天の川の障害物

 私がモテるだなんてとんでもない。

 あっという間に過ぎ去った休憩時間に生じてしまった葛藤が胃の周りを渦巻いている。

 まさかの評価に思わず素っ頓狂な間抜け声で全否定したのに、星歌さんは全く動じず続けた。

 ——だってスズちゃん、しょっちゅうドームの外で男の子に出待ちされているじゃない。

 事実である。

「いらっしゃいませ。大人二名様ですね」

 新規の客にチケットを切ってやりながら、なるべく目を合わせないように半券と館内マップをセットで戻す。男性二人組だ。館内の常設展ブースでは天体写真レクチャーも行っているから、このスペースドームにはカメラ好きの男性客も珍しくない。

「それではどうぞ行ってらっしゃい——お次のお客様」

 意味深な目線が気持ち悪い。この神聖な宇宙空間には不釣り合いだ。

 男どもの無言の訴えを完全無視し、強制退去させる術くらい心得てるわよ。

 ——まあスズちゃんは、そういうナンパには見向きもしないし嫌いだけど、ナンパ以外でも引くて数多でしょう。

 違う星歌さん。彼氏がいそうな手堅い人間にナンパは寄ってこないわよ。寄ってくるのはチョロそうなそういう女だと思われてるからに決まってるじゃないの。

 後ろ髪を引かれるような視線が横から私のこめかみあたりを撫でる。何かしらね。目線って念が触感でも作ってるのかしら。

 すると、受付デスクの前がいきなりダークブルーのスーツで塞がれた。

「間も無く特別星占いが始まりますので、皆様二階にお急ぎください。お客様お二人も今なら間に合います。走って」

 涼やかなテノールがエントランス・ホールにこだまする。営業用の笑みを滲ませた発声で人の波が動き出し、迷惑目線を送っていた二人も波に飲まれて階段へと消えていく。

 ホールから大方の客が去った。さっきまで見えなくなっていた床の天の川がはっきりと姿を見せ、残るは待ち合わせの相手を待っているらしい数人だけになる。

 人混みで澱んでいた空気に風が通る。ふう、と溜まっていた息を吐くと、目の前で床と水平に上げられていたダークブルーの腕が曲がり、視界が開いた。

 くるりとこちらに向き直ったスーツ男が小声で憐れみを口にする。

「相変わらずの災難だったね、スズさん。一人で追っ払うのも大変でしょ」

「ご心配をどうも。でもあの手の人間なら慣れてます」

 受付嬢をなめるなよ。

 また余計なのがきたという感情を全面に、慇懃に微笑む。「でも助かったでしょう」と得意げなこの男はさっきの青年たちより面倒臭い。

 館内案内係の更科さんは、なんだか知らないがやたら人に構ってくる。なんだか知らないが、は語弊か。好意があるのは見え見えなのだけれど、話していて疲れる上にいらない気遣いばかりする。おまけに仕事でも企画は的外れでしょうもない。

「そうは言っても、女性が強く断るのも限度があるでしょ。スズさん、パシッと断るの苦手そうだし、頼れる人に頼ったらいいよ」

 悪いがあんたが頼りない。

「恐れ入りますが大丈夫です。その辺りの対応にあたる機会は更科さんより多いですし」

「そういうスズさんは格好良いし素敵だと思う」

 横で言われて口の中に苦い唾が満ちて思わず半眼になる。しかしここはエントランス・ホール。私は受付。エントランスに残る客がいる以上、私の鉄の笑顔を崩してはいけない。

 更科さんはこれだから疲れるのだ。こちらは塩対応をしているつもりなんだけど、どこまでも鈍感なものだから余計こちらのストレスが溜まる。疲れてますね、とか言うから「ストレスです」と言ってもその原因が自分と知らずに解決策の提案を口実に話しかけてくるからさらに疲労五割増である。

「しかしそのピシッとしたところがスズさんの魅力だけれど、無理は良くないよ。受付で客相手でも」

「ありがとうございます。でも平気ですから。更科さんも上が混み始めているのでそちらの誘導に……」

「でもあの子ら出待ちしそうなタイプだよ。スズさん、客対応が優しすぎるから」

 ピン、と頭のどこかの神経が鳴った。

 だがこれだけ至近距離にいてこの男は気がつかないらしい。なかなか食い下がらないのはいつものことだが、今日はしつこい。勘違いが服を着たような顔でこちらを見下ろす。

「そしたら最悪じゃない? 誕生日なのに」

 ええ、今日は私の誕生日ですとも。最悪ですとも。今日のシフト終わりが貴方と被っているのが。

 そう言ってやりたいが、ここは私の神域である。

 あくまでこの空間の空気を保ちつつ、相手にだけ苛立ちが伝わるよう心もち目力を強めると、彼は同情を露わに続けた。

「また戻ってくるかもしれないし、今日は俺もここに」

「だからけっこ……」

「こどもいちまい、ください!」

 漫画だったら青筋付きになりそうな笑顔で言いかけたら、突然視界の外から聞き慣れた可愛い声がした。

 すぐに更科さんを意識外へ押し退け客向けの姿勢に切り替える。

「子供一枚、ですね。ええっと?」

 しかしどこだ、と探しても見当たらない。

「おかあさん、あとからくるの! だから先にこどもいちまい! これわりびき!」


☆☆

続く

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る