短編小説 傘

空から降る雨が顔を打つ。


ふと、小学生の頃を思い出した。


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大雨の日だった。


雨は別に嫌いではないが、小雨と大雨は訳が違う。


下駄箱で長靴に履き替えて、カラフルな傘入れから自分の傘を取る。


「お、やっちゃん、一緒に帰ろうぜ」


僕に話しかけたのは、Kという友達だ。


Kは黒ずんだ上履きを下駄箱にしまって、ところどころ布が切れている靴に履き替えた。


「傘は?」


「俺は雨を避けられるから傘なんて必要ないぜ」


ジグザグに飛びながら進んでいくK。


避けているつもりなのかもしれないが、雨はKの身体に当たり、服を湿らせていく。


「なっ?俺は雨を避けられるんだぜ」


笑顔をこちらに向けるKはずぶ濡れだった。


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Kは変な奴だった。


大人になってようやく気持ちを理解する。


通行人に変な目で見られる中、僕は歩いていた。全身はずぶ濡れだった。


気が付くと僕は公園のベンチに座っていた。


ズボンに水が浸透してくる。


近くにあったゴミ箱を漁り見つけた、賞味期限切れのタラコおにぎりを口にする。


最高に美味しかった。


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Kが貧乏だということは知っていた。


直接聞いたわけではない。


切れた縄跳びをガムテープで補強して使っていた。


同じ服を次の日も着ていた。


でもKは強かった。


いつでも笑顔だった。


僕が新しい筆箱を自慢したときも、Kは笑顔だった。


Kの筆箱はフタが半分取れていた。


鉛筆も指で持てなくなるまで使っていた。


それでもKは決して僕らを妬むことはしなかった。


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Kはある日突然転校した。


家族の都合だと告げられたが、それは違うことを確信していた。


Kは虐められていた。


虐めていた側には、僕も含まれていた。


本当はいじめたくはなかったなんて誰が信じてくれるだろうか。


でも、そうでないと僕もいじめられていた。


転校して、当時の僕は安心していた。


Kを守りたいという思いと、周囲から嫌われたくないという葛藤の中生きていた。


でもKが転校してから、Kを守れなかった思いに何度も後悔をしていた。


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僕はポケットの中から封筒を取り出した。


それはKからの手紙だった。


この手紙はKが転校した後に僕の机の中から見つかった。


僕は実際、その手紙を読めていない。


読むのが怖かった。


Kを裏切ってまで転校させた。


それを読む責任もあるのかもしれない。


でも、結局中身を見ることなくポケットに戻した。


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僕はベンチで仰向けになった。雨が顔に当たる。


Kは今、どうしているのだろうと考える。


生きているのだろうか。生きていたらいいな。


幸せになっていたらいいな。


もう一度会えたら謝りたい。


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ふと、顔に当たる雨が止んだ。


誰かが傘で雨を凌いでくれた。


僕はその人を見る。


僕に傘を差しだしているせいで、その人の身体に雨が当たる。


スーツ姿の彼は優しく笑った。どこかで見たことがあるような気がした。


「この傘使いなよ。俺は雨を避けられるから傘なんて必要ないぜ」


「きみは…」


「あの日、傘に入れてくれてありがとう」


Kは若くして社長になっていた。


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