わらずヴィーナにばかり弱音を溢しているんだな。分かった、すぐに職人に依頼を出そう。それは一大事だ」


 そんな会話をしながら、時間が流れていく。

 あっちはコレが足りない、こっちはアレが欲しいと言っていた等など。

 皆の言葉を思い出しながら言葉を紡げば、どんどんと時間は過ぎ去ってしまう。

 この休日だって、旦那様にとっては貴重なのだ。

 だからこそ、もっと彼の為に時間を使うべきなのだが。


 「ヴィーナは、皆の事を良く見ているな」


 「そうでもありませんよ、見ているだけで完全に理解出来ている訳ではありません」


 アハハッと困った様に笑ってみれば、彼は本を閉じてフッと柔らかい笑みを向けて来た。

 そして、私の頭に掌を置いてから。


 「それで? 結局ヴィーナの我儘は聞かせてくれないのかな? やはり君の我儘は、全て他の者へと向いている。私は、ヴィーナ自身の我儘が聞きたいんだが?」


 何だか最近、凄くグイグイ来るのだ。

 とは言え私が身を引けば距離を取ってくれるし、無理矢理近づいてくる様な事は無いのだが。

 それでも、以前よりずっと距離が近い気がする。

 物理的な意味でも、心境的な意味でも。

 だからこそ、日常の一時でもこうして顔が熱くなる訳だが。


 「それでは……その、一つだけ。よろしいでしょうか?」


 「あぁ、なんでも言ってくれ」


 ズイズイッと迫って来る旦那様は、ついに来たかとばかりにパァッと明るい表情を浮かべている。

 ひぃぃ、そんなに期待の籠った眼差しで此方を見ないで下さい。

 本当に、大した事ではないというか。

 聞けばガッカリするかもしれない内容なので……。


 「あのですね、“悪役令嬢”を目指していた私がこんな事を言うのはおかしいのかもしれないですが……」


 「ほぉ、どうした?」


 近いです、旦那様。

 お願いする前から、全力で肯定の姿勢を見せないで下さい。


 「膝枕を……してみたいです」


 「……なんだと?」


 「ですから、膝枕を。物語の最後に、男女が膝枕をして愛を語り合って終わり、という作品がありまして。何て言うか、その……良いなぁって思った事がありまして」


 思い切り視線を逸らして、自分でも分かる程顔を真っ赤にしながら。

 勇気を振り絞ってそんな事を言ってみた。

 だって私達は、家同士の繋がりとお見合いで結婚したのだ。

 恋人期間というか、そういう経験がほぼない。

 ちょっとだけ、そう言ったモノに憧れを持っていたのは否定しない。

 今までで言うなら、そんな物は夢物語だと諦めていたけども。

 それでも、今なら“もしかしたら”と思ってしまったのだ。


 「それは……どっちだ? 俺が寝転がれば良いのか? それともヴィーナが俺の膝に寝るのか?」


 「わ、私がしてみたいです! 旦那様が寝転がって下さい! あ、でも庭先では服が汚れて――」


 そう呟いた瞬間、旦那様は即座に地べたに横になった。

 それはもう、服などどうでもう良いと言わんばかりに。

 更には、お腹に力を入れているのか。

 頭だけは妙に上がった状態で待機していた。


 「凄いですね、ピクリとも動きません」


 「準備は整った。さぁ、早く」


 妙な体勢で固まっている旦那様に、思わず笑い声を上げてから。

 私の膝を彼の頭の下へと潜り込ませた。

 あれ? コレは正しいのか?

 普通は座っている膝の上に寝転がって……いや、今は難しい事を考えるのは止めよう。


 「どうぞ、頭を降ろして下さいませ」


 「では……その、なんだ。失礼する」


 身体から力を抜いた夫が、ゆっくりと私の膝の上に頭を降ろした。

 とても緊張している様だし、動きも固いが。

 それでも。


 「なんでしょう、安心するものですね。不思議な感覚です」


 「俺はその……妙に恥ずかしいが」


 「我慢して下さい、私の“我儘”ですから」


 そう言って、夫の頭を撫でてみた。

 やはり男性と言うべきか、ちょっと固い感触が返って来る。

 でも嫌な感じはしない。

 何か言葉を考える前に口元は緩み、目元は下がっていく。


 「いつも、お疲れさまです旦那様。ありがとうございます」


 「礼を言う必要無い、俺は俺の出来る事をしている。そしてヴィーナの事は、最高の妻だと思っている。だから、礼を言うのは俺の方だ」


 やけに赤い顔を浮かべる旦那様を見ながら、更に微笑みが零れた。

 本人は膝の上で、実に恥ずかしそうに顔を逸らしているが。

 いつもはこんな反応しないし、声も多少上擦っているみたい。

 本当に、不思議なモノだ。

 私は皆に迷惑を掛ける“我儘”を言った筈なのに、今では前よりもずっと皆との距離が近くなった気がする。

 それは、旦那様も含めて。

 だからこそ、ちょっとだけ悪戯心が芽生えた。

 膝の上に寝転がる彼の耳元に唇を近づけ。


 「いつも、ありがとうございます。ダッサム、私は貴方と一緒になれてよかった。大好きです」


 「っ!?」


 そう呟いた瞬間、彼は顔を真っ赤にして私を見上げて来た。

 本当に目の前にある夫の顔。

 目を見開いて、慌てた様子で汗を流している。

 これはもう、“我儘”成功と言って良いだろう。


 「旦那様のそんな顔、初めて見ました。フフッ、役得ですね? 騎士団長様をこうして見下ろせる女は、多分王妃様を除いて私しか居ません」


 悪戯を叶えてやったとばかりに、クスクスと笑ってみれば。

 彼はスッと頭を上げて、真正面から此方を見つめて来た。


 「ヴィーナ、今度は俺の我儘を言っても良いか?」


 「えぇと、その……ちょっと」


 「駄目だ、言わせてもらうぞ?」


 なんだか雄々しくなってしまった旦那様が、徐々に此方へと顔を近づけて来る。

 いや、あの。

 ここ最近では結構“あった”事だから、別に構わないんだけど。

 それでも、そういう雰囲気を出されると……ちょっと反応に困ってしまうというか。

 なんて事を思いながら顔を逸らしてみれば、頬に手を当てられて無理矢理正面に戻されてしまった。


 「俺は、お前が欲しい。だから、俺のモノにしたい」


 「その、元々私は旦那様のモノですし。ですから、それは構わないですが……今は、その……」


 「ヴィーナ、愛している」


 それだけ言って、旦那様の唇が近付いて来る。

 これはもう、身を任せるしかない。

 そう思って、全身から力を抜いた瞬間。


 「ウォォッホン! お二人共、そう言うのはせめて自室に戻ってからにして頂きませんと困ります。私が何を言いたいのか、お分かりですよね?」


 すぐ近くに、アルターが立って居た。

 私は変な悲鳴を上げてしまったし、夫の方は更に顔を真っ赤に染めていた。

 騎士なのに、従者の接近にも気が付かないとなれば色々と問題が残るだろう。

 まぁ、そういう問題ではないのかもしれないが。


 「いいですか旦那様。ここは中庭、屋敷から丸見えな場所です。しかも従者の皆は奥様を心配して目を光らせているとなれば、どうなります? 分かるでしょう? 分かりますよね? いくら朴念仁でも分かって下さい」


 物凄い圧を放つアルターに対し、夫は完全に負けてしまったらしく。

 今では身を引きながら両手を上げていた。


 「奥様もです! 何をこんな所で体を許そうとしているのですか!? 我儘は許可致しましたが、節度を守って下さいませ! 真昼間から盛らないで下さい!」


 「さ、盛るって! アルター流石にそれは言い方が……それに私もそこまでは――」


 「本当ですか? 先程の雰囲気で旦那様に押し倒されたら、ちゃんと拒否できましたか?」


 「……自信無いです」


 こちらも、両手を上げて降参した。

 全く持って彼女の言うとおりであり、視線を向けてみれば窓から此方を見ている従者たちの姿が見える。

 あぁもう、先程までのやり取りさえ見られていたとなると相当恥ずかしいが。


 「お二人の仲が良くなったのは大いに喜ばしいですが、こう……他にもあるでしょう! 旦那様が休みを貰っている間に! のんびり庭先で読書する以外にも、色々やる事が!」


 アルターが叫び声を上げながら訴えかけてくる訳だが。

 やる事、やる事ですか。

 ハッ!


 「新しい絨毯を買いに行く!」


 「大不正解です奥様! あの絨毯はそのまま使います!」


 違った様だ。

 やはり皆アレはそのまま使うつもりの様で、しょぼんと顔を下げてみれば。


 「アレか! 分かったぞアルター! 今の内に子供の名前を決めておけと言う事だな!?」


 「ちょっと惜しいけど不正解ですよ旦那様! 子供の名前を付けるなら、まずは子供が必要でしょうが!」


 そんな事を言われてしまい、思わず二人揃って顔を赤くして視線を逸らしてしまった。

 だって、まだ昼間だし。

 それに、ホラ。

 そう言うのは、あからさまにするものでは……。


 「デートの一つでもして来て下さいと言っています! 貴方達の場合には、想像しているソレ以前の問題ですよ! ホラさっさと出かける! 思う存分いちゃいちゃして来て下さいませ!」


 などと言われながら、二人揃って門の外へと放り出されてしまった。

 私達は夫婦だ。

 だからこそ、子供の話だって早いと言うことは無い筈なのだが。


 「フ、ハハッ。確かに、俺達にはまだ早いのかもしれないな」


 「フフッ、確かにそうですね。子供は愛の結晶なんて言いますから、まずは愛を育みませんと」


 互いに笑い合い、視線を合わせてみれば。

 夫は膝を折って、私に掌を向けて来た。


 「では、ヴィヴィアナ。せっかくの休日、私とデートを致しましょう。おっと、俺達の場合はこうではないか。俺の休日に付き合わせてやる、まさか誘いを断ったりはするまいな。とかか?」


 「あら、随分と物騒な事を言いますのね? ではお手並み拝見と致しましょうか、エスコートは任せても問題ありません事?」


 二人揃って、“演じて”みるのであった。

 前とは違う、柔らかい雰囲気で。

 台詞を交わした後は、お互いに笑ってしまったが。


 「行こうか、ヴィーナ」


 「何だか、妙にワクワクしてきました」


 お互いに満面の笑みを浮かべながら、今日という日を並んで過ごしていく。

 何度でも言うが、私達は夫婦だ。

 だからこそこんなのは当たり前、本来あるべき姿なのだが。

 手を繋いで歩く私達は、何だか妙に緊張しながら街へと歩を進めるのであった。

 私は今、間違いなく。

 旦那様に恋をしているのだろう。

 それがしっかりと分かるくらい、今までに無いくらい。

 この胸は高鳴っているのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

悪役に憧れた真面目夫婦は、頑張って我儘を考える。 くろぬか @kuronuka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ