第8話 奏の好きな記憶

 奏はひたすらに何かを計算していた。筆記用具や電卓を使っていないので暗算である。奏はしばしば色々な現象を数えている。

 七月二十八日、七月二十九日、七月三十日……

 奏は七月の日付ごとの出来事についての記憶を整理している。彼女はとても記憶力がよくて、記憶する際にその記憶のデータに日付を予め割り振っておけば、その日付を索引のようにしてかなり自由に記憶を引き出すことができた。

 奏は心と一緒にピアノを弾いた日のことを想い出す。それは五月十六日のことだった。

 あるいは奏は心とバドミントンをプレイした日のことを想い出す。それは八月二日のとても暑い日だった。

 そのようにして奏は自分の身の回りに起こった色々な出来事や様々な本の内容を正確に記憶していた。

 そして、それらの記憶をもとにどのような日にどのような出来事が起こる傾向があるかについて奏はよく考えている。それは暦道的な手法とも言えて、実際にはかなり奏独自の手法も混じってはいたが、それでも根本原則としては、ある種の陰陽道の原理を利用していた。

 奏は古いものを愛することが多い。それらのものは古びていながら、いつも新しいのだ……と彼女は言う。

 奏にとって数字には色があったり、それぞれに独自の風景を持っていたりする。気味悪がられることが多いので彼女自身は積極的にはそれについて語ることはないが、例えば、一は彼女にとっては黄色である。特に理由はなく、直感的にそうなのだと言う。二は赤色、三は水色、四は青色、五は桜色……そんな具合である。それらにどのような規則体系が宿っているのかについては奏自身にもよくわかっていなかったが、彼女にとって数字は色とりどりの風景である。

 

 奏の一の風景は、どことなく広がる火山である。そこら中から金色に輝くマグマがあふれ出ていて、ところどころに赤黒い地面が剥き出しになっている。それは奏の想像上の風景だったが、想像上の奏はその中を冒険することができる。

 奏の二の風景は、果てしない海である。頭上には燦燦と太陽が輝いていて、地面には燃えている所もある。現実に則して考えれば、かなり高温の環境なのだろうが、涼しい風が吹いていて、想像上の奏はとても快適にその風景の中を冒険できた。

 

 以上のように、奏の「風景」は基本的に数字を軸にして編纂されている傾向を持っている。これは文字の画数や物事の生起の回数、あるいは何らかの運動の動作の回数に至るまで、多くの事柄に応用されており、その有り様はいわゆる数秘術に近い。中には、彼女流にタロットや易経の理論を改変的に組み込んでいる理論も多くあり、その複雑な全体像について知りえるのは彼女自身くらいのものだろう。


 奏が記憶の回想に集中していると、心の声が聴こえる。すると、彼女の意識は次第に現実に戻ってくる。リアルという大地に足をつけて、また地道に歩き出す、彼女の「人生」が始まる。


 心は言う。「奏、こないだ話してたレシピってどの本に載ってるんだっけ?」

 奏は言う。「こないだ心が買ってきたフランス料理大全の126ページ」

 心は奏の助言通りに本を開くと、お目当てのレシピを発見できた。心は奏に礼を言うと、さっそくそのレシピを使って料理にとりかかった。

 奏は鼻歌を歌いながら、機嫌よく料理をしている心の隣にひょこひょこと歩いて行き、心に声をかける。

「心、何作ってる?」

 心は言う。「それはね……奏の好きな……」

 そうこうして、今日も奏と心は仲良しである。

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微かなもの ヨミヨミ @yomiyomi1101

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