短編小説 私と女の子

あるところに女の子がいた。女の子は病気で学校にも行くことができず、毎日病院で暮らしていた。唯一の楽しみは絵を描くこと。私は女の子の描く絵が好きだった。



女の子は今日もペンを構える。今日は「学校に行っていたら」という題らしい。絵には、楽しそうに学校に登校する生徒たち。真ん中に描かれているのは女の子…自分自身だろうか。しかし、真ん中の女の子に表情はない。顔が描かれていない。


他人の顔はすごく繊細にかけるのに、自分の顔はなかなか描くことができない。私は一人で泣いている女の子を見ていた。


その女の子は学校に行くことができない。私は何もしてあげられない。母は女の子を産んだときに亡くなっている。父はショックで鬱病になる。女の子は産まれた時から正体不明の病気にかかっており、ずっと暗い病室に閉じ込められている。そんな女の子に病院の先生が授けたのが、スケッチブックだった。このスケッチブックは亡くなった母のものである。私はこの時に女の子に出会った。そのときの女の子は、はっきりと思い出せるほど暗い印象を私に与えた。しかしこのスケッチブックとの出会いが変化をもたらした。


女の子が最初に描いた絵、それは「リンゴ」の絵だった。形は崩れていて、うまいとはいえない細長いリンゴ。私は思わず笑ってしまった。もちろん声は出ない。女の子は出来上がったばかりの絵を見る。無表情だが、かすかな表情は満足しているように見えた。女の子はその絵に題名をつけた。「りんご」と。


女の子が描いた絵で一番印象に残る絵は、夕焼けの背景で夕日に向かって手をつないで家に帰る途中の親子だ。横を向く少女の表情が特に印象に残った。悲しい顔にも見えるし、嬉しそうな顔にも見える。一方、隣の若い女性は前を向いていて表情がみえない。絵が完成したとき、女の子は最後に母の顔付近に小さな付け足しをした。小さな「涙」を。題名は「別れ」。


女の子が描いた絵で苦手な絵もある。その日は大雨だった。女の子は雨の音など聞こえていないかのように静かに描き続ける。一人の男の子が蹲っていて、そのまわりに黒、黒、黒…。女の子は無表情で絵を描く。題名は「暗黒」。


女の子が描いた絵で一番好きな絵は、最近病室の窓にいる野良猫の絵だ。ときどき女の子のいる部屋の窓に来ては「ニャー」と鳴く。女の子にとってそれは初めての友達なのかもしれない。暖かそうな部屋で気持ちよさそうに寝ている猫の絵。今すぐにでも動き出しそうだ。女の子は完成したときほんの少しだけ笑ったように見えた。初めて女の子の笑顔を見た瞬間だった。題名は「マリちゃんの休日」。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


夜中、大人が窓越しに話しているのが聞こえた。私は耳を傾ける。まぁ私には耳はないのだが…


「もう一か月持つかどうかですね」


「あぁ、ここまで生きてこれたのが不思議なくらいだ」


私は現実を受け止められない。女の子は病室にこそ居るものの、普通の女の子と同様だ。どうして世界はこうもいじわるなのだろう。女の子は、すやすやと寝息をたてている。とても残り一か月の命だとは思えない。


「どうしましょう。このことは伝えるべきなのでしょうか?」


「いや、何も言わないのが一番いいだろう。最後まで絵を描かせてあげよう」


寝ている女の子の頬に涙が伝った。せめて最後には学校に行かせてあげたい。女の子はきっとクラス一位の人気者になる。友達に囲まれて笑顔で周りを楽しくさせる。そんな女の子になるだろう。代われるものなら代わってあげたい。


その次の日に描いた絵。


「今日も絵を描いてるの?」


そう言うのは病院の看護師だ。いつものように昼御飯を持ってきて、花の水を入れ換える。女の子はいつものごとく無反応だ。


「あっ!その絵お母さんにそっくり。あなたのお母さんもね、絵を描いてたんだよ」


女の子は手を止め、看護師の方へ向いた。私もお母さんを知っているので、女の子の描いた絵に驚いた。女の子は知るわけがない。


「あなたのお母さんはすごい絵が上手だったわよ。そのペンや消しゴム、スケッチブックは元々はお母さんのものだったのよ」


女の子は自分の描いた絵をしばらく見つめ、題名を付けた。


「会いたい人」と。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


女の子はだんだんやせ細っていった。私はこの先を想像したくない。腕力が低下しても女の子は絵を描くことだけはやめなかった。体が弱っても絵を描くときは本気で描いた。そしてしばらくの間、女の子は泣かなかった。


私が最後に見た絵は「笑顔」。学校の授業風景。その中で元気よく手を挙げる少女。自分自身だろう。隣にいる男の子や先生の顔は描けているのに、顔が描けない。女の子は絵を見つめる。そして細いペン先を絵の顔に持っていった。ペン先は震えているが、女の子は確実に描いていく。


「違う…」


滅多に話さない女の子は言葉を発した。そして私を使った。私の体の一部がなくなる。女の子は描く、消すを繰り返す。楽しそうな表情の少女を描きたいのだろう。しかし、描かれるのはどこか寂しそうな少女。女の子は自分自身の笑顔が描けなかった。いや、自分自身の笑顔を知らなかった。女の子は最大限の力を発揮し、絵を描く。女の子は涙を流す。


「違う…違う…」


その時、窓が突然開いて風が入り込んだ。そして、紙が女の子のスケッチブックの上に落ちてきた。


『お誕生日記念。私たちのところに生まれてきてくれてありがとう。でもごめんなさい。私はあなたの顔を見ることはできなくても、どこかでずっと見守っているから。強く生きるのよ。このスケッチブックは昔私が使っていたものです。生きている間に色々なものを見て、感じ、このスケッチブックにたくさんの夢を描いてね。毎日笑顔で生活して友達をたくさん作ってね』


女の子は泣いた。とにかく泣いた。さきほどの冷たい涙ではなく、暖かい涙を。そして、絵にペンを構えた。いつものように静かに絵を描き始めた。私の体はだんだんと無くなっていく。女の子の「できた…」という声が聞こえる頃には体はほとんど無くなっていた。もうほとんど無い体を必死に傾けその絵を見た。


そこには笑顔がとても可愛い、一人の少女がいた。


女の子はスケッチブックを抱きしめた。窓から一匹の野良猫が見つめる。 そして、「ニャー」と鳴いて何処かに行ってしまった。


私の意識はもうそこにはなかった。


こうして私は、一生を閉じたのである。

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