第9話


第9話


「クソッ、一高ワン子の奴……」


俺は舌打ちしながら、机にカバンを投げ捨てた。


結局昨日は、図書室から借りて来た本に目を通す事だけで下校時刻になった。

……半分は、一高ワン子と言い争って潰れたも同然なんだが。


「昨日、部活に行けて良かったな」


揶揄うような声。


「まぁな、誰かさんが保健室まで運んでくれたおかげ様で」


俺は盛春に答えながら、ふん、と鼻息を吐いた。


教室には相変わらずの花瓶。

そして異様な雰囲気。


だけど……少し慣れたからだろうか?


昨日よりは、そこに恐怖を覚えなかった。


逆に言えば、俺がそこにという事でもあるが。


「おいおい、ツンデレかよ」


彼の眉がハの字になる。

よく動く眉毛だ。


「……なぁ盛春」


俺は少しだけ間を空けて、彼に呼びかける。


盛春が振り返るのを待って、訊ねた。


「……一昨日って、何かあったっけ」


沈黙。


いや、厳密にいうとその場にはガヤガヤと朝の喧騒が満ちていた。


その沈黙は、俺と盛春の間でのみ漂っていた。


彼はほんの少しだけ首を傾げる。


「なんか、家に人が尋ねて来た……と思う」


教室の天井の方を見上げながら、彼が言う。


「人が?」


「そ、ショートカットのさ……20代くらいの女性が」


……知らない人だ。


少なくとも俺には、そんな知り合いはいない。

今回のには全く関係はなさそうだ。


だけど……情報は多い方が助かる。


「それで?」


俺は椅子に座りながら促す。


だが、盛春がはにかんで頬杖をついた。


「突然なんだよ、なんか尋問みたいじゃん。

ついに探偵でも始めた?」


その言葉で、俺の喉がグッと音を鳴らした。


“調査してる”だなんて、口が裂けても言えない。

言えるはずがない。


代わりに俺は口を尖らせた。


「……なんでもねぇって」


えぇ……と彼がもっと首を傾げた。


「何かありましたーって顔に書いてあるけど」


「書いてねぇっつぅの」


まずい、話が逸れた。


俺は話を戻そうと口を開いた。


「やっべ」


だが、声が発せられる寸前に盛春が声を上げる。


「今日日直なの忘れてたわ」


俺が止める暇もなくバタバタと教室を出ていく。


忙しなく出ていった春風に、教室は一瞬だけ呆気に取られた。


だが、すぐにまたいつもの喧騒を取り戻す。


何事もなかったかのように。


___あぁ、こういうことなのかもな。


俺は椅子に深く腰掛けながら思った。


教室から人が消えても。

花瓶が教室に咲いても。


だとしても。


誰も気づかない。


気づいたとして、すぐに日常の中に忘れてしまう。


1、2、3___


ちゃんと数えて、14個。


おおよそクラスの3分の1に、花のない花瓶は咲いていた。





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