あいつを攻略してあげる。

@morokoromo

第1話 うそ? これが僕・・・・・・?


 拝啓お父様、お母様。

 あなたがたの不出来な息子はこの度、女の子になってしまったようです――。


 そんな親不孝な手紙を心の中でしたためながら、僕は鏡に映る<女の子>の姿をまじまじと見る。僕が右手を上げると、全く同じタイミングでその子は左手を上げた――やっぱり、何度確かめても間違いがない。どうやら僕の身体は本当に・・・・・・。

 いやいや、待て待て。

 どうしてこうなったのか、まずは記憶の糸を手繰ろうじゃないか。だって、昨日までは僕、楡木悠にれぎゆうは普通に普通の十六歳の男の子だったのだから。普通に女の子に恋をするような、一般的な男の子だったのだから。

 たしか、昨日はいつも通り朝起きて、支度をしてから家を出て、学校の近くで邦彦と一緒になって、たわいもない話をして・・・・・・。


 ■


 僕たちの通う高校は、この町の果ての方に立地している。それ以上北に進んでもあるのは田んぼや畑くらいで、だから多くの生徒は南側の、駅や住宅街がある方から学校に向かう。従って、校門に続くこの道は朝のこの時間になると僕たちの高校の生徒で賑わう。

「つまりはだな悠。映画や漫画でよく目にする<禁断の関係>という煽り文句は、多様性を受けいれることを良しとするこの世の中ではもう使用に耐えないんじゃないかと、俺はそう思うわけだが」

「うーん、そうだね・・・・・・」

 隣を歩く柳生邦彦やぎゅうくにひこの話に耳どころか首も傾けつつ、しかし僕は意識の殆どを、数メートル先を歩く一人の女子生徒に向けていた。他に話し相手なんていくらでもいるであろう親友の、早朝からの熱弁に同じ熱量で議論を交わすことができていないことは、友人として不甲斐なく思いはするけれど、それでもやっぱり、自分の気持ちを抑えることはできないのだった。

 僕の視線の先にいる少女――小田原ゆきさん。

 小田原さんは今日も、ガチガチの校則違反であるパーマをゆるゆるに当てた髪を振り回しながら、彼女と負けず劣らず派手なルックスをした女子生徒らと楽しそうに話をしている。そんな彼女の後ろ姿をただ見ているだけで、僕の心はドキドキとしてしまう。

 僕は小田原さんに強い憧れを持っている。

 憧れ、というのはちょっとカッコつけた言い方で、もっとストレートに言うならば、僕は彼女に恋をしている。

 高校二年生になって、彼女と同じクラスになれた時には、本当に小躍りをしてしまうくらいに嬉しかった。新クラスが公表された今年の三月には、彼女と同じクラスの張り紙に僕の名前が記されていることがにわかには信じられず、「ある、僕の名前が・・・・・・ある」と呟いた際には、隣にいた邦彦から「お前は進級も危ぶまれるような成績だったのか?」と苦笑されてしまったほどだ。

 しかし、僕はそんな意中の相手とようやく同じクラスになれたというのに、春が終わり夏が訪れつつある今日にまで、情けないかな何の接点も持てずにいた。

 特別女の子と接するのが苦手というわけではないのだけれど、それでもやっぱり好きな人が相手だと緊張してしまう――それに、彼女に話しかけるのを躊躇ってしまう、特別な事情もあった。

 こんなことを、色恋の話に疎い邦彦に相談するわけにもいかない。心の中でため息をつくと、そんな態度を不審に思ったのか、僕の視線の先をとらえながら邦彦が聞いてきた。

「なんだ、小田原たちがどうかしたのか」

「へ!? あ、いや・・・・・・小田原さんは今日も元気だなあ、と」

 こんな分かりやすいごまかしも、驚くことに邦彦には通じてしまう。彼は僕の言葉を額面通りに受け取ったらしく、

「そうだな。まあ人間、元気が一番だからな」

 と退屈そうな顔を浮かべて一般論をあげてから、

「しかしいくら元気とはいえ・・・・・・去年のマラソン大会の件は、あまり感心できないがな」

 そう言って、シルバーフレームの眼鏡を持ち上げた。僕は彼のその言葉に、ただ黙ることしかできなかった。

 小田原さんは、その陽気な性格や可愛らしい容姿、さらに一部の身体的特徴から、多くの生徒から慕われている。しかしその反面、一部の人間からはあまり良く思われていないのも事実だった。

 影で彼女のことを指す際に使われているいくつかの単語を頭に思い浮かべるだけで、僕のお腹の奥はぐうっと重たくなった。沈む気持ちを邦彦に悟られないよう、僕はなるべく声を弾ませて彼との会話を続けた。


「ぁ、ぁの」

 放課後になり、今日はどこか寄り道して帰ろうか、と前の席に座る邦彦の肩に手をかけようとしたところで、隣の席の女子生徒から声がかかった。いや、そのか細い声は本当に僕に声をかけたのかが、判断に悩むレベルのものだったけど、僕は声のした(と思われる)方に顔を向ける。そこには重ための前髪が目にかかっている女の子、烏山からすやまなすのさんがいた。

 彼女は僕から顔をわずかに背けていて、その視線は僕の手元辺りに注がれていた。

「烏山さん? どうかしたの?」

 小動物のように大人しい気性の彼女を刺激しないように、僕は柔らかい声音に努めて、彼女と同じように小さな声量でそう問うた。クラスでも誰とも話すことはなく、ひとりぼっちでいることの方が多い彼女が、一体僕になんの用があるんだろう。

 しかし、烏山さんは僕からの質問にも、

「ぁ、ぃや、違くて・・・・・・」

 とおどおどするばかりだった。まるで僕がおどろどろしいおどしでもしているかのような、そんな被虐的な態度で烏山さんはふるふるとその小さな肩を震わせた。

 烏山なすのさんは、物静かで大人しい清楚な女の子だ。

 一方一部からは、陰キャで根暗の地味女だとも言われている。

 物は言いようだとは思うけれど、僕はそんな言い方はいいようには捉えられない・・・・・・けれど、さらに一部でまことしやかに囁かれている噂については、正直賛同したくなる気持ちもわずかにだけど、ある。

 ――烏山なすのは魔術師らしい。

 などといった荒唐無稽な噂だが、それでも、と目の前の彼女を見て思う。

 背も小さく、足も腕も枯れ枝のように細くて、白魚のように青白い。何のためか伸ばされた前髪は彼女からその表情を奪い、いつも一人静かに佇んでいる烏山さんは、むしろ孤独を好んでいるようにさえ見える。こうやって教室で毎日顔を合わせていて、それも去年から同じクラスである僕だからこそなんとも思わずにいられるけれど、それでも例えば暗い校舎や街灯のない夜道で彼女を見かけた際には、少しは不気味な存在に見えてしまうかもしれない。

「悠、帰るぞ」

 変な想像をしていたからか、邦彦から名前を呼ばれてはっとする。小さな声の応酬だったからか、僕と烏山さんが話をしていたことに、邦彦は気が付いていなかったようだ。

「でも、烏山さんがなにか・・・・・・」

 言いながら、視線を邦彦から隣の席に移して、絶句する。

 もうそこに、烏山さんの姿はなかった。

「どうした?」

 表情を凍らせる僕を見て、邦彦は首を傾げた。


 夏の日は長い。じわじわと気温が上がり、じわじわと汗ばむことが多くなり、むしむしと湿度が高くなり、むしむしと虫が増えてくることで、夏の到来は感じてはいる。けれど、もう五時になるというのに空が快晴なブルーであるということには、それらのこと以上に<夏だなー!>と強く実感できてしまう。一日が長く感じられてとってもお得だ。

 しかし僕のようにお得感を感じている人ばかりではないみたいで、校舎から出てすぐに、日差しから肌を守るために日傘を差している生徒が散見された。表が白や銀で、裏が黒色になっているオーソドックスなものから、レースがあしらわれているオシャレなものまで、多様な日傘を差した高校生が歩いている図というのは、未だ見慣れない。けれど近頃では小学生ですら、登下校時には日傘を差しているのだから驚きだ。

 ちょうど僕と邦彦の前を歩いていた生徒も、日傘を取り出すところだった。それには可愛らしい黒のフリルが帯びていた。多少日は傾いてきているものの、それでも燦々と日光の照り付ける日中で、その傘がある場所だけポカリと光が無くなっているのは、ちょっとだけ違和感を感じる。そんな陽気の中に浮かぶ黒々しさに、僕は先ほどの教室でのことを思い出してしまう。

「烏山さんってさ」

 校門をくぐったところで、邦彦に聞いてみた。

「いつも独りでいるよね。邦彦って、あの子と話したことある?」

 外堀から埋めるような問いかけだったけど、邦彦は勘繰ることなく質問に答えてくれた。

「一度だけあるぞ。去年の文化祭で」

「ほんとに? 邦彦が烏山さんと? 一年生の頃でしょ? 想像つかないなあ」

「俺だって女子と話すことくらいあるさ。生徒会の仕事で見回りをしてるときだったかな。羽目を外しすぎている生徒がいると聞いて現場に駆け付けたときに、その場にたまたま居合わせていた烏山からも事情聴取をしただけだ」

 ・・・・・・なんだ、それじゃ仕事でちょっと話をしたってだけか。

 そんな落胆が伝わってしまったらしく、邦彦が僕に向けて目を細めた。

「どうした悠。急に烏山の話題なんて持ち出して。もしかしてあの女に何かされたのか?」

「そんなんじゃないよ。たださ、ほら烏山さんって一部じゃ魔女の娘だとか、黒魔術を使うとか、なんだか色々言われてるじゃん。そのことがなんか気になっちゃって」

「なんだ、そんなことが気にかかるのか。気優しいお前らしいが」

 と言って、邦彦は前を向いた。

「有り得ないことだな。魔女だ魔術だとバカバカしい」

 眼鏡の角度を調整しながら、邦彦は吐き捨てるように続けた。

「そんな噂をするのは烏山に失礼だ。よしんば魔女や黒魔術師が本当にいたとして、それらを不気味な存在の例えに用いるのもまた失礼だ。魔女や黒魔術師当人らがそんな話を耳にしたときに、彼らがどんなことを思うのかが想像できていないんだな」

 毅然とした態度で邦彦はそう言い切る。

 彼は真面目で優しく、芯のある男だ。自分の考えや発言を表に出すことに、なんの衒いもない。そのせいで周囲と衝突をしてしまうこともしばしばあったけれど、自信に満ちあふれた邦彦の人間性を、僕はとても尊敬している。

 ・・・・・・それにしても、<魔女や黒魔術師が本当にいたとして>という真面目な言葉は邦彦らしい。けれど、もっと可能性を網羅するのなら、<烏山なすのが黒魔術師だったとして>というパターンでの意見も聞いてみたいところだった。

 もしもの話にすぎないけれど、彼女が本当に黒魔術師だったとしたら、そのとき彼女をそれだと噂することは失礼にあたるのか、邦彦の意見が気になった。


 ■


 僕の通う高校には、職員室や図書室それから一般教室などが入った本校舎と、そこから二階の渡り廊下で繋がっている旧校舎が存在する。旧校舎の方には美術室や音楽室、多目的教室が入っている。

 僕の教室は本校舎の二階にある。夜、ロッカーに入れっぱなしにしてしまった宿題を回収しに行ったタイミングで、僕は一人の女子生徒の姿を目撃した。

「あれは・・・・・・烏山さん?」

 既に時刻は七時を回っており、初夏とはいえ教室北側の廊下はさすがに真っ暗だ。それにどうやら今日は新月のようで、月明かりにすら頼れない。そんな状況で小柄な少女を見かけたからといって、それが烏山なすのさんなのか判断はつかないはずだけれど、なぜだかこの時僕はそれが彼女に違いないという確信をしていた――ちょうど、彼女のことを考えていたからかもしれない。

 恥ずかしながら僕はこの日、宿題を教室に置いたまま帰ってしまった。いつもならそんなヘマはしないのだけれど、突如僕の隣から姿を消した烏山さんに動揺してしまい、帰り支度をおろそかにしてしまった――いや、そんな風に人のせいにするのはよくないよな、と暗闇の教室でひとり反省しているときに、その人影を見たのだった。

 もしかして烏山さんも僕みたいに忘れ物をしたのかな、という考えをすぐに取り下げる。彼女は僕みたいなドジではないだろうし、なによりも彼女(と思われる人影)は旧校舎へと繋がる渡り廊下に向かって歩いていたのだ。その先に忘れられる私物など無い。

「こんな時間にどうしたんだろう」

 暗い帳の降りた校舎の不気味さを誤魔化すように、僕はひとりごちる。烏山さんは部活には入っていなかった気がするし、そもそもこんな遅い時間に活動している部活なんてないはずだ。

 ・・・・・・行ってみようかな。

 クラスメートを尾行する趣味はないのだけれど、今日の放課後に、僕に何事かを話しかけようとしていた彼女の姿が頭に引っかかった。まともに話をしたこともない烏山さんのことを、なぜだか僕はほっとけなく思ってしまっている。うす暗い渡り廊下を、僕は恐る恐る歩き出した。

 旧校舎は三階建てだ。三階には音楽室があり、二階には美術室と一般科目用の資料室が存在する。最下部である一階には普段は使われていない多目的教室(という名の空き教室)がある。

 空き巣がタンスを物色する際には、下の段から開けていくと効率的だというノウハウを聞いたことがあるけれど、僕は空き巣ではないので、初めに音楽室のある三階から足を運んだ。

「烏山さーん?」

 僕の声が、しんとした廊下に響く。しかし、応えはない。もしもあの影が烏山さんだったとして、こんな人気のない場所で僕と遭遇したら驚くかもしれない。まあその時には、正直に話をすることにしよう。

 放課後、僕に何か言いかけてたよね? 忘れ物を取りに教室に来たら、こっちに歩いてる烏山さんが見えたから、そのことを聞こうと思って。何か僕に言いたいことがあるなら聞くけど――と、そう言おう・・・・・・などと考えをまとめられるくらいには、僕は長いこと烏山さんを見つけることができなく、そして三階二階と捜索は空振りに終わり、現在は一階の一番奥にある多目的室の扉の前まで来ていた。

 ここが最後の教室だった。

「何してんだろ、僕」

 ぼそりと呟きながら、肩を落とす。どうせここにも彼女はいないのだろう。ただでさえこんな遅い時間に自宅に戻り、そこから明日提出するための宿題に取り掛からなければいけないというのに、どうしたって僕はこんな場所で人探しをしているといのか・・・・・・。

 嘆きながら、建付けの悪くなっているドアを横にガラガラとスライドする。


 果たして、そこには烏山なすのの姿があった。


 明かりのついていない教室でも、そこにしゃがみ込みながら床に両手を付けている彼女が僕のクラスメートの烏山なすのさんであるということは、すでに暗い廊下をしばらく歩きながら暗順応した僕の目では確認できたし――彼女の前に見慣れない記号や言語が描かれた図形が浮かんでいることも、同時に視認ができた。

「え・・・・・・?」

 そこにいる少女が曰く付きの彼女でなかったとしても、そして壁が邪魔でその図形の半分程度しか見えていなかったとしても、僕には床から浮かび上がるそれが、いわゆる<魔法陣>というやつであることが察せられた。

 静寂に満ちていたであろう教室のドアが突如不躾に開けられたことで、烏山さんは僕の来訪にはすぐに気が付いていた。こちらに首を向けた彼女は、随分と驚いた顔をしていた。

 日頃俯いてばかりの彼女が、そうやってこちらを見上げてくることなんてこれまでなかったものだったから、僕はそのとき初めて、普段は前髪の向こうに隠されていた烏山さんの双眸を見ることができた。

 とても、綺麗な瞳をしていた。


 ■


 目を覚ましたことで、それまで自分が意識を失っていたことに気が付いた。覚醒するよりも先に、後頭部の痛みが僕を襲った。

「つっ・・・・・・!」

 痛みの元に手を伸ばすと、そこには大きなたんこぶができていた。続けて、背中の肩甲骨あたりにも鈍い痛みが走った。どうやら僕は、後ろ向きに倒れて、昏倒してしまったらしい。辺りを見渡すと、そこは僕の通う高校の旧校舎で、ついさっきまで自分がどこで何をしていたのかを思い出した。

「・・・・・・いま、何時だ」

 ポケットからスマホを取り出して確認する。八時を少し過ぎていた。あまり長い間気を失っていたわけではないらしい。しかしそれにしては、長いこと眠っていたときのような気怠さが全身に漂っていた。さらになんだか身体の内側が熱い。

 頭をさすりながら、ゆっくりと立ち上がる。ドアの開け放たれた多目的室に目を向けるも、そこにはもう誰もいなかった。今日の放課後と一緒だ。烏山さんは、目を話すとすぐにどこかに消えてしまうみたいだ。しかし今回は烏山さんどころか、床から浮かびあがっていた魔法陣も綺麗に無くなっていた。

 ・・・・・・もしかしたら、あれもこれも全て僕の見間違いなのかもしれない。

 頭の奥がぼうっとするし、人気のいない空き教室でクラスメート(+謎の魔法陣)を見る可能性よりも、実は体調を崩していたまぬけな僕が白昼夢を見た可能性の方が、思ってみれば高い気がする。

 家に帰り、痛む頭を抑えながらなんとか宿題を終えて、その日はすぐに寝てしまった。全身は依然怠いままで、数分置きに悪寒が僕を襲った。自分の身体によく効く風邪薬を飲んだのだが、どうしてか症状は一向に収まらなかった。

 荒くなる吐息を、どこか遠い場所で聴こえるもののように感じながら、僕は自分の意識がだんだんと眠りに入る感覚を感じていた。

 体調が悪いせいか、いつの間にか僕は夢を――悪夢を見ていた。

 夢の中でも、僕は高熱を出していた。よく見慣れた教室でぽつんとひとり、僕は自身に必要なものを探してもがいている。けれど、どれだけ必死に手を動かしても、それは見つかることがない。

 どうしてだろう。僕が腕にどれだけ力を入れても、腕はちっとも速く動いてくれない。それどころか、そんな逸る気持ちだけが先走って、むしろ自分の身体がスローモーションのようにゆっくりと動いているような気さえした。時間の経過に従い、だくだくと全身から汗が噴き出る。

 そこでふと、隣に気配を感じて顔を向けると、傍に一人の女の子が立っていた。

 彼女は僕に向けて言った。

 ――もしかして、


 そこで目を覚ました。

 カーテンの隙間から朝日がこぼれて僕の顔に照り付ける。眠りが浅かったからか、アラームの鳴るよりも早く起きてしまった。なんだか変な夢を見ていたような・・・・・・そう思い後頭部をさすりながらあくびを一つしたところで、僕は違和感に気が付く。

 もういちど念入りに頭をさするが、結果は変わらなかった。

 頭のこぶが消えていた。

 ほんの十分程度とはいえ、気を失うほどの衝撃を受けたのだ。一夜で消えるようなものだとは思わなかったけど・・・・・・成長期というのは恐ろしいものだ。

 などと都合のいい解釈で、自身の身体への違和感を拭おうとしたが、その解釈はすぐに棄却せざるを得なくなった。ベッドから立ち上がってすぐに、僕はその異変に気付いた。


 ・・・・・・なんか、視点が低くない?

 というか、足も胴体も腕も、総合的に短くなってない?


 僕も決して身体が大きい方ではないのだけれど、それでも高2男子としては標準的な身長をしている。むしろこれからだって身長は伸び続けるだろう。なぜなら、成長期なのだから。

 しかしだとしたら、目を覚まして自分の身体が縮んでいるというのは、おかしくない? なぜなら、成長期なのだから。

 後頭部を打って気絶した直後に身体が縮んでいるのなら、実は僕が現役の高校生探偵だったという設定が浮上することで理屈の筋は通せるとは思うけれど、僕は昨日気絶から復帰したあとには、そのまま自分の身体で自宅に帰っている――というか、そもそも僕は高校生探偵ではない。

 ぺたぺたと身体のあちこちを触って、起きたばかりの自分の身に何が起きたかを見分する。そして直ぐに、驚くべき新事実が判明した。起伏の少ない身体のせいで、すぐには判らなかったのだ。

 ――僕は身体が縮んでしまったのではなくて、

 ――身体が女の子になってしまっていたようだった。

 身も蓋もない言い方になるが、あるべきものがそこに無かったことを、触診および目視によって断定した。

 丁度良く学習机の横に置いてあった(こんなのあったっけ?)姿見の前に立つ。身体がそうなっていたのだから、当然のことかもしれないが、僕は髪の毛も伸びていたし、顔立ちも以前までの中性的なそれから、完全な女性的なそれになっていた――いや。


 女性的というか――烏山なすの的なそれになっていた。


 鏡の中には、昨夜空き教室で見かけたとき同じ表情(どころか同じ顔)で、驚きを露わにした烏山さんの姿があった。

 ・・・・・・。

 なるほど。

 これはずばり――いわゆる<入れ替わり>ってやつか。


 ・・・・・・・・・・・・って、


「ええええええええええ!?」

 僕は、叫んだ。

 その絶叫を耳にして、自分の喉からこんなにも可愛らしい黄色い悲鳴が飛び出ることに、本日何度目になるか分からない驚きを獲得し、そして、

「きゃあああああああーっ!!」

 僕はもう一度叫んでしまうのだった。


 拝啓お父様、お母様。

 あなたがたの不出来な息子はこの度、女の子になってしまったようです――。

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