イマジナリー猫が死にました。

ロッキン神経痛

イマジナリー猫が死にました。

 家が貧乏で母子家庭で性格がネクラで馬鹿で運動音痴な僕が、幸せになる道なんてこの町には用意されていなかった。

 一台の車もすれ違えない、細い道ばかりの薄茶色い町。落書きだらけでベコベコに凹んだランドセルを背負って歩く僕の視界は、この町ではいつだって下向きだった。

 前を向けば僕以外の人間が沢山そこに居て、幸せそうに笑って生きているのが見える。僕は馬鹿なのに、自分を騙して幸せになれるほどの馬鹿じゃいられなかった。普通の人より僕は劣っている、そんな自覚に耐えきれなかった。だから下を向いた。

 道には色んなものが落ちている。大抵はプラスチックや缶なんかのゴミだけど、たまにそうじゃないものも。例えば腹を出して転がる虫、枯れた花、たまに小動物。

 僕は下向きに通学路を歩くことで、身近な世界に死が溢れていることを知った。

 その日も天然の押し花や、身体中蟻にたかられた雀を視界に眺めながら歩いていた。歩く度にズキンズキンと右手が痛む。前日にお母さんに乱雑に貼られた絆創膏を丁寧に貼り直してみても、やっぱり痛いものは痛かった。料理中は怪我がつきもの、とお母さんは言っていた。

 ヤッホー公園の前を通る時に、鼻を塞ぎたくなるようなきつい臭いが漂っていることに僕は気づいた。何事かと顔を上げると、通学路を歩く同級生たちの後ろ姿が見えた。皆小さな悲鳴を上げながら足早に、ある場所を通り過ぎているようだ。

「ヤッホー!」

 ヤッホー公園の主こと、ヤッホーおじさんが今日も小さな山型の遊具の上で叫んでいるのが見えた。髪もヒゲもボーボーで、お腹が凄く出ていて、近寄るといつもおしっこの臭いがしているおじさんだ。明らかに様子はおかしいけれど、ただいつもヤッホーと叫んでいるだけの無害なおじさんと言われていた。おじさんは小さな山の上で、両手を口元にあてていつも叫んでいる。妙に通るあの太い声を知らない人はこの町には居ない。

 でも今日はいつもと様子が違うようだった。口元に当てた両手の平は、何故か赤黒く染まっている。首元がダルダルに伸びたTシャツも、ピンクと赤を混ぜたようなまだら色に。見れば遊具の側には、くの字に曲がった金属バットが転がっていた。

(あ、やったんだ)

 何を、どうやって、等すっとばして直感的に僕はそう思った。

 とにかく何も見なかったことにしよう。そう思って視界を下向きに戻し、同級生たちを見習って足早にそこを去ろうとした。それが良くなかった。

 愚かにも自分が運動音痴であることを忘れていた僕は、小走りの4歩目で何もないところで躓いて転倒した。

 顔から倒れた道路の上は何かで濡れていて、倒れた僕の視界いっぱいに、頭のひしゃげた猫の死体が映った。僕の頬を濡らしたのは猫の流した血や体液だった。

 本当に驚愕すると、悲鳴を出すことも出来ないことを僕は初めて知った。ちゃんと立ち上がることも出来ず、その場で四つん這いになったまま吐いた。昨日の朝から何も食べてなかったので口からは糸しか垂れなかった。

 動けないでいる僕のすぐ側を笑いながら走り抜ける同級生たちの足元が見えた。綺麗なスニーカーを履いていた。靴に穴が空くことなんて、きっと知らないんだろうと思った。やっと口を拭い、顔をあげると見覚えのあるいくつもの顔に指を差された。同じクラスの嫌な奴らだ。

 僕は本日行われるであろういじめの過酷さを想像して、その時ついに声を出して泣いた。遠ざかっていく笑い声がどっと大きくなるのが分かった。

 しばらく泣いていると、サイレンを上げながらパトカーが3台、この一方通行の狭い道に突っ込んできた。僕はおまわりさんがパトカーを傷つけずにバックで帰れるのか心配で更に泣いた。僕の心は縦横無尽に伸びて縮んで、自分と他人の区別もつかない程になっていた。

 突然頭を潰された猫の痛みに泣いた。ヤッホーおじさんの孤独に泣いた。殺しの道具に使われてしまった金属バットの無念に泣いた。あろうことか、この腐った街に降ってしまった初雪の気持ちに泣いた。頬に冷たい雪の感触があった。ああ、今日はクリスマスだった。

 小さな声帯を震わせ咽び泣く小学2年生の僕。どこかで、それを客観的に眺める僕も居た。その僕は公園のベンチのところで腕を組み、ヤッホー以外の言葉をわめきながらパトカーに乗せられるヤッホーおじさんを見送り、猫の死体の側で泣き叫ぶ小学生を見て苦笑していた。僕の脳の一部はどこかで非常に冷静だった。

 そして気づけば僕はパトカーに乗っていて、気づけば警察署でココアを飲んでいた。久しぶりの甘い飲み物に、胃が驚いて震えるのを感じた。ヤッホーおじさんのことをいくつか聞かれている間は、おまわりさんたちは僕をなだめるように穏やかに話を聞いてくれていたのだけれど、僕の身体に出来たアザのことを答える内に顔が険しくなって、最終的に、僕はその日から家に帰れなくなった。


 小学校3年生になった。

 少し大人になった僕は自分の置かれた状況を少しは認識出来るようになっていた。

 僕の家は、普通とは違う”厳しい”教育方針だったせいで、偉い大人たちに怒られてしまったこと。そのせいで当分お母さんには会えず、家の代わりに施設で暮らすということ。この古くて大きな施設には、僕と同じような境遇の子どもたちが集まっているということ。

 ちなみに僕は、施設に入所した日の夜からいじめられることになった。これは流石に驚いたし、完全に油断していた。

 僕は、僕みたいないじめられっ子ばかりが集まれば、いじめはなくなるものだと思っていたからだ。数少ない私物をゴミ箱に入れられたその日から、僕は全く心を閉ざし、沈黙と硬直を心がけるようにした。何の反応も示さなければ、いじめは一定以上はエスカレートしないことを僕は学んでいた。それはあまりにも悲しい学習だったが、案の定、すぐにターゲットは他の子に移っていった。だからといって日々が楽しいものに変わることはなかった。灰色で先の見えない毎日を、僕はただひたすらにやり過ごした。

 その年のクリスマス、僕は施設のクリスマス会で貰った心ばかりのお菓子を口に全部頬張りながら、退屈さと虚しさと寂しさの洪水に口元まで飲まれて死にかけていた。胃がいっぱいになっても、埋まらない穴みたいなものが身体のどこかにあることを僕は確信していた。この穴が塞がれば、もう少しだけ生きていける。ただしそれは、僕自身の力では塞ぐことの出来ない穴だということも十分理解していた。

 背筋に小さな電流が流れたのはその時だった。若干のむず痒さに身をよじった僕は、僕自身に猫をプレゼントすることに決めた。

 なぜ猫だったのか、最初は自分でも分からなかったけれど、頭の中で理想の猫を想像して形にして初めて気づいた。こいつは去年のクリスマスにヤッホー公園で死んだあの猫にそっくりだった。僕は心のどこかで、あいつとならきっと仲良くやれると思っていた。あの公園で心を共有したあいつとなら。

 生まれたばかりの猫は気だるげにあくびをし、僕の足元に近寄ると三角形の顔でじっと僕の顔を眺めていた。

 名前を聞いたら、彼女はチャムだと名乗った。自分は美しい三毛猫で全身がチャームポイントだから、だそうだ。

「ママが迎えに来てくれるまで、ポケモンすごろくでもやろうよ」

 チャムはよく喋り笑うタイプの猫だったので、僕はその日から全く退屈しなくなった。何をした時もチャムが見ていてくれるので、全く虚しさを感じなくなった。周りに誰も居ない寂しさを、ある程度は埋められるようになった。

 僕の成長に合わせて、チャムは賢くなった。

 正確には、いつもチャムは僕よりも少しばかり大人だった。僕の知らない世の中の仕組みを、チャムは色々と教えてくれた。

「結局、大事なのは自立することだよ。自分で身の回りの世話ができれば、まず生きていけるのさ」

 自立するためにも勉強が大事だと言うチャムのアドバイスを聞いて、僕は中学校にも何とか通った。相変わらずいじめは酷く、中学校はなんとか卒業したものの高校は1年の夏に不登校になり中退することになってしまった。

 その時もチャムは、知り合いの紹介で地元の建設会社に僕が雇ってもらえるよう話をつけてくれた。僕はそこで働きながら夜間の定時制高校に通うことになった。

 僕は自分はネクラで運動音痴だと固く信じていたけれど、この職場で厳しく仕事のイロハを教えて貰う中で、練習を繰り返せばコミュニケーションも運動も(ある程度は)上達することを知った。

 そのことを世紀の大発見のようにチャムに報告すると、チャムは耳と尻尾をピンと立てながら、自分のことのように喜んでくれた。

 職場で出来た同年代の友達を呼んで、家で麻雀をやったこともある。狭いワンルームの部屋でチャムはプニプニの肉球で盲牌をしたり、計算が苦手な僕らの代わりに点数計算をしてくれた。

 二十歳の頃には、チャムがe5489でネット予約してくれた新幹線に乗って二人旅もした。僕とチャムにとって初めての東京は、何もかも輝いて見えた。

 バイクの免許を取って、九州まで野宿をしながらツーリングをしたこともあった。チャムと一緒に見た平尾台の絶景は一生忘れることが出来ないだろう。

 チャムはいつまでも僕の親友だった。独立して自分で会社を立ち上げたのも、後に嫁さんになる彼女とうまくいったのだって、どれもチャムのアドバイスがあったからだ。

「今日はママさんのためにお集まりいただき、ありがとうございました」

 小学校以来ずっと疎遠だった母が亡くなったと知らされた時も、ただショックを受けて何も出来なかった僕に変わりチャムは喪主を引き受けてくれた。

 流石に裸で葬儀に出る訳にはいかないと、猫用の喪服を探したけれど、実店舗でもネットでも、そんなものを売っているところは無かった。最終的には嫁さんがチャムのために黒い生地を買ってきてくれて猫用の喪服を縫ってくれた。

「まさか初めて着るスーツがママさんのお葬式になるなんてね」

 少し歳を取って身体つきのぽっちゃりしたチャムは、精進料理に出たお寿司のネタだけを食べながら、髭の生えた顔で笑った。

 僕は年齢より随分と老けた母親の遺体と、僕と暮らしていた頃の写真であろう若い母親の遺影を見比べて、何かが終わったことを感じた。重い肩の荷が、どこかに降りたようだった。

 安心感と虚脱感でソファに座り込んだ僕は、自分の右手が小さく震えているのに気づいた。右手の甲には包丁で出来た深い傷跡が残っていて、少し周りの皮膚より盛り上がって白くなったこの傷跡が、僕自身が千切れてしまわないよう、色々な傷を繋ぎ止めてくれていたのだと感じた。

 チャムが亡くなったのは、その二週間後だった。

 朝、いつも寝床にしている仏間の座布団の上で冷たくなっているのを嫁が見つけてくれた。猫は死期を悟ると飼い主の元から居なくなる、なんて聞いたことがあるけど、チャムはイマジナリー猫だからちゃんと僕に分かる場所で亡くなってくれたんだろうと思った。

 死因は母さんと同じ、癌だということがチャムを創った僕には明確に分かった。

 不思議と悲しみはなかった。

 代わりに、これまで忘れていた退屈と虚しさと寂しさが容赦なく押し寄せてきた。

 チャムが塞いでくれていた心の穴を感情なく見つめる日々が続いた。穴は余りにも大きすぎて、僕は恐らく死ぬまでこの空洞を見つめ続けるのだと悟った。

 僕が想像したイマジナリー猫なのだから、僕が生き返らせることも出来るはずだ。そう思い一晩念じてみたこともあるけれど、チャムは願いに答えてはくれなかった。仏間の座布団の上で、ただ丸くなったまま。腐ることも消えることもなく、ただ動かなくなったままだった。僕はそれ以上、チャムをどうすることも出来なかった。どこにも行かないチャムは、代わりにどこへも行けなかった。

 チャムを見ているのが辛すぎて、僕は仏間に入らなくなった。心の空洞から目を背け、日常に戻る決意をした。かなり無理をしながら働き、笑い、飯を食べて寝た。

 でもやっぱり、時々チャムのことを思い出した。こんな時、チャムならどう言うだろう。なんてアドバイスしてくれるだろう。そう考え事をする度に、歳をとった三毛猫の姿が鮮明に脳裏をよぎった。

 考え事をしている時の僕の顔はすっかり腑抜けてしまっていたようで、ある日心配した嫁がどこからか保護猫を貰ってきた。

 生まれて3ヶ月の子猫で、どことなくチャムに似た三毛猫だった。

 どうやら喋るタイプの猫ではないようだが、よく鳴く猫のようだった。

 僕が手を近づけると、威嚇をしているのか空気を吐き出すような声を出す。餌を食べる時には喉から音を鳴らした。

 翌朝、ザラザラとした音が聞こえたので音の方へ近寄ってみると、三毛猫が目に涙を溜めながら猫砂の上にウンチをしているのが見えた。

 僕は生まれて初めて猫のウンチの臭いを嗅ぎ、ああチャムは本当に死んでしまったんだなと初めて泣いた。久しぶりに仏間を開けたが、座布団の上にもうチャムは居なかった。

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