ショートストーリー集

豆茶漬け*

青春が終わる音

 カキーンというカン高い音に、数瞬遅れて湧き上がる歓声と蝉の大合唱が混ざり合って聞こえてくる。遠くから聞こえるそれらと対照的に、私の周りはお通夜のように静かで、誰かが啜り泣く声だけがやけに大きく響いていた。

 観客席に吸い込まれていった小さな夢を乗せたボールは私たちの願いを叶えてはくれなかった。私は呆然とそのボールの行方を見届けた後、思い出したように顔を正面に向けた。

 広いグラウンドで立ち尽くす選手たちはボールの行方を最後まで見届けることはなく、帽子を深く被り直して肩を震わせていた。また別の選手達も、やはりボールの先を見届けることはなく、お互いの肩を笑顔で泣きながら抱き合っていた。

 息が浅くなり、夢を見ているように意識が遠のいていくのを感じた。これで終わりなのか。それにしてはやけに呆気なく、現実感が薄かった。この瞬間まで、こんな結末を迎えるとは思っていなかった。

 ふと、中心に立っていた選手が顔をこちらに向けた。

 目が合った。

 沢山いる観客の中から彼が私を見つける確率はいかほどだろうか。そんなことを頭の片隅で考えながら、目だけは彼から離すことはできなかった。

 彼の視線はまるで神に懺悔しているかのようだった。そんな彼の視線を一身に浴びた私は息を呑んだ。一瞬のようで長い間、私たちは見つめ合っていたように思う。最初にその会合を断ち切ったのは彼の方だった。彼は私の視線から逃げるように、帽子を深く下げた。そして他の選手から一歩遅れて私たちの前に並んだ。

 次に何が起こるのか、私たちは知っている。ずっとずっと、ここまで見てきた光景だったから。その儀式が行われれば全てが終わってしまう。本当の終わりを迎えるのだ。夢は泡となって弾けて消えてしまう。

 だからこそ、その言葉を聞きたくはなかった。夢のような結果を現実にしてしまうのが怖かったのだ。

 それでも、私に時間を止める超能力がなければ、時間を巻き戻す力だってない。だから進み続ける時間の歩みを泣いて縋ったって止めることはできない。


「ありがとう、ございましたぁ!」


 遠くから聞こえる歓声も、五月蝿い蝉の大合唱も、やけに大きく聞こえていた誰かの啜り泣きも、全ての音を飲み込む大きな津波のような声が、客席にいる私の元まで届いた。

 一列に並んだ彼らは、肩を震わせながらも背筋を伸ばし、この瞬間誰よりも誇り高くあろうと胸を張り、脱帽する。そして勢いよく腰を九十度に曲げて、頭を下げた。

 再び顔を上げた彼らの顔はそれぞれ違っていたのに、同じように歯を食いしばって何かを堪えるように私達と相対していた。

 その時、私の頬に雨粒が一筋落ちてきた。空は晴天なのにおかしな話だとぼんやりと思う。その粒は頬を伝い唇にたどり着くと、なぜかしょっぱい味がした。

 ようやく、現実が私に追いついた瞬間だった。どうしようもなく流れる雫を、止めることもできず、ただなすがままに受け入れることしかできなかった。


その音は、この夏、誰かの青春が終わる音だった。

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