無知故の罪③

「勘違い?」

「そう。まず大前提として、五十嵐君は園芸に対する知識があまりにも薄い。植えてある花の種類も知らない。定植した時期も覚えてない。肥料の散布が必ず週一じゃないといけないかどうかも答えられなかった」

「……っぐ」

「溢してしまったのなら、普通その日は撒くのを諦め、後日肥料を買ってから撒きなおすべきだった。だが、君は散布日がズレても問題無いかがわからなかった。故に勘違いしたんだ。『今日中に撒かなければ』と」


 なんとなく、彼の言いたいこともわかる。自信の無い分野ほど、経験者から言われたことを必死に守ろうとするものだ。自己判断でのミスは、より自身の醜態を晒すはめになるのだから。


「だが、彼は今日中に肥料を撒くというタスクに執着するあまり、肝心なところを自己判断してしまった」

「それが、肥料の代わりの塩ってワケ?なんでまた……」

「そこが二つ目の勘違い。ミネラルとナトリウムの混同だ」


 そう言って宮原くんは、鞄の中からヨレヨレの袋を一枚取り出し、私達の前で広げて見せた。そこには、大きく『ミネラル肥料』と印字されていた。


「あっ!それウチがいつも使ってるヤツだ!」

「そう。これも農機具小屋の隅にまとめてあった肥料の袋だ。これを見れば誰でも『ミネラル』という成分が含まれているということがわかる。だが、そこが犯人にとっての落とし穴だった」


 手に持った肥料袋をくるりと裏返し、宮原くんはそれを机に広げる。そして、パッケージの裏に印字された肥料の成分表を指差した。


「そもそもミネラルとは、複数の成分からなる必須元素の一つで、五大栄養素の一つでもある。ご覧の通り、カリウム、ナトリウム、リン、カルシウム、マグネシウム等々植物はおろか人間の生命活動にも必要な栄養素が多量に含まれている」

「ふぅん。よく聞く成分なのに、随分とわかりにくいのね、ミネラルって」


 痺れを切らしてそう口走った私に、宮原くんはまるで塾の講師にでもなったかのような動きで指差した。


「そう!そうなんだ、センセー!本来ミネラルってのはわかりにくいものなんだ!だから皆、簡潔に説明しようとする。こんな感じに」


 そう言って彼はスマホを取り出すと、幾つかの飲料水メーカーのホームページを私達に見せた。


「麦茶やスポーツドリンクなんかにはミネラル配合をうたう物が多い。確かウチの学校の自販機にもあったハズだ。そして、大抵そういうヤツには『ミネラルとはナトリウムのことです』なんて文言が必ずあるハズだ。だからこそ、彼は勘違いした」


 スマホの画面をトントンと叩くと、宮原くんは得意気に推理を続ける。


「限られた時間の中、五十嵐君はスマホなんかを使ってミネラル肥料の代用品を探した。だが、焦りと不安で情報を精査する余裕が彼にはなかった。そんなところに『ミネラル=ナトリウム』の式を見つければ、当然飛び付く。そして辿り着くハズだ。ナトリウムの補給には『塩』が最適であると」

「ちょっと待ってください!」


 そこまで話した宮原くんの言葉を、今まで沈黙していた五十嵐くんが遮った。眉間にシワを寄せ、初めてこの教室を訪れた時のような恐ろしげな表情を浮かべている。


「仮に塩で花が枯れたとして、そんな量の食塩なんて携帯してねースよ!だったら外部犯が持ち込んだっつー方が現実味がありませんか?」

「なるほどなるほど。そうきたか。だがな、五十嵐君。俺達はそこらへんの証言も押さえてんのよ。な、センセー」

「まあ、そうね」


 私はそこで、昨日宮原くんに頼まれたことを思い出す。


『事件があった日の放課後。の鍵を借りに来た生徒がいないか調べて欲しい』


 そして、職員室に残っていた他の職員に聞き取り調査を行った所、ある一人の生徒が家庭科室の鍵を借りていったそうだ。


「学校内で大量の食塩を保管している場所、家庭科室。五十嵐くん、あなた事件があった日の夕方家庭科室の鍵を借りに職員室まできたそうね?」

「いや、それは……家庭科室に忘れ物をして……」

「そりゃあおかしいな?俺は一年A組まで聞き込みにいったが、その当日と前日は家庭科の授業はなかったそうだぜ?行ってもない教室に何を忘れたんだ?五十嵐君よぉ」


 非情な追い込みをかける宮原くん。その姿勢に、五十嵐くんは膝を折るとわんわんと泣き出したのだった。


「ご、ごめんなさいぃ……。じ、自分。花崎先輩にカッコ悪いとこ、見せたくなくてぇ。一人でなんとかしようと思ったら。は、花がぁ……こ、こんなんなっちゃって……」


 そんな彼の肩に、花崎さんが優しく手を置いた。

 正直、教師としてはここは丸く収めるのが正しいのだろう。だが、誰よりも美化委員の活動に真面目に取り組んでいたのは他でもない花崎さんだ。だから、この件に関しての裁量は彼女に任せた方がいい気がする。そんなことを考えていると、花崎さんがゆっくりと口を開いた。


「ごめんね?五十嵐くん」

「えっ?」

「私がしっかり教えなかったから、こんなことに……」

「そんな!先輩のせいじゃねえっスよ!自分がちゃんと聞いてなかったから……」

「うふふ。じゃあ、お互い様だね」

「う、うす」


 花崎さんは、嬉しそうに微笑むとこちらを向いた。


「あの、ありがとうございました。中村先生。それに圭吾くんも。おかげで色々とスッキリしました」

「気にしないで。生徒の相談にのるのが私の仕事だし」

「そうそう。俺も結構楽しめたしな」


 私達のそんな反応を見て、彼女はクスクスと笑った。そしてもう一度、深く頭を下げた。


「本当にありがとうございました!私はこれからあの花壇が再生できるように頑張ってみます!……手伝ってくれる?五十嵐くん?」

「も、勿論っス!」

「それじゃあ先生。失礼しました」

「ご迷惑をおかけしました!」


 ペコリと頭を下げる花崎さんに続いて、顔を真っ赤にした五十嵐くんが退室する。そんな二人を見送りながら、私は何度も頷いた。


(頑張れ若人よ。青春を謳歌しなさい!)


 二人を見送った後、教室に残された宮原くんは一人うんうんと頭を捻っていた。


「何よ、鬱陶しいわね。事件は解決したんでしょ?」

「いや、そうなんだけどさぁ。一つわからない事があって……」


 何度も手帳を捲りながら彼はぶつぶつと呟いている。


「そもそもの話。五十嵐君はなんで興味が無いのに美化委員なんかに入ったんだろう。仮にじゃんけんやくじ引きでたまたま美化委員になったにしても、水やりなんてバックレればいいのに」

「そりゃあ、五十嵐くんは花崎さんのことが……」


 そこまで言いかけて、私は口をつぐんだ。


(危ない危ない。多分だけど、五十嵐くんは花崎さんのことが好きで美化委員になったんじゃないかしら?)


 憶測ではあるが、彼の目線や態度からそれくらいのことは推察できる。一目惚れか、何かキッカケがあったのか……。とにかく一つ上の美人な先輩に少しでもお近づきになりたい一心で委員会を選択したのだろう。裏を返せば花崎さんにしか興味がなかったゆえに、園芸の仕事を何一つ覚えてなかったとも言えるが……。今後はほんの少しでいいので、その興味が花達に向くように願いたいものだ。

 急に会話を切った私の事を、宮原くんは怪訝そうに覗き込む。


「なんだよ?センセー。五十嵐君が花崎をなんだって?」

「んーん。何でもないわ」


 誰のことを誰が好きかなんて、教育者以前に人として言いふらすものではない。だから私は、そのことは自分の胸の内に仕舞いこむとフフンと笑った。


「ただこの謎は、男心がわからないと解けないかもしれないわね?探偵さん」

「へーへー。男心とやらがわかるなんて、お見合い三連敗中のアラサー教師は言うことが違いますなぁ」


 プチン。と何かが切れる音が耳の裏で聞こえた気がする。かと思うと、私は彼の首根っこを掴むと教室の外に放り出し、ピシャリと扉を閉めてしまった。


「二度と来んな!!この……探偵バカ!」


 しかし、今の私には知るよしもなかった。その探偵バカと今後、長い付き合いになるということは…….。

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