第6話

第6話


「うわ、何で居んだよ」


俺、竹花楽都は思わず呟いた。


それは瞼を上げた瞬間に、一高ワン子の顔が目に飛び込んできたからで。


俺のベッドの横で、彼女はニチャリと笑う。


「先輩がぶっ倒れてんのに、心配して来ない後輩がどこにいるのだよ〜」


「普通来ねえわ。

……つぅか、お前授業どうしたんだよ」


そう尋ねた俺に向けて、彼女が無言で時計を指す。


二つの時計の針は、おおよそ真上あたりを指していた。


……昼休みか。


確か俺がぶっ倒れたのって朝だったっけ。

ってことは、俺4時間くらい寝てたってことか?


「思ったより元気そうで良かったのだ。

心配して損した」


「おい」


確かに今はもう元気だけど、病人にそれ言っちゃあおしまいだろ。


ちぇー、と詰まらなそうに一高ワン子が口を尖らせる。


「んじゃぁ、ボクは教室に戻るのだよ」


お大事に〜と適当に言いながら、彼女は立ち上がった。


「あ、ま……待て!」


俺は慌てて、彼女の服の裾を掴んだ。


「ひゃっ!?」


素っ頓狂な声が、彼女から上がる。


「ど……っ、どうしたのだよぉ…!?」


そのあまりの慌てように、今しがた自分がした事の異常さに気がつく。


「あっ、わ、悪りぃ…」


パッと手を離して、俺はベッドに座り直した。


言ってもいいのだろうか、言うべきなのだろうか。


沙夜子のこと、花瓶のこと。


……また、あんな目を向けられたら?


おかしいのは俺の方なんだって、突きつけられたら?


俺はぎゅっと拳を握る。


「あ、あのさぁ……ワン子…」


「……?」


首を傾げる彼女。


俺はもごもごと口籠る。


「今日、沙夜子って……見た、か?」


「え?」


彼女が瞬きをする。


俺は固く握った手を、さらに強く握りしめた。


「何でもない」


知らないなら、それでいい。


俺がおかしいんだ。

きっと。


だが、一高ワン子は。


「先輩______沙夜子先輩、なのだ?」


そう、聞き返した。


「っ……」


俺は弾かれたように顔を上げる。


彼女の眉は、怪訝そうに顰められている。


それは俺を疑っているような顔じゃなくて、真剣に目の前の現象に向き合っているかのような。


少なくともそうやって、彼女は“沙夜子”の名を呼んだ。


それとほぼ同時に、予鈴が甲高く響く。


「あ、ボクはもう帰るのだ!」


俺の追及を逃れたいかのように、彼女がパッと飛び退く。


「え、ちょっと待て___」


まだ聞けていない事は山ほどある。


だが、俺がそこまで言った時には、もう彼女は保健室の入り口の方にいた。


「先輩!

じゃあ、また………放課後に」


捨て台詞のように吐いた彼女は、ピシャリと音を立てて出て行った。



* * *



結局、午後の授業は休んだ。


花瓶だらけで___沙夜子がいないのがのような______そんな教室で、のうのうと授業を受ける気にはなれなかった。


保健室のベッドで、布団の中にうずくまる。


昔からこうやって、怖いものを布団の外に追いやっていたっけ。


姉のレッスンがどうとか、姉の発表会の結果がどうとか、姉のテストの結果がどうとか。


ただでさえ子供に構う暇のない両親と祖父母の関心は、常にそういうことに向けられていた。


___だから、たとえ怖い夜が来たとしても、俺の元には誰も来てはくれない。


分かっていたからこそ、俺はこうやって蹲ることを覚えた。


布団越しに、くぐもったチャイムの音。


___あぁ、もう授業終わったか。


俺は布団から顔を出す。


本当は、このまま帰りたい。

何も見ないまま、知らないふりをしたまま帰りたい。


……それでも、確かめないとなんだよな。


時計を睨みながら、俺は思う。


一高ワン子に、どこまで知っているのか、どこまで分かっているのか尋ねないと。


俺はもぞもぞと布団から這い出た。


ベッド横には、ご丁寧に俺のバッグが置いてあった。

どうせ盛春あたりが持ってきてくれたんだろう。


それを掴んで、俺は部室棟に歩き出す。


保健室の先生の机の上にも、花瓶が置いてあった。

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