第19話 失ってしまった愛娘の行方

「……ヴィックス城近衛兵隊、兵長、アル・サバス」


 たゆんだ丈の長いローブの袖を伸ばし、眼鏡のピントを合わせながら手にした書面を読む。

 御年七十二歳、兵士であればとうに引退しているご年齢の陛下が、俺の名を告げた。

 想像よりもかなり温和な声に、俺の中の緊張がどこか和らぐ。


「はい、間違いございません」

「ふむ……此度の特例試験、筆記も実技も満点か」


 ……満点? 俺が?


「うむ、なるほどな……文句のつけようがない」

「さ、左様でございますか」


 実技はともかく、筆記も満点だったとは。


「そこに椅子がある、座って頂けぬかな」

「かしこまりました」


 だから最後だったのか。兵士選抜で敢えて最終候補を選ばせ、限られた戦力でどれだけ戦えるかを見極める。ということは、スクライド君は逆に最下位だったということか? ダヤン君も三番手だった以上、そういう意味なのだろう。


「しかし、これで合格としてしまっては、余がいる意味がない。幾つか質問をしようか」

「はっ、何なりと」

「うむ。では、サバス君の目に、王都はどのように映ったかな?」


 世間話のような内容だが、これは面接だ。

 良い所だけを述べるだけの、おべんちゃらは不要だろう。 


「一見華やかですが、とても余裕がない都、という印象を受けました」

「……余裕がない、とは?」

「まず、魔術医の不足が第一に挙げられます。先のアグリア帝国との戦争において、魔術医の損失被害は甚大です。病気や怪我に悩んだとしても魔術医そのものが存在していない、ようやく見つかったとしても医療費が高すぎて利用出来ずにいる。そんな場面を、この王都に来てから見ることがございました。同盟国である魔術大国ガマンドゥールへの魔術医の派遣を、即座に申請すべきだと具申いたします」


 フェスカも巻き込まれた歌姫事件、ジャミ君の協力により皇帝の耳にまでは入っていないとは思うが、さっそく情報としては利用させて頂いた。


「次に、兵士への教育不足も懸念されます」

「ふむ、具体的に」

「先日の白兵戦模擬の際には、新兵ながらも骨のある若人たちがいると、どこか安堵したのですが……しかしながら、まだ自身が戦中であると思い込んでいる兵士がいる、それを王都へと来て実感しました。戦争が終結してしまい、活躍できる場を失ってしまった兵士が多数いると思われます。白兵戦模擬のように、彼らに活躍の場を設ける必要があると、同じく具申致します」


 道を尋ねただけで相手を制圧する。

 あの出来事が全てではないと思うが、そう思わせるには充分過ぎる出来事だった。


 魔術医と教育、二つを述べた所で、陛下はその手を僅かに上げる。

 もう充分だ、そう感じた俺は、身を律して陛下の言葉を待った。 


「ひとつ、話をしておこうか」


 いくばくかの沈黙の後、陛下は手にしていた書面を膝に置き、両の手を組む。


「戦後、余が最優先事項と称し対応に当たらせたのが、軍備強化だった。同盟諸国の協力も得られ、アグリアを制圧したものの、当方の被害は甚大。それは魔術医だけにはとどまらず、貴族や将校、兵として徴兵された四十万を超える民を、我らは失ってしまったのだ」


 戦後公開された死傷者数は、同盟国合算で八十万人だと記憶していたが。

 その内の約半数がブリングス国だという事は、俺も知らなかった。


 恐らく、実際はもっとなのだろう。

 あくまで、数えられるだけの死者が四十万なのだ。

 

「無論、その中の一人に、我が娘、第三王女シャラも含まれる。家族を失う悲しみは、余とて理解している。だが、失った家族は決して戻ってこない。いなくなってしまった者たちの為にも、我らブリングスの民はこれからも、未来永劫の繁栄を約束せねばならぬのだ。……しかし、サバス君の言う通り、魔術医の育成はおろか、兵士への教育もままならぬのが実態だ。指導者が我々には不足している。それが、今回行われた特例試験の一番の理由なのだが」


 不殺隊隊長と呼ばれた俺に、兵の育成など出来るのだろうか? 

 俺がしたことは、死なせなかったことだけだ。


 四十万の死者の中に、当然ながら俺達の名は刻まれていない。

 それを英雄視する者もいれば、ジャミ君のように非難の目で見る者だっている。

 生き残るというだけで、虐げられる可能性だってあり得たのだ。


 蓋世がいせいの瞳が、俺へと訴えかける。

 課されるは兵への教育、これからも飛躍していこうとする国の礎を育成すること。


「不殺隊隊長、アル・サバス……今一度、君に兵を任せたいと思う」

「……光栄の極みでござます。このアル・サバス、陛下の望みに応えるよう尽力致します」


 断れるはずがない、ここで断るようならば最初から試験なんて受けていない。

 最初は娘の習い事を増やせればいい……その程度の心意気だったのだが。

 これは、想定よりもかなり重い結果になってしまいそうだ。


「ふっふっふ、そう詰めた顔をするな。叙爵式の準備や配置転換の準備もある。サバス君に関しては一度ヴィックス城へと戻り、アド伯爵へと挨拶に向かうのが良いだろう。ヴィックス城近衛兵隊の隊長職も考えねばならぬな。サバス君から見て、推薦出来る者はいるだろうか?」


 ふわりとゴーザ君の笑顔が思い浮かんだが、それと同時にアド伯爵のしかめ面も思い浮かぶ。

 かといって、今現在支援に来ているギャゾ曹長に任せるのも不安が残る。 

 他は老人か現地採用の若人か……ダメだな、部隊が壊滅してしまいそうだ。


「一名いるのですが、部隊運営経験が乏しく、補佐が必要になるかと」

「補佐か……その旨、ブレグル将軍に選抜させておこう」

「ありがとうございます、これで後顧の憂いなく教育に専念できます」


 やる気のある人間を選出させ、経験を積ませるべきだと、俺は考える。

 ゴーザ君の喜ぶ顔が目に浮かぶ。ギャゾ曹長相手にしっかりとやっていればいいのだけれど。


「では、下がって良い。サバス君のこれからを期待している」

「ありがとうございます、では、これにて失礼させて頂きます」


 

――――三人称



 失礼させて頂きます、そう言った男の声は明瞭であり、これからを期待するに十分な英気の持ち主であった。規則正しい歩調に、一歩一歩をしっかと歩みながら謁見の間を男が後にすると、グスタフ・バラン・ブリングスは、守護兵たちへと下がるよう指示を出した。


 しかし、自身は玉座から立ち上がらずに、一人、膝上に置いた書面を手に取る。

 アル・サバス、今後を任せるに信用たる男だと、ブリングスは感じていた。


 今回の特例試験は上々であった、一人一人が信念を持ち、上を見続けている。

 問題提起をし、それと同時に改善策をも持ち合わせる。

 至極当然のことが出来る人間が、今のこの王都にどれだけいるか。


「失礼します」

「よいぞ」


 綻んだ表情のブリングスに対し、謁見の間に入った女性は釣られて笑みを浮かべる。


「陛下、合格者一覧でございます。ご家族の写し絵もご一緒にどうぞ」

「そうか……ありがとう」

「余程の人材がお集まりになられたのですね」

「ふふっ、顔に出てしまっているかな?」

「僭越ながら……陛下の笑みは、我ら民の幸せでございます」


 そうかそうか、満足気な笑みは留まる事を知らず。

 女性が謁見の間を去った後も、ブリングスは一人玉座に座り、写し絵を眺めた。

 魔術にて描かれた写し絵の精密さは、まるでその人物がそこにいるかのように描かれている。

 幸せそうな家族絵を見る彼の目は、孫の成長を慈しむ老人の目にも見えていた……だが。


「…………なん、だと」


 とある女性画を手にして、それまでの表情を崩した。

 金の髪をもち、青玉の瞳でどこでもない場所を見る彼女の絵は、とても美しい。

 絵を持つ手が震え、真摯に迫る勢いでブリングスは涙に沈む両の眼を見開く。

 

「シャラ……」


 言葉にするは、失ってしまった愛娘の名。 

 もう二度と会えないと思っていた娘が、そこにいた。 


 女性画に書かれた名は、フェスカ・サバス。

 今しがたこれからを任そうと思った、男の伴侶であった。

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