第3話 「胸があたってるんだけど」「あててんのよ」

 午後の授業は数学だ。


 僕は数学の教科書とノートを机の上に用意して、教師の話を聞き流す。


 教師の指示で教科書のページを開いたタイミングで、隣からつんつんと右肩をつつかれる。


「どうかした?」


 僕は重叶さんの方を見て、首を傾げる。


 彼女はニコニコと微笑みながら、僕にしか聞こえないような小声で話す。


「相生くん、教科書見せてくれないかな? 私、教科書忘れちゃったみたいで」


 お願い、と手を合わせて懇願してくる。


 僕はそれに承諾する意味を込めて、コクッと頷いた。


「ありがとっ。じゃあ、机離れてると見えないから、くっつけるね?」


 と、重叶さんは僕の方に机を寄せてきて、隙間一つないように密着させた。


 僕は彼女にも教科書が見えるように、机の真ん中に教科書を置いた。


 その後、教師の指示で教科書の問題を解くことになり、僕たちは黙々とその問題を解く。


 ふと重叶さんの方を見ると、彼女は髪の毛が邪魔になるのか、髪を耳にかける仕草をしていた。


 その何気ない仕草に、僕はドキッとしてしまう。


 僕の視線に気づいたのか、彼女は僕の方を見ると、ニコッと微笑んだ。


「どうしたの? わからない問題でもあった?」


「あ、えっと……」


 わからない問題があったわけではなく、ただ重叶さんに見惚れていただけなのだが。


「ちょっとここの問題がわからなくて……」


 僕は誤魔化すために、問題がわからないふりをした。


「どれどれ? 教科書見せてくれたお礼に、教えてあげる」


 そう言うと、彼女は僕にぐっと身体を寄せて、ノートを覗き込んでくる。


 その時、彼女の豊満な胸が僕の右腕にぽよんと密着する。


(重叶さんって、思ってたより胸がでかい……!)


 制服越しに見ているだけでは分かりにくかったが、彼女の胸はかなりのサイズだ。


 胸が腕に当たったことで、僕の神経はそこに集中する。同時に、僕の視線は彼女の胸に吸い寄せられてしまう。


 そんなふうに露骨に視線を向けてしまったせいで、それは当然重叶さんに気づかれる。


「今、私の胸見てたでしょ? 相生くんのエッチ」


「――――――――ッ!?」


 僕をからかうように、彼女は耳元で囁いてきた。


「ご、ごめん」


「ふふ、別に怒ってないよ? ちょっとからかっただけ。相生くんの反応、初心で可愛いから」


「か、可愛い?」


「うん。可愛い」


 キモいと思われなかったのは幸いだが、可愛いという評価は男として喜んでいいのだろうか?


「えっーと、それで……わからない問題はどれだっけ?」


「こ、これなんだけど……」


 さっきのことはあまり気にしていないのか、何事もなかったように彼女は僕が指差した問題を読み始める。


 その間もずっと、彼女の胸は僕の腕に当たっていた。


 これじゃあ、解ける問題も解けなくなってしまう。


「重叶さん! ち、近いから……!」


 僕は耐えきれず、顔を真っ赤にしながら距離の近さを訴える。


「くす。またまた可愛い反応、ご馳走さまです」


 くすくすと肩を揺らしながら、重叶さんは笑っている。


「ごめんね? ちょっとからかい過ぎちゃったね?」


 なんなの!? なんなのこれ!? この人は僕をどうしたいの!?


 重叶さんの心理がわからず、僕は頭を抱える。


(重叶さんは、僕のことが好きなんじゃないだろうか? これは僕の勘違いなのかな?)


 そんなことを考えても、本人に直接聞かない限り答えは出ない。


 重叶さんが他の男子にもこういう対応をしている可能性がないわけじゃない。もしそうだった場合、僕は重叶さんから好意を寄せられていると勘違いした自意識過剰野郎になってしまう。


 しかし、世の男子的には、見た目が美人な女性からこんなことをされたら勘違いしてしまうのも仕方ない。


 もし重叶さんが他の男子にもこういう接し方をしているのであれば、彼女はこれからも僕みたいな男子に沢山勘違いされてしまうことになる。


 それは、彼女のためにも、世の男子のためにも、注意を促した方が良い気がした。


「あの、重叶さん」


 だから僕は、勇気を振り絞って彼女に伝える。


「どうかした? 相生くん」


「重叶さんは他の男子にも、今みたいなからかい方をしているの? だとしたら、それはやめた方がいいと思う」


「ん? どうして?」


 理由を聞かせて?と訊ねるように、重叶さんは首を傾げた。


「だって、こんなことされたら、僕みたいな男子は勘違いしちゃうよ……。勘違いしたりされたりっていうのは、お互いにとってあまり良くないでしょ? だから、男子を勘違いさせてしまうかもしれない行動は、控えるべきだと思う」


 僕の助言によって、彼女がこれからはそういった行動を控えると言ってくれれば良いのだが、果たして……。


「ぷふっ」


「え?」


 僕の予想に反して、重叶さんは唐突に吹き出し、笑いを堪えるようにぷるぷると肩を揺らした。


「あれ、僕なんか変なこと言った?」


「ふふ、ごめんね? ふふ……やばい、ニヤケが止まらない……! ふふ、ちょっと待ってね?」


 それから、重叶さんはしばらく肩を揺らし続けて、自分を落ち着かせるように何度か深呼吸する。そして、落ち着いてきたタイミングで、再び話し始める。


「えっーと、相生くんの話をまとめると、さっきみたいなからかい方は、自分のような男子を勘違いさせてしまうからやめた方がいいと、そういうことだよね?」


「うん。そういうこと」


「じゃあ、私の方からもちゃんと伝えておくね? 相生くんのその心配は杞憂だよ。だって私、誰にでも相生くんみたいな接し方をするわけじゃないから」


「え? それってどういうこと?」


「わからない? つまり、私がさっきみたいなからかいをするのは、相生くんだけってこと。だから、他の男子が勘違いするかも……っていう心配は不要なの」


 からかうのは僕だけ? 確かにそれなら、僕の心配は杞憂だったということになる。


 しかし、それならそれで新たな疑問が浮かぶことになる。


「どうして僕にだけそんなからかい方を?」


「それは、相生くんの反応が可愛くて、ついからかいたくなっちゃうから。それに――」


 彼女はニマッーと、僕をからかうような笑みを浮かべて、


「相生くんになら、勘違いされてもいいから」


 と、僕に顔を近づけて囁いてきた。


 急に彼女の顔が近くに寄ってきたので、僕は反射的に距離を取ってしまう。


「ま、また僕をからかってるの!?」


「今のは本音だよ?」


「う、嘘だよ。そうやって、また僕の反応を楽しんでるんでしょ?」


「違うよ。じゃあ、その証拠に、本当は黙ってるつもりだったけど、正直に伝えるね。今から言う言葉は真実だから、これだけは信じてね?」


「わかった」


 重叶さんが途端に真剣な表情を見せてきたので、僕は姿勢を正して彼女の言葉に耳を傾ける。


「相生くん、私の胸がずっと腕に当たっていたせいで、ドキドキしていたよね?」


「それは……」


 少し答えづらい質問を飛ばされて、僕は戸惑う。


 確かに、僕は重叶さんの胸が腕に当たっていたせいでドキドキしていた。しかし、それを素直に認めるのには抵抗がある。それを認めることで、重叶さんに軽蔑されるのは嫌だ。


「私も正直に話すから、相生くんもここは嘘を吐かず、真剣に答えて欲しい。からかったり、軽蔑したりもしないから」


 真剣な顔でそう言われてしまっては、僕としても嘘は吐けない。


「ごめん。確かに僕は、その、重叶さんの胸が腕に当たって、ドキドキしてた」


「やっぱりそうだよね。そして、これは私からも謝らなくちゃいけないことなんだけど」


 重叶さんは、自分の言葉が僕以外には聞こえないように、僕の耳元に口を寄せてくる。


「――実は私、相生くんにわざとおっぱいを当ててた」


「………………はい?」


 一瞬、言っている意味が理解出来ず、僕は間抜けな表情をしてしまう。その表情を見た重叶さんが、もう一度言葉を繰り返す。


「私、相生くんにわざとおっぱいを当てていたの。アレはラッキースケベなんかじゃなくて、故意的なものだったってこと」


 そこまで言い終えると、彼女は僕から距離を取って、恥ずかしそうに頬を赤く染めた。


 僕の腕に重叶さんの胸が当たっていたのは、故意的だった? つまり、彼女がそうなるように仕向けたものだった?


 それを頭で理解した瞬間、僕の顔は熱くなり、真っ赤に染まっていく。


「な、な、なんでそんなことを!?」


「相生くん、ドキドキしたって言ってくれたよね? 私は、ドキドキさせたかったの」


「いや、だからなんでそんなことを!?」


「さて、なんででしょう? その先は自分で考えてみてね?」


 一度、ここまでの話を整理しよう。


 まず、重叶さんはわざと僕の腕に胸を当ててきた。そして、それをきっかけにして、彼女は僕のことをからかい、僕の初心な反応を見るのを楽しんでいた。さらに彼女の証言では、そういう「からかい」を行うのは僕に対してだけであり、他の男子にはしないらしい。


 これらの事実から、彼女が僕をドキドキさせたかった理由を推理するなら――。


(やっぱり、僕のことが好きなのでは?)


 という結論にならざるを得ない。


 美人局という可能性もあるが、その可能性は出来れば考えたくない。


「放課後、期待して待ってるからね。私、もっと相生くんと仲良くなりたいから」


 その何気ない言葉も、今は全て意味深に聞こえてしまう。


 隣に座る彼女は、僕の太ももあたりにさりげなく手を置いてきた。そのせいで、僕の大事なアソコは反応を示してしまった。


「くす。やっぱり相生くん、可愛い♡」


 小悪魔みたいな笑みを浮かべて、重叶さんは僕の太ももあたりを見ている。恐らく、僕のアソコが反応を示したことはバレているだろう。


「ごめん。これはわざとじゃ……」


「なんで謝るの? 私は嬉しいよ?」


「なっ――!?」


「ふふ。とにかく放課後、期待してるから」


 何を期待されているかは、言葉にされなくてもわかった。


 正直、まだ半信半疑な部分もある。彼女を完全に信用していいのかは、色々と経験の浅い僕にはわからない。


 だけど、彼女と会話する度、僕の鼓動は確実に早くなっていて。


 もう、認めるしかない。



 僕は、重叶おもかの愛純あすみさんに恋をしている。



 そして、僕の推理が間違っていなければ、恐らく彼女も……。そう考えれば、ここ最近彼女からずっと視線を感じていたのも、ある程度の納得がいく。


 いつまでも悶々としていても、答えは出ない。


 泣いても笑っても、今日の放課後には勝負を決めよう。


 僕の中で、その決意が固まった。

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