第2話 AA65


 烏山さんは、次の日の準備を周到に終えてから寝るタイプの人らしい。まるで<これを着てこれを持って家を出てくださいね>と言わんばかりの支度が机の上には置かれていた。さらには、丁寧に畳まれたブラウスの上には淡い水色の紙片が添えられており、そこには可愛らしい丸文字で、

<よろしくね>

 と書かれていた。

 烏山さんの住居はマンションの一室らしく、おそるおそる部屋の外へ出ると、すぐに廊下に繋がる造りだということが分かった。そこからダイニングキッチンへと続いていた。

 キッチンには烏山さんの母親と思わしき中年女性がいて、朝食の準備をしていた。フライパンが何かを焼く音と、サラダ油の香ばしい匂いが漂っている。

 ダイニングに顔を出した僕(私?)を見るなり、「おはよう」と言いながらも烏山さんのお母さんは心配そうな顔つきになる。

「大丈夫? まだ風邪はよくなっていない? さっきもうなされていたみたいだけど」

「・・・・・・ん」

 この身体からすれば十六年を共に過ごした実の肉親である彼女も、他人である僕からすればクラスメートの母親にすぎない。そんな風に身体を気遣われても、気まずさは拭えなかった。

「やっぱりよくなさそうね。どうする? 学校休むんなら、ママから先生に連絡しておくけど」

 彼女のその一人称から、どうやら烏山さんは母親のことをママと呼んでいることを窺い知ることができた。母親を相手にどう呼んでいいかも分からなかったような僕が、いつまでも烏山さんのフリをできるとは思えない。僕はふるふると首を振った。彼女も昨夜風邪を引いていたというのは都合がよかった。

「いや、大丈夫・・・・・・まだちょっと眠いのと、あと喉が少し痛むだけ、だから・・・・・・」

 学校に行かずに一日家にいても、事態はいい方向に転がるとは思えなかった。目をこすりながら、なるべく烏山さんのお母さんに目を合わせないようにして、僕はそう言った。

「そう。ならいいけど。また具合悪くなるようだったら、学校まで迎えいくから、ちゃんと連絡しなさいよね」

「うん」

 僕が喉が痛いと言ったことが奏功したのだろう。烏山さんのお母さんはそれからは、娘に話を振ることはなかった。遅れてダイニングテーブルについた烏山さんのお父さんも、僕の体調のことをお母さんから聞くなり「あんまり無理はするなよ」とだけ言って、手に持っていた新聞を広げるばかりだった。

 言うかどうか少しだけ悩んでから、僕は小さな声で、

「行ってきます」

 と呟いてから、烏山さんの家を出た。別に、お邪魔しましたと言うか悩んだわけじゃない。

「なんとなく、見覚えのある道に出られたな」

 烏山なすのさんとしての右も左も分からないどころか、僕は女子のスカートの右も左も分からないほどだったけれど、それでもなんとか現在地を把握して、高校へと歩み出すことができた。烏山さんがどんな立地から高校に通っているかが不明だったので、若干の余裕を持って家を出たのだけれど、おかげさまで充分早めに教室に着きそうだった。

 しかし、普段は使わないような道ばかりを、操作の不慣れさからか常より重たく感じる身体を使って移動するのは、なんだかまだ夢の中にいるかのような不自由さを覚えた。本当はスマホでさくっと道を調べようかと考えたのだけれど、なぜか烏山さんの部屋にあったスマホは、今の僕の顔を認識しても、ロックを解除してくれなかった――とはいっても、その理由は概ね検討はついているのだけど。

 同じ制服を着た生徒たちで溢れている学校前の往来を、僕は気持ち内股になって歩く。そうでもしなければ、僕が烏山さんでないことが周りにバレてしまうんじゃないかと、小心者の僕にはどうにも不安だった。

 ――いた。

 そこで見つけた。

 そろそろ校門の見えてくるところで、僕は親友である柳生邦彦の隣で、間抜けな顔を浮かべながらもったりもったりと大柄な歩き方をしている男子生徒を見つけた。

 というか、それは僕――楡木悠くん(16)だった。

 うそ、僕って普段あんな間の抜けた顔してるの?

 鏡で見る顔もそうだけれど、写真で見る人の顔も実物とはわずかに異なるとは思うので、僕は生まれて初めて、こうして自分の顔を、まさしく客観視することになったわけだけれど、そこにあったなんともいえない自らの華の無さには、我ながら悲しくなってしまった。

 隣を歩いている邦彦はすらりと手足も長く、顔立ちもはっきりしているタイプだから、余計僕の質素さが際立っているのもあるとは思うけど、それにしてもこれはさすがに・・・・・・。

 いや、今はそんなことを嘆いている場合じゃないだろ、僕!

 などと自らに発破をかけて、楡木悠(偽)に小走りで駆け寄る。そして、ちょっと走っただけで上がってしまった息が整うのを待ってから、彼に声をかけた。

「あの、ちょっといいかな」

「?」

 珍しい人物から声がかかったからだろう。邦彦は怪訝な顔つきで僕のことを見た。彼からそんなよそよそしい視線をぶつけられるのは初めてだったので、僕は自分が本当に楡木悠ではなくなってしまったのだと理解し、寂しくなってしまう。

 対して、僕から直接声をかけられた楡木悠(偽)はというと、わざとらしく目を丸くして、

「どうしたの、烏山さん。僕に何か用かな?」

 と、いけしゃあしゃあと言うのだった。

「こっち来て」

 僕は彼の腕を引いて校舎裏へと導く。辺りに誰もいないことを確認してから、僕は掴んでいた腕を解放した。

「どうしたの、烏山さん。こんなところまで僕を連れてきて」

 きょとんとした表情を依然崩そうとしない楡木悠(偽)に、僕は推論を提示した。

「君、烏山さんでしょ?」

 おかしな発言ではない。いや、はたから見たら、烏山さんがクラスメートの男子を指さして<君、烏山さんでしょ?>と言っているのだから、それは意味不明なことこの上ないが、現在烏山なすのの中身は、他の誰でもないこの僕なのだ。

 これが漫画や映画の展開だったなら、<一体僕の身体の中にいる君はどこの誰なんだい!?>としばらく頭を悩ませるのかもしれないけど、そこまで僕の頭は固くない。


 僕が烏山なすのになっているということは――楡木悠は烏山なすのになっているに決まっているのだ。


 しかし、言われた当人はというと、

「なんのことだい。烏山さんは君じゃないか。ははっ、おかしなことを言うんだね。僕は楡木悠さ」

 と白を切ろうとする。

「ひゅ・・・・・・ひゅる、ひゅぅ~」

 おまけに下手な口笛まで吹く始末だった――いや、それ絶対クロの反応じゃん。

 まあでも、そうか。向こうがそういう態度を取り続けるというのなら、こっちにだって考えはあった。

「そうなんだ。楡木くんごめんね、おかしなこと言っちゃって。ついでにもう一つ、おかしなことを言ってもいい?」 

「ん? なに?」


「今朝は朝からずいぶんと暑いし、今から私、校門の前で全裸になって踊っちゃってもいいかな?」


「ぎゃーっ!」

「それもブレイクダンスを」

「やめてやめて! あたしです! ごめんなさい楡木くん――あたしが烏山ですー!」

 と、烏山なすのさんは僕の身体を使って、そう白状したのだった。


 ■


「戻る方法なら知っているわ」

 自分が烏山なすのだと認めてからは、そのまま平伏した態度で接してくるかと思っていたけど、意外にも烏山さんは直ぐに鷹揚な態度に切り替えてそう言った。

 彼女は腕を組んでから、僕のことを見下ろしながら続けた。

「というか、もうわかっているかもしれないけど、入れ替わりを実行したのはこのあたしだから」

「やっぱり・・・・・・あの噂は本当だったんだ」

 烏山なすのは魔女の娘で、黒魔術師――そんな学校七不思議よりもくだらない怪談が真実だということを知り、僕は驚きを隠せずに呟く。けれど、実際にこうして人間二人の人格がチェンジするという超常現象が起きている以上、信じざるを得なかった。

 昨日の晩、彼女が旧校舎の一階にある空き教室で行っていた儀式が、きっとそのためのものだったのだろう。そりゃ驚きもする。術式を行っている最中に、その魔術をかける対象その人が現場に顔を出したのだから。

 人格の入れ替わりって漫画とかじゃお決まりのパターンだけど・・・・・にしたって、まさかそれが僕の身に起きるとは、やっぱりにわかには信じがたい。

 僕の呟いた言葉に、烏山さんは眉をひそめた。

「噂?」

「いやなんでもない。こっちの話」

「はあ。まあそれで、家の蔵で見つけた妙な巻物を発見して、それに書いてある通りに試してみたのよ。そしたら、まさか本当に入れ替わりができちゃうとはね・・・・・・あたしって天才かも」

 彼女の発言も去ることながら、しかしこの期に及んで、僕は男である自分の身体で、その口から<あたし>という一人称が飛び出ることに、妙な嫌悪感を抱いていた。

 普通にキモくないだろうか?

 ・・・・・・いやまあ、落語家さんだと思えばいいのかな。

「天才というか、僕にとっては天災もいいとこだよ。さっ、その入れ替わりの魔術が本当のものだったことはしっかり試せたわけだし、別に怒ったりはしないから、早く元に戻してよ」

 なるべく彼女を刺激しないように、そう優しく頼んでみたが、彼女からの返答は「いやよ」という素っ気ないものだった。

「どうして!?」

「ただ入れ替わりを試すだけだったら、わざわざ楡木くんみたいな赤の他人で試さないわよ。あなたの身体を借りたのには理由――目的があるからに決まってんじゃん」

「目的・・・・・・」

 なんだか、話が妙な方向に進んでいる気がする。

 恐る恐る、僕は訊ねた。

「それはいったい、どんなものなのでしょうか?」

「あたしね、ずっと、ずっと夢だったの・・・・・・あたし、楡木くんの」

 言いながら、烏山さんはうっとりとした表情を浮かべる。もしもこれで顔が烏山さんのものだったら、多少は可愛げもあったのかもしれないが、いかんせん顔面が僕そのものだったので、うっとりというか、うっとうしいことこの上なかった。

 しかし、それにしたって、

「君は、僕の・・・・・・」

 オウム返しをしながら、ごくり、と生唾を飲み込む。

 昨日、楡木さんはおどおどとした様子で僕になにかを言いかけて、そのまま僕の前から去ってしまった。思えばあの時の彼女の表情は、意中の相手に緊張をしている少女のそれだと、受け取れなくもなかった。

 まさか・・・・・・烏山さんって僕の事を・・・・・・!


「楡木くんの――身体に乗り移って柳生君と仲良くするのが、あたしずっと夢だったのよ!」


 あ、僕目当てではないんだ。

 というかもしかして、昨日の放課後に彼女が小さな声で話しかけたのは、隣の席の僕ではなくて、僕の前に座っていた邦彦に対してだったってコト?

 昨日のあのシーンを想起する。

 ・・・・・・たしかに、彼女の顔は僕には向いておらず、僕が手を伸ばしていた先の、柳生邦彦の方向を向いていた。

 さらに彼女の昨日の僕に対する発言を思い出す。

<ぁ、ぃや、違くて・・・・・・>

 ・・・・・・なるほど。

 僕はどうやら、大変痛々しい勘違いをしていたみたいだった。

「なに、どうしたのよ。そんながっくりしちゃって」

「別に? なんでもないけど? いや、ほんと」

 どうりで、さっき邦彦の隣を歩いているときの表情も、妙に解放感たっぷりというか、愉悦に満ち溢れた間の抜けた顔をしていると思った。さすがにあんなのが僕の真顔ではなかったということか──って、いやいや烏山さん、男友達相手にあんなに頬をだらしなく垂らして話す男子なんていないから・・・・・・。

「君は、そんなに邦彦のことが、その・・・・・・好きなの?」

 呆れながら僕が訊ねると、彼女は鼻の穴を膨らまして言った。

「好きよ・・・・・・大好き。だから悪いけど、しばらくこの身体は借りるから。柳生くんと楽しくお喋りしつつ、ついでにあたしの良いところを虚実入り混じらせて吹き込みまくるわ」

 腕を胸の前で組みながら、彼女は胸を反らした。その堂々とした佇まいからは、僕からの異論反論を受け入れる気が一切無いということが見て取れた。

 横柄というか、態度がでかいというか、本当にこれがあの寡黙で大人しい烏山さんなのかが疑わしくなる。普段の教室での弱弱しい姿は、黒魔術師としての人目を偲ぶ仮の姿ということなのかな。

 とはいえ実際のところ、僕だって彼女と直接話をしたことはない。話をしてみれば、彼女が実際にはどんな人格なのか知ることはできたかもしれないけれど、言葉を交わしさえしなければ、彼女は前髪の長いただの物静かな少女にしか見えなかった。

 しかし、そんな風に徹底的に他者を欺き続けるほどに警戒心の高い彼女が、それでも他人を巻き込むような大掛かりな黒魔術に手を出すための動機がそれなのだというなら、彼女を強く戒めることもできなかった。

 ・・・・・・なんか、素敵かも。

 恋は盲目というけれど、自らの恋心のためにそれほどの強硬策に打って出るほどの強烈な感情を、僕は尊重してあげたいとも思ってしまっていた。僕も一応、現在進行形で恋心を持っている一人の人間だからかもしれない・・・・・・同時に、こんなんだから僕はお人好しだなんだと、邦彦から小言を言われてばかりなんだろうな、と反省もする。

 入れ替わりで生活を送ることのリスクや大変さは、この僕にも少しくらい想像はつくけど、まあそれでも、烏山さんの意中の相手が<あの柳生邦彦>だというのなら、彼女の作戦も長続きはしないだろう。

 そんな腹積もりは隠しつつ、僕は烏山さんに釘を刺すことにした。

「烏山さんが、そこまで邦彦のことを好きだって言うんなら」

「好きじゃないわ。大好きなのよ」

「・・・・・・君がそんなにも邦彦のことを大好きだっていうんなら、少しの間は僕の身体を貸してあげるのも、まあ、やぶさかではないけどさ」

「ほ、ほんとう!?」

 まさか僕がこんなにもあっさり白旗を上げるとは思わなかったのか、烏山さんは声を上ずらせながらかぶりを振った。

「楡木くんって、思ってたより優しい人なのね。こっちは問答無用で身体を奪ったのだから、てっきりめっちゃ揉めることを想定していたわ」

 言いながら、ほっと胸をなでおろす烏山さん。

 確かに僕としても、烏山さんの動機が僕にとって心から応援できるものでなかったのならば、こうも簡単に停戦はしていない――しかし、停戦には協定が付きものだ。僕は烏山さんに、交換条件を提示した。

「身体は貸してあげるよ。でもお願いだから、小田原さんには変なことをしないでよ」

 僕が彼女の名前を出すと、烏山さんはぴくりと反応を示した。

「なに、楡木くんはあいつのことが好きなの?」

 あいつ、とは随分ととげとげしい物言いだった。しかしここまで来て誤魔化しは利かないだろう。相手は鈍感な邦彦ではないのだ。

「うん。好きだよ」

「・・・・・・むっつり」

 僕はなるべく素直に問いに答えたのだが、対する烏山さんはというと、僕にむけてジトっとした目を向けてきた。彼女の言わんとしていることはなんとなくわかる。

 僕は汚名を濯ぐため、勇気をもって弁明を試みた。

「別に、だれも胸目当てなんて言ってないじゃないか」

「こっちも胸の話なんてしてないわ」

 !

 僕の勇ましい弁明は、汚名を挽回する結果に終わってしまった。

 僕の尊敬してやまない小田原ゆきさんは、平均的な女子高生のそれを逸脱した豊満なバストを所持している。彼女の事を好きだと表明している男子生徒の視線の多くが、彼女のその上半身に注がれているのも事実だ。

 もちろん僕は彼女のそんなところに惚れたわけではないのだけれど、しかし現在、烏山さんからはあらぬ疑いをかけられており、さらにはその疑いが僕の失言により補強されてしまっていた。

 恥ずかしくなり、顔が熱を帯びる。

「うぅ・・・・・・」

 僕のそんな様子を見て、烏山さんはため息をついた。

「まあ仕方ないよ。あいつGあるらしいからね。男子はああいうの大好きだもんね」

 え?

 G?

 さすがにここまでの文脈で、それが女性のバストサイズを表す記号であることに考えが至らないほどに、僕はアホでもなければウブでもない。しかしGというそのアルファベットが指し示す女性の胸の大きさが、果たしてどれほどのものなのか判るほどに、僕は女子の肉体への造詣が深くはなかった。

 絶対的に分からないものへは、相対的なアプローチを試みるのがセオリーだろう。僕は現在の自分の胸元を指さして尋ねた。

 さながら、十回クイズのように。

「えっと、それじゃあこれは?」

「・・・・・・最低」

 烏山さんの瞳の奥が、すうっと冷気を帯びた。

「いや、だってそんな急にGとか言われても、男子の僕には分からないんだから、仕方がないじゃないか!」

「そ、それはそうかもしれないけど。でもだからって、あたしの口から言わせようとしないでよ。お家帰ってから、ブラのタグ見てみなよ。そこに書いてあるから」

 やれやれ、と烏山さんが首を振る。

「なるほど、そうやって確かめられるんだ・・・・・・」

 そして、そんな風に納得する僕。勉強になった。

 というか、僕の口から<ブラ>という単語がスルッと出てくることに、中身が烏山さんだと分かっていてもどぎまぎしてしまい、顔がさらに火照った。

「ていうか」

 その反応がおかしかったのだろう、烏山さんは続けて嫌らしい笑みを浮かべた。

「あの子、超ビッチだよ」

 ・・・・・・?

 どうしてか、したり顔でそう言う彼女に、僕は訊ねた。

「それは、本人がそう言っていたの?」

「いや、それは」

 想定していたものとは違う言葉が返ってきたからか、ここにきて烏山さんは珍しく口ごもる。

「烏山さん本人が言ってたわけじゃないんだね。なら信じないよ、そんな根も葉もない噂」

「ふうん」

 と、烏山さんは鼻白んだ様子で呟いてから、腕を組み直して言った。

「まあ、なんでもいいけど。それじゃ最後にだけど、こっちからも一つだけお願いしていい?」

 ただでさえこちらは自分の肉体を無断で使われているというのに、僕から一つお願いをしたら、それと引き換えに追加の要望を出してくるとは、もはや彼女はやり手の交渉人というよりも、ただの図々しい人に思えた。

「・・・・・・なに」

「あなたもその身体で、きちんと隙を見て柳生くんと仲良くしてよ。魂を戻したときに、より確実に烏山なすの好感度を高く持っておきたいから」

 なるほど。彼女の言っている内容は僕にも理解ができた。

 というか、烏山さんが楡木悠の身体を使って彼女自身を邦彦にプレゼンするよりは、僕が烏山なすのの身体を使って邦彦にアプローチした方が<普通は>有効的だろう。

 けど、

「そんな役目が、僕にできるかな。僕ってあんまり、自分のことを良く見せたりするのとか、そういうの得意じゃないんだよ」

「まあ、そんなことは見ればわかるけど」

 うっ。

 自分で分かってはいることでも、他人から言われるのでは、精神へのダメージ量のケタが違うということを、この女の子は知らないのだろうか。

「ならやっぱり、僕はあんまり動かないほうが」

「べつに、あなたに美女を口説けって言ってるわけではないじゃない」

「いや、とはいってもさ」

「自分と同じ性別の、なんなら普段から親しくしている男子生徒と、ちょいちょい世間話でもしてくれれば、それで構わないから。ね、だめ?」

「うーん・・・・・・でも」

 相手が、他ならぬ彼だということが問題なんだよなあ。

 と、煮え切らない態度を取っていた僕に、とうとう烏山さんは――吠えた。

「だーっ! もう! うだうだと仕方がない男ね! 分かったわよ。ならあたしが先にしてあげるから、それならあなたもやる気を出すでしょ!」

 先にしてあげる・・・・・?

「どういうこと?」

「だからぁ」

 いまだ要点を掴み兼ねている僕に、烏山さんはさらに勢いを増して檄を飛ばした。


「まず先に――あたしがあいつを攻略してあげるって、そう言ってんの!」


 ■


「まずはスマホを交換しましょう」

 そう言って、烏山さんは僕の使っているスマホをカバンから取り出した。スマホ、と言われて、僕は大切なことを思い出した。

「僕のスマホの中、見てないよね?」

「そんな失礼なマネしないわよ」

 よかった。烏山さんは次に自分の身体を操作するのがこの僕になることが分かっていたから、予め自分のスマホの生体認証のキーを変えていたのだろうけれど、そんなことを予期することのできない僕のスマホは、彼女が僕の顔でスマホの画面を覗き見れば、それだけでロックはたやすく解除されてしまうのだ。

 言われた通り、僕も烏山さんにスマホを渡した。ケースに入っていないのが意外にも漢らしい。そして僕と烏山さんの二人は互いにパスコードでスマホのロックを解除してから、互いの家族や友人の個人情報を引き継いだ。

「まあ、僕の交友関係はざっとこんな感じかな。僕は器用なタイプじゃないから、相手事に態度を変えたりはしてないから、烏山さんの思っている通りに動いてくれれば、そんなにおかしなことにはならないと思うよ」

「そう。裏表がなくて素敵ね」

「べつに、不器用なだけだよ・・・・・・というかそれで言ったら、烏山さんの方こそ、実は随分と・・・・・・」

 と、僕が言葉を選んでいると、烏山さんは「なに」と先んじて反応を返した。

「態度が大きいって言いたいの」

「まあ、うん」

 ・・・・・・だって、しかたないじゃないか。普段は小動物みたいにして教室で縮こまっている生徒の、その中身が実はこんな横柄な人柄だったなんて、一クラスメートとしては普通に驚かせてほしい。

「あたしも入れ替わりを実行するだなんて、相当な無茶をやっている自覚はあるからね。ここまで来たらなりふり構ってられないのよ。今までみたいにびくついてたら、柳生くんの恋人になんてなれっこないって、分かってるもの」

 いじけたように烏山さんはそう言った。確かに彼女の言う通りかもしれない。僕は彼女の魔術による被害者だから、現状をただ受け入れるしかなかったけれど、加害者も加害者なりに、場合によっては被害者以上に大きな覚悟を持たなければ、こんな大掛かりな作戦は実行できないのだと思う。

 それでも烏山さんは自らの悲願を差し置いて、先に僕の身体で小田原さんを攻略──もとい、仲良くなってくれるというのだから、意外にも面倒見がいい。僕もそんな彼女の足を引っ張るようなことはしたくないので、私生活の引継ぎは綿密にしておかなければと、気を引き締めて彼女に言った。

「それで、烏山さんの方の交友関係を教えてよ」

「あたしは友達なんていないから、気にしなくて平気よ」

「・・・・・・」

 自らの出自を隠すためとはいえ、華の女子高生が友人を一人も作らずにこれまで学び舎に通い続けていたのかと思うと、僕の瞳を湿らせるものがあった。

 僕がごしごしと目元を拭っていると、烏山さんは慌てて補足をした。

「でっでも、そんなあたしにも、柳生くんはなんてことなく接してくれるの。素敵なお方だわ」

 なるほど。友達を作らなくても平気だと言ってのける彼女が、それでも親密な関係を持ちたいと思えるような相手ができて、それが邦彦であったということか・・・・・・あいつも罪な男だ。

 恋は盲目の例えじゃなくても、そもそもこの子には他の人のことなんて眼中になかったということだ。

 ・・・・・・しかしそんな烏山さんも、邦彦の本性を知ったら直ぐに僕に身体を返してくれるだろうと思うと、安心すると同時に、少しだけ切ない気持ちになる。

 それでもまさか親友の大切な秘密を、僕が明け透けに誰かに話すことなんて、たとえ烏山さんのためであってもできないことだった。


 最低限の引継ぎを終えたところで、朝のHRの予鈴が鳴った。下駄箱を目指す道中、烏山さんが苦笑を漏らした。

「しかしまさか、あたしが男の子の身体に入って、あんなビッチを口説く日が来ようとはね」

「小田原さんがビ──そういう人かはともかくとして、一応言っておくけど、それはそっちから提案したことでしょ」

 と、あくまでも僕から彼女に嘆願したことではないことを、僕は改めて協調してから、「というか」と続けた。

「こういう学園内を舞台にした人間攻略って、普通はカーストの高い人じゃなきゃ指南できないんじゃないの?」

 僕は頭の中で、いくつかのラブコメディもののライトノベルを想起する。そのどれもが、冴えない生徒をイケイケの生徒が更生させていくという構成だった。

「言っちゃなんだけど、烏山さんって・・・・・・その」

「分かってるわよ。人間関係を熟知しているようには見えないって言うんでしょう」

 言い淀む僕の言葉を接いでから、彼女はふふっとほほ笑んだ。

「心配は無用。女のあたしには、アフィブログやハウツー本には載っていないような真の女ウケってものが、まさに手に取るように分かっちゃうんだから。同じクラスの女子高生一人口説くのなんて、朝飯前よ」

 一口に女子高生と言ってもいろんなタイプの女の子がいるわけだから、僕にはそんな風に上手くいくとは思えなかった。しかしそれでも、標準的な女の子ウケを、彼女は世の中のどんな男子よりも把握しているということは間違いないだろう。

 少なくとも、僕なんかにはその言葉に反論をすることができなかった。なので、

「頼もしい限りだよ」

 と僕は納得を返す。

 上履きに履き替えて(始めは間違えて、いつもの癖で僕自身の上履きを履いてしまって、そのぶかぶかさに笑ってしまった)僕たちの教室を目指しながら、烏山さんが僕に向けてびしりと指を立てた。

「ていうか、そろそろちゃんと女の子の口調を遣わなくちゃダメじゃないか」

 急に言葉遣いが変わったと思ったが、どうやらそれは僕のマネをしているらしい。声帯は僕のものであるため、確かにぱっと見には中身が別人だということは判りそうになかった。

「あ、うん・・・・・・分かった、わ」

「うん」

 ニコリ、と烏山さんが笑う。

 階段で二階に上がりながら、ふと今朝の登校風景を思い出して僕は呟いた。

「そういえば、今日は小田原さんの姿を見かけなかったな、わ」

 僕の言葉遣いのミスにめざとくしかめっ面を浮かべた彼女は、しかしそれに対して、しれっとした顔をして答えた。

「たしか――あの子は昨日から生理だって話してるのを、僕はお手洗いで聞いたよ」

「・・・・・・」

 そして、僕の沈黙の意味を彼女はどう捉えたのか、「ああ」と早合点して続けた。


「小田原さんは生理が重いタイプだからさ。ははっ、たぶんそれで休んでるんじゃないかな、烏山さん」

「僕の口でそんなこと言わないで!」

 

 なにが<ははっ>だ。

 ほんとにこんな調子で、僕たちの入れ替わり生活がうまくいくのかが不安になる僕だった。


 ■


 ちなみに余談だけれど、後でひっそりと確認したところ、烏山さんのバストはAA65だった。

 彼女がどうして小田原さんのことをああも敵視するのか、訊ねるのはやめにしようと、僕は一人誓うのだった。

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