第13話 ウチの妻が歌姫だった理由

 二曲目を歌い終わると、歌姫はぺこりお辞儀をして颯爽といなくなってしまった。

 歌姫と呼ばれている、フェスカという俺の愛妻なんだが。


――もう一曲歌ってくれー!

――ひゅーひゅー!

――ねぇちゃん一発やらせろー! 

――明日も楽しみにしてるからねー!


 万雷の拍手と喝采の声が止まない中、俺は一人頭を抱え込む。

 なぜ、なぜこの酒場に妻がいるんだ。

 歌姫? ああ、確かにフェスカは村一番歌が上手かったさ。

 誰よりも身近で聞いていたから知ってる。

 

「すまないが、急用を思い立ってしまったのでね。スクライド君、ダヤン君を頼む」


 何か言いたげな顔をしていたが、飲ませて潰したのは君だ。

 責任を取って貰うには充分過ぎる程の理由がある。異論は認めない。

  

「私もお供しますよ」

「家族寮に戻るだけだ、心配するな」

「いえいえ、何かあったら止めるだけの実力はあるつもりです。親しい人が身を投げてしまっては、このジャミ、悔やんでも悔やみきれません」


 荒々しく立ち上がり四人分の会計を済ませる。

 頭の中がステージからいなくなった愛妻でいっぱいなのに、一体何を言ってるんだこの男は。


「なぜ俺が死ななきゃいけない、そもそも他人の空似の可能性だってある。あれほどの美しさを持った女性がこの世に二人いるとは思えないが、必死に真似をすれば、偶然似てしまう事だってあるかもしれん」

「ないですね」


 やかましい輩が付いてきてしまっているが、家族寮なんだ、撒いたところでいずれバレる。

 あのフェスカが俺に内緒で酒場で歌っているだなんて、一体なんで、一体なんでなんだ。


 急がなくてもいいのに逸る気持ちが足に出てしまっている。 

 こんな気持ちになるのは生まれて初めてだ。

 もし、フェスカが素知らぬ誰かに脅されているのだとしたら――――。


「サバス隊長」

「なんだ」

「人殺しの目をしてますよ」

「そうか、止むを得んな」


 愛する妻の為なら、何度だって不殺隊の名に恥じぬ働きをしてみせる。

 いつだって全盛期に戻れるさ、フェスカの為なら死んでも惜しくない。


 すれ違う人が全員振り返り俺を見る。

 そんな視線を感じながらも、歓楽街から屋台通りを抜けて家族寮へと到着した。 

 距離的には大した距離ではない、マーニャを連れて散歩して行ける距離ではある。

 

「……」


 ドクンッ、ドクンッと心臓が痛いくらいに動悸している。

 なんだ、なんで俺は家に入るだけでこんなに緊張している?

 手にした鍵で扉を開ければ、いつも通りの妻と娘がいるはずなのに。

  

「入らないのですか? というか……家から人の気配がしませんね」


 確かに、ジャミに言われて気づいたが、いつもなら点いている灯りが一つも点いていない。

 夕飯の匂いもしない、湯あみ用のお湯も何もかも、生活の匂い一切がしない。

 つまり、今この家にフェスカはいない、マーニャもいない。

 当然だ、妻は酒場でついさっきまで歌姫として歌っていたのだから。

 何故だ、なぜ妻は俺に黙って酒場で歌なんか――――


「パパー! はやーい!」


 玄関前で項垂れていると、背後から耳に覚えのある可愛らしい声が。

 振り返ると、走って追いかけて来てたのか、額に汗かくマーニャの姿、それと――


「あら、こんなに早かったなんて。アルベールさんの奥様から、今日は遅くなるかもしれないって聞いてたのに……ごめんなさい、お夕飯、すぐに作るからね」


 ――俺を見て微笑む、愛妻フェスカの姿があった。


 服装や髪飾りは、いつものフェスカだ。

 だが、化粧が顔に残り、どこか酒場の匂いがする。

 やや波打った髪型は、つい先ほどまで違う髪型をしていた証拠だ。

 手にした紙袋から覗く野菜や果物は、まさに買い物帰りの主婦だというのに。


「お初にお目にかかります。私、ブリングス城に務める一等書記官のジャスミコフと申します。お気軽にジャミとお呼びください」

「あら……闘技場での戦い、見てましたよ?」

「これは失礼、あの場における最大の戦術だと信じておりました故、お許しを」


 フェスカは半眼になりながらジャミを睨む、けれどもすぐさま笑顔に。

 礼儀正しい近所づきあいを始めて二人いるが、今はどうでもいい。

 

「フェスカ……実はさっき」

「歌姫としてステージに上がってただろ、って、言いたいんでしょ?」

「え? あ、ああ、うん」

「ステージから見えてたもん。説明もするから、一旦お家に入りましょ。ジャミさんもお夕飯、一緒にどうですか?」

「本当ですか? では、ご相伴させて頂きます」


 第三者がいた方が話がこじれなくて済む。

 フェスカがそう考えたのかは分からないが、俺にはそう思えてしまっていた。



――



 家を明るくする魔術、それがふんだんに使用された家族寮。

 ほぼ無制限で使用できるそれらに火を灯すと、いつもの家へと姿を取り戻す。


「本当にお綺麗な奥様ですね、心の底から羨ましいですよ」

「……どうも」

「あれほどの奥様なら、確かに皆殺しにしてでも帰りたくなるというもの。納得です」


 アンティーク風のソファへと腰掛けながら、ジャミが俺を気遣う言葉を並べる。

 フェスカは俺の全てだ、人生といっても過言ではない。

 だからこそ、裏切られでもしたら心底立ち直れない自信がある。

 フェスカに対する怒りではなく、フェスカにそんな事をさせてしまった自分が許せない。


「お夕飯、出来たけど……先に、お話しした方が良さそうね」

「フェスカ……」

「ううん、黙っていた私もいけないの。試験が終わったら相談しようって思ってたんだけど、思ってた以上に噂になっちゃって。先にあなたに見つかるなんて思いもしなかったから」


 眉を下げた笑みを浮かべると、フェスカは俺の隣へと座る。

 マーニャもパタタタと走ってきて、いつもの定位置、一人用のソファにぴょんと飛び乗った。

 

「それで奥様、相談とは?」

「なぜジャミが舵を取る」

「いえ、気になったものでして」


 場を和ませようとしたのかは不明だが、ジャミが口火を切った事でフェスカが微笑む。


「うふふっ、ジャミさんって面白いお方ですね」


 今度は無言のまま会釈をし、手で話を続けるよう促す。

 進行役としては適任なのかもしれない、少なくとも、頭に血が上った俺よりかは全然マシだ。


「実は、あなたと一緒に王都に来て二日目の事なんだけど」

「二日目というと……俺がダヤン君と模擬試験の訓練をしに行った日か」

「ええ、あの日のお昼頃に、マーニャと一緒に観光がてら買い物に出かけたのよね。王都に来てどこにも行かないんじゃ、マーニャもつまらないでしょうし。お城を観に行って近くの開けた広場で遊んだあと、家に帰ろうとしたら道端で倒れている女の人がいてね――――」

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