第3話 1日目 夜

 太陽の光が地平線に沈み、静かな闇があたりに広がる。ぼんやりとした青い月明かりが家の窓から差し込み、薄暗い室内を照らす。



 キッチンの天井から吊るされた魔法ランタンのオレンジの灯りがガラス筒の中でゆらめいていた。

 俺は夕食の食器を片付けをするために、シャツが濡れないように腕まくり、皿を一枚一枚、水を貯めた木桶から拾い上げる。そして泡立ちスポンジで汚れを落としていき、全て洗い終わると、濡れた手をタオルで拭いた。



「終わったな」



 水切り台の上に並べられた食器を見て、満足する。

 それから天井に吊るされた留め金具からランプを外して手に持ち、暖炉の火が煌々こうこうゆらめくリビングへと足を運んだ。



 キャラメル色の茶色のブラウケットを膝にかけて、舞い踊る火花をじっと瞳に映し見つめ、傍からでもわかる傷やあざがある黒髪の少女。

 彼女の背後から声をかけ、俺は階段の手すりに手をついた。



「そろそろ寝る時間だ。部屋に案内する。ついてこい」



 そう、そっけなく言うと、少女は膝にかけていたブラウケットを置いて立ち上がり、階段を登る俺の背後をついてくる。きぃきぃと板が擦れるきしみ音をあげながら2階に上がり、突き当たりの窓と開き切った部屋の扉から漏れる淡い光が廊下を照らす。



「ここだ」



 俺は扉を開けて彼女を部屋に入れた。



 窓から正面に半分に欠けた月が見え、窓枠の脇には白いカーテンが両サイドに束ねて吊るされている。その正面に一つのベットが置いてあり、真新しい白いシーツと布団がかけられていた。



 部屋のベットは少女が大きくなっても寝れるよう大人用の物が置いてある。そのベットの近くには小さめのサイドチェストが鎮座ちんざしており、俺はその上にランプを置いた。



「今日からここはお前の部屋だ」



 窓から見て左壁にはタンスがポツンと置かれている。それ以外のものはない質素な部屋だが、奴隷に一室を与えることなんて普通はしない。



 けして俺がプライベートの時間が欲しくて部屋を与えたわけじゃないぞ。うん、そうだ。誰だってプライベートは大事だろう。



「しっかり、整理整頓して綺麗に使えよ」



 俺は少女の頭をポンポンっと撫でて部屋を出た。



これで、俺ものびのびと一人の時間を楽しめる。



 俺は1階に降りて鼻歌を歌いながらテーブルを台拭きで丁寧に拭いて綺麗にする。

 こうして汚れたものを綺麗にするのは気分がいい。なんて言っても自分が誰からも縛られていないと言うのが実感できる。



 片付けも終わらせ、ちょっぴりお酒でも飲もうかと思ったが、奴隷の様子が気になって2階に上がり部屋の扉を小さくノックする。



 コンコンっーー



 返事はない。



「もう、寝たのか?」



 そっと扉を開けて部屋を覗く。



「……お前、何やってんだ?」



 床に横になって身体を丸め横になっていた少女に俺は目を疑った。



「?」



 少女は眠そうな目を擦って起き上がり俺を見て首を傾げる。

 俺はベットを指差した。



「ここがお前の寝床だ」



「??」



 彼女はキョトンっとして首を傾げた。



 こいつもしかしてベットで寝たことがないのか?



 俺は仕方がなく彼女の身体を抱き上げて、運ぶ。



「よいしょっ」


「!!」



 少女は驚いたように目を丸くする。



「ベットで寝ろよ。床で寝て風邪ひかれたら大変だろう。世話するこっちの身にもなれ」



 お姫様抱っこをして抱えた少女をベットの上にのせ、白い掛け布団をかけて、また頭に軽く手を置くよう撫でた。



「しっかり寝ろよ。明日も早いからな」



 俺は扉を閉めてランプの灯りを消した。

 そして部屋の外に出て扉を閉めると手を上に伸ばして背伸びした。



「うーん、俺も寝るか」



 今日一日、慣れないことをしたせいか身体が疲れた。俺は一階に降りると軽く濡れた手ぬぐいで身体を拭いて2階に戻り、自分の部屋のベットに横になる。



「明日も忙しいな」



 そう思いながら、俺は眠りについた。



 ♦︎ ♢ ♦︎



 真夜中の深夜、静寂と暗闇が支配るするもの静かな時間帯に俺は目を覚ました。



 ドタっ……バタっ……



「ん?」



 隣の部屋から物音が聞こえる。



「なんだ?」



 しばらくして音は止んだ。



「…………もしかして、逃げたか?」



 少女が真夜中を狙ったのは実に賢い判断だ。



 月明かりが出ているとはいえ、家の周囲の森は暗い、一度、逃げ込まれたら目視での発見は難しい。



 しかし、首輪には探知の機能もあるのだ。

 見つけられなくても、大体の居場所はわかってしまう。

 そんなこと逃げ出した少女に言ってもわからないと思うが……



 俺は眠たい目を擦りながら、隣の部屋に向かった。



 そして部屋の扉を手の甲でコンコンっとノックする。



「起きてるか?」



 返事はない。廊下には静かな音だけが流れた。



「入るぞ」



 扉を開けると窓が開いていた。

 入り口から見えるベットの上に少女の姿はない。



 やっぱりか、こんな真夜中に奴隷を探しに行くと考えると気分が億劫だ。しかし、街に近いとはいえ、森には魔物がいる。特に夜になると凶暴な魔物が活発になる。早く見つけないと少女の身が危ないだろう



 とりあえず、部屋の中に入って、掛け布団がないことに気づく。他に何か手掛かりがないか探そうとベットに登った時、俺は異変に気づいた。



「ん? なんか湿ってるぞ」



 じんわりとだが、水をこぼしたような痕跡が指先から感じられた。



 俺は窓の外を見る。

 窓の外は月明かりでよく見えた。こんな高さから子どもが飛び降りたら足跡の一つくらいつきそうなのだが、何の痕跡もない。



 痕跡も残さず逃げるなんて……そうとう手練れているな。



「まったく面倒な……」



 俺はため息をついて窓枠から外にはみ出ていた上半身を室内に戻す。


 するとその時、後ろから啜り泣くような声が聞こえた。



「ヒックっ……」



 俺は思わず、後ろを振り返る。



「なんだ……そこにいたのか」



 頭から布団をかぶって部屋の隅で膝を抱えている少女の姿を見つけ、俺はホッと一安心する。



「そんなところで、何やってる?」



 俺はベットから降りようとして、自分のズボンの膝あたりが濡れたことに気がついた。



「うわぁっ……なんだこれ」



 自分が膝立ちしていたベットを見下ろすと、そこにはまるで水をこぼしたような歪な円の形をし、濡れた箇所があった。



「あー……お前、漏らしたのか」



 俺は少女が部屋の隅で泣いている理由がわかり、ベットから降りて近づいた。粗相をしたことを怒られるとでも思ったのだろう。



「逃げたかと思って……肝を冷やしたぞ」



 少女の前に立って腰を下ろしてしゃがむ。そして手を伸ばすと彼女は白い掛け布団を被ったままビクッと身体を震わせた。



「こんな濡れた格好でいたら風邪を引くだろう」



 俺は彼女から掛け布団を取ると、目元を赤くして泣いている少女が顔を上げた。



 うっ、不意に目を合わせてしまった。

 やはり催淫されているのか、反射的に可愛いと好意を抱いてしまう。



「次から漏らした時は俺の部屋に来てちゃんといえ、怒らないから」



 頭を撫でてから、少女の手を引いて1階へと降りいく。暖炉に薪をくべて火をつけ、部屋を温めてから少女の服を脱がした。



 そして、お湯で浸したタオルで身体を清拭せいしきし、新しい服を着替えさせる。



「もうどこも気持ち悪いところはないか?」



 俺の質問に少女はコクンっと頷いた。



「よし、ベットは明日シーツを取り替えてマットを干すから、今日は俺の部屋で寝ろよ」



 俺は彼女の手を引いて階段を上がり、自分の部屋まで連れて行った。



 「おやすみ」



 少女を布団に寝かせると俺はあくびをしながら部屋を出る。



 そして一階に下りて、ソファーに横になると、毛布をかけ、暖炉の火を眺めた。



 パチパチっと火の粉が弾けるのをボーと見つけていると、2階からキィと小さく階段がきしむ音がする。



 俺は階段の上を上半身を起こして見上げる。

 そこには壁に手を伝うようにして、こちらを見下ろす少女の姿があった。



「なんだ、寝れないのか? だったら、こっちに来てもいいぞ」



 俺の言葉に少女はコクリっと頷いて階段を降りてくる。そして暖炉の前に敷かれた円形のマットの上に座り身体を丸めて横になり、俺へジッと視線を向けた。



「…………」



 少女は何も言わず顔を向けて見てくる。



「…………」



 まるで猫に目を見開いてガン見されている気分だ。



「1人で寝るのが怖いか?」



 俺はソファーから起き上がり少女に呼びかける。

 少女はそれでもはジッと見ているだけだった。

 俺は視線を向けられて寝るのが観察されているようで気味悪く感じ、立ち上がってマットに寝転ぶ少女に近づいた。



「ほら、寝るぞ」



 少女を抱き上げてソファーまで連れて行く。抱き上げられて暴れるかもしれないと思ったが、少女は大人しかった。

 ソファーには流石に2人は横になれないので俺の上に彼女を乗せた。

 少女の身体は軽くて重さを感じず、胸が圧迫されない。

 しかし、少女は俺の胸の上で借りてきた猫のように手を丸めて、身体を小刻みに震える。



「怖いか?」



「……っ」



 俺の質問に彼女は目を瞑りながらフルフルと顔を横に振った。しかし、行動とは裏腹に震えは収まらない。



 俺は彼女の髪を優しく撫でた。



「ここにお前を殴ったり、痛い目に合わせたりする奴はいないぞ」


 

「…………」



 反応はなかったが少女の右耳がぴとっと下ろされて俺の身体につけられる。俺は背中をトンっトンっと一定のリズムで撫でた。まるで寝付きの悪い子どもを寝かしつけるようにゆっくり行う。すると、しばらくして彼女の震えは収まり、かわりにトクンットクンッと小さな心音が胸に伝わりはじめた。

 


 寝たのかと思って、少女の顔を覗いてみると不意に彼女の顔が上がってジッと俺の顔を見ていた。



 丸い水晶玉のような瞳に俺の顔を映した。



 かわえぇな〜

 はっ!?



 いかん、いかん催淫に当てられるところだった。

 俺は彼女から視線を逸らし、背中を優しくトントンっと撫でる続ける。



 そうしていると、視線が静かな寝息に変わり、俺は逸らしていた目を向ける。



「…………zzzZZZ」



「こうして静かに寝てる時は普通に可愛いのにな」



 無防備なものに対して、可愛いと思ってしまう人としての本能だろうか。催淫されている感じはしないが、少女を愛しむ気持ちがある。

 俺はか細く呼吸する少女の髪を撫でた。そうして、たまには誰かの体温を感じながら眠るのも悪くないなと思いながら目を瞑った。

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