櫻の隣

李都

櫻の隣

 幼稚園の頃、私は周りの子たちから虐められていた。理由は簡単で私が周りと違う容姿をしていたから。母親の血液を濃く濃く継いだブロンドの髪に同年代の子供より高い身長は狭い世界で目立つには十分すぎた。加えて内気で弱虫な自分はいつも泣いてばかりだった。先生から注意されても見えないところで悪口を言われ、外では砂をかけられる。やり返す勇気はなく、私はただ早く1日が終わるのを待っていた。母は私のそんな姿を申し訳なさそうに見ていて、ごめんねというのが口癖になっていた。


 小学生に上がっても周囲からの嫌がらせは無くならなかった。ただひとつ、圧倒的に違ったのは私のことを綺麗だと言ってくれる女の子に出会ったことだ。同じクラスの櫻子という女の子。私より一回り小さい小柄な女の子で、いつも誰かと遊んでいる、みんなの中心にいるような明るい子だった。初めての席替えで隣の席になった時、私の髪を見て


「つむぎちゃんのかみのけ、きれーだよね! モデルさんみたい!」


なんて心から言ってくれたのが嬉しかった。櫻子はそれから私なんかと仲良くしてくれて、嫌がらせをしてくる男の子たちに会うと、いつも私の前に立って私を守るように怒ってくれていた。私は、櫻子のおかげで学校に通えたと言っても過言では無い。

 私にとって櫻子は、笑顔が可愛らしくて、小柄なのに勇敢で、いつだって誰かのために行動できる強い女の子だった。私の1番大切な友達でヒーローで親友だった。私はこの時、櫻子のためならなんでもしようと思うようになった。


 中等部に入ると私への嫌がらせも落ち着いてきた。思春期に入った男の子たちはそもそも女子と関わろうとしなかったのだ。最低限の関わりと、少し成長した彼らからの謝罪受けて、私への嫌がらせは完全になくなった。見て見ぬ振りだった女子生徒たちも、


つむぎちゃんあの頃は何もできなくてごめんね」


と皆口々に言ってきた。きっとこれも櫻子が働きかけてくれてのだろう。私の周りに少しずつ温かい人が増えてきたのは櫻子のおかげとしか言いようがない。おかげで平和な学校生活を送れている。

 もちろん、中学生ともなると恋愛のひとつやふたつ、友人たちの中で話題になってくるようになった。私には縁遠い話題なのでいつも聞き役だったが周りの友人たちは皆誰かに好意を寄せているらしい。櫻子もそのうちの1人だった。


「じつは、私も隣のクラスの佐藤くんのことが少し気になってるんだよね」

「櫻子も好きな子いるの!? やだかわいい! 私応援するから!」


 一緒に会話していたクラスメート達は櫻子の告白に耳を傾け、黄色い声と共に応援を送る。私にとって櫻子は大切で唯一の親友だ。櫻子の恋は応援してあげたい。私は櫻子の恋が叶うよう、できる限りの協力をした。相手の男の子とは同じ委員会だったので、自然な流れになるよう気をつけながら櫻子の話題を出したり、理由をつけて櫻子にも仕事を手伝ってもらって接点を作ったりした。櫻子のことを知って、好きにならない理由なんでないじゃない。彼はすぐに櫻子を気にするようになった。2人が両思いになるまでそう時間はかからなかった。

 何度目かの委員会の帰り、私は用事があるからと先に帰り、彼に櫻子のことをお願いした。もちろん用事なんてないが、そろそろ私は退場するべきだと思ったのだ。明日、きっと櫻子からいい報告が来ると信じ、私は帰路に着く。私の唯一の親友、大事な大事な櫻子の初めての恋人がいい人であることに安堵した。

 次の日、櫻子は嬉しそうな顔で、両思いだったことを報告してくれた。彼から思いを告げられたらしい。私はおめでとう、と返事をし、事の経緯を聞いた。


「紡が帰った後、佐藤くんと2人で一緒に帰ったの。分かれ道で少し寄り道をして話し込んだんだけど、最後に彼から告白されてね」

「そうなの。よかったじゃない。私も嬉しいわ」


 頬を赤らめて話す櫻子はただただ幸せそうな顔をしていた。それは初めて見る表情だった。私ですらドキドキしてしまうほどに。櫻子の幸せが私の幸せだった。彼なら櫻子を大事にしてくれると思い、本当に心から2人を祝福した。



 彼についてよくない噂を耳にしたのは、2人が付き合ってまだそんなに経っていない時だった。偶然通りかかった教室から男子生徒の声がしたのだ。おそらく複数人いたと思う。そのうちの1人が櫻子の彼氏だった。


「最近彼女とはどうなん?」


 よくある恋バナだと思った。これは聞かないほうがいいと思い足速に去ろうと思った時、耳を疑う話が出てきたのだ。


「でもお前、他校の子とまだ繋がってるんだろ? どうすんの二股じゃん」

「バカ、バレなきゃいいんだよ。そもそもあっちが俺のことを好いてきたんだからそれに応えてやってるだけ。俺優しいだろ」

「モテ自慢ウザっ! 先生! 最低ですこの男!!」


 ギャハハと響く彼の友人の笑い声。私は信じられなかった。私たちの前で見せていた姿は何だったの? まるで別人のようだった。あなたなら櫻子を預けても大丈夫だと信じていたのに。櫻子が知ったら悲しんでしまうじゃない。あの子のあんなに幸せそうな顔を壊してしまう。私は彼のことが許せなかった。一刻も早く櫻子との関係を終わらせないといけない。なるべく彼女が傷つかないように。それにやっぱり男なんて信用ならない。今回のことでよく分かった。櫻子に不幸なんて似合わない。私が櫻子を守るの。


 私はどうにか櫻子を傷つけないように別れさせようと考えたけど、まだ子供の私にはそんな事は思い付かず、隠さず正直に話したほうがいいと判断した。櫻子は悲しそうな顔をしながらやっぱりと声をこぼした。


「佐藤くんね、すごく優しいんだけど、時々私を見てくれていないような気がしていたの。だから、正直そうなんじゃないかなって思ってた。ありがとう紡、教えてくれて」

「ごめんなさい櫻子。私も彼のことちゃんと知らずに、あなたと付き合うように促してしまったわ」

「紡は何も悪くないよ。ただ、私の運が悪かっただけ。まだまだ中学生だもん。これからまだまだ出会いがあるよ。だからその時はまた、私の話を聞いてくれる?」

「もちろんよ。だってあなたは私の大切な友達なんですもの」

「ありがとう紡」


 私はこの時、櫻子に本当のことを告げて嫌われないのか少し怖かった。なのに私を責めない櫻子が本当に切なくて、私を許す櫻子に対して、今までにない新しい感情が芽生えた気がした。


 櫻子はモテる。小柄で可愛らしい見た目に、誰にでも分け隔てなく接する明るい性格の良さも持ち合わせている。モテないわけがないのだ。今までは彼がいたから何も言わない男子達だったが、櫻子と佐藤くんが別れたことが広まると、一気に櫻子にアピールする輩が増えた。私はそれが面白くなかった。私の櫻子なのに。私がいちばん櫻子の可愛いところを知っているのに。一友人が何を言っているのだと自分でも思うわ。たぶん、櫻子に抱く感情はきっとこの頃から少しずつ歪んでいったんだと思う。

 




 それからは、高等部・大学と櫻子と同じ時間を過ごした。そして、櫻子に好きな人ができるたび、彼氏ができるたびに私は彼女の話を聞いた。誰が好きだとか、どこが好きだとか。櫻子はいつも幸せそうな顔で話をしてくれる。そこには、私にはさせることができない櫻子の笑顔があった。私は櫻子の笑顔のために、彼女が好きになった男のことを毎回調べ上げた。他に彼女はいないのか、暴力的では無いか、借金はないか、何か櫻子を悲しませる裏はないのか。SNSも使って徹底的に調べた。調べては出てくる男のボロに漬け込み、私はありとあらゆる方法で櫻子と男達が別れるように仕向けた。だけど、時には本当に誠実な男もいた。どれだけ調べてもボロを出さない完璧な男もいた。そういう時は他の女に靡くように気付かれないよう誘導した。男達は簡単に罠にハマっていった。やっぱり男は単純で最低な生き物だと実感する。ただひとつ、別れさせるためでも櫻子の悪いところは絶対に男どもに流さないと、それだけは心に決めていた。


 櫻子は、彼氏と別れるたびに毎回悲しそうな顔をして私を頼ってきてくれる。そして別れた男達の話を聞き、櫻子を慰める。このポジションは私にしかできないことだった。櫻子は優しい。だから今まで彼氏の悪口は絶対に言わなかった。話を聞くと言ってもいつも相手に悪いことをしたかなって自分の行動を反省するばかりだ。もちろん櫻子が悪いことなんてひとつもなくて、私は全力で否定するのだけれど。ただ、いつだって最初に私の元へ帰ってきてくれる櫻子を見て、私は元カレ達への優越感に浸った。そして、私を頼ってくれる櫻子が愛おしくて愛おしくて仕方がなかった。





 ある時、櫻子が久しぶりに付き合った彼氏の話をしてきた。いつぶりだろうか。彼氏の途切れなかった櫻子に彼氏ができたのは。結構久しぶりな気がした。


「彼氏ができたの? おめでとう。最近そういう話を聞かなかったから嬉しいわ」

「ありがとう! バイト先の人なんだけどね、優しくてかっこいいの! 今度こそいい人だと思う!」


 私あんまり男の人運無いからなあ、なんて苦笑いしながら話す櫻子。ごめんね、あなたは何も悪く無いし、悪いのは私と男どもだけなのよ。そう心で思いながら、決してそれを表には出さない。私は、櫻子の幸せだという話を聞いていた。


「そういえばね! ここ、この間彼と行ったの!」


 櫻子は嬉しそうに写真を見せてくれた。写真を見ながらその時の話をする彼女の横顔は何とも幸せそうで、私はそんな彼女の顔を見るのが好きだ。だけど、今、私に見せるあなたの表情の向こうに彼がいると思うと、その笑顔も私には毒でしかない。本当なら私があなたのその笑顔を引き出したいのに。

 だけれど恋人になれない私にはそんな事はできないから、あなたの隣に立つ男どもに嫉妬もするし、綺麗な男でないと許せないの。


 だから、今回も櫻子の彼氏になった男のことを調べた。櫻子にとって悪い因子はないか。それはそれは徹底的に。だけれど、それは一切見つからず、調べれば調べるほどにいい人であることばかりが浮いて出てくる。他の女に流れるように仕向けても何もなかったかのようにかわし、櫻子のことだけを大事にする。まさに理想の彼氏だと思った。

 でもそれじゃあダメなの。だってそれじゃあ櫻子の1番は私じゃなくなってしまう。あの子の帰ってくる場所が私じゃなくなってしまうじゃない。そんなの耐えきれなかった。だから、どんな手を使ってでも櫻子と男を離してやりたかった。たぶん、そこで私は間違えたのだ。


 ある時、櫻子から話があると呼び出された。いつもと雰囲気が違う。きっといい話では無い、そう感じとった。ああ、また櫻子は彼氏と別れてしまったのだろうか、可哀想に。私が慰めてあげるから、だから元気出してね。そして、やっぱり私の元の戻ってきてくれる櫻子を愛おしいと思った。そう、心の中で思いながら櫻子が口を開くのを待った。


「実はさ、最近彼氏からよく女の人から口説かれたり、家までつけられている気がするって相談されてるんだよね」

「え……」


 私は反応に困ってしまった。思っていた内容と違う。櫻子はまだあいつと付き合っていて、あいつは私が差し向けた女のことを櫻子に話しているのだ。こんな事は今までなかった。大体他の男たちはすぐに他の女に乗り換えてたし、櫻子に気づかれる事なくやってきた。私は思わず動揺してしまった。


「それでね、私にできることって何かなって思ったんだけど、何も浮かばなくて。紡だったらこういう時どうしたらいいと思う?」

「え、私?」

「うん」

「それは聞く相手を間違えてる気がするわ。私、ストーカーの相手なんてした事はないし、恋愛経験だって無いのよ? いい答えなんて浮かばないわ。ごめんね櫻子」


 冷静に、出来るだけ冷静に答えたつもりだ。嘘はついていない。ストーカーの被害に遭ったことも男性と恋愛したこともないのだから。


「ううん、大丈夫。でも紬はどうしたらいいかわかると思うの。私が言いたいこと、紡ならきっと分かるよね」


 ああ、この子はきっと知ってしまったのかもしれない。私のしたことに。でも、ストーカーをした事はないし、そんなこと今までなかった。一度、家の場所を調べたくらいだ。一体誰がそこまで酷いことをしてるのだろう。仕向けた女達はもう何もしていないはず。誰かが本気で寝取ろうとしているというのだろうか。だけど、それは憶測にすぎない。私が大袈裟に不安になっているだけかも。


「どうして私に答えが分かると思うの?」

 考えて考えて出てきた言葉がこれだった。これじゃあ、探偵に追い詰められた犯人のようだ。それでも、櫻子の目は全てが透けて見えているように真っ直ぐだった。

「だって私、知ってたもの」

「え、」

「私知っていたの。ずっと前から。紡が私と付き合ってくれた男の人たちにしてきたこと。私たちが別れるように何かをしていたこと」

「え、何…何で……」


 櫻子が何を言っているから理解に時間がかかった。知ってた…? 私が今までしてきたことを…? じゃあ、何で櫻子は今まで私と一緒にいてくれたの?


「いつから? 何で知っていたのに私なんかといてくれたの?」

「高校生くらいの時かな。紡の様子がいつと少し違っていたから。それから、毎回彼氏の話をすると雰囲気が変わる紡を見ていたくて、ずっと今まで言い出せなかった。ごめんね紡、内緒にしてて」

「何であなたが謝るの? 悪いのは全部私よ。自分の幸せばかり考えて、櫻子が幸せになれるチャンスを壊してきたわ。本当にごめんなさい。もう、あなた達の邪魔はしない。櫻子の彼につきまとっているという子も心当たりはないけれど絶対に探し出してやめさせるわ。もう櫻子とも会わない」


 ああ、私の恋はここで終わった。私が自分で終わらせた。元々歪んだ恋情だ。こんな終わり方がお似合いだろう。そう思っていた矢先だった。


「違うよ。ちゃんと聞いてなかったでしょ私の話! 私、嫉妬してくれる紡を見るのが嬉しくて今まで告白してくれた男の人たちと付き合ってたの。別れる度に励ましてくれる紡が好きで、紡のやってきたことに目を瞑ってたの!」

「え、」

「だから、私も紡と告白してくれる男の人たちを利用してきたの。本当に好きなのは紡だよ。今の彼の話しも、女の人に口説かれてるのは本当だけど、ストーカーについては少し話を盛って話したの。もしかしたら紡が話してくれると思って」

「じゃあ、ストーカーには遭っていないのね」

「大丈夫。それに、そもそも口説かれた女の人に惹かれたから別れたいっていうのが彼からの相談だったの。だから、彼とはもう別れるよ。紡の願った通りに」

「それは、本当にごめんなさい。私のせいよね」

「そうだよ。紡のせい。だから責任をとって私のことを幸せにして」


 言葉が出なかった。これじゃあまるで告白じゃない。私のことを好きだと言ったようにも聞こえた。私は、櫻子と一緒にいていいの?


「いいの? 私、櫻子と一緒にいていいの?」

「いいんだよ。私たちは共犯なんだから。他の誰が許さなくても私が紡を許すよ。だから2人で幸せになろう? 誰かにそれが間違いだと言われても、これが正しい幸せじゃなくても、2人でいられれば私はずっと幸せだよ」

「……ありがとう櫻子。ごめんなさい。私はあなたと幸せになりたい!!」

「うん。幸せになろうね」


 それから2人でたくさん泣いた。私は今までしてきたことを謝って謝って謝った。櫻子はずっと、知ってたよ、最初からずっと許してるよって私を慰め続けた。だから私がずっと紬に内緒にしてきたことも許してね、なんてかわいい顔で言っていた。そんなの許すに決まってるのに。

 そのあとは2人でたくさん今までの話をした。あの時の人はどうだったとか、この時の人は早く別れられてラッキーだったとか。櫻子にとって過去の恋愛はもう笑い話のひとつになっているらしい。だってそれは私の気を引くためだったから。私は、それを聞いて少し救われた気がしてしまったけれど、私だけは私のことを許してはいけない。これからは、精一杯櫻子のことを幸せにしていくだけ。過去の男とは比べ物にならないほど、私の手であの笑顔にさせてあげるの。



 私たちは共犯者だと櫻子は言った。私のしてきたことも、櫻子が黙ってきたことも、今までの男の人たちに申し訳なかったと思う。でもそう思えたのは櫻子との今があるからだ。他の誰にも許されなくても、櫻子が私を許してくれる限り私は私を許さない。私はただ、櫻子のためだけに生きていくだけだ。櫻子が私のことを捨てるまで。

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