第五章 泣くだけ泣いたら日が昇る

 登山を始めて、何時間過ぎたのだろう。


 ゴル・ゴロスは暗闇でもほぼ目が利くが、人間である春平もまた、昼間のように下駄をはいて歩く。


 氷壁を登り終えると、今度は登坂が続く。


 それも、道幅は狭く、足を踏み外せば文字通り奈落の底だ。


 ゴルは、先を歩く老人の底なしの体力に畏怖さえ覚えそうになる。


 と、ゴルの気が緩んだのか、地面に落ちた。


 普段だったら「大丈夫?」と手を差し伸べる春平が、この場に限ってこう言い放った。


「立て、歩け」


 その声に優しさはない。


 感情がない。


 思えば、なぜ、こんな険しい登山をしているのか分からない。


 春平は理由も言わない。


 ただ、至極真面目な顔でゴルを見ていた。


 やがて、ゴル・ゴロスは立ち上がり、体についた小石などを手で払った。


 それを見て、春平は再び歩きだした。



 やがて、春平の足が止まる。


 そこは狭いながら平坦で立てられた杭には『剣岳 山頂』とある。


 老人は、その杭に身を預け、懐からシガーケースを出して煙草を一本咥えて、ライターで火をつけた。


 紫煙が空に舞う。


「お疲れ様」


 春平がゴルに声をかける。


 その言葉で、何故かゴルの双眸から無数の涙が流れた。


 それから、何かを叫んだ。


 何をどう言っているか分からない。


 ただ、自分の中で凝り固まっていた何が少しずつ解けていく。


 やがて、ある一言で自分の本当の想いを知る。


「僕は、沙耶ねえさんが大好きなんだ!」


 同時に群青色から空の色に変わる。


 明かりの元を見ると、光が昇ってきた。


「……ねえ、春平爺ちゃん」


「何だ?」


 ゴルは涙を吹き払い、告げた。


「僕、沙耶ねえさんに、この空をあげたい」

 

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