第47話

第47話


「おはよう、竹花くん」


「……へ?」


俺は思わず瞬きをした。


子犬の襲撃から1週間が経ったか経たないか。


その日の朝、沙夜子は学校に来た。


おはよう、と呑気に挨拶をした彼女は、俺の反応にクスリと笑う。


「ふふ、私、本当に学校来ちゃった」


「……もしかして、あの犬……じゃねえ、あの一年が何かしたのか」


沙夜子は楽しそうだからまだ良いが、俺の発言のせいで彼女がなにかされたのかと心配になる。


しかし、彼女は穏やかに頷いた。


「千恵里ちゃんのことだよね。

あの子、私の家に来てくれたの。

色々写真を持ってきてね。

どこから持ってきたんだろ……あの子、去年のアルバムを持ってきたんだよ」


彼女のカバンは、まだマッキーの跡が消えない。


だが、今の彼女はそれすら愛おしそうに手に下げていた。


「千恵里ちゃん、本当に竹花くんのこと大好きなんだね。

嬉しそうにアルバム見せて話してくれたの。

千恵里ちゃんも私も、中学の運動会とか合唱コンクールとか、参加してないのに変だよね」


変だと言いながらも、彼女は嬉しそうだった。


罵詈雑言だらけの机はもう新しいものに変わっていた。


「それで、久々に……竹花くんに会いたくなっちゃった」


教室の空気に、彼女はもう溶け込んでいた。


「なぁ……あの……部活は……」


俺は呂律がまわらないまま尋ねる。


俺は目をそばめて彼女の反応を見るが、意外と彼女は落ち着いたままだ。


「……辞めたよ」


おとなしい彼女が目をつけられたのは、早かった。


彼女が一年生の春、彼女が入っていた吹奏楽部の先輩に早々に標的にされたのだ。


カバンや机が汚されるのはまだ序の口だった。


沙夜子は孤児院出身であること、両親は刑務所にいること。

彼女の禁忌は、全校にばら撒かれた。


……学校に、彼女の居場所はなかった。


だって、俺には救えない。

その噂を消すことだって出来なかった。


沙夜子を虐める先輩を殴ったところで、沙夜子に被害が増えるだけだ。


そっと身を隠すように、彼女は学校に来なくなった。


そんな彼女が、今、学校に来ている。


千恵里とかいう、1人の一年生の力によって。


……ずるい。


初めに思ったことは、そんな事だった。


我ながら、よく口から溢さなかったと思う。


それほど強く、強く強く、思った。


何だよそれ。

ずるいじゃねえかよ。


俺があれだけ悩んでいたことを、どうしても出来なかったことを、あの能天気な少女はたった1日で成し遂げたのだ。


俺のことすら利用して。


「……そっか」


何かあったら俺に言えよ。


口内に鉄の味を感じながらそう言うのが、俺の精一杯だった。

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