塩と蜜 砂糖銀行戦後機密情報録

4 防疫キャンペーン

　悲（かな）しみが風（かぜ）のように、わたしの周（まわ）りをすり抜（ぬ）けて行（い）った昨日（きのう）の夜（よる）。

　さて、朝（あさ）から騒（さわ）がしい。

　砂糖（さとう）銀行（ぎんこう）シアン支店（してん）附属校（ふぞくこう）は行員（いん）と附属校関係者（かんけいしゃ）以外（いがい）に対（たい）して「鉄壁（てっぺき）」の非（ひ）公開（こうかい）のはずだが。

　例（れい）外はあるようだ。

　クレメン統領国（とうりょうこく）の衛生所（えいせいじょ）は水色（みずいろ）の扉（とびら）を軽々（かるがる）越（こ）えて来（き）て、防疫（ぼうえき）キャンペーンを展開（てんかい）していた。

「煮沸（ボイリング）！煮沸（ボイリング）！」

「浄化（ヒューリファイ）！」

　＜おはようございます！

　こちらは国立（りつ）衛生所です！

　防疫キャンペーンにご協力（きょうりょく）ください！＞

「浄化（ピューリファイ）！」

　拡声（かくせい）魔術（まじゅつ）で附属校の隅々（すみずみ）まで届（とど）く「防疫キャンペーン」のお知（し）らせがひたすら流（なが）れている。

　その拡声魔術に負（ま）けじと、衛生に関する浄化魔術が乱発（らんぱつ）される。

　廊下（ろうか）を通（とお）して、あちこちの部屋（へや）から、急（いそ）いで身支度（みじたく）を整（ととの）えて、窓（まど）を開（あ）ける音（おと）がする。他（ほか）の生徒（せいと）がしているように、わたしも窓を開けてしまった。

「ですからね。

　昨夜（さくや）、葬送牛車（ぎっしゃ）を頼（たの）んだでしょう？」

「いえ。荷車（にぐるま）は本（ほん）校の物（もの）ですし。牛（ウシ）は葬儀（そうぎ）屋（や）に」

「レンタルしたんでしょ？

　それじゃあ、駄目（だめ）です。

　防疫対象（たいしょう）地域（ちいき）ですよ」

　附属校長（ちょう）が止（と）めるのも空（むな）しく、衛生所職員（しょくいん）は容赦（ようしゃ）なく防疫作業（さぎょう）を続（つづ）ける。

　バッフンバッフン。

　石灰（せっかい）が屋外（おくがい）で散布（さんぷ）され始（はじ）めた。

　魔術ではなく、物理的（ぶつりてき）にも消毒（しょうどく）を始めた。

　急いで、窓を閉（し）めるしか無かった。

　モクモク。

　まるで、この部屋のすぐ下（した）で、大規模（だいきぼ）な炊事（すいじ）でもやっているかと思（おも）うくらいの真（ま）っ白（しろ）な湯気（ゆげ）や煙（けむり）を思（おも）わせる、石灰が舞（ま）う風の波（なみ）が上（あ）がって来ていた。

　建物内（たてものない）は砂糖銀行シアン支店衛生課（か）が責任（せきにん）をもって、透明（とうめい）な消毒液（えき）を撒（ま）いた。

　消毒液のタンク全（すべ）てが空（から）っぽになるまで、衛生所の監視（かんし）は続いた。

「これも、全（すべ）て、疫病から国民（こくみん）の生命（せいめい）を守（まも）るためです！

　ご協力に感謝（かんしゃ）します！」

　日没（にちぼつ）まで、トイレや食堂（しょくどう）などの余計（よけい）とも言（い）える「不（ふ）衛生さ」を指導（しどう）して、やっと、満足（まんぞく）して、衛生所は引（ひ）き上げて行った。

「戦争（せんそう）中（ちゅう）は不衛生のオンパレードでも、軍（ぐん）に怒鳴（どな）りこめなかっただろう。

　終（しゅう）戦後（ご）は彼等（かれら）、ああやってやりたい放題（ほうだい）してるんだよ」

　一期（いっき）生の男子（だんし）、フィンに話（はな）しかけられていたら、アンジェリカがものすごい形相（ぎょうそう）で近（ちか）づいて来て、「あの子が亡くなったのに、男遊（おとこあそ）び？信（しん）じられないわ」とわたしを注意（ちゅうい）しに来た。

　けれども、フィンは「あの子では無く、ファミーユだ。どうせ、僕（ぼく）等の名前だって、呼（よ）ぶ気（き）が無いから覚（おぼ）えないだろ？あっちへ行けよ」と、見当外（けんとうはず）れなアンジェリカを非難（ひなん）した。

「何（なに）？

　喧嘩（けんか）？」

「アンジェリカ、頭（あたま）良（い）いフィンを自分（じぶん）のグループに入（い）れようとしてたよ」

「アンジェリカを選（えら）ばないで、爆発（ばくはつ）好（ず）きなシロップと仲良（なかよ）くしてる？冗談（じょうだん）だろ？」

「フィンって、女（おんな）の趣味（しゅみ）悪（わる）いな」

　男子（だんし）も女子（じょし）も言（い）いたい放題。その全てが的外（まとはず）れな噂話（うわさばなし）だった。

　こんなとき、真っ先（さき）にアンジェリカを擁護（ようご）して、救援（きゅうえん）に現（あらわ）れるファミーユはもういない。

　また、風が吹（ふ）いた。

　その風は大（おお）きく窓を揺（ゆ）らして、窓に石灰をこすりつけて、どこかへ行ってしまった。