墓穴と恋人たちへ(試作)

まち子

世界一まずいオレンジジュース

「佐藤くん、好きな人はいるの?」

山道から外れたやけにゴテゴテしい岩道を先へと進み、振り向きもせずにそう話しかける憧れの乙女に私は「聞くくらいなら先に教えてよ」と返した。

「……特徴っていうか……こう……。顔に黒子がある人、とか」

たまたまかな、と思いつつも私は左目の下の黒子を隠すように抑えた。


「なんてね」


不意に見上げたその乙女は、その此花という名の女子は、ほんのりとだけ愉快そうな笑みを浮かべて、岩の上から、私を、

見下ろしてくれた。

ああ、どうしよう。きっと今の顔赤かっただろうなあ。



その此花という名の女子は、私と同学年の図書委員であった。中学1年の後半から委員会で交流を持ち、2年の半ばでは知人か友達かの間でお互いふわふわとしていた。尚2年間共同クラスになったことは無い。

人伝に連絡先を交換したのは2ヶ月程前、彼女から「会いたいから少し来て欲しい」との連絡を貰ったのが今から30分程前である。

そして今、蝉の喉も枯れるであろうやかましさを放つのが我ら2人の位置する淀バラ山。淀バラというのは地元の阿呆中高生その他関係者皆々様の呼ぶ渾名のようなもので、正式名称は淀原山である。


それからほんの少しだけ時を進めて

「佐藤くん、これから見るものは誰にも内緒にして欲しい。頼れるのは佐藤くんだけだと思うから。」

と、彼女に告げられたのが今から10分程前。私も一般的で健康的な中学2年男子、己にふつふつと浮かんだやましさを喉の奥に引っ込めて飲み込んだ分だけ心が浮かれた。

「淀バラで秘密事とかなに?此花さん死体でも埋めに来たの?」

そんな調子こいた私の問いに、彼女は俯いたまま少しだけ間を空けて

「うん」

とだけ答えて先々進んだ。

行きはしんどい帰りは暗い寒い怖いな淀原山は、1人で上り下りするにはなんとも広く心狭い。私が死体なんて物騒な話題を聞いても帰らなかった理由はここに1つある。

「佐藤くんは、砂糖は好きなの?」

「甘いのは嫌い。じゃあ此花さんはあの花は好きなの?」と、雛鳥のような赤い蕾の花を指さしながら。

「親父ギャグみたいで嫌だな、でも今のちょっと好きだから佐藤くんには後藤くんをあげる」

「誰なの?」

2つ目は、その、なんというか、意中の女子?みたいななんかそれとの会話が思ったよりも弾み、嬉し恥ずかしなんだか楽しの気分になっていたからだろう。

普段キンキンのカタブツのように見えていた分、「此花さんもこんなに笑うんだ」のドギやマギと自分が彼女に干渉出来ている愉悦感も小さくともは要因の一つではあった。


3つ目に、私は未だ本当にこの乙女が人を殺しただなんて甚だ信じてはいなかったのである。本を持つ最適解のようなか細い腕、賞を貰っていた「戦争について」の作文、彼女が自分の肩に止まったちいちゃな虫を潰さずにペッと土の上へ放ったところも見たことがある。よって先程の話は彼女なりの不器用なギャグとして消化した。


10歩前を進んでいた彼女は急に歩みを止め、辺りをキロリと見渡す。

「着いたよ、ここらへん」

その場所には特に目立った建造物やきれいな花もなんも無く、ずっとさっきからループのように見てきた木や雑草、それとこまごまと散らばって花が見えるだけ。強いて言えば土地が平らで開けているなと思うくらい。

私の憧れの乙女との歩は10歩、少し行けば隣へ並べるだろう。

けど、足が動かなかった。

乙女から感じる異様な空気と我々を急かすオレンジ色の空、そしてどこからかほんのり臭う嗅いだことのない異物臭が鼻を刺す。胃がキュッと掴まれるようで、なんというか、とても形容し難い悪寒が全身を覆っていた。

「あったよ」

乙女が木の奥へ指を指した。

まだ新しいブルーシートが筒状になって転がっていた。

「いい?物は取っちゃダメだからね?」

中身は恐らく女性だった。染めたであろうブロンドの髪がブルーシートから零れていて、風が吹いた表紙にブルーシートが少しだけめくれた。

そこから一瞬だけ顔が見えて、

笑っていた。


「佐藤くんシャベル持って」


「佐藤くんもちゃんと手動かして」


「佐藤くんがんばって」


「サトウくんそっちもって」


「さとうくん」


「おつかれさま」


記憶はプツプツとハサミで切り外しされているように断続し、ついに気がついたのは下山した時だった。


「佐藤くん」

「あ」

「疲れたね、ごめんね」

「あの」

「自販機あるよ。佐藤くん何がいい?」

「おれ」

「オレンジジュース買っとくね」

冷たい缶がそっと手に触れた。その瞬間一気に現実に引き戻されたようで、さっきのは夢だったんじゃないだろうかという戯言に溺れかけた。

「佐藤くん」

私からはなんとも、言葉が出なかった。

「一緒に共犯になってくれてありがとう」

彼女はそのセリフを、震えたようにも聞こえる声で絞り出した。

自分でも不思議なのだけれども、ジュース缶片手に住宅の隙間から紫色の空を眺める彼女の後ろ姿とつい先程の共犯の2文字の言葉のそれだけに、

私は飲み込まれてしまった。

要はこの時、本当に惚れてしまったのだと思う。

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墓穴と恋人たちへ(試作) まち子 @ma_chi_ko

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