6 祈り

 ぱちぱちと焚火が爆ぜ、火の粉が夜空に舞っている。大きな炎を囲むようにして、村人が寄り集まって立っていた。ショールを肩に巻き付け、身を縮め、私はエミリアとコゼットとともにしゃがみ込む。炎の陰になり、人の顔はどれも黒く塗りつぶされて見える。男たちがそれぞれ握りしめる斧や鉈、剣がぎらぎらと輝き、危険な雰囲気を醸していた。

「時はきた! 必ず狼の首を取って帰る。何も心配することはない。フランクとローズには申し訳ないことをした。二人の恨みを晴らすためにも……、同志たちよ続け!」

 男たちは何も言わなかった。ただ不安と恐怖を顔に張り付かせ、武器を握りしめて立っている。女達の不安の声が重なり合い、小さな唸りとなって巻き上がる。ここで無駄な死者をだすかもしれないのだ。村長は、それに気づいていない。

「あいつは異常だわ。大狼に勝とうなんて馬鹿なの?」

 思わず刺々しい口調になってしまった。

「ルビー、ジャックのところへ行ってきなさいよ」

 コゼットがささやいた。ゆっくりと首を振ると、エミリアが苛立ったように肘でわき腹を押してくる。

「こんなこと考えたくないけど、これが見納めかもしれないのに」

「できないわ」

 口にしたとたん、胸が刺されるように痛んだ。浅く息を吸い、ぐっと膝を抱え込む。二人があっけにとられて私を見つめている。

「お母さんに何か言われたのね」

 エミリアがつぶやいた。

 村長が掲げる松明に続いて、男たちが続々と村から出ていく。切り捨てられた病人や年寄りは、その行列を悲しみと申し訳無さの混じったまなざしで見つめていた。ジャックが硬い表情で斧を握って歩いていく。私はとうとう耐え切れなくなった。ぱっと立ち上がり、フードが外れるのも気にせずにジャックのもとへ駆けた。そして彼の大きく硬い手を取り、強引に家と家の間の暗がりに引き込んだ。

「ルビー? 何してるんだ!」

 ジャックが抑えた声で言う。私はジャックの両手をつかみ、必死で言った。

「こんなの無謀だわ。無駄死にするだけよ。私、あなたまで失ったら生きていけない!」

「じゃあどうしろって言うんだ。あいつの命令に背いて、家の中にこもってろって?」

 私はジャックの両手をつかんだまま、眉をひそめた。

「様子が変よ」

 彼はぎゅっと目を閉じ、深いため息をついた。それだけで胸が搾り上げられたように苦しくなる。

「君のお母さんに言われたんだ。もう近づくなって」

「――何を言って」

「もういいんだ。もう十分……お互い楽しんだ」

「本気じゃないんでしょ」

 ジャックは苦しそうに顔をそむけた。私の手をほどき、松明の光でぎらついた闇の中に戻っていく。私はそのあとを追いかけようとしたが、足を止める。きっともう話を聞いてはくれないだろう。ただ、震える息を吐きながら立ちすくむ。どうしたらいいのかわからなかった。


「お母さん!」

 集会が終わり、私は家へと歩いていく母の肩をつかんだ。訝し気に振り向いた母を、私は激しく問い詰めた。

「ジャックに何を言ったの? 勝手なことしないで!」

 周囲の人々が眉をひそめてこちらを見ている。母は一気に顔を険しくし、低い声で言った。

「ルビー、まだその話をするの? あの男のことはもう忘れなさい。一時的な気の迷いよ」

「気の迷いなんかじゃないわ。だって――だって私は小さいころからジャックが好きだった! 離れたくないの!」

 はっとして口をつぐむ。けれど、もう遅い。母は私の腕をつかんだ。爪が食い込んでいる。強引に家へ引っ張っていこうとする母に抗い、私は叫んだ。

「姉さんは好きに生きろといってくれたわ! お母さんは私を売るの? 家の雨漏りや体裁がそんなに大事!? お金が欲しいだけじゃない!」

 母はくるりと振り返り、今まで一度も見たことのない怒りのこもった顔で私を見た。人目をはばかっているが、本当は怒鳴り散らしたいに違いない。眼のふちを赤くし、母は言った。

「夢を見るのはもう終わり。ローズは死んだの。私たちはこれからどうやって生きていくの? もうすぐ冬が来る。焚きつけもない、パンもない、惨めな冬を送るのよ。ジャックと一緒になっても同じ。一生日陰の、暗い人生になる。あなたに私と同じ道を歩ませたくない」

 私は息を吸い、震える声で言った。

「お父さんのこと、そんな風に思っていたの?」

 母ははっとしたように口を閉じた。腕をつかむ力がゆるみ、私は母の手を振りほどく。泣きそうだった。母が家へと歩いていく。私はそのあとから、とぼとぼとついていった。ジャックとハワード。どちらを選ぶ方が賢明なのかは火を見るよりも明らかだ。けれど、それは正しい道なのだろうか。私は唇をかみしめた。冷たい風がローブを突き破って、私を凍えさせる。


 翌朝外へ出ると、冷たい風がうなりをあげて空を渡っていた。抜けるように青い空は眩しかった。けれど、私の心はどす黒く立ち込めていて少しも気分は晴れなかった。ローブを纏い、足は自然と教会の方へ向かう。住宅地を抜けて広場へ出ると昨日の焚き火の残骸が黒々と地面を汚していた。無数についた足跡が入り乱れ、村の東門へと向かっている。目を逸らしてナラの雑木林へ入った。葉を落としてすっかり痩せ細ったように見える枝は、魔女の指のように尖り、奇妙な曲線を描いている。雑木林を抜けると、教会の裏手に出た。私は草むらを抜け、教会の正面に回り、深く息を吸う。白く塗られた外壁は滑らかで、何度も握られ回されたドアノブは飴色に変色している。黒い切妻屋根に乗った大きな十字架が、厳しく私を見下ろしている。

 ドアノブを回し、中に入ると奇妙な静けさが訪れた。清潔な壁と天井に、並べられたたくさんのベンチ。大きなガラス窓からは透明な光が差し込んでいる。私はベンチとベンチに挟まれた通路を抜け、祭壇の前に出た。私と同じことを考えている女は多いらしく、すでに花や男物の衣類が並べられていた。私は祭壇の前に跪き、ローブの袖から黒い革紐を取り出した。元はジャックのブーツの靴紐だった。お互いの紐を交換し、自分のブーツに結びつけた。どんな時もお互いを近くに感じていられるように。決して離れないように。そんな苦笑いしてしまうような願いを込めて。今となっては皮肉のようだ。

 リーサが供えたのか、葡萄酒の瓶の隣に革紐を置く。アルフレッドは異常なほどの復讐に燃え、そして勇んで狼狩りに出かけていった。その気持ちはよくわかる。私が男だったら、ローズのために出かけたかもしれない。たとえ無謀だと分かっていても。

 フードを後ろに跳ね除け、私は手を前に組んだ。頭を深く下げ、心を込めて祈る。ジャックの無事と生還を願う。

(神様、お父さん。どうかジャックを生かしてください。私の愛する人を守ってください)

 顔を上げると、ふいに背中から声をかけられた。

「ジャックかい?」

 ハワードだった。黒い制服に身を包み、深い青の目は優しげな光を放っている。

「早朝からたくさんの人が来たよ。あの無謀な計画に参加させられた男たちの無事を祈るために」

 ハワードは祭壇に捧げられた花に触れた。その口調に苛立ち、私は口を開いた。

「あなたは行かなかったのね」

 刺々しい口調になってしまう。

「見習いとはいえ、僕は聖職者ですから。獣の血は穢れです」

 ハワードはそう言い、いきなり私の目の前に膝をついた。長い制服の袖から銀色に光る何かを取り出し、差し出す。私は手を出さなかった。ハワードは私の手をとり、強引に手のひらを重ねた。ジャック以外の男に触れられたくない。反射的に手を引こうと力を込めるが、ハワードの力のほうが強かった。

「あなたのために街から取り寄せました。婚約の証に」

 ハワードが私の手に落としたのは、銀製の腕輪だった。真っ赤な宝石がいくつも埋め込まれ、きらきらと輝いている。目を見張るような美しい代物だったが、私のにとってはジャックの靴紐の方が価値がある。

「あなたのための宝石です。ルビー」

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