第2話 1日目 夕方


 窓から茜色の夕焼けが差し込む夕方、ソファーから目を覚ました奴隷の少女は眠そうに目をこすった。そして鼻腔をスンスンと動かして部屋に漂ういい匂いの正体を探していた。



「メシだ、食べるか?」



 俺が声をかけると彼女は、ソファーに寝転んでいた黒髪の毛先を持ち上げて、俺の元へトテトテとその髪を尻尾のように揺らし走ってきた。



「…………」



 ……何だ、この可愛い生き物。

 


まん丸とつぶらな瞳で俺のことを見上げてくる少女に俺は心は揺らぎ始め、いつもは厳重に閉めている心の扉が開きかけていた。



 キィーー……



 門が、門が開いたぞー!

 俺の脳内小人たちは一斉に少女へと駆け寄る。



 クソォ! 我がお姉さん大好き部隊に裏切り者がいる。誰だぁ! 心の門の扉を開いたやつは! これじゃぁ、可愛いにどうぞ入ってくださいと招待しているのと変わりないじゃないか!! このままではやばい。少女のキュルルルっとつぶらな瞳に心を守っていた兵士たちが、武器を捨てて投降してしまう。まるで、盾に猫をくくりつけて進行してきたペルシャ人に敗北したエジプト人と同じ敗北の道を辿ってしまう!



 兵士一同) 可愛い! 可愛い! 可愛い!



 落ち着け……俺。まだ焦る時間じゃない。

 たかが子どもじゃないか。好みの範疇からは外れている。俺はナイスバディなお姉さんが大好きだ。こんな少女にまさか俺が心を奪われて敗北するはずがない。



「…………」


「…………キュン♡」



 あ、危ない……あともう少し目を合わせていたら間違いなく心を奪われていた。これはあれか? サキュバスの催淫ってやつか? 



 もう一度少女を見る。



「…………」



「…………」



「…………」



「…………キュルルルン♡」



 俺は気づけば顔面を思いっきり手で覆っていた。


 

 嘘だろう。



 え? なんでこんなに可愛いの? 可愛いの宝石箱じゃん。国宝級可愛いじゃん。可愛いのビックバンだよ。



 クソォ! 俺のお姉さん記憶フォルダが勝手に可愛いに書き換わっていく!



 これがサキュバスの真の力……


 

 なんて恐ろしい。※違います。



 まるで……たまたまバカンスに来ていたら偶然その島を支配するお姫様と目があって恋に落ちてしまったくらい強烈だった。

 ハーフで少女だといえ、サキュバスである本質は変わりないということか。



 このままではまともに食事ができない。

 どうすれば……



 どうすればいい?


 

 そうだ! 催淫は目を合わせるとされるなら目を合わせなければいいのではないか。



 よし、目を瞑ろう。



 俺は目を瞑って歩いた。



「ふぅんっ」



 そして床に顔面を打ちつけた。



 痛い、痛い、痛い。



 悶絶し俺は床に転げ回る。

 そんな俺に少女は手を伸ばした。



 その手を取ると、少女の背後には黄金色の雲に光が差し、眩しいほど後光が見えた。



 この子は、救いの神か……



 俺の中にあったお姉さん記録ファイルが羽を生やした2人のエンジェルとともに天へ向かって昇っていく。

 


 あぁ、さようなら、俺の青春。

 さよならお姉さん。

 さよならFカップ。



 俺は涙をこぼしながらその光景を見送った。



「メシにするか」



 立ち上がった俺の言葉に少女はコクンっと頷いた。



 ここまでは完全に少女の可愛いに押されていた。



 しかし、ここからは違う。

 


 そう、食事だ。



 彼女の可愛さには調教の優位性を奪われてしまったが、食事に関して言えば用意しているのは俺。そう、完全に俺の土俵なのだ。



 考えてもみたまえ。

 少女はガリガリに痩せている。

 それはもう痩せこけた野犬のように肋骨が浮き出て、2日も食事を口にしなければ餓死してしまいそうなほど痩せている。


 

 だから栄養価の高い食べ物を食べませ少女を肥えさせると同時に、俺の言うことを聞けば美味しいご飯が食べれると学習させ、餌付けを行うことによって食により少女を懐柔するのだ。



 さすが、俺。汚い、汚すぎる。大人の無慈悲さと狡猾さ! 非力な少女に選択肢を与えないで、命綱を握り。言うことを聞かないとどうなるかを教え込む……



 俺、天才か?


 

 ふっ、ふっ……少女をムチムチで触り心地の良いサキュバスに育てる。悪くない。むしろ今から楽しみだ。きっと食事代は馬鹿にならない金額になるけど……



 冷静になってよく考えたら食事代だけで、一月分の働きと同じくらいにならんか?



 こんなの毎食用意していたら、一年も持たず節約してコツコツ貯めた貯金が底につく……



 いや、必要経費だ。奴隷を理想の体型にするために食費だけは削れない。

 その代わり俺の装備品を新調する予算を回そう。良い案だ。


 金の心配をして奴隷の調教など行えるわけがない。



 奴隷の調教は一歩間違えれば、背後から奴隷から刺される可能性だってある。



 ハイリスクハイリターンそれが奴隷調教。


 どれだけ主人が優しくしていても、裏切る奴隷は裏切る。



 食費を全財産を火にくべても、育たない奴隷は育たない。



 俺はまだ見ぬ未来に夢と希望を抱いた。



「…………チラッ」



 少女の胸元を見る。



「…………」



 絶壁、まさに絶壁。成長過程とは言え、そこには起伏の「き」の字も感じられないほど絶望的である。



 これ……本当に育つのか?



 視覚からの圧倒的不利な情報に俺の喉がゴクっと唾を飲み込み音を鳴らす。少女はそんな俺をキョトンっとした顔で見据えていた。


 

「…………」


「…………」



 いや、あきらめるな。まだきっと大きく育つ希望はある。焼けた大地に新たな芽が芽吹き長い時間をかけて森林になっていくように彼女の胸にもまだ望みはある。俺は信じよう。この先の未来に豊満というフロンティアが約束されあることを。



 そのために高級食材を使って今日は料理を用意してあるのだ。



 火山リザードの尻尾の輪切りのステーキ、魔力レタスと雫トマトのシーザーサラダ、黄金ポテトのポタージ、白小麦のパンどれも駆け出し冒険者には手が届かない豪華な食事だ。

 もちろん俺も普段なら食べない品々だ。



「さぁ、たくさん食べろ。お代わりもあるからな」



 しかし、この時に俺は気づかなかった。

 育つAカップフロンティアがあれば、育たないまな板フロンティアもあるということに……少女の成長に希望を持ちすぎて俺は見誤っていた。



 現実とは非常である。



 そんなことは露知らず、俺は大人になった時の彼女を想像し口元をにへらと緩めていた。……いけない、いけない涎が。こんなことをしていては料理が冷めてしまう。



「では、今日の糧を得られることを冒険の神イディアに感謝を」



 両手を組んで祈りを捧げた。

 そして俺はパンに齧り付く。



 おいしいな、このパン。やっぱり高いだけある。



 いつも食べてる石炭パンとは大違いだ。石炭パンは硬くてボサボサしている黒いパンだ。日持ちがよく、冒険者の携帯食料である。味はゴワゴワしたおがくずみたいな味で別名、犬の餌。

 最下貧民がよく好んで食べるパンだ。



 サラダも初めて作ったが我ながらいい出来だな。このチーズとドレシング、食パンを小さくブロック状に切ってカリカリに焼いたクルトンの掛け合わせがいい。それが魔力レタス水気とトマトの酸味にマッチしている。いったいいくらするのだろう。



「…………食べないのか?」



 テーブルの料理に一人だけ手をつけているのに気づき、俺は少女の顔を見てたずねた。彼女は椅子に座っているだけで料理に手をつけようとしていなかった。



 もしかして、お腹いっぱいなのか?



 そんなことはないはずだ。いくらサキュバスでも精気だけで、空腹を満たせるなんて聞いたことない。



 しかし、そんな考えはどうやら心配のし過ぎだったようだ。少女のお腹からぐぅ〜と腹の虫がなり、彼女は恥ずかしそうに頬を赤く染めて下を向いた。



「なんだ、好みじゃなかったか……?」



 俺が顎に手をついて考える。


 もしかして、食べ方がわからないということは無いだろう。食べたことはないかもしれないが、俺が食べているので、食べ物であることはわかるはずだ。それとも警戒心が強いだけか?



「何だか一人だけで食べるのも味気ないな」



「…………」



 たくさん食べるだろうと思って豪勢にしたのだが、これだともう少し、量を少なくしておくべきだったか……そう思い、立ち上がって料理保存用の魔法容器を持ってこようとすると俺の腕が誤ってステーキがのった皿を地面に落としてしまった。



「あっ……クソッ、やっちまった」



 これだからデカい身体は嫌になる。



 俺が片付けようと立ち上がると、それよりも早く少女が立ち上がり、すぐさま落ちたステーキの前で四つん這いになる。



「待て、俺が片付けるから……」



 主人に言われる前に片付けに動くなんて中々見どころのある奴隷だ。

 俺は彼女が落ちたステーキを拾って片付けてくれるのかと思っていた。しかし、それは違った。



 パクッ……はむっはむっ



 少女は落ちたステーキに手を使わず口をつけて食べ始めたのだ。



「えっ?」



 俺はあっけに取られてテーブルの上で固まった。どうしてテーブルの上にのっている食べ物じゃなくて地面に落ちた肉を食べるんだ。その肉は明日の俺の昼飯になる肉だぞ?



「おいおい、何してる」



 俺がステーキを取り上げると彼女は俺の持つステーキの肉を見上げ口からは糸を引いて涎を滴らせた。



「床に落ちた肉は食べるな」



 俺の声に嬉々とした表情だった彼女の表情はクシャッと紙を丸めたように歪み、悲しそうに視線を下げてから羨ましそうに俺の手に持つ肉を見上げ自分の席に戻った。



 何が起こってるんだ……



 俺は混乱し状況整理する。



 普通、食事というものは席について皿に乗った料理をナイフとフォーク、スプーンで食べるものである。

 しかし、彼女は食器類は使わずに床に落ちたものを食べた。



 嫌な予感がした。

 もしかして、少女は犬や猫と同じように床でご飯を食べるようにしつけられているのではないか?



 それを確かめるため俺はスープの皿を床に置いた。すると女の子は嬉々として顔をパァーと輝かせ、また四つん這いになり、舌で舐めとるようにスープを飲み始めた。



 これは……



 猫がミルクをぴちゃぴちゃ舐めてるみたいで可愛いじゃないか!

 いや違う! 違うだろうが! 



 めちゃくちゃ可愛いだろうが!



 だから、ちがぁあああう! 



 脳にまで可愛いが侵食してきている。



 冷静になれ俺、そう冷静になるんだ……



 ゆっくり深呼吸だ。



 ひっひっ、ふー。ひっひっ、ふー。



 はぁ……落ち着いた。



 ひとまず、こんな床に四つん這いになって食べるのは異常だ。

 それを自然に行うということは、身体に動作が染み付いている。

 


 しかし、一度だけではわからない。もしかしたら俺の勘違いかもしれない。なので木のボウルにのったサラダを床に置き、手にフォークを持たせ、もう一度、検証を行う。



「…………」



 彼女は俺から持たされたフォークを床に落とし、髪にドレッシングがつくのもいとわず、直接、口でサラダを食べ始めた。



 むちゃ、むちゃーー



 やっぱり……



 ハイレベルを通り越して可愛いすぎる。

 超絶に愛嬌のある食べ方だ。


 

 ふぅうん!!



 俺は自分の顔面を殴った。

 強い打撃が加わったせいか、鼻から鼻血が出る。



 違う! クソォ、脳内ジャミングがぁーー! 催淫による可愛いの侵食が止まらない。本当になんだなんだ。異常だ。異常すぎる。こんなに可愛いなんて宇宙一推せるじゃないか。



 ところで宇宙ってなんだ?



 ……まぁ落ち着け、俺。たかが催淫だ。焦ることじゃない。今まで幻惑を使って魔物に惑わされたことだってあるだろう。抗うのは悪手だ。精神だ。精神力で抵抗するのだ。



 スンっーー



 世の中には様々な種族がいる。だからこうした食べ方をするのは意外ではない。ただ、俺は人種の中で四つん這いで食べる種族とは会ったことがない。つまり、この子は人種でありながら今日の今日まで日常的に動物としての扱いを受けてきたということだ。



「嘘だろ……」



 可愛くて眩暈がした。

 確かに、こういうペットのような奴隷が欲しがる人もいる。しかし、それはプレイの一環として後天的に身につけ、プライベートな特別な空間で個々人同士で楽しむものであって、日常的に身につけて良いものではない。



「やめろ」



 俺が可愛さによる嬉しい感情の表裏を押し殺すため不機嫌そうに声を上げると、少女はビクッと肩を震わせて皿から離れ、部屋の隅で怯えた。



 あぁ、そんな目で見るな。



 取り上げたお皿を返してあげたくなって困るじゃないか。



 俺は素直に謝って奴隷に皿を戻したくなる気持ちをグッと我慢して眉間に皺を寄せた。



 ダメだ! ここで渡したらダメだ!



 そんなことをしたら主従関係が逆転してしまう。



 誰だ簡単に調教できると考えていた楽天的な奴は! 主導権を奪われてすぎじゃないか!



 少女の可愛さが大きな誤算だった。



「こっちにきて座れ、別に怒ってるわけじゃない」



 冷静を装い、椅子を引いて呼ぶと、少女は背を丸くし身体をこわばらせながら、席に座った。結局のところこの子にナイフとフォークを使って食べ物を食べることは難しそうだ。



「ほら、口を開けろ」



 俺はちぎったパンを少女の口の前に持っていく。少女は口を開けて小さく口を開けて食べた。



 はむ、はむ。



 手からは食べれるのか……



 小さなお口が動くたびに俺は、その頬袋に動くパンを直視していた。



 その姿を目に入れるたびに小動物リスが必死に頬袋パンを詰め込み食べているように可愛く見える。



 おかしい……何度、目を擦っても症状が消えないぞ。



 これは錯覚ではないのか?



「よし、いいぞ」



 頭をくしくしと撫でると、少女は強張っていた表情を崩してにへらと頬を崩して笑みを浮かべる。その表情に俺の胸はズキューンと撃ち抜かれた。



 あ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛可゛愛゛い゛い゛ぃ!!



 次はフォークに刺した肉を顔に近づける。



「?」



 不思議そうにフォークに刺さった肉を少女は観察するように見回す。食べ方がわからないのか、俺は一度、口に入れて食べて手本を見せ、もう一度、彼女の口の前に肉を差し出した。



「食べてみろ」



 しばらくして、彼女は警戒するように慎重に口を開いてパクッと食べた。



「いい子だな」



 なでなで……



 少女は口の中で肉を咀嚼しながら幸せそうな笑みを浮かべた。



 俺も幸せすぎて笑みを浮かべた。



 もきゅ、もきゅーー



 守りたい、この笑顔。



「ほら、ナイフとフォークを持って自分で食べてみろ」



 俺はナイフとフォークを彼女に持たせて食べさせようとする。



 しかし、彼女は俺に助けを求めるように視線を送った。自分でやらせようとしたが、まだ難しいようだ。俺は背後から手を支えて肉を切り、彼女の口元に運ぶ。



 ーープイッ



 少女は口を開かず、肉からフォークを避けるように顔を背けた。



「どうした?」



 そっぽを向いた方へと肉を運ぶと今度は反対側に顔を背けた。



 顔を背けたのは偶然ではないようだ。再び口に入れようとすると彼女はプイッとそっぽを向く。そのせいか頬にペシッ、ペシッと切ったステーキが当たり、付着したステーキソースが頬を伝った。



「食べたくないのか?」



 俺の言葉に少女はブンブンと首を横に振る。

 食べたくないわけではない。

 ということは……



「怖いのか?」



 その言葉を聞くと彼女は俺の顔をハッとした表情で見上げ、そして下を向く。それから膝をギュッと握り彼女の手の甲にぽたっ、ぽたっと涙が落ちた。



「すまん、辛いことを聞いたな」



 この拒絶反応は多分トラウマからの恐れだ。


 

 以前、ナイフやフォークで使って食べたら暴力や虐待を受けたのだろう。



 トラウマは簡単に消えるものではない。



 トラウマは自己行動の失敗の記憶からの恐怖による忌避症状だ。



 野生では恐怖は生物の生存本能と直結している。



 貧弱な人間が魔物よりも繁栄できたのは恐怖というものに対し人間が対抗手段を身につけたからだ。それまでに人間は魔物の餌でしかなかった。



 奴隷がテーブルでナイフとフォークを使って食事を取れるようになるには記憶の根本にあるトラウマを克服させないと難しい。



「自分で食べるのが嫌なのか?」



 コクンっーー



 少女は頷く。



「そうか……」



 俺は少女の過去は知らない。生きて経験したことも、どれほど嫌な目に遭ったかも何も知らない。


 

 身体に付けられた傷は生々しく、その傷は癒えることなく今も残っている。

 彼女の心に植え付けられたトラウマも見えないけれど生々しく根深いものなのだろう。



 俺は彼女の手に白パンを置いた。



 焦っても仕方がない。まずは素手で食べれるようになるところから始めよう。



「?」



 しかし、そんな俺の行動を彼女は小首を傾げて不思議そうに見た。



「食べ物だぞ、これは食べ物だ。テーブルの上に置いてあるのは食べてもいいものなんだ」



「???」



 彼女は首を傾げるばかりだった。

 どうやらテーブルの上に置かれているものは食べてはいけないと教え込まれているようだ。



 これは骨が折れる。



 さて、どうやって調教していくか。



 俺は肉を刺したフォークをから手の上にとって彼女の前に持っていった。



 はむ、はむーー



 少女は俺の手のひらから肉を口に咥えた。



 少女の唇と舌が俺の手のひらをくすぐり、生暖かい息と上目遣いの瞳に目が合う。



 口に肉を入れて咀嚼すると少女は次に目を閉じて、手のひらについたソースもぺろぺろと舐め、生暖かい舌の体温が手の表面を弱々しくだが心地よくなぞった。



「あぁ……」



 なんて健気で可愛い。



 俺はあまり少女が愛くるしく思え、意識が半分ほど飛びかけこのまま昇天しそうな魂を現世に止めるので精一杯だった。

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