第4話 銀行破り


 部屋に戻る途中、ルーチェはしまった、と足を止めた。

 これから勤務の職員に引き継ぎ資料を渡すのを忘れてしまっていた。

 はぁ、とため息をついてくるりと踵を返した。

 普段はやらないミスをしてしまったところを見るに、最後の客がルーチェの心に残したダメージは割と大きいようだ。

 アルにも言ったが、顧客の情報は探ってはならない。これはモンテシエナの守るべき絶対の掟であり、従えない職員は解雇される運命にある。

 まだ金を払っていないのだから顧客ではない、などという屁理屈は通用しない。

 扉をくぐってモンテシエナにやって来た者はすべからく客である。

 さまざまな事情を持つ人が、さまざまな物品を持ってモンテシエナを訪れる。

 情報は秘匿されなければならない。悪人だろうと善人だろうと関係ない。

 モンテシエナにはモンテシエナ独自の法があり、守るべきルールがある。

 それは働き始めてからずっと言われ続けてきた言葉であり、ルーチェの心に根付いている戒律だ。

 そうしてルーチェが第一店舗へと戻ると、ロビーが喧騒に包まれていた。

 遠巻きに人々が輪を作り、一角に人だかりが出来ている。


「…………何事?」

「あら、ルーチェ。今、銀行破りが出たのよ」


 何だろうとルーチェが近くにいた職員に尋ねれば、そんな答えが返ってくる。


「銀行破り?」

「って言ってもお粗末なものでね。ご覧の通り、銀の騎士団にあっという間に捕らえられたわ」


 確かに人だかりの先には黒い制服を着たモンテシエナが誇る騎士様の姿が見える。そして騎士が捉えているのはーー。


「ーー放してくださいっ。わたくしは、なんとしてでも『聖女の涙』を取り返さなくてはならないのです!」


 金色の髪を波うたせ、ボロボロの白い衣を纏った人物。類い稀なる美貌を持つ女性の顔は、新聞を読んでいる者ならば即座にピンとくるだろう。

 神聖国シュトラールが誇る今代聖女、シーラ・ノルディーンその人だった。


「機械族が入って行くのを見ましたわ……この場所に『聖女の涙』が預けられているのでしょう!? あれがなければ、どこの国の援助も得られない! わたくしが今代聖女だと証明できない! 一つの国を救うと思い、正当な持ち主であるわたくしに『聖女の涙』をお返しください!」


 悲痛なまでの声を上げ、振り絞るように叫ぶシーラの声を騎士は聞かないようにして、両手をねじり上げて玄関まで引きずって行く。


「放して! 放して! わたくしの……シュトラールの宝を返して!!」

「お帰りください。次に盗むために足を踏み入れれば、五体満足ではいられないと思った方がいい」

「あうっ」


 シーラの体は玄関から乱暴にも放り捨てられた。地面に打ち捨てられたシーラは、泥に塗れたままに半身を起こし、騎士を罵った。


「人でなし! お金のためなら犯罪者の肩も持つのね!」

「犯罪者は貴女でしょう。銀行に侵入し、預かっているものを盗もうとする人間を、我々は決して許さない」

「聖女の涙はわたくしのものよ!!」

「所有者が誰なのかなんて関係ない。我々は預かったものを守るだけ。では、もう二度と銀行破りをしようなどと思わないように。お客様としてならば、歓迎いたしますよ」


 言い捨てる騎士は踵を返して銀行内へと入っていく。

 肩を振るわせ泣く聖女は、やがて立ち上がるとよろよろとどこかへと消えて行った。

 一連の流れを、ルーチェは眉を顰めて眺めていた。


「…………」

「ルーチェ先輩」

「アル君、どうしたの」

「ちょっと忘れ物をしたので取りにきました。それより、さっきの……」

「あぁ、銀行破りが出たようね。でも大丈夫、当行のセキュリティは万全よ」


 ルーチェが無理に微笑んでみせると、アルは人間離れした美しい顔を少し歪めた。


「正当な持ち主が宝を取り戻しに来ても、追い返すんですね」

「当然よ。大切なのは誰が預けたのか、ですもの。勝手に保管物を第三者に渡すわけにはいかないわ」

「たとえその判断で、一国が滅ぶような結果になっても?」

「そもそも宝を手放すような事態に陥ったのが悪いのよ」

「なるほど。よく教育が行き届いているようで。ですが先輩は、実は心の底では現状を良しとしていないのではないですか?」


 どきりとした。


「そ、そんなことあるはずないでしょう。掟は絶対。余計な気を起こしたら解雇されるんだから。あなたも滅多なことを口に出さない方がいいわ。勤務初日にクビになりたくたいでしょう」

「ふぅん……」

「ほら、行くわよ」


 アルの背中を押し、銀行内へと入る。職員に引き継ぎ資料を渡したルーチェはそそくさとその場を後にし、自室へと戻った。


「ただいま、ラスク」


 にゃあんと鳴くラスクの頭を撫でた。


「はぁ……癒される」


 嫌なことがあった時は、ラスクを撫でるのが一番だ。もふもふふかふかなラスクと触れ合っていると、嫌な気分が晴れていく。もふもふもふもふ撫でながらも、深い深いため息をついた。


「ふぅ……」


 先ほどの光景が脳裏に浮かぶ。

 機械族の客が預けたいと言って取り出した、神聖国シュトラールの国宝『聖女の涙』。

 そして無謀な銀行破りに挑んだ、落ちぶれた今代聖女シーラ・ノルディーン。

 おそらく彼女は、奪われた国宝を取り戻し、今代聖女である証を提げて近隣諸国に軍事的支援を求めるつもりだったのだろう。

 つまり事態はそこまで逼迫しているということだ。

 神聖国シュトラールは機械国マキナに蹂躙され、ほぼほぼ陥落寸前。

 一縷の希望を国外に見出し、脱出した聖女が宝を手に諸外国に援助を求める。

 しかし問題は『聖女の涙』が相手の手中にあるという点だ。

 『聖女の涙』はただの宝石なんかではなく、魔法アイテムであることは現物を見たルーチェにはわかっていた。聖女の証明となると共に、シーラの力を増幅させる国宝を何が何でも取り返したい、といったところだろう。


「…………考えちゃダメよ、ルーチェ」


 ルーチェは自身の思考を遮ろうと声に出してそう言った。


「顧客の情報は秘密厳守。モンテシエナで最も大切なのは、お金と信頼」


 あの機械族の客が明日、金五十キロ耳を揃えて持ってきたとしたら、笑顔で受け取り品物を預からなければならない。

 モンテシエナ中立魔法保管銀行とは、そういう場所なのだ。

 こういう時は長めにお風呂に浸かってから眠るに限る。

 今日は奮発して、星空の入浴剤を使おうと思いながらルーチェは入浴の準備をしに向かった。


***


「先輩、起きてください」

「うぅ……」

「先輩」


 誰かに頬をペチペチと叩かれた。薄ぼんやりと目を開けると、至近距離で赤い瞳と目が合う。


「起きましたか」

「え……えっ!?」

「しぃっ、他の人を起こしちゃうので騒がないでください」

「!?!?!?」


 唇が耳元に寄せられて、喋るたびにくすぐったい。


「え、なんで、アル君が私の部屋に……!? ていうかこの状況、一体なんなの!?」

「静かにしてくださいって」

「無理でしょ!」


 なぜかルーチェの上にアルが馬乗りになっており、これでもかというくらい間近に顔が迫っている。


「…………!」


 ひとまずルーチェが明かりをつけようと右手をあげると、手首を捕まれ妨害された。


「は、放してっ。一体どういうつもりなの!?」


 まさか夜這いかと慌てるルーチェに、アルは極めて冷静な声で告げた。


「説明するので静かにしてください。機械族の客を探しに行きますよ」

「!?」


 光源のない真っ暗な部屋の中で、アルがベッド脇に腰掛けたまま説明をする。そのあまりにも突拍子のない話に、ルーチェはめまいを覚えた。


「昼間にやってきた機械族の客を捕らえ、『聖女の涙』を奪い、それを聖女に返す……?」

「そうです」

「あのね、アル君。昼間も言ったけれど、顧客の秘密は厳守で、私たちは干渉禁止なの」

「でも厳密にはあの機械族は客ではない。そうでしょう」

「それはそうかもしれないけど」

「ならば今ならまだ、あの宝を僕たちが奪ってもなんの問題もない」

「いえいえ、問題しかないわよ! 私たちが銀行職員だとバレたら解雇だけじゃ済まないわよ! 銀行の信用問題につながるわ!」

「バレなきゃいいんですよ」

「そもそも機械族の男も、聖女も、どこに行ったのかわからないんだから無謀でしょうよ!」

「僕にかかれば足跡を辿るなど造作もないこと。ただこの姿だと、確かに少々厄介ですね。……そこで、先輩の出番です」

「は……」


 アルはルーチェに視線をやると、闇の中で赤く怪しく光る瞳で真っ直ぐに射抜いた。既視感がある。この瞳、最近どこかで見たような。アル君ではなく、もっと違う、他の誰かが……。

 暗闇から手を伸ばされ、顎をすくわれた。囁くような声音で告げられた言葉は、今度こそルーチェの心臓が凍りつくほどの衝撃を与えた。


「……昨日預けた俺の魂の欠片、一時的に返して貰おうか」

「は……あ……」


 真っ赤な瞳と目が合った。呼吸が苦しく、息が荒くなる。

 まさか、まさか。そんなまさか。

 無意識に魔法を発動していた。暗闇に浮かび上がる薄青いパネルには、文字と数字が組み合わされた、三十文字の保管庫番号が羅列されていた。

 それは確かに地下五十階のとある保管庫の番号を映しており、その事実を前にしてルーチェは驚愕せざるを得ない。


「あ……あ……あの時の……魔族のお客様……!!」

「大正解」


 語尾にハートマークがつきそうなほどの機嫌のいい声を出され、ルーチェは卒倒しそうになった。

 なぜ今の今まで気が付かなかったのだろう。

 髪は短くなっているが、確かに風貌が似ている。既視感を覚えたのはそのせいだったのか。そもそも魔族と二日連続で会うなんて珍しいのだ、気づかない方がどうかしている。己の鈍さに腹立ちを覚えた。

 ルーチェの心境を知ってか知らずか、アルはペラペラ喋り出す。


「たまには普通の生活を送ってみようかと思ったんだが、如何せん俺の力は強すぎる。そこで一旦、力の源を分離して預けることにしたんだが、来てみればこの場所は存外に面白そうでな。職員として働くことに決めた」

「決めたって、そんな!」

「だがまぁ、俺の研修担当の先輩はずいぶん心が優しいみたいでな。ここは後輩としてひと肌脱いでやろうと思った次第だ。優しいだろう? 先ほども言ったが、バレなければいいんだよ」


 まさに悪魔の如き囁き。

 ルーチェはくらりとした。


「お前は何も気にしなくて良い。掟とかルールとか小難しいことは追いやって、己の良心に従えばいいんだよ。臨めば俺がなんとかしてやろう。さあ、望みを言ってみるがいい。助けたいのだろう、聖女を? そして苦しむ……神聖国シュトラールに住まう幾万もの民を」


 暗闇の中に響くアルの言葉は、まるで魂に直接響いているかのようだった。

 モンテシエナでは金が全てだ。

 ルーチェに植え付けられている生来の倫理観、つまり善悪の価値観で動いてはならない。

 金を払った者が客で、客の秘密は絶対厳守しなければならない。

 あぁ、でも、確かに。

 ーーあの機械族はまだ客じゃない。お金を払っていないし、品物を預けてもいない。

 ならば何に迷うことがあるのだろう?

 ルーチェはゆっくりと首を縦に振った。


「それで良い」


 美貌の魔族の青年は、悪魔のように美しい笑みを浮かべた。


***


 機械族は眠らない。食べない。性欲もない。

 おおよその生き物が持つ三大欲求とは無縁であり、恐怖や喜びといった感情も持ち得ない。ただただ創造神デウス・エクス・マキナの命に従って動くのみだった。

 聖女の涙を持った機械族は、モンテシエナにほど近い宿の一室に泊まり、じっとして朝が来るのを待っていた。

 思考を支配するのは一点のみ。

 金五十キロを用意するため機械国マキナへ戻ること。

 そして速やかにモンテシエナに聖女の涙を預けること。


「よぉ、こんなところでモタモタしてやがったのか」


 振り向く前に足元に闇が広がった。


「何ヲ……!」

「悪いが死んでくれ」

 その声が聞こえたと同時に、機械族の体は闇に呑まれ、思考が途切れた。


 床に転がった聖女の涙を手にし、アルが振り返った。


「一丁あがり。どうだ」

「すご……」


 窓から漏れる月光を背に、宿の部屋に佇むアルは圧倒的な力を有していた。

 腰まで伸びた黒髪、赤い瞳は力を全て取り戻した今、まさに魔性と呼ぶにふさわしい輝きを帯びている。


「じゃあこれを聖女に返しに行くぞ」

「ええ」


 ルーチェが頷くと、アルの足元から影が伸び、アルもルーチェもとぷんとその中に吸い込まれた。

 次にルーチェが立っていた場所は、粗末な宿の一室だった。

 ベッドに横たわり、死んだように眠っているのは聖女シーラ・ノルディーン。

 その枕元にアルはネックレスを無造作に放った。

 用事が一瞬で済むと、アルは何の感慨も見せず、すぐさま転移魔法を発動する。

 帰ってきた場所はモンテシエナのルーチェの部屋だった。


「な? 誰にも見られずあっという間に済んだだろう」

「……そうね。ありがとう」

「何だ、浮かない顔をしているな」

「いえちょっと、やっぱり罪悪感が……客じゃないって言い聞かせていたけど、そもそもモンテシエナに足を踏み入れた人物には一切介入してはいけないって掟は破ったわけだし、やっぱりこれは禁止事項じゃないかしらって……」

「お前は真面目だな」


 アルは呆れたようにため息をつき、腕を組んでしばし考えた後、そうだと声を出した。

「ならば上司に伺いを立てれば良いではないか」

「え、上司? 店長のこと?」

「いや、もっと上だよ」


 ニヤリと笑ったアルは、ルーチェを横抱きに抱えると窓を開け放って夜の空へと飛び出した。


「ちょ、どこ行くの!?」

「決まっているだろう。総裁殿のところだよ」

「そ、総裁!?」

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