白雪姫の恋

李都

白雪姫の恋

 始業開始のチャイムが鳴り響く校舎の屋上、金網の向こう側。綺麗で少し短い髪を風になびかせて、彼女は立っていた。


「そんなところにいたら危ないよ」


 つい声をかけてしまった。すると、彼女は振り向き私に向かって微笑んだ。


「こんなところにいるんだもの。これがどういうことなのか分かっているのでしょう?」

「想像に容易くはないけれど、私は目の前で逝こうとする人を放って置けるほど堕ちた人間ではないの」


 今にも逝こうとしている彼女に向かって思うことではないのだけれど、私は彼女の美しさに、まるでおとぎ話に出てくるお姫様を想像させられた。


「分かったわ。あなたの前で旅立つのは止めることにする。その代わり、私の話し相手になってちょうだい」


 それが、彼女と知り合った最初の出来事。




「それで、どうしてあの時あなたはこの場所に来たの?」


 突然、彼女は私に問うた。最初の出会いからもう何度もこの屋上で時間を過ごした。彼女はひとつ上の学年だった。初めの方こそ敬語を使おうと思ったが、彼女はそれを拒み、今では友人のようには話す。私には、この時間がとても心地のいいものだった。


「本当に偶然だったの。次の授業が嫌だった。屋上の鍵が空いていて登ってみたらあなたがいた。ただ、それだけ。あの時は、まるでおとぎ話のお姫様がそこにいるようだった」

「不思議なことを言うのね。でも、本当におとぎ話の世界に行けるなら行ってみたいかもしれないわ」


 私の突拍子もない話も静かに受け入れる。彼女は私の全てを受け止めてくれる気がした。友達の少ない私にとって、彼女は数少ない友人の1人だった。いや、私が出会った全ての人の中でも特別だったのかもしれない。




 お互いの誕生日には贈り物をした。最初の年は絹でできた赤い髪紐、次の年には櫛を貰った。彼女の贈り物は不思議なものばかりだったけれど、このふたつは特に私のお気に入りとなった。

 彼女が学校を去ってからは会う機会は減ってしまったけれど、それでも手紙のやり取りは欠かさなかった。その日あったことや、屋上で過ごした日々の思い出話。便箋に何枚も何枚も綴って送りあった。




 ある日、仕事から帰ってしばらくすると、ピンポンと家のベルがなった。宅配便だった。荷物を受け取り中身を確認すると、彼女からの誕生日プレゼントが入っていた。赤いりんごのペンダント。嬉しくてさっそく付けることにした。鏡の前で確認する。好みのデザインで、赤い髪紐にとても似合っていた。


 荷物を片付けていると、箱の中に一通の手紙が入っていた。ハッピーバースデーの文字が書かれたバースデーカードだった。

 裏をめくると、そこには彼女の字でさよならの言葉が書かれていた。


 《私はあなたのことが好きよ。大好き。愛しているわ。あなたの毒で死んでもいいほどに。だけど世界はそれを許してはくれないの。私にはそれが辛い。だから、次の世界でまた出会いましょう。そして私たちが真実の愛だと証明するの。だからもう、この世界ではさよならよ。》




 私はたまらず家を飛び出した。そしてその足で初めて彼女と出会った校舎の屋上へ走った。全ての始まりの場所。呪うべき最初の毒。ああ、あの時ここに来なければ、こんなにも胸が張り裂けそうなことはなかったのに。

 もう、彼女に会えないならと、私の決心は固かった。彼女に貰った櫛で髪を梳かし、彼女の髪紐で結う。首元にはりんごのペンダント。きっとこれも彼女の愛情呪いがこもった毒林檎なのでしょう。

 まるで神器のように、これらが彼女への道標になってくれると信じ、あの日、彼女が立っていた金網の向こう側に立つ。私は迷わず、その一歩を踏み出した。







 朝の情報番組では、昨日起きた飛び降り自殺のニュースを報道していた。


『亡くなった女性は、髪の毛が歪に切られており、警察は--」


 私は歓喜した。あなたがいない世界に。私の知らないあなたがいない世界に。


「ああ、本当にこの世界にあなたはいなくなってしまったのね。とても悲しいわ。でも、これでいいの。あなたの時間は私を想ったまま止まったのだから。これであなたは私のものよ。あなたを愛しているわ。私の可愛い白雪姫」


 女は額縁に飾られた黒い髪の毛を眺める。それは赤い髪紐で結ばれていた。

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白雪姫の恋 李都 @0401rito

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