第17話 廃旅館と希望の灯




 へぐ・あざぜるの地縛霊に対するざっくりとした対策はこうだ。


 旅館の入り口に探索者が近付いたのをトリガーに出現すると思われる地縛霊。その場で除霊しても地縛霊が持つと思しきチートスキル『デス・リスポーン』が発動しへぐ・あざぜるが出現してしまう。


 なので、自分を生者だと思い込んでいるへぐ・あざぜると適当に話を合わせ、一時的にパーティーに加え、旅館の奥まで連れ込んだ所で除霊するプランが採用された。無論また『デス・リスポーン』でへぐ・あざぜるは再出現するだろうけれど、その場所は旅館の入り口だろうから、探索中はへぐ・あざぜるの霊と関わらずに済むだろう、という訳だ。






 灯藤オリザは松明を掲げた。


 松明から淡い光を放つ二個の球体が浮かび上がり、ひとつはパーティーの斜め上上空に静止し、もうひとつはふわふわと前に進み進行方向を光で照らした。


「おー、いいじゃんいいじゃん。普通のダンジョンとはまた違う趣じゃん。不気味さの方向性が違う」

「…………」

 へぐ・あざぜるの緊張感の無いお道化た声も、空気を呼んでか若干声を落として恐る恐るという感じだ。


 入り口から入ってすぐ目に付いた場所は旅館のフロントだ。


 天井の高い、かなりゆったりとした広さが確保されており、しっかりとした作りのカウンターと、向かいの山河の風景が良く見えるガラス張りのラウンジの跡が見られる。カウンター前のフロントも、その奥のラウンジも、団体客を想定した非常に広い造りになっており、かつての賑わいが想像出来る痕跡が見て取れるが、ラウンジのガラスは割れ埃が積もり、再利用出来そうなものはあらかた持ち出された館内に残ったものはただただ退廃的な、時の流れに身を任せてただ朽ち果てていくだけの廃墟だけだった。


「……匂いが、凄く変」

 呻くように呟くオリザ。 


 確かに妙な匂いだ。ソヨギが嗅ぎ取ったのは微かな黴臭さと、何かぬめっとした青臭さを伴った獣臭さ。最近嗅いだ中では、『養老山Deep』の大空洞で嗅ぎ取った湧き上がるキノコの匂いか。あるいはヒトが入ったあとの冷めた風呂の水みたいな人間の臭いみたいなものが近い気がする。


「随分有機的な匂いですね……」

「地下のダンジョンから匂いが湧き上がっている可能性はあるね」

 ソヨギの言葉に答えるジンジはムービーカメラを早速回している。


「つーかさつーかさ」

 興味深そうにフロントを見渡したあと、ニヤニヤ顔で狐崎ルブフに話し掛けるへぐ・あざぜる。


「如何にも巫女さん、みたいな恰好のお姉さんに改めて訊きたいんだけどさ?」

「……」


「お化けとかって本当に居る訳?」

「…………」


 自覚症状は無いらしい。


 脊髄反射でツッコミを入れなかった自分を自分で褒めてやりたい、とソヨギは思った。一瞬表情が引き攣ったが何も言わなかったオリザとジンジも大したものだと思う。


「……確実に、居るわ。まだ敵意は向けられていないけど意識を向けられている感覚はある。とりあえずわたしとオリザの傍から離れないで。それなら安全を保障出来る」


「ふぇ~……」


 へぐ・あざぜるは、感心したような半信半疑のような、力の抜けた返事をする。


「……ちょっと待って」

 不意に、オリザが呼び止める。


「何か、聴こえる」


 そう言われ、ソヨギも耳を澄ます。


 それは上の方から微かに聴こえる。


 規則的に何かを叩くような音。


 しかもそれは少しづつ近付いてくる。


 もしかして、足音?

 そう予想を立てた瞬間、その足音は不意に、止まる。ソヨギ達の真上に来た辺りでだ。


 ……しかも、足音が消えるとき一瞬、何か別の音が聴こえた。


 絞り出すような

「いぎゃあ」

という声。


 足音のような、何かを叩くような音とは違う、明らかに生き物の『音声』だった。


「……今の、悲鳴?」

 その場の全員の疑問を代弁するようにオリザが恐る恐る呟く。


「らしくなって来たねぇ」

 楽しげにさえ聞こえる口調で天井を見上げるへぐ・あざぜる。


「……ネズミでも居るのかな?」

「ちょ、スタッフさん、夢無さ過ぎ」

 一応心の予防線として呟いてみたソヨギの言葉を、へぐ・あざぜるは半笑いで一蹴する。だから、スタッフじゃねぇし。


「あ、カメラが止まった。牧村さん、よろしく」

 そう言いながらジンジは構えていたカメラ付きの槍をソヨギに差し出した。ソヨギが「グングニル・アサイン」と唱えるとジンジの手からソヨギの手へカメラ付きの槍が瞬発的に移動する。キャッチした槍を、ソヨギはまたジンジに返した。


 ジンジは受け取ったカメラの蓋を開き、中のフィルムがカメラの内部機構で絡まっていないか確認する。『グングニル・アサイン』によってカメラ自体は修復されるがフィルムの巻き取られ具合はそのままなので、このチェックは必要である。


 ソヨギはポケットから旅館の見取り図を取り出す。目指す場所は旅館のB2階。ダンジョンの入り口と言うからには出入り口は地面に面しているはずなので、とりあえず下階層から調べる定石である。


 一団は、フロントの奥にある下階への広い階段を目指して歩いた。


「えー? 上の物音調べないの? 気にならね?」

 しかし、上階への階段の傍を通り過ぎようとした矢先にへぐ・あざぜるがゴネ出した。


「……最優先はダンジョンの入り口位置の確定とその奥の撮影ですから。優先順位は低いですね」

「ただの動物の足音なら無駄足だし、本当に霊の仕業なら無駄に危険だ。確認しに行く必要性は皆無」

 ジンジとルブフに同時に反対され、「えー、つまんねぇな……」とぼやきながら引き下がる。


 ……内心、このまま一人で別行動をしてくれたら色々シンプルだったのになと、思わなくは無かった。





 

 一階の入り口周辺は屋外の光を取り入れる構造だったのでまだ明るかった。


 しかしB1階へと続く階段の先には明かりが無く、先の見えない闇の入り口としか言いようがない場所だった。


 オリザは、蛍光魔法で作り出した光の玉をひとつ先行させ、階段の降りた先の様子を光で照らした。


 身を寄せながらゆっくりと階段を降りる探索者達。元々しっかりとした造りであるらしいことに加え、ダンジョン化により旅館の構造も強化されているらしく、足場は安定して特に不安は感じなかった。


 淀み無くB1階に降り立つ。

 し

かしここからB2階に直接降りる階段は無く、細く暗い回廊を横断し、旅館の端の別の階段から降りないとB2階には辿り着けない構造らしい。これから進むべき地下一階の道には無論明かりなど無く、オリザの蛍光魔法だけが頼り。階段の上から漏れ出てくる地上の明かりが心細さを助長してくる。


「……オリザ、そろそろ頼める?」


 ルブフが、静かにオリザを促す。


 へぐ・あざぜるを一瞥したあとオリザは「わかりました」と答えて銀色の松明を掲げる。


「ヘスティア・フレイム」


 オリザがそう唱えると、松明に赤い火が灯った。


 光源としては、それほど効果的ではない。先に構築していた蛍光魔法の光の玉の方がずっと効果的だろう。しかし、その灯された火には、見る者の心を落ち着かせる安心感のようなものが感じられた。


 この魔法は、今回の『上三川Deep』探索に際し、狐崎ルブフのコーチングの元で新たに開発された魔法らしい。


 『松明の火』が持つ文化人類史的ニュアンスを極大化する魔法とのこと。


 古今東西多くの宗教において、松明の炬火は『魔除け』としての意味合いを持つ。  

 人類の文明の象徴に祭り上げられる『火』は、どうしようもなく人類に不安と恐怖を喚起させる『闇』に、対抗するための象徴として位置付けられる。そう言ったヒトを守護するモノとしての『火』の在り方を魔術的に強化し、ヒトに害を成すあらゆる力に対する抗力を得ることが出来るらしい。具体的には、呪術に対する非常に強力な防御手段として利用出来るとのこと。


 そしてルブフ曰く、除霊・対霊にも非常に役立つ魔法らしく。オリザがこの魔法を習得することが、今回ルブフがこのダンジョンの探索に際し課した条件だった。


「……本当に、心の底から落ち着く光だよ」

 松明に灯る炎を見てしみじみと口にするルブフ。正直、ソヨギにとってはそこまで深い感慨は湧かないが。


「え? あれ? あ……? なに? 身体が透けて……?」


 そして劇的な変化が起こっているのはルブフの隣にいたへぐ・あざぜるだ。

 

 地縛霊へぐ・あざぜるの身体は、白く発光する粒子を吹き出しながら透明になりつつあった。丁度、ルブフの祝詞で成仏させられていたときみたいに。


「え、あ、あ……?」


 最期まで何が起きているのか理解出来ていない様子のへぐ・あざぜるは、そのまま淡く光る粒子を残して、消え去ってしまった。


 残された四人と、煌々と輝く灯火が、消えて無くなる迷惑系動画配信者を見守った。


「なんか……、妙に罪悪感が残る……」


 そう言いながら、くたびれたような苦笑いを見せるオリザ。


「悔恨を抱き、寄る辺の無い魂にオリザの灯火が安らぎを与えた。間違い無くオリザの行いは正しいよ」


 若干罪悪感に苛まれているらしいオリザに、ルブフは慰めの言葉を掛けた。


 あの世の事情はよく知らないが。

 ルブフが言う通りならへぐ・あざぜるの魂はちゃんとあの世に旅立ったのだろう。


 しかし今頃旅館の入り口では、チートスキル『デス・リスポーン』により地縛霊が再出現しているのだけれど……。



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