幕間・外伝

幕間(第2.5話)

 第1シリーズ(?)の幕間と外伝を本編後に整理しました。

 郁美と留美の密談編です。三人称が合わない方は飛ばして下さい。


***********


 日曜日の朝。

 

 閑散とした駅前に、黒髪碧眼の美少女が、所在無げに立っていた。

 少し垂れ目がちな、憂いを帯びた大きな瞳が、不安そうに揺れ続ける。


 強調しないように工夫されてはいるものの、

 隠しきれない豊満な乳房のシルエットは、

 周辺を過ぎる老若の男性から、好奇と熱望の視線に晒されている。


 引き籠りだった雨守郁美にとって、

 この町に降りたことは一度もなかった。

 

 電車は、必要に迫られて大きな街に行く時だけに乗るもので、

 そうでない町に、わざわざ降りるという発想がなかった。

 小旅行をする、という考え方を持てなかった。

 

 郁美の待ち人は、

 まさに、そういう考えを持てる側の人間だった。

 

 真矢野留美。

 

 沢名葉菜と並ぶ、クラス内美少女図鑑のツートップ。

 葉菜と同じく、学年一のイケメン、双谷流都の幼馴染。

 クラス内、いや、学年内の交友関係は男女問わずに広く、

 生徒会から誘いがあったとも囁かれる、陽キャ側の頂点。

 

 野智真人のことでなければ、

 朝から慣れない小旅行をすることはなかっただろう。

 

 それは、留美も同じだろう。

 野智真人のことだからこそ、

 わざわざ迂遠な方法を駆使してまで、郁美と会おうとしている。

 

 クラス内、学校内。

 同じ中学出身者すら、気づくことのない場所で。

 

 「へーい彼女ぉ、お茶しなぁい?」

 

 びくりとした郁美は、すぐに被りを振った。

 

 「あっははは。

  郁ちゃん、驚きすぎっ。」

 

 肩に少し掛かる程度に整えられた、指通りの良さそうな茶髪。

 力強く、好奇心旺盛な、くるくると動く瞳と、

 それを護るように花開く二重瞼。


 真矢野留美は、今日も可憐に、眩しく生きている。


*


 「いやー、ごめんごめん。

  このへんだったら、さっすがに誰もいないと思うからさー。」


 留美が指定した山側の駅は、郁美達の最寄りからは勿論、

 高校、互いの中学の通学・回遊圏内からも外れている。

 

 「んでさ、

  ここって、通信、圏外なんだよね。」

 

 驚いた。

 99.9%をカバーしている状況で、今時、圏外になる場所なんて、

 災害時の離島か、名もなき山くらいだろうと。

 そこまで考えた後、郁美の怜悧な脳細胞は、はたと、気づいた。

 

 「なのですね。」

 

 「お。

  さっすが学年三位。

  賢いなー。」


 意図的に、電波を遮断する場所。

 そこまで条件を整えて、伝えることがある。

 

 「たぶん、郁ちゃんも気に入ると思うよ。

  結構、いいトコだから。」


*


 朽ち果てて土に還るような外観を晒していたのに。

 引き戸はスムーズに開き、その先には、が待ち構えていた。


 「ね?

  ちょっと前に、撮影で使われちゃってさ。

  そろそろ、ほとぼりが醒める頃かなって。」


 モスグリーンの椅子に詰められたウレタンは、

 電車よりも、ずっとしっかりしている。


 郁美は、留美にしては少しレトロな、

 黒のマキシワンピースを着ていた所以を、漸く理解した。

 入念に手入れされた庭の刈り込まれた瑞々しい翠と、

 コーディネートをしっかり合わせてきていたのだ。

 

 「ずるくないですか。」

 

 「あははは、郁ちゃん、そんなこと思うんだ。

  あ、あたしに敬語、使わなくていいからね。」

 

 距離を置くための敬語を、あっさりと壊される。

 

 「でも、郁ちゃん、ほんと、変わったよね。

  一学期まで、ぼっさぼさの髪に、おもったそうな眼鏡してて。

  まぁ、そうしたいんだなーって思ってたけど。」


 いつものように、ずかずかと入ってくる。

 警戒感の壁を、ばらりと壊されてしまう。

 

 「あ、抹茶パフェひとつー。

  郁ちゃんは?」

 

 ぇ。

 

 「わ、わたしも同じもので。」

 

 「かしこまりました。」

 

 ずるい。

 ずるくないか。

 

 「あはは、郁ちゃん、らしいなー。

  でも、後悔しないと思うよ。」


 けらけらと毒気なく笑う留美。

 郁美は、振り回されっぱなしだった。


*


 「ね、美味しいでしょ。」

 

 「は、はい。」


 確かに、すさまじく美味しかった。

 抹茶の寒天と白玉が、絶妙の弾力で、

 クリームと抹茶アイスにアクセントを添えてくれる。

 品良く炊きあげられた大納言が、味に変化と調和を齎してくれる。


 「素材が良いし、ひとつひとつ丁寧なんだよねー。

  敬語、ほんと使わなくていいのに。」

 

 「い、いえっ。」

 

 から、どうしても、使ってしまう。

 同世代で使わなくて済むのは、今のところ、たった二人だけで。

 

 「あはは、それでね。

  んー、どっから話したもんかなー。

  葉菜とあたし、ルトは、幼馴染なんだけど、

  それはさすがに知ってる?」

 

 「はい。」

 

 「あはは。そっかそっか。

  で、葉菜ん家って、結構でっかい家なんだよね。」

 

 (それは、知ってる。

  調べたから。)

 

 「うん。

  で、葉菜ん家のお父さん、会社やってんだけど、

  その付き合いで、実は葉菜、許嫁がいるのね。」

  

 (野智君から聞いてた通り、だ。)

 

 「まぁ、葉菜が知ったのって、中学入ってからで。

  その頃はまだ、あっちも、今よかマシな性格してたと思うけど。」

 

 (……マシじゃ、ないんだ。)

 

 「葉菜のお父さん、事業やる時に、

  会社に、手形を引き取ってもらったことがあって。」

 

 (……。)

 

 「今でも、あっちの会社が紹介した銀行から、

  そこそこお金を借りてる。

  で、らしいの。」

 

 (?)

 

 「そこはいまいち良く分かんないんだけど、

  ぜんぶ返せって言われたら、葉菜のお父さん、かなり困るみたいで。」

 

 (あぁ……

  そういうこと、なんだ。)

 

 郁美の怜悧な頭脳は、

 沢名家を縛りたい者の態様を、瞬時につかみ取った。

 

 「それでまぁ、勝手に、そんな風に名乗られてるって感じ。

  地元のちょっとお金ある家は、だいたい、事情を知ってるみたい。」

 

 「許嫁の方の会社とは?」

 

 「東郷建設。

  ほら、駅前に、十五階建ての目立つビル、建ってるっしょ?」

 

 郁美の頭の中に、駅前の景観を奪うように立つ、

 どっしりとした風合いの重厚な建築物が浮かんだ。

 

 「そーそー。

  あそこの御曹司で、東郷清明君。」

 

 「それは……。」

 

 「ま、はっきりいってさ、

  葉菜も、好き好んでって感じじゃないんだ。

  ただ、葉菜もあれで、家に気、使ってるから。」


 ……。


 「葉菜のお父さん、言い出されたら困ると思う。

  葉菜もそれ、分かってるから、言わない。

  ま、そんな感じ。」

 

 (……。)

 

 「で。

  こっからが本番なんだけど。」

 

 ここまでなら、態々こんな場に呼び出したりはしないだろう。

 郁美は、少し椅子を引いた。

 

 「ほら、こないだ、街中で、

  野智君が、ひかれそうになった葉菜を助けたじゃない?」

 

 (……来た。)

 

 「はい。」

 

 「郁ちゃんって、

  、知ってるの?」


 留美は、大きな、勝気な瞳を開いて、

 探るように郁美を見つめて来る。


 「何を、とは。」

 

 郁美は、留美に、隠し事をしている。

 それは、野智真人ののことであり、

 のことであり。

 

 ただ、それをどうして留美が探ろうとするのかが分からない。

 そして。

 

 「に、心当たり、ある?」

 

 「え?」

 

 言われたことが、意外すぎたから。

 

 留美の質問が、事件の性質から見て、当然のことだと気づくまで、

 郁美の脳細胞は、ほんの少し、時間を要した。

 

 「……あはは。

  こっれは、ホントに知らなそうだね。

  あー、しくったぁー。

  ま、郁ちゃんとお近づきになれたから、いいけどさー。」

 

 「は、はぁ。」

 

 「あーもう。そっか。

  じゃ、わかったわかった。

  

  こういうことなんだけどさ、

  葉菜が警察さんから聞いた限りでは、

  運転してた犯人は70歳のお医者さん。

  

  頭がぼーっとしたと。故意じゃもちろんないと。

  葉菜とも、お店とも、面識はないと。」

 

 慌てて頭の中をフル回転させて書き止める。

 録音を消されても、真人に伝えられるように。

 

 「だから、警察さんとしては、

  物損事故で、交通課中心で処理するしかないと。

  なにしろ、綺麗に助かっちゃったからね。

  野智君には、すごく、もんのすごく感謝してるけど。」

 

 「は、はい。」

 

 「でも、葉菜を狙ったって、考えることもできちゃう。

  たとえばさ、急に頭がぼーっとしたのって、

  年寄りだから当然、かな?」

 

 「……それは。」

 

 疑い出してしまえば、当然、疑えてしまう。

 

 ただ、そうだとすると、

 沢名葉菜の命を狙う理由があるのは、誰なのか。

 

 「……あはは。

  考えすぎって言われると、そうかもしれないけど、

  そんなことがあっても、なにもおかしくないんだ。

  

  郁ちゃんともうちょっと親しくなれたら、

  ひょっとしたら伝えられるかもしれないけど。」

 

 「は、はい。」

 

 留美にとって、今は、そこは重要ではないのだろう。

 レモンを刺した氷水を優雅に飲み干した留美は、

 人好きのする円らな瞳を爛々と輝かせた。

 

 「それよりも。

  東郷家が、葉菜との婚約を急いでる。」

 

 「……は?」

 

 「まぁ、

  『婚約したら、葉菜をしっかり守れますよ。』

  的な感じ? 無償ではサービスしません的な。

  葉菜のお父さん、ちょっとそれで、追い詰められてる。」

 

 留美の強い口調で、回転の速い郁美の脳細胞は気づいてしまった。

 葉菜が狙われることに、があるのだと。

 

 「葉菜ちゃんのお母様は?」

 

 「葉菜のお母さんにもお考えはあるんだろうけど、

  お父さんを立てるタイプだから。

  

  ……あたしから見てると、

  なに勝手なことをって感じなんだけどさ、

  まぁ、葉菜も言い出せる立場じゃないから。」


 いまのいままで、知らなかった。 

 のんびりと人生を謳歌してるとしか思えなかった沢名葉菜が。


 「……葉菜もさ、諦めちゃってるところもあって。

  もう四年だからね。慣れちゃってんのかもしれない。」


 手入れされた翠の中を、さらさらと流れる水の音が、

 やけにはっきりと、郁美の耳朶を打った。


 「……あのさ、郁ちゃん。」


 「……はい。」

 

 「……葉菜、でのこと、

  いまでもたまに話すんだ。」

 

 「そう、ですか……。」

 

 癒し系ボイスとして話題を攫い、

 全校生徒から、密かに復帰を待望されている。

 そのことを知らない二人ではない。

 

 郁美の鋭い頭脳は回転を続け、

 はたと、思いついてしまった。

 

 「ですか。」

 

 「……。」

 

 留美は、口を静かに閉じ、目力に満ちた輝く瞳を、少し伏せた。

 なによりも強い肯定だった。

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