死神

松本貴由

死神


・主演1名、他演者1名〜(上限なし)

 主演のみの一人舞台も可。

 役者に男女の指定なし。

・舞台上で火気使用の場合は安全に十分配慮すること。




 主演は板付き、演者たちは白い顔あて布をし客席待機す。


 夜。蝉の声。虫の声。

 主演のもつ線香花火の光だけが浮かぶ。

 主演は花道または緞帳前方でしゃがみこみ、うつむいている。

 線香花火の光が消えると同時に明転。

 薄暗い舞台中央奥には人が横たわっており、頭の位置に白い布がかけられている。

 ぷーんと高く不快な羽音。

 主演顔を上げ、ぱちんと手を叩く。


主演「(客席に語りかけ)夏は死体の季節ですねえ」

主演「巷では打ち上げ花火上から見るか下から見るかと若人たちが乳繰り合っておりますのに、あなたはどうしてこんなところにいらっしゃるのでしょう。おひとりでは危のうございますよ、昨今物騒なニュースがございますからねえ、夏の夜の怪、恐怖の首切り殺人鬼現る! ってねえ。ネーミングセンスがないと思いませんか。いや、そんなことはどうだってよろしいのです、はてさてどうしたことでしょう。あなたに見られてしまいましたねえ。夏の夜の秘めごと、あたくしのささやかなお楽しみを……さぁて、見られちまったあたくしは一体どうするのが良いでしょうねえ。変わらずお楽しみをするのがいいですねえ、ええ、そうしましょうねえ」


 主演、懐から線香花火を取り出す。

 点火。


主演「うつくしいですねえ。そちらこそどうしてこんなところで、ですって? これは耳の痛いご質問ですねえ。いい年した大人がひとりでこんな、想像しただけでも絵面が寂しくってしようがないでしょう。あたくし爪弾き者なんです、お邪魔ですからこうして、だれもいないところへと逃げ込んでいるわけです。ここはいいですよ。死体しかありませんからねえ。(花火が消える)あっ。それにしても音もなく忍び寄るなんて、あなたまるで幽霊のようですねえ。ご気分悪くされましたか、そうですか。悪いついでに、ほらあなたの右の靴の下。踏んでおりますよ。蚯蚓みみず

主演「きょうは夕立がありましたから出てきたんでしょうねえ。どうせろくに這いずらないうちに踏み潰されるか天日干しかの二択でしょうに。虫けらは脳みそも臓物もろくすっぽありませんから後先考えろだなんてのは酷な話でしょうねえ。それはなにがはみ出ているのでしょうかねえ、まるで焼く前の豚のコブクロのようですねえ。あっ、あなたの左の靴のそばには蝉が裏返っておりますねえ。あちらにも、あらっ、あちらにも。(手にとって)なんと、羽が光っておりますよ、油蝉アブラゼミではないのですねえ。ハア、死んでおります。ときにあなた、なせ蝉は殺さないのでしょう?」


 ぷーんと不快な羽音が飛び交っている。


主演「だってあれは同じ羽虫なのに目の敵でしょう、あなた。あれですよ、あれ。あたくしの言っているのはあれです、夏になるとよぉく見かける、どこからともなく現れるあの黒くて扁平でかさかさ動く、名前を言うのも憚られるそう、油虫ごきぶりです。ね。それも不慮の事故ではございません、明確な確固たる意志をもって。ちらとでも視界に入ればその瞬間あなたは新聞紙を丸めて振りかぶっているのです。そうしようと思う前にそうしているのです。なぜでしょう、彼らが一体何をしたというのでしょう。蝉のようにけたたましく叫ぶことも尿を撒き散らしながら飛びすさぶこともなく、また人間さまを捕食するわけでもない、だのにあなたときたら鬼の形相で『気持ち悪い』だなんて」


 主演、ぱちんと手を叩く。


主演「今、今です、あなた、なにを思いましたか? ぷーんときこえたから反射的に叩く、あるいはあなたの白々しい腕や足に痒みを覚えたならそこに決意が宿るはずです。人さまの血をたらふく吸いやがったその土手っ腹、叩き潰して成敗してくれるとね。蛇足を申し上げますとねえ、血を吸うのは一匹残らず雌なんですよ。我が子を生み育てるため一生懸命なんです、それがなぜ迫害されなければならないのでしょう、生きる糧がたまたま人の血だっただけ、すべての命は母から生まれるというのに! こんな話をきいたところであなたが手を止めることはございません、そうでしょう? あたくしもかわいそうだなんて思いませんよ、虫ごときに母もへちまもございませんものねえ。向日葵が太陽を向き入道雲は雷雨を連れてくる、理由なんかございませんでしょう、そういうものです。蚊も油虫もそういうものなのです。夏は死体の季節です。そこらじゅうに死が溢れております。ええ、あなたはこれと定めたものを血眼で追い回し、潰れた死体を眺めながら息の根を止めたことを確認して安堵するのです。それでいて足元に転がっている蝉をあなたは爽やかに無視します。恐怖も哀悼も風情もありゃしません、あなたにとってそれは一面の向日葵畑や川水に浮かべた西瓜の玉や俄雨にやられて湿ったアスファルトなんかと同じ夏の景色の一部にすぎないのですから、それは紛れもなく死体だというのに! 無意識に意識する死と、そこかしこにあるのに意識しない死。命は平等と小学校で習いましたでしょう? 区別があるのはおかしいじゃあありませんか。あなたは差別主義者でしょうか、いえそうではない、ではいったいなぜ? そのわけをお話しましょう、ええ。蝉は勝手に死ぬからですよ。蝉がなぜやかましく鳴くのか、あれは断末魔なんです。人も蚊も蝉も油虫もすべては死ぬべくして生まれます。ですが蝉だけは夏に死ぬべきと決まっているのです。だからあなたは気にも留めないのでございますよ。それはあなたが決めたことではないのですから」


 主演は線香花火をたしなみ続ける。


主演「“死神”という落語がございますねえ。ちょうどこんな蒸し暑い夜、こんなちいさな火の光が似合いのお題目ですねえ」


 話のあいまに演者ひとりずつ客席よりステージに歩み出て、折り重なるように横たわっていく。


主演「――昔々あるところに、できが悪く人生に絶望している男がおりました。あるとき男の前に死神が現れてこう言います。病人の近くに死神が座っているのを見ると良い。そいつが足元にいるならば、呪文を唱えて追っ払って治すことができる。しかし枕元に座っているなら、おかわいそうだが寿命だよ、と。男は死神の話を信じて医者を始めた。患者の足元にいる死神に呪文を唱えます、アブラカタブラ。するとどうだ、死神のやろう本当に走って逃げちまう。そうして男は報酬を手にした。それを繰り返して一時は羽振りがよくなるものの、しかし枕元に死神がいる患者を治すことはできません。金に目がくらんだ男は考えましてね、なんと死神をだまそうとした。患者の布団を持ち上げて、こうクルッと、北と南、頭と足をあべこべにする。死神がまごついてるうちにすかさず呪文だ、アバダケダブラ! とんまな死神は消えちまいました。まんまと大金をせしめたその帰り道、最初に会ったあの死神がまたやってきます。死神仲間をおちょくられたわけですから随分お怒りで、男に消えかかった蝋燭を差し出した。炎は命の灯火であり、蝋燭はすなわち男の残りの寿命だときいて男はびっくり仰天。死神は新しい蝋燭を渡して言いました、助かりたければこれにうまいこと火を継ぐのだぞ。男はなんとか運命から逃れようとして一生懸命やるのですが、はてさて結末やいかに、と。咄家の好みでおちが変わりますが、まあいわゆる因果応報といいますか、欲深きは身を滅ぼすぞと言いたいのでしょうかねえ。そんなことはどうでもよろしいのです。いいですか、咄家に騙されてはいけません。ひとりで喋ってるもんだからどうも位置関係が想像しにくい、ですがあたくしにはわかります。件の死神が立ってる場所、絶望して項垂れる男の、大金の海に寝そべる男の、蝋燭の火を移そうと跪く男の、いつだっておつむの先に、死神は現れていたのです。つまりねえ、男は最初から寿命がきてたってことですよ。だいたいねえ、布団をクルッと回すなんて茶番は無理があるでしょう。ですから蝋燭が消えるだのなんだのというのも茶番、死神の暇つぶしです。男を冥土へ導くためにあれやこれやと土産をもたせる、これはそういう噺なんですよ。つまり死神とは結末を語る咄家その人です」


 主演の線香花火が落ちるごとにステージの役者の顔を覆う布がひとりずつ赤く染まる。


主演「お話を戻しましょう、蝉の話でしたねえ。蝉を殺す死神というのはどこのなにがしなのかと。そもそもねえ、夏に死ぬのは蝉だけだとお思いですか?あなたが蚊や油虫を殺すとして、それは本当にあなたが殺しているのでしょうか。数え切れない土産を抱えて、そんなあなたはいつ冥土へ行かれるのでしょう。夏はそこかしこに死体が転がっています、命尽きた蝉、潰された油虫、叩かれた蚊、干上がった蚯蚓、枯れた朝顔、折れた向日葵、萎びた胡瓜に腐ったトマト。太陽に焼かれ焦げた土が雨に蒸れたにおい、それは腐敗臭です。肌に纏わり付く湿気、それは死神の吐息です。毛穴からじわりと滲む塩の脂、それはあなたの生命です。あなたが気にしようとしまいとここには生と死が流れていく。淀みなく絶え間なく死体が漂っている。そうです、ここは黄泉のくに! そんな中であなただけが生きているとどうして言えますでしょう?盆が過ぎて夏の終わり、西の彼方に去りゆく濃い雲の陰影を見あげたあなたはこう思うはずです、ああ、寂しい、と。皮膚を刺す紫外線が恋しく、アスファルトの向こうの陽炎に手を伸ばして、いつまでもこの黄泉に留まっていたいと思うのです。それはあなたのセンチメンタルでしょうか?いいえ、断じて! ですよ。あなたの頭上に、あなたの背後に、あなたの隣に、あなたの足の裏に、あなたの腋の下に、あなたの網膜の上に、あなたの肺の中に、あなたの記憶に、感覚に、癒着している夏です」

主演「秋が、何食わぬ顔でやってきておりますよ。したたかですねえ、夏のお膳立てを知らない能天気のふりをして、あるいは夏を悪者にさえして、自分はやれ稲穂を垂らせいがぐり落とせ、やれ紅葉だ銀杏だと好き勝手にすればよろしいのですから。ええ、すぐそこまで来ております。別段忍び足というわけではございませんよ、あなたの気が付かないだけで、もうすでに来ているのです。耳を澄ましてごらんなさい、鈴虫の音がきこえませんでしょう、(笑って)ええ、きこえませんでしょうねえ! 夏がまだおりますものねえ。あなたはまだ死んでおりませんものねえ。黄泉に実るものはございません、ですから秋を迎えるために、すべてはここでいちど死ななければなりません。夏はそのために暑く活発なのです。さだめが蝉を殺し、人が蚊を殺し油虫を殺して、抜け殻になったあなたを夏が取り憑いて殺すのです」

主演「おや、(線香花火を取り出す)これで最後になってしまいましたねえ。しかたがありませんねえ、お楽しみにも終わりはあるものです。炎すなわちいのちの灯火。移し替えることなんて出来やしませんよ、いのちはひとつしかないのですからねえ。やっぱり茶番、茶番ですよ。終わりは必ずくるものです、蝋燭にしたって、花火にしたって、いのちにしたって。ああ、だからこれは花火というんですねえ。ええ、ああ、そうら、落ちるぞ、落ちるぞ――そうら、落ちたぁ」


 線香花火の光が消えたと同時にステージ中央から頭部がごろんと転がり出る。

 終幕。




 

 


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死神 松本貴由 @se_13

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