第4話

 行きつけのカフェテリアで、男二人は対面に座っていた。

 正木警部の地図を、坪田はじっくりと眺めている。

「なるほど。ともすると、犯人は森沢大学の関係者の可能性があるということだね」

 通報者は、すでに犯人と呼ばれていた。

「もちろん、確実とまではいえないが、たぶん学生あたりだと思われている」

「あれから電話はなかったのかい」

「ないよ。けどな、事件に発展するかもしれないから、課長があんたの意見を聞いてこいとよ。まるで東野圭吾ひがしのけいごの『探偵ガリレオ』じゃないか。これで、あんたの専門が物理なら、お見事なんだがね。とりあえず、つまらない冗談はここまでにして、あんたの意見を聞きたい」

 正木警部は、すまし顔をしていたが、内心、坪田に本気で救いを求めていた。天才はなにを思い、考えているのか、彼にはさっぱりわからないのだが、そんなことよりも、自分から出向いた理由は、犯人特定のために必要となってくる、その柔軟じゅうなんな思考が必要だったからだ。

「いいとも」

「以前、あんたの大学に、安田道夫という名前の大学生がいるといっていたな。そいつを調べてみたんだが、どうにも経歴がおかしいのだよ。これを見てくれ」

 そういって、白紙に印字された紙を坪田に見せた。紙には、マーカーで線を引かれた箇所がいくつかあり、その一文々々が大事な部分であることは、説明されずとも明瞭めいりょうである。けれども、正木警部は、マーカーの部分を見てくれ、といった。


 安田道夫 大学一年生(留年中)

 父の安田玉木は、不動産会社の社長。

 母の安田糸子は、無職。

 両親は喧嘩けんかをして、激しい格闘のすえに階段から落下。互いに即死。玉木、当時四十三歳。糸子、当時二十一歳。道夫は、当時十二歳(小学六年生)。養親となったのは、玉木のいとこである高橋恵たかはしめぐみ

 道夫は、森沢大学に入学してから、すぐに一軒家を買う。現在、講義の出席日数が足りず、留年中。


「ははあ、君、なかなか調べ上げたね。学生あたりどころか、もうほとんど決まりじゃないか」

「ふん、仕事だからな」

「わかった。意見をいおう。ところで、君、うちの大学の西村渚にしむらなぎさと連絡を取ってないだろうね」

「なんだい、いきなり話題を変えてきて。そんなやつ聞いたこともないぞ。今回の事件となにか関連しているのか」

「さあ、どうだろうね。事件とつながっている可能性は、なんともいえないが、まあ否定はできんよ。じゃあ、こちらから意見をいう前に、西村君の話をしよう。西村君は、僕のおしえ子でね、うちではちやほやされている美人で、現在二年生だ。僕は偶然にも、君と同じように安田道夫について、独自に調査をおこなっていたのだよ。……うむ、ひとまず、まわりくどいがそれについて、特別に君に話そう。僕は、昔、君と一緒にたくさんの事件に挑戦した。そのせいで、僕と同じくらいの年齢層やもうちょい若い世代で、いらない知名度も獲得してしまったんだが、今度の依頼もそういう種類の人から来た。それでね、僕が大学から出て行くタイミングを計って、彼女は調査を依頼してきたんだ。だから僕は、そういうのは断っている、と決まり文句をいおうとしたんだが、話を聞いていると、これはまずいな、と思ったんだ。彼女は、息子が隠れて生き物を殺している、というんだ。それで怖くなって相談しに来たんだ、ってね。こりゃあいけない、『その息子さんはなんという名前の子ですか』と質問してから、彼女はしばらく迷っていたが、やがてこういった。『もし口外しないのであれば、話します』だから僕は、絶対に口外しないとって、名前をたずねたんだ。すると、彼女はいった。道夫です、と」

 正木警部は驚愕きょうがくした。

 まさか、坪田が独自に調査しているなどと、考えたこともなかった。彼は、運命論ほど嫌いなものはないが、それにしても、やはりこれが運命なのだと痛感したのである。

「名字はいわなかったね。なんたって、安田道夫は、かなり変わった経歴のせいで、有名人なんだ。だから、彼女は息子の名前をいうのに躊躇ちゅうちょした。けれど、もし名前をいわなかったら、それはそれで、不審に思われてしまう。だから、中途半端にしか返事ができなかったし、答えるのにも時間がかかった。結局、どう転んでも不審な人物にしかならなかったのだよ。それで、その依頼主というのが――君もお察しのとおり――高橋恵だ。見るからに、誠実な女性で奇妙なそぶりさえしなければ、好印象だったよ」

「どういうことだ。あんた、いつ高橋に会ったんだ」

「一年前だったかな」

「おい、そんなことってあるかよ」

「実際あったんだ。僕は、高橋恵に簡単な調査を依頼されて、安田道夫についての他者評価を調べたんだ。するとどうだったと思う――まあ、君の調べた情報とそっくりさ。道夫の母親については、こちらもあまりわからなかった。けれども、高橋さんに心理テストの許可を求めると、同意をもらえたんだ。君もご存じだと思うが、僕には心理学者の友達がいて、そいつがかなり腕利きなんだ。しかも若い。そして、僕は安田の描いたバウム――一応説明するが、木の絵を描かせて分析するんだ――を高橋さんから預かって、その人に見せた。すると、どういう結果になったかというと、分析方法は抜きにして、こういうことになる」

 坪田は、正木警部の書いた調査書の横に、バウムテストの結果を置いた。

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