幕間・外伝
幕間(第2.5話)
第1シリーズ(?)の幕間と外伝を本編後に整理しました。
郁美と留美の密談編です。三人称が合わない方は飛ばして下さい。
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日曜日の朝。
閑散とした駅前に、黒髪碧眼の美少女が、所在無げに立っていた。
少し垂れ目がちな、憂いを帯びた大きな瞳が、不安そうに揺れ続ける。
強調しないように工夫されてはいるものの、
隠しきれない豊満な乳房のシルエットは、
周辺を過ぎる老若の男性から、好奇と熱望の視線に晒されている。
引き籠りだった雨守郁美にとって、
この町に降りたことは一度もなかった。
電車は、必要に迫られて大きな街に行く時だけに乗るもので、
そうでない町に、わざわざ降りるという発想がなかった。
小旅行をする、という考え方を持てなかった。
郁美の待ち人は、
まさに、そういう考えを持てる側の人間だった。
真矢野留美。
沢名葉菜と並ぶ、クラス内美少女図鑑のツートップ。
葉菜と同じく、学年一のイケメン、双谷流都の幼馴染。
クラス内、いや、学年内の交友関係は男女問わずに広く、
生徒会から誘いがあったとも囁かれる、陽キャ側の頂点。
野智真人のことでなければ、
朝から慣れない小旅行をすることはなかっただろう。
それは、留美も同じだろう。
野智真人のことだからこそ、
わざわざ迂遠な方法を駆使してまで、郁美と会おうとしている。
クラス内、学校内。
同じ中学出身者すら、気づくことのない場所で。
「へーい彼女ぉ、お茶しなぁい?」
びくりとした郁美は、すぐに被りを振った。
「あっははは。
郁ちゃん、驚きすぎっ。」
肩に少し掛かる程度に整えられた、指通りの良さそうな茶髪。
力強く、好奇心旺盛な、くるくると動く瞳と、
それを護るように花開く二重瞼。
真矢野留美は、今日も可憐に、眩しく生きている。
*
「いやー、ごめんごめん。
このへんだったら、さっすがに誰もいないと思うからさー。」
留美が指定した山側の駅は、郁美達の最寄りからは勿論、
高校、互いの中学の通学・回遊圏内からも外れている。
「んでさ、
ここって、通信、圏外なんだよね。」
驚いた。
99.9%をカバーしている状況で、今時、圏外になる場所なんて、
災害時の離島か、名もなき山くらいだろうと。
そこまで考えた後、郁美の怜悧な脳細胞は、はたと、気づいた。
「そのような場所なのですね。」
「お。
さっすが学年三位。
賢いなー。」
意図的に、電波を遮断する場所。
そこまで条件を整えて、伝えることがある。
「たぶん、郁ちゃんも気に入ると思うよ。
結構、いいトコだから。」
*
朽ち果てて土に還るような外観を晒していたのに。
引き戸はスムーズに開き、その先には、現役の大正時代が待ち構えていた。
「ね?
ちょっと前に、撮影で使われちゃってさ。
そろそろ、ほとぼりが醒める頃かなって。」
モスグリーンの椅子に詰められたウレタンは、
電車よりも、ずっとしっかりしている。
郁美は、留美にしては少しレトロな、
黒のマキシワンピースを着ていた所以を、漸く理解した。
入念に手入れされた庭の刈り込まれた瑞々しい翠と、
コーディネートをしっかり合わせてきていたのだ。
「ずるくないですか。」
「あははは、郁ちゃん、そんなこと思うんだ。
あ、あたしに敬語、使わなくていいからね。」
距離を置くための敬語を、あっさりと壊される。
「でも、郁ちゃん、ほんと、変わったよね。
一学期まで、ぼっさぼさの髪に、おもったそうな眼鏡してて。
まぁ、そうしたいんだなーって思ってたけど。」
いつものように、ずかずかと入ってくる。
警戒感の壁を、ばらりと壊されてしまう。
「あ、抹茶パフェひとつー。
郁ちゃんは?」
ぇ。
「わ、わたしも同じもので。」
「かしこまりました。」
ずるい。
ずるくないか。
「あはは、郁ちゃん、らしいなー。
でも、後悔しないと思うよ。」
けらけらと毒気なく笑う留美。
郁美は、振り回されっぱなしだった。
*
「ね、美味しいでしょ。」
「は、はい。」
確かに、すさまじく美味しかった。
抹茶の寒天と白玉が、絶妙の弾力で、
クリームと抹茶アイスにアクセントを添えてくれる。
品良く炊きあげられた大納言が、味に変化と調和を齎してくれる。
「素材が良いし、ひとつひとつ丁寧なんだよねー。
敬語、ほんと使わなくていいのに。」
「い、いえっ。」
恐怖感から、どうしても、使ってしまう。
同世代で使わなくて済むのは、今のところ、たった二人だけで。
「あはは、それでね。
んー、どっから話したもんかなー。
葉菜とあたし、ルトは、幼馴染なんだけど、
それはさすがに知ってる?」
「はい。」
「あはは。そっかそっか。
で、葉菜ん家って、結構でっかい家なんだよね。」
(それは、知ってる。
調べたから。)
「うん。
で、葉菜ん家のお父さん、会社やってんだけど、
その付き合いで、実は葉菜、許嫁がいるのね。」
(野智君から聞いてた通り、だ。)
「まぁ、葉菜が知ったのって、中学入ってからで。
その頃はまだ、あっちも、今よかマシな性格してたと思うけど。」
(……マシじゃ、ないんだ。)
「葉菜のお父さん、事業やる時に、
会社に、手形を引き取ってもらったことがあって。」
(……。)
「今でも、あっちの会社が紹介した銀行から、
そこそこお金を借りてる。
で、少しずつ返させてくれないらしいの。」
(?)
「そこはいまいち良く分かんないんだけど、
ぜんぶ返せって言われたら、葉菜のお父さん、かなり困るみたいで。」
(あぁ……
そういうこと、なんだ。)
郁美の怜悧な頭脳は、
沢名家を縛りたい者の態様を、瞬時につかみ取った。
「それでまぁ、勝手に、そんな風に名乗られてるって感じ。
地元のちょっとお金ある家は、だいたい、事情を知ってるみたい。」
「許嫁の方の会社とは?」
「東郷建設。
ほら、駅前に、十五階建ての目立つビル、建ってるっしょ?」
郁美の頭の中に、駅前の景観を奪うように立つ、
どっしりとした風合いの重厚な建築物が浮かんだ。
「そーそー。
あそこの御曹司で、東郷清明君。」
「それは……。」
「ま、はっきりいってさ、
葉菜も、好き好んでって感じじゃないんだ。
ただ、葉菜もあれで、家に気、使ってるから。」
……。
「葉菜のお父さん、言い出されたら困ると思う。
葉菜もそれ、分かってるから、言わない。
ま、そんな感じ。」
(……。)
「で。
こっからが本番なんだけど。」
ここまでなら、態々こんな場に呼び出したりはしないだろう。
郁美は、少し椅子を引いた。
「ほら、こないだ、街中で、
野智君が、ひかれそうになった葉菜を助けたじゃない?」
(……来た。)
「はい。」
「郁ちゃん達って、
何を、知ってるの?」
留美は、大きな、勝気な瞳を開いて、
探るように郁美を見つめて来る。
「何を、とは。」
郁美は、留美に、隠し事をしている。
それは、野智真人の能力のことであり、
自分があの場所にいた意味のことであり。
ただ、それをどうして留美が探ろうとするのかが分からない。
そして。
「犯人に、心当たり、ある?」
「え?」
言われたことが、意外すぎたから。
留美の質問が、事件の性質から見て、当然のことだと気づくまで、
郁美の脳細胞は、ほんの少し、時間を要した。
「……あはは。
こっれは、ホントに知らなそうだね。
あー、しくったぁー。
ま、郁ちゃんとお近づきになれたから、いいけどさー。」
「は、はぁ。」
「あーもう。そっか。
じゃ、わかったわかった。
こういうことなんだけどさ、
葉菜が警察さんから聞いた限りでは、
運転してた犯人は70歳のお医者さん。
頭がぼーっとしたと。故意じゃもちろんないと。
葉菜とも、お店とも、面識はないと。」
慌てて頭の中をフル回転させて書き止める。
録音を消されても、真人に伝えられるように。
「だから、警察さんとしては、
物損事故で、交通課中心で処理するしかないと。
なにしろ、綺麗に助かっちゃったからね。
野智君には、すごく、もんのすごく感謝してるけど。」
「は、はい。」
「でも、葉菜を狙ったって、考えることもできちゃう。
たとえばさ、急に頭がぼーっとしたのって、
年寄りだから当然、かな?」
「……それは。」
疑い出してしまえば、当然、疑えてしまう。
ただ、そうだとすると、
沢名葉菜の命を狙う理由があるのは、誰なのか。
「……あはは。
考えすぎって言われると、そうかもしれないけど、
そんなことがあっても、なにもおかしくないんだ。
郁ちゃんともうちょっと親しくなれたら、
ひょっとしたら伝えられるかもしれないけど。」
「は、はい。」
留美にとって、今は、そこは重要ではないのだろう。
レモンを刺した氷水を優雅に飲み干した留美は、
人好きのする円らな瞳を爛々と輝かせた。
「それよりも。
東郷家が、葉菜との婚約を急いでる。」
「……は?」
「まぁ、
『婚約したら、葉菜をしっかり守れますよ。』
的な感じ? 無償ではサービスしません的な。
葉菜のお父さん、ちょっとそれで、追い詰められてる。」
留美の強い口調で、回転の速い郁美の脳細胞は気づいてしまった。
葉菜が狙われることに、思い当たる節があるのだと。
「葉菜ちゃんのお母様は?」
「葉菜のお母さんにもお考えはあるんだろうけど、
お父さんを立てるタイプだから。
……あたしから見てると、
なに勝手なことをって感じなんだけどさ、
まぁ、葉菜も言い出せる立場じゃないから。」
いまのいままで、知らなかった。
のんびりと人生を謳歌してるとしか思えなかった沢名葉菜が。
「……葉菜もさ、諦めちゃってるところもあって。
もう四年だからね。慣れちゃってんのかもしれない。」
手入れされた翠の中を、さらさらと流れる水の音が、
やけにはっきりと、郁美の耳朶を打った。
「……あのさ、郁ちゃん。」
「……はい。」
「……葉菜、放送委員会でのこと、
いまでもたまに話すんだ。」
「そう、ですか……。」
癒し系ボイスとして話題を攫い、
全校生徒から、密かに復帰を待望されている。
そのことを知らない二人ではない。
郁美の鋭い頭脳は回転を続け、
はたと、思いついてしまった。
「反対したのは、双谷君ですか。」
「……。」
留美は、口を静かに閉じ、目力に満ちた輝く瞳を、少し伏せた。
なによりも強い肯定だった。
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