「第二十七話」《回想》今も尚、疼く傷①

アルヴァロン王国における最上位階級である『四公』は、互いに不可侵であるという暗黙の了解をえていた。それはこの国が生まれてから一度も破られることはなく、『今日』という暇で守られてきた平和だった。──誰が想像できただろうか、そんな当たり前が崩れるという未来を。


(嫌な感じがするなぁ)


そんな残り僅かの平和の中で、ソラ・アーレント・イーラ公爵令嬢は漠然とした不安に襲われていた。歩けば歩くほど気になってしまい、自由に楽しむことが出来ない。


(天気もいいし、お洋服だってお気に入りのやつだし、おまけに今日はすごく早起きできた。準備も昨日からやってたし、忘れ物とかじゃないよね?)


寧ろ、ベストコンディションと言い切ってしまえるほどだ。一体何がそんなに怖いのか、どうしてこんな靄のかかったような不安が渦を巻いているのか、ソラには見当もつかない。──そして彼女がそれを気にするのには、ある理由があった。


(当たっちゃうんだよね、こういうの)


彼女は偶然か必然か、自分の身の回りに起こる不幸を「漠然とした不安」として予知することができるのだ。それは短くて次の瞬間、長ければ数日後に起きる。それが外れたことは今まで一度たりとも無く、遅かれ早かれ必ずやってくるのだ。


しかし、それは必ずやってくるだけであって、必ず防げないわけではない。実際にソラは予知を感じ取り、一度と言わず数回はその未来の回避に成功していた。彼女が同じ『四公』であるニンベルグ家との同盟関係を掴み取れたのも、ニンベルグ家の『剣聖』であり次期当主であるジークを暗殺の魔の手から救い出したからであった。


(まぁ、そこまで大きな事は滅多に起こらないし、そこまで気にする必要もないか)


ソラは自分の頬をペチペチと叩き、気を取り直すような気持ちで「よし!」と意気込んだ。

彼女は再び歩き出し、持っていたバスケット籠を両手でしっかりと抱きかかえた。閉じられた蓋のその奥には、いつもとは一味違うサンドイッチがふんわりと詰められており、ソラが朝早くから作ったものだった。


「ふふっ、喜んでくれるかなぁ」


思わず声を漏らしたソラの表情は、実に晴れやかであった。誰かを思いながら作ったそれを、本人が食べてくれること。その人が「美味しい」と笑ってくれる、そう信じて。


今度こそ、美味しいって心から思ってもらいたい。いいや、早く会いたいという想いのほうが強いのだろう。ソラは段々とその歩幅を広く、先程よりも早い足取りで歩いていた。











雲の流れが穏やかな空の下、その男を中心に爆風が吹き荒れていた。それは自然によるものでも精霊のような化身の仕業でもない。寧ろそれらと同格、もしくはそれ以上の現象を引き起こしうる存在が、ニンベルグ家の屋敷の庭で素振りをしていた。


「ふん! ふんっ! ふぅんっ!」


彼、ジーク・ニンベルグが振るっていたのは大剣だった。いいやそれは最早剣と呼ぶことすら抵抗を覚える代物である。長く、見るだけでも重いイメージを受けるそれは人の武器ではなく巨大な鉄の塊と言ったほうが正しいだろう。──無論、それを目にも止まらぬ速さで振り続けている彼も、「人間」という枠に収めたままにしておくのには実に違和感を感じてしまう。


「ふぅ、今日は風が強いな」


鉄の塊を地面に置くと、ジークは己の汗を拭った。彼は吹き荒れる風を誰が起こしたのかに気づくこともなく、空の様子と風の強さに顔をしかめていた。


そんな力強い風に誘われたかのごとく、スカートを抑えながらソラがやってきた。彼女は敷地に入る前に、少し離れた場所にいるジークに大きく声をかけた。


「こっ、こんにちはジークさん! 突然お邪魔します!」


彼女は深く頭を下げ、その次になんと木の柵を乗り越えたのである。よっぽどジークの顔を見たことで動揺しているのか、自分がスカートを履いている事を忘れていたご様子である。──因みにそんな強風に煽られたスカートの中身は、思春期のジークから目のやり場を奪い去った。


小走りで駆けてくるソラはジークの前で止まり、暫く目を泳がせていた。言葉を選び、深呼吸をして……ジークも同じようにしている中で、ソラはニッコリと笑って、ちょっとだけ頬を赤らめていた。──見つめ合うような構図になっていることに気づいたジークは、思わず目を逸らしてしまった。


「お忙しいところ、突然お邪魔してごめ……申し訳! ございません」

「あ、ああ。別に構わないよ。あと、敬語なんて使わなくていい。君は僕の命の恩人で……まぁその、うん。一応はアレなんだから」

「……で、ですね。あはは」


ジークが言ったアレというのは、まぁ同盟関係における楔のような互いが握る命綱のような……まぁ簡単に言えば「夫婦関係」である。片方の家が勝手なことを出来ないように、『四公』はそれぞれの家の人間を婚約させるという暗黙のルールがあった。無論これは本人たちの意思など関係ない制度であり、普通ならトラブルの種になる……はずなのだが。


「……」

赤面のまま地面を見てるふりをして、上目遣いでジークを見ているソラ。


「……」

目を逸らすふりをして、そんなソラの仕草に悶えているジーク。


お分かり頂けただろうか? そう、こいつらは貴族同士の政略結婚では世にも珍しい、「双方が両思いで文句なし」の熱々夫婦なのである。


「……あ、あの」


しかしながらまだコイツ等は式も挙げていないのである。いいや、これから挙げると言ったほうが正しいのだろうか? 場所はイーラ家の屋敷、今頃準備が進められている頃だろう……忙しさ故にソラは敢えて馬車を使わず、己の足でこのニンベルグ家に出向いたのである。


「これ、よければ……と言っても、前と同じで美味しくないかもですけど」

「──そんなことない」


ジークは少しムッとした顔をして、差し出されたバスケット籠を受け取った。彼は立ったまま蓋を開け、サンドイッチを一つ引っ張り出した。そしてそれを躊躇なく、しかし品のある食べ方でかじりついた。


「……う」

「あっ! えっとあの、やっぱり不味かったですよねそうですよね……」

「うっまい!」


ソラの声を遮るように、ジークはそれを飲み込み言った。引きつった顔で必死に笑みを作るその様は、それが嘘だということを告げていることに他ならなかった。──しかし、ソラにとっては違う。それでも尚「美味しい」と、どうにかしてその笑顔を絶やしてくれるなと訴えてくるその様が、嬉しかった。


「ふぅ、美味い。本当に……」

「……今回は、ちょっとだけマスタードを入れてみたんですよ? 具材の大きさとかも、ちょっと変えてみたり……」

「ソラ」


畏まったジークの声。ソラは照れていたが、自然と顔を上げていた。

目の前には真剣な表情のジークがいた。彼が見ているのは目の前の命の恩人で、愛する人で、これからの人生を共にしたいと願った人……同じことを思い、願い、それを伝えるために来たソラは、彼が何を思っているのかが分かった。


「改めてお礼を言わせてくれ。僕を助けてくれて、ありがとう。君が居なければ、今頃墓の中だった」

「あの時は、体が勝手に動いてたというか……」

「だから今度は、僕が君を助けたい。支えたいんだ、だから……」


その場に跪くジークに、ソラは動揺した。使用人も見ている中で、こんな大胆にやってのけてしまう……落ち着いて見える人格の中にある豪快さは、今はただソラだけを見ていた。


「僕を、君の隣に居させて欲しい」

「──はい」


即答したソラの手を、ジークはそっと手に取る。そしてその手の甲にそっと顔を近づけ、微かな吐息を湿らせた。恥ずかしさ、なんてものがくだらなく思えるほどには、二人は未来が輝かしく思えていた。


ジークは立ち上がり、酔ったようにぽかんとしているソラの肩に手を回した。


「ずっと歩いてきたんだ、疲れただろう? 折角だから、父上と弟にも顔を見せてやってくれ」

「……はぁい」


腑抜けた返事、よろめく足取り。幸せに浮かれたソラは、彼女を酔わせる若き『剣聖』に支えられながら、屋敷の中へと入っていった。



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